誕生日にもらった意外なもの

 例えば、真意を語らないようにすれば、ある程度の批判は最初から的外れということになり、避けることができるかもしれません。

・一つの主題において「自分の意見」ではなく、あくまで「一つの考え」として提示します。書き手の思考を、書いた主題より高みに置いておくわけです。つまり書いたことが書き手の思考とは別にあるようにするのです。主題に置いては的を射ているかもしれない批判も、書き手の思考から見れば的を射ていないことになるのです。

・注意すべきは、底の浅さを見破られないようにすることです。思慮の浅さや知識の浅さは、書き手の思考を隠すことで本当に見破ったか判断しにくいので構いませんが、事実誤認はやってしまうとバカでしかないので、事実誤認だけは絶対に避けます。

・分かっていて、あえて隙のあることを書くのも有効かもしれません。反論やカウンターを非常に予測しやすくなります。

適当に挙げてみましたが、このような手法をとり、最初から予め批判に勝つことができるとは到底思えませんでした。
そもそも、批判に予め勝つなんてことができるのでしょうか。
可能であれば、それはどのような手法をとればできるのでしょうか。その手法そのものを指摘されたり、真意を悟られたりした場合はどうするのでしょうか。

ふと疑問に思っただけので、暇なときにでも回答してくだされば幸いです。ちなみに、実践しようなどとは思っていません。そもそも、そんなことをして楽しいとも思えませんから。

A 回答 (5件)

こんばんは。


もしかして私の書き込みを意識しているのかもしれませんね。
私のことが嫌いで私のことを批判するのは構いませんが

デリダの脱構築は勝つための方法ではないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B% …

私も勉強中なのですが
二項対立の形式において不当に抑圧されているものの
隠蔽の構造を暴露し、復権することだと思います。

負けることがどうしていけないのか。
逃げることがどうしていけないのか。

どうしてそのようなことになっているのか?
を問うことで、新しい思想的な展開をすることではないