むかし、ちょっとだけ、車であちこち行く仕事していて、先輩が、『君の人生の目標は何?』と聞かれ、別にないです。と答えたら、えらい、おこって、一日中説教されました。説教の内容は、こんな感じです。人生はな、まず小さい目標持つねん、例えば、あの高校に入りたいとか、かわいい彼女が、欲しいとかな、そしたら、人間努力すんねん、努力して、手に入れたら、もっと大きな目標持つねん、そして、もっと努力すんねん。そういう感じで、人間は、生きていくんだ。目標のために、手段を選んで、行動するんだ。と、一日中説教されました。納得したか?と聞かれたので、正直に、ドラクエみたいで、そんなのいやです。別に、今が楽しければ、いい、そんなんじゃ、なくて、人生に目標を、持っている人が、生理的に嫌い。例えば、将来の為にと、今を犠牲にして、生きてる人。今、ここが、嫌いだから、目標を持つような、きがします。いつも、目標は、何ときかれ、目標に対して、考えが、まとまってないので、いつも、争ったら、まけます。なんで、みなさん、目標、目的なんて、持つのですか、教えてください

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A 回答 (34件中11~20件)

何も説教しなくてもいいんじゃない?って気がしますが...そんな先輩もつと苦労しますよね。


正直言って、目標なんて持たなくてもいいと思います。自分の生活スタイルをどうするかは自分の勝手ですし、そんなことに他人がとやかく言う権利はないというのが僕の考えです。
ただ、私は目標を持っていますが、目標があったほうがないときよりも充実して過ごせますし、目標を達成したときの達成感は、うれしい喜びがあると思いますけれど...
(人生に目的はないというのが、私のサルトル実存主義の解釈です。人生に目的なんてありません。それよりも先に存在してしまっているので、それから先の生き方は自分で自由に決められるということではないでしょうか。サルトルは、「実存は本質に先立つ」といっております。また、「人は自由の刑に処せられている」とも言っています。)時間があったら『ソフィーの世界』とか読んでみると結構面白いです。
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xinmanです。

お礼拝見させていただきました。
>道路は、進行方向に、移動するには、危険はないけど、それを、左右を、よくみ>て、危険は、承知で、横断してみる。そんな、ふうに考えてます。遠回りが、一>番近道だと、信じてます。
”進行方向に移動する”か”横断する”かを決断するのは自分自身ですよね。しかも、人生という道路は進んだが最後、後戻りできないときている。ある地点に置いての直進するか横断するかの判断は一度しかできないんですよ。似たような場所を通ることはあっても、やっぱり、前のときとは異なる場所なんですよ。このときに、直進を選択した場合には横断したときの結果はわからないし、横断した場合には直進したときの結果はわからない。もちろん、結果を想像することはできるけれど結局想像の域から出ることはできないんですよ。直進と横断のどちらがより目的に近づくかは状況によって変化しうるものです。未知の結果に対しての選択となるので選択するときには悔いの無さそうな方を選択する。もちろん、後で振り返ったときに失敗したと思える場合もあるが、逆の選択をした場合にどうなっていたかを考えても、今更戻ってやり直すことなどできるはずも無い。だから、今を生きていく。地図の無い道路を進んでいくにあたって、遠回りであったか近道であったかは道路の地図が描ききれたときにはじめて見えるものだと思います。近そうな道を選んでさっさと目標を遂げるか、遠そうな道を選んでその道中を満喫するかはどっちもありだと思ってます。
>人生は、苦しみと絶望の連続です。その中で、一瞬だけ、幸せがおとずれる。
これは、ちょっと酷くないですか?もうちょっと前向きに考えましょうよ。わたしにはpassagen22さんが一瞬の幸せのために苦しみと絶望の連続をあえて選んでいるのかなって気になっちゃいます。苦しみと絶望を味わうことが目的ではないですよね?
>倦怠と、気晴らしの、連続の中から、気晴らしだけを、取り出しているような、
>気がします。
楽しい倦怠があるかどうかはわからないけど、わたしが生きてきた中には気晴らしの為の倦怠なんてのがありますよ。あえて、倦怠の中に身を置きその倦怠を満喫する。これって変ですかね?
わたしは、ガッコウ出て、カイシャ入って、そこそこのキュウリョウ貰って、ヤスミが有って、でも、コンナンヤリタイシゴトトチガウと思って、カイシャ辞めて、アタラシイカイシャ入って、キュウリョウ減って、ヤスミが無くて、でも、ヤリタッカッタシゴトやって、てな感じでジンセイマンキツ中です。タノシイです。シアワセです。オカネの為に生きているんじゃない。ラクスルために生きているんじゃない。それでも、タノシク生きたい。今のシアワセが無くなったときには、アタラシイシアワセを作ればいい、掴めばいい。コレガワタシノイキルミチ~♪ってなことをやってます。
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わたしの場合は自発的に目標なり目的なりを持もちます。

っていうか、持っちゃうんです。たいした目標じゃないけど。
今回の場合だとpassagen22さんの質問”目標もきらい”というタイトルと回答件数を見て”何で盛り上がっているんだろう?”という疑問を持ち、質問と回答を読んでみたい! すなわち、”質問と回答を読む”という目的を持ってここに入って来ました。でもって、読んでみると今度は、回答したい! わたしの意見も聞いてもらいたい! という意識を持ち、”回答を投稿する”という目的の元に回答作成中です。
日常的な場合の例えを上げると、空腹の時には”空腹を満たす”という目的で食事をとるわけで、といっても頭でここまでのことは考えていないけどね。
passagen22さんもここで質問されたのは他の人の意見が聞きたい、回答が欲しい、などの目的があったのではないですか?
今が楽しければいい、ちょっと先でいい思いをしたい、最終的に満足のいく人生を送りたい、などは時間や規模こそ違うけれど全て目的や目標なんじゃないかな?
わたしは、欲深きニンゲンなんで今を楽しく、将来も楽しくなんて考えで生きとります。
まあ、簡単にシタイコトからする!ってだけなんだけど。このシタイコトってのが目的であり目標なんでしょ。
こんなこと書いていると、おっきな目標を持っている人からは、そんなん目標ちゃう、なんて言われそうですけど…
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この回答へのお礼

例えばね、大きな道路みたいのが、あるでしょ。学生さんだったら、いい大学にはいる。そして、いい会社に就職する。という一直線な、道路。道路は、進行方向に、移動するには、危険はないけど、それを、左右を、よくみて、危険は、承知で、横断してみる。そんな、ふうに考えてます。遠回りが、一番近道だと、信じてます。あと、したいことは、したくないことを、しないと、発見できないと思います。それと、幸せは、一瞬だと思います。人生は、苦しみと絶望の連続です。その中で、一瞬だけ、幸せがおとずれる。だから、今が、楽しくは、たんなる、倦怠と、気晴らしの、連続の中から、気晴らしだけを、取り出しているような、気がします。

ヨル遅いンでねます。また、返事かきます。おやすみ

お礼日時:2001/03/07 04:50

ぼくには君が必要だ。

君には僕が必要だ。ということをなぜ人は頭ではわかっているのに、わかっているはず?(気がついていない人もいるかも?)でも、実際、そのようには振舞わない。必要ないとでもいわんがごとく垣根をつくり、隔ててしまう。そのせいかなぁ~Passagerさんが『話し合いも嫌い』のお礼文で書いてた夏目漱石の一節が、矛盾だらけのこの社会におかれたとき妙にあの言葉がマッチする。それと同時にはかなくもおもえる。社会という集団、集団から飛び出すことで孤立してしまっては、自分がなくなる。ピノキオにとってはプ-がいないということはピノキオもいないと同じ。プ-に置き換えても同じ。皮肉だね。なんで上手くいかないのかな?いろんな考え方があるのにどうして人は、違う考え方を認めようとしないんだろうね。なんでもかんでも型にはめようとする・・・・生きにくいね。ひとつきいてもいいですか?この生きにくい世の中、あなたはこれからどうやって生きていかれますか?他人事ではないです、すっごく自分の身に置き換えても考えて立ち止まってしまうことだから、聞かせてもらえたら参考になります。相変わらずトンチンカンモ-ド全開で・・・『こいつなにいってんだ!』って不快におもわれましたら、ごめんなさい。わたしも夏目漱石の一節は常々、心に感じているところです。
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「ひとは行動に先立って、あらかじめ目標や目的をもつ」


ということ自体がそもそも幻想ではあるまいか。

日々の生活をふりかえってみるに、こと改めて目標や目的
をもつなんてことは、じつに稀なことではありませんかね。
いってみれば、目標や目的をもつなんてことは年に一度の
祭りで御輿を担ぐようなもんじゃあないかなあ。
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 「お礼」、ありがとう。


 「世界は1と0とではなくて、1と8とでできている」…のけぞりました。マジで。君でなきゃ思い付かない表現だ。
 カオス…天気予報…偶然…。
 知ってるだろうけど、昨今よく人の口にのぼる「複雑系」とか「カオス」とかいった自然研究の流れは、1963年、MITのエドワード・ローレンツによる「バタフライ効果」発見に端を発している。モデル化された気象シミュレーションを実行した際、数値「0.506127」を「0.506」として実行したところ、えらい違いが現れた。千分の一の、ほとんど無視できるはずの誤差が、計算を累積するにつれて膨大な誤差になっていった。あたかも「南半球で飛んだ蝶のはばたきが、北半球に嵐を生み出す」ように。「初期値に対する鋭敏性」と呼ばれるやつだ。未来は予測できない。長期予報は当たらない。どれほど科学が発達しても、決して。それは、科学自身が科学的に証明してしまった。
 それと、「カオス」のもっとも単純なモデルとしてよく例に出されるのが、
   p=ap(1-p)
という簡単な関数。このaの値を0から4の範囲で少しずつ増やしていくと、3くらいからpの値が二周期に分かれてくる。もう少しいくと四周期…と見る間に分岐が加速する…そしてカオスへ。一定の範囲内でではあるけれど、全然バラバラの値をとるようになる。かと思うと三周期の「カオスの窓」が開けたり…面白いよ。

 さて、悪いけど、今回はちょっと反論ね。
 「1と0をいくら細かくしても、ハイビジョンは現実を超えられない」…これは大賛成。表現も見事だ。でもね、「必然と偶然」の対立図式も、やっぱり「1と0」だと思うよ。というのはね…。
 上の方で話の枕っぽく出した「カオス」のことだけど、これ、実は「偶然」じゃないんだ。「デタラメの仮面をかぶった秩序」なんだ。事実上、カオスは確率論的過程=偶然と区別ができない。でも、ちょっと見方を変えると秩序が浮かび上がる。その秩序の表現の一つがフラクタル幾何学だったりする。見たことないかな? おケツの割れたひょうたんみたいな図。拡大していくと、めちゃめちゃサイケデリックな極彩色の世界が広がる、アレ。
 一見偶然だけど、実は必然。必然だけど、原理的に予測不可能。偶然と同じ。それがこの世界なんじゃないかな? 「ぐうぜん~」と見ていた世界に、突然「ひつぜんっ!」が浮かび上がる。これも予測できないときに。
 だから真実は「必然と偶然が出会うところ」にあると思う。二分法ではなくて。

 でもね、君の「偶然を受け入れて生きよう」という生き方は否定しない。世の中、事実上偶然なんだから、それしかない。…なんか、ランボーとかマラルメの詩を連想するなあ。
 でもね、前も書いたように、「目標は武器になる」。君の言うように、現実は必ずしも安定した時間構造の中にはない。言い換えれば、偶然に満ちている。寄る辺ない偶然の大海だ。でも、計画とか目標というのは、その海を航海する海図にはなる。本物の海図に比べて、ひじょーに頻繁に書き換えなきゃいけないところがやっかいで、めんどうだが、時々役に立つこともある。「気が向いたら使えばいい」ってこと。
 でももちろん、それに縛られちゃいけない。しょせん道具なんだから。目標とか計画とかに縛られてしまうことは、虚妄でしかない「安定した時間構造」に縛られるのと同じこと。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
 そう、だから「目標は嫌い」。それでいいんだよ。
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この回答へのお礼

たぶん、結論から言えば、目標を捨てて、強度を持て。一つの目標から、千の目標へ、いちか、ばちか、かな。なぜ、私たちは、1と0で、世界を表現できると、思い込んでるのだろう?デジカメの画素が、上がれば、世界を所有できると、思い込んでる。もっと、pop考え方が、日本から出てきて、欲しいです。個人的には、網野善彦という、日本の中世の学者で、無縁の考え方が、可能性があるような気がします

お礼日時:2001/03/06 02:06

 oni_ocさんに賛成。


 Passagen。君は「今」「ここ」という真実の生を生きている。透明になって駆け抜けている。そんな君は、「今の生き方、楽しくないでしょ」などという決め付けにも、「目標を持ってがんばらないと馬鹿にされるぞ」などという言葉の暴力にも動じない。「ありがとう」と返せる。大きいね。
 君の詩のような言葉は、「美しく正しい日本語」なる虚妄からの美的逸脱だ。心の狭い人間には「小学生並の稚拙さ」にしか見えないかもしれないが。その言葉で資本主義という色即是空の空間を生きればいい。そして貨幣舞い散る空を飛べ。売って売って売りまくれ。押し付けられた「モクヒョー」なんて笑い飛ばせ。
 君は「嬰児」だ。
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すばらしい。

passagen22さんがymrsさんへのお礼で得られた境地は特筆に値する。

存在を極限まで煮詰めていけば、この世に確かなるものは、
己がここに在ることしかないかもしれない。
そこが無の境地なのかもしれない。
しかし、そこから、目を見開いてみれば、己は様々なものとの関係性の
中で存在させられている一個の存在にすぎないことに気付くことになり、
そこに辿り着けば、己を存在させてくれている全てのものを受け入れ、
愛するところに到達できることをpassagen22さんに教わったように思う。

passagen22さん、君の門出を僕は心から祝おう。
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>将来のためにと、今を犠牲にして、生きている人



↑傍目からそう見えていてもとうの本人にとっては、それが、苦ではないのかもしれませんね。言い換えれば、犠牲とはおもっていないのではないでしょうか?そうすることが、その人にはなんらかの意味があるようにもおもえます。自分自身で虚言、幻像、夢、あこがれといったものを信じ、抱くことで生をかんじとっておられるのかもしれません。目標、目的に重きをおく方それはそれでよろしいかと・・・ただ、それを他人に強いるのはよろしくないかとおもいます。例えば、宗教で仏教(お釈迦様)が一番いいぞといっているのと代わりがないような気がします。キリスト教徒に仏教が一番といったところで『お釈迦様を信じます』とはおっしゃられなないことてしょうし、無理からキリスト教徒に仏壇の前で数珠を持たせ手を合わせてお経を唱えなさいなんていわれたら、苦痛で以外のなにものでもない。そうすると、信仰の自由もあったもんじゃないことになる。自由自体がそもそも存在しないと私はおもっています。ないからこそ、あってほしいというおもいが、先ほど述べました、虚言、幻像、夢、あこがれを信じ、抱こうとするのではないかと・・・だから自分の中にそういった意識をつくりあげている。あなたをお説教した先輩の意識の中には少なからずやこういったものがベ-スにあるようにおもえます。あと困るのが、最終到達点(目標)にたどり着くことだけにとらわれて、そこに到達するまでの過程でまわりの景色を楽しむ余裕をなくしてしまうことです。結果が生れるまでには、いろんなプロセスをふんでいきますね。いいこともあればよくないこともある。また、辛いこともあれば、楽しいこともある。そのすべてのことを考慮し結果が生れるのなら素敵です。おおくの人は、途中のプロセスを評価しない。結果だけを見て物事を判断する。ばかばかしいです。この点が困った部分です。結果も大事ですが、私には途中のプロセスがとても意義があります。他人にとっては、たいしたことなくても自分にとってとても重要です。それは、たどった道のりが自分の生の証だとおもえるからです。いいかえれば、目標、目的をもつことは生の証になりうるからです。
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この回答へのお礼

「彼のリゾームはこわされ」、<彼の地図はよごされ>、その地図は、位置は、正され、あらゆる出口は塞がれて、ついに彼は、自分自身の恥辱」と、罪悪感を望むに至り、彼のうちに恥辱と罪悪感、<恐怖症>が根を生やす。『彼に対して建物のリゾーム、街路のリゾームが封鎖され、フロイト先生に金縛りにされる。

彼の地図は、豊かな今、色々な人がいて、多彩な色彩、その地図も、今のままで、いいのか、目標を持て、もっと、もっとと、せかされて、とにかく何か全身全霊を打ち込めるものを探さなければ、と焦る。焦れば、焦るほど、自我は、ぬかるみにはまる。

一方、プーの方はと言えば自由の刑に際し、なまけものを決め込む。ことさらヒトに進化しようなどとは、思わずに、ぬいぐるみの無意識に任せて、郊外の日溜まりで放心している。そして腹が減るとモソモソと行動を初め、蜂蜜を舐めたり、クッキーを、腹が破れるまで食べたりする。満腹になれば、また放心する。プーは自殺の誘惑に駆られることもなければ、絶望することも、被害妄想に陥る機会もない。わざわざ自分の無力を悟るまでもなく、無力そのものを生きている。

いつも自分の行動には、じかくてきで、積極的に他人と関わり、世界と関わろうとする、ピノキオは、傷だらけになり、打ひしがれ、敗北を重ねる。

プーは自分が何をしてるのか殆ど自覚を持たずに、他人との交わりはいつだって受動的だ。世界と関わっているのかいないのか曖昧だ。でもプーは敗北を知らず一人無邪気なままでいられる。

可哀想なピノキオは他人に利用され、快活さを失い、世界を呪いはじめる。

ピノキオ君、君は生きるテーマーとか、アイデンチチーとかにこだわり過ぎるんだね。

ぼくはなまけもので、喰うことばかり考えてる。無意識に身を任せて放心している。

君は神経質に、未来や世界との折り合いについて悩むお利口さんだ。

ぼくには君が必要だ。君がいなければ、本当に惚けてしまう。自分が何をやっているのかわからなくなってしまう。君には僕が必要だ。ぼくがいれば、ぼくがいれば、君は、絶望を軽くし、自殺をおもいとどまってくれるだろう。

お礼日時:2001/03/05 11:12

「目標もきらい」に大賛成です。

すごく良く分りますその意見。
「グリーンカード」と言う映画を見ましたか?
あの映画は『将来の為にと今を犠牲にして、生きる人生に幸せは来るのか?』
といった旨の内容だと感じました。(違うと言う人もいるでしょうが)
刹那的に「今が楽しければそれでいいじゃん!」とはなかなか思えませんが
人生は一瞬の連続なのでもし「一生の間『今』が楽しければ」最高ですよね。
僕には目標があるので目標を持つ人を否定しませんが、passagen22さんの意見には大賛成です。
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この回答へのお礼

ありがとう、答えてくれて。まだ、グリーンカードは、見ていません。今度見るようにします。フェデリコ、フェリーニという、イタリアの映画監督の映画で、8か2分の1という映画があります。その中で、地位も名声もある、映画監督が、自殺します。目的をもってる自分も、目標そのものは、実は、なんの実体もないものだからと気ずきます。実体のないところの、実体があるように思いこめが、その行為そのものが汚されてしまう。実体の幻影にあざむかれては、いけない、そのことを、一瞬の啓示をうけます。それで、こんなセリフを、映画監督は、言います。急に嬉しくなって、力が湧いてきた。許してくれ、ぼくは、分からず屋だった。君らを受け入れる愛するよ何て簡単だ この解放感 すべての真実が輝いて見える これを表現したい だがどうすればいい 混乱したぼくの人生は、ぼく自身の反映だったんだ 理想と違うが もう混乱は怖くない 実を言えば求める物はまだ見つからない だが君の目をまっすぐ見てこう言える。人生は祭りだ供に生きよう 今はそれしか言えない 君にも他の人にもあるがままのぼくを受け入れ再出発を 

お礼日時:2001/03/04 09:14

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Q目的と目標の違い

目的とは成し遂げようとする事柄、それに対し
目標は目的の内容となる向かう姿勢の事です。

例えば部活に入って勝つことが目的の人と、
勝つことが目標の人では、目的とする人の方が強いです。

良い点数を取ることが目的の人と、
良い点数を取ることが目標の人では、
目的とする人の方がいい点が取れます。

宿題をすることが目的の人と、
宿題をすることが目標の人では、
目的とする人の方が必ず宿題をします。

目的は内容によらずとにかく成し遂げることを目指しますが、
目標は自分が目指す向かう姿勢のことで絶対的要素、強制力はありません。
目標はやる、やらない、なまける、と言う要素が入ります。
目的にはそういう要素は入りません。

今年の目標と言うと生ぬるく緊張感がありません。
目標と言う言葉は使わず全て目的とすべきではないですか?
あるいは、目標を目的と言う言葉に変えて不都合は生じますか?

Aベストアンサー

もく‐ひょう〔‐ヘウ〕【目標】 の意味
出典:デジタル大辞泉

1 そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。「島を―にして東へ進む」
2 射撃・攻撃などの対象。まと。「砲撃の―になる」
3 行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準。「―を達成する」「月産五千台を―とする」「―額」

もく‐てき【目的】 の意味
出典:デジタル大辞泉

1 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の―を達成する」「―にかなう」「旅行の―」
2 倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。
[用法]目的・[用法]目標――「目的(目標)に向かって着実に進む」のように、めざすものの意では相通じて用いられる。
◇「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。「人生の目的を立身出世に置く」
◇「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」のようにより具体的である。

>目標を目的と言う言葉に変えて不都合は生じますか?

デジタル大辞泉からの引用から分かるように目標と目的では意味が異なるから不都合が生じます
目的の引用文にある例である「今週の売り上げ目標」を目的に変えたら違った意味になってしまうことが分かりますよね

もく‐ひょう〔‐ヘウ〕【目標】 の意味
出典:デジタル大辞泉

1 そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの。「島を―にして東へ進む」
2 射撃・攻撃などの対象。まと。「砲撃の―になる」
3 行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準。「―を達成する」「月産五千台を―とする」「―額」

もく‐てき【目的】 の意味
出典:デジタル大辞泉

1 実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。「当初の―を達成する」「―にかなう」「旅行の―」
2 倫理学で、理性ないし意志が、...続きを読む

Q人生は努力?才能?運?

人生で成功するためには、要するに勝ち組になるためには
何が必要であろうか?

努力、才能、運とも必要な要素であることは間違いないだろう。
その中でも一番重要なのは何であろうか?
恵まれた国の人の感覚であれば、【努力】と答える人が多いかもしれない。
それは、誰にでもチャンスがあるからだ。
が、しかしチャンスにも恵まれない、生きていくのにも過酷な国の人なら
【運】と答える人が多いのではないだろうか?

僕も最近テレビをみてて、実感することがある。
AKB48のような低俗で幼稚なアイドルが売れているのをみると、世の中は
つくづく運だな~と思う。
はっきりいって彼女らは、才能もないしそれほど努力もしていない。
しかし、これだけ売れるのは彼女らの能力ではなく、運がよかったのだと思う。

ちなみに、僕が考える人生の努力、才能、運の割合は、努力10%、才能20%
運70%でしょうか。
みなさんはどーおもいます?

Aベストアンサー

社会学者の調査によると、不景気のときに
青春時代を過ごすと、運に%比重を置くようになり
反対に、好景気の時に青春時代を過ごすと、本人の
努力が重要と考える傾向になるそうです。
これは不景気で良い就職先が見つからなかった、運が悪い
と考えやすくなるのが原因だとか。

それから、儒教圏の人間は自分の努力に重点を置き
キリスト教圏の人間は運に傾く傾向になる
という結果が出ています。
つまり、失敗すると儒教圏では努力が足りないと反省するが
キリスト教圏では、運が悪かった、とあっけらかん。

科学的にいえば、おそらく運の%は相当なものなんでしょうね。
才能は遺伝で決定されてしまうし。
残された路は、努力しかない訳です。
ただ、頭の善し悪しは遺伝で決まる要素が多いが
学力は努力次第、という調査結果が出ていますので
多少救いがあると思います。

Q目標と目的の違い

この違いについてご存知の方がいらっしゃいましたら御投稿お願いします。

Aベストアンサー

スポーツで例えれば次のような違いになるでしょう。

目的…心身の鍛練、健康増進、人との交流など

目標…勝つこと、優勝など


試合で負けたら、スポーツをやっていた意味がないのではなく、身体を鍛え、仲間と心を通わせ、心肺機能を増進できたのです。この辺を誤解している人が多く、「勝利至上主義」に走っている傾向を見ます。これなどは畢竟、目的と目標とを取り違えているのです。

Q【人生哲学】人間、何を持って幸せと言えるのでしょうか?

【人生哲学】人間、何を持って幸せと言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

やっぱ楽しいと思う時間が多い人ほどじゃないですか?楽しいって思うのは色々あると思いますけど、金だったり結婚だったり、趣味でもいいし、ゲームでもなんでもいいし
頭を使って常に良い方向に進んでる人ほど楽しい時間は多いと思うのでそういうひとだとおもいますね
麻薬中毒者なんかもある意味幸せなのかもしれません

逆に辛い時間が多い人ほど不幸せな人生だと思います。
老後でやっと安泰したけどそれまで辛い人・・・これも本人が幸せだと言えば幸せなんだろうけど、人生トータルで見たらそうでもないと思います。
生まれる時に人生が選べるなら絶対に選ばれないだろう・・・

Q目標と目的って・・・?

目標と目的の違いを具体的に教えてください。

Aベストアンサー

目的は最終的に目指すもの
目標はその目的に達するために
各段階ごとに設定する目印(具体的なもの)

たとえば、山登りで頂上に登るのが目的ならば、
目標は、次の休憩地点、
ですから目標を一つ一つクリアして
最終目標=目的に達することができる。

一つの目的には、いくつもの目標があると言った感じでしょうか?

Q【人生論】「女性は人生の大逆転があるが男性にはない」 女は馬鹿に産まれて自分の能力だけでは生きてい

【人生論】「女性は人生の大逆転があるが男性にはない」

女は馬鹿に産まれて自分の能力だけでは生きていけなくても、学力が無くて一流企業に就職出来ない等でも、学力がある一流企業に勤める男性と結婚するチャンスがある。容姿、性格等で人生の大逆転がある。


しかし、男性の場合は、自分に能力がないと女性は経済力を見て結婚するので男性には人生の大逆転はない。


よって、独り身で死んでいくのは女性より男性の方が多い。


人生において1番最悪なのが、産まれながらに学力がなく、能力がなく、容姿が終わっている結婚出来ない女性で、その次が同じ男性である。

今の日本では学力、能力がない人間だと昔が男尊女卑の時代だった我が国、日本においては能力がない者同士だと男性の方が給料が高い。

これは昔から男性が女性を養ってきた名残りでもある。

しかし、いまはアルバイトなどフリーターには男女平等の賃金が支払われているので非正社員はその限りではない。

障害がある等、体が使えない人間以外は体力仕事がある男性の方が給料が高い仕事に就ける可能性が高い。

話が戻って、、、

「女性は人生の大逆転があるが男性にはない」に反論があれば反論材料を教えてください。

論破してください。

【人生論】「女性は人生の大逆転があるが男性にはない」

女は馬鹿に産まれて自分の能力だけでは生きていけなくても、学力が無くて一流企業に就職出来ない等でも、学力がある一流企業に勤める男性と結婚するチャンスがある。容姿、性格等で人生の大逆転がある。


しかし、男性の場合は、自分に能力がないと女性は経済力を見て結婚するので男性には人生の大逆転はない。


よって、独り身で死んでいくのは女性より男性の方が多い。


人生において1番最悪なのが、産まれながらに学力がなく、能力がなく、容姿が終...続きを読む

Aベストアンサー

学力と能力は、後天的に身につけることが可能です。
トップレベルまでになれるかは人それぞれでしょうが、脱負け組くらいまでなら、さほど難しいことではないと思います。

Q尊敬する人と目標にする人の違いは?

尊敬する人と目標にする人の違いはなんでしょう?

皆さんは、尊敬する人と聞かれたときと目標とする人と聞かれたとき、答える人物は違ってきますか?


ご意見お聞きしたいです★

Aベストアンサー

この様な質問をする人は初めてです。
何かを真剣に考えないと出てこない疑問だと思います。

私が尊敬する人は二宮尊徳です。彼の言葉に【積小為大】という言葉があります。
目標を達成するためには毎日小さいことを積み重ねさいという意味です。
これで、すごい自分の価値観にあっている思いました。
目標にする人は私の先輩です。マイペースで周りを気にしないで自分の価値観で生きています。
私もその様に生きたいと思っています。
尊敬する人とは割と昔の人に求め、目標とする人は身近な人に求める。
話がくどくなりましたがこの位の違いでしょうか。

Qイエスの「山上の説教」について

新約聖書の「マタイによる福音書」に有名なイエスの「山上の説教」がありますね。
この冒頭で、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という文にはじまって、同じ形式の文が8回繰り返されています。

最後の(8個目の)部分は、「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という言葉です。仮に、この部分がカットされて、冒頭7つの「幸い」だけが書かれていたら、どんな印象を持ちますか?

実はあるテキストで、この8つめがカットされて、最初の7つの「幸い」だけが引用されているのを見つけました。クリスチャンではない編集者によるものです。深読みなのかも知れませんが、最後の「幸い」をカットすることで、テキスト全体の印象を変える意図があるのかしら、と考えました。

必ずしも専門的なお答えを期待しているわけではなく、この8個目の「幸い」がカットされていることで、どのようにテキスト全体の印象が変わってしまうか、などのご感想・ご意見をクリスチャンの方などにお答えして頂けると、大変嬉しいです。もちろん専門的なお答えがあれば、助かります。

新約聖書の「マタイによる福音書」に有名なイエスの「山上の説教」がありますね。
この冒頭で、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という文にはじまって、同じ形式の文が8回繰り返されています。

最後の(8個目の)部分は、「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」という言葉です。仮に、この部分がカットされて、冒頭7つの「幸い」だけが書かれていたら、どんな印象を持ちますか?

実はあるテキストで、この8つめがカットされて...続きを読む

Aベストアンサー

#1 です。

>引用されていたテキストというのは、実はある国の中学生向けの教科書です。私は関心があって、外国の教科書の内容分析をしており、原文でそれを読んでいます。その国ではクリスチャンはマイノリティであるため、政府が意図的に聖書の内容を軽んじる、利用するなどという可能性があるのかないのかを考えたわけです。

 …なるほど。とてもよく背景が分かりました。マイノリティであるにも関わらず、「教科書に載せる」ということにとても面白さ(←funny という意味でなく)を感じております。
 戦時下における日本のキリスト教弾圧に関しては少し資料を読んだことがありますが、戦時下では「敵国の宗教」として禁じたことがありますが、キリシタン弾圧等の徹底した弾圧をかけるより、少し操作意図を含ませた「解禁」の誤った教義の中で泳がせておきたいという国の思惑が見え隠れするのですね。
 そうすると、「その国がどんな文化を持っているのか、もしあれば国教はなんなのか」ということでも髄分と削除の意味合いが違ってきますね。キリスト教では「両親を捨てて自分についてくるように」また、「信仰を弾圧するような法に屈しない」(原文のママではありませんが)という思想がありますよね。
 それは国家だけでなく、時の権力者にとってはとても怖い考え方であって、「非暴力・不服従」ではないですが、少しずつ改竄した経典を与えることにより、一本貫かれている教義を形骸化することが出来るようにも思います。
 クリスチャンがマイノリティの国、それでも教科書に母国語でバイブルを編集して載せる国。色々と思い浮かべていますが、今思い浮かぶ国の文化の中で#1 の (1)~(7)を排除する思想を持った国を思いつきません。(だからこそ教科書にも堂々と載せているのでしょうが)
 「生ぬるい」クリスチャンに仕立て上げるには(8)の削除は確かに有効と思えます。
■聖書 / 新改訳 (翻訳:新改訳聖書刊行会)■
【日本聖書刊行会 1983年 2版5刷より引用・抜粋】
わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろあなたが冷たいか熱いかであってほしい。このようにあなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないのでわたしの口からあなたを吐き出そう
【ヨハネの黙示録 第3章15節~16節】
を連想させられます。

>なお、この質問は個人的・学問的な関心に基づいており、何かの団体や政治的利害に関係しているわけではないことをお約束しておきます。

 そういった心配はしていなかったので(無用心?)安心なさってください。私も学問的関心から宗教の一つとして持っている知識の中で、思ったことを書いただけですので。
 ただ、マイノリティであるクリスチャンは正しい教義を知っている人もあり、実際にそういった国に住んでいるクリスチャンが「原典」を書き換えられるといった行為にどれだけの憤りを感じているのかと思うと(当たり前ですが、「聖書」から加えたり引いたりする者は「呪われよ」とも書いてありますよね、確か)非常にお気の毒に感じます。
 私も哲学のカテに参加すること自体、1ヶ月程度の「教えてgoo」というコミュの中では2度程しかありませんし、確固たる「信仰」を持った人間ではないのですが、宗教論を書くことは時に危険を伴うものという認識くらいは持っております。
 …ので国名は書けませんが、割と近くて私にもある程度読み書きの出来る言語を持つ国で、非常に弾圧が強かったけれど、マイノリティであったはずのクリスチャン人口が増え続けている国が一つ想起されています。
 今では地下活動でしか「正しい聖典を学べない」というのはそういったことなのかな、とも思っています。宗教の違い、宗教観の違いは国と国との争いにまで発展するのは言わずもがなのことですから、教科書に載せるには「丁度いい温度」が必要なのでしょうか。
 私が「国教はキリスト教」というところにポンと放り込まれるとしたら、確かに、「何もかもを捨ててキリストについていきなさい」と言われるよりは、「生活に支障を来たさない程度の」「生ぬるい」宗教を望むと思います。日本は宗教観の曖昧な国ですが、その文化の中で生きてきたものにとっては、「何時になったら何をしていてもコーラン」といったように「生活に干渉されたくない」という気持ちが強いので。
 生活に干渉するからこそ宗教だという気持ちもあるのですが、本来は仏教の教えも厳しい部分があるのにもかかわらず、なんら制約をうけず生活をしているたくさんの「そういえば、うちブッディスト」という人たちと変わらないのが私個人です。
 中学生の教科書に「あえて削除したものを載せる」ということは、小学生の教科書に載せるより、はるかに効果があるようにも思えます。家がクリスチャンの中学生なら、はっきりと「意図的に削除されている」という無言のメッセージを感じ取ることが出来る年齢だと思うので。(何歳から中学生の国かは拝察しかねますが。)
 度々失礼致しました。そうやってなまぬるい生活を許されているうちに、軍事大国として憲法も変わっていたということのないように、宗教だけでなく、なまぬるい日本の生活観念を改めなければならない危機感のようなものを教えていただいた気がします。

#1 です。

>引用されていたテキストというのは、実はある国の中学生向けの教科書です。私は関心があって、外国の教科書の内容分析をしており、原文でそれを読んでいます。その国ではクリスチャンはマイノリティであるため、政府が意図的に聖書の内容を軽んじる、利用するなどという可能性があるのかないのかを考えたわけです。

 …なるほど。とてもよく背景が分かりました。マイノリティであるにも関わらず、「教科書に載せる」ということにとても面白さ(←funny という意味でなく)を感じております。
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Q質問します。「自己実現」と「目標達成」の違いは何ですか? 「自己実現の為に努力と強い精神力が必要」と

質問します。「自己実現」と「目標達成」の違いは何ですか?
「自己実現の為に努力と強い精神力が必要」と記すると目標達成と勘違いしているのかな?と受けられますか?

Aベストアンサー

おじさんです。
いい質問ですね。
一般に「目標達成」とは学校や企業などの組織の中で行われているものです。
学業成績や売り上げ目標などです。
一方の「自己実現」は個々人の内面の問題です。
自分の人生目標に向かって日々努力し、少しずつ近づいている状況を指します。

Q【人生は変えられるのでしょうか?】 「人生は産まれながらに決まっている」と言ったのは誰でしょうか

【人生は変えられるのでしょうか?】


「人生は産まれながらに決まっている」と言ったのは誰でしょうか?

人生は産まれながらに決まっているとしたら人生は変えられない。

人生を変えられた人いますか?

自分の力で人生は決まらない。

どうしても他人の力によってある程度人生は決められてしまう。

親であったり、学校で出来た友達の影響で。

人生は他人によって決まっていくので、人生は産まれながらに決まっていると言われているのでしょうか。

自分の力で人生を変えるのは不可能なことなのでしょうか。

Aベストアンサー

ブサイクかブサイクでないか、頭良いか悪いか、運動神経は良いか悪いか、貧乏か貧乏でないか。。だいたい生まれで決まるよね。


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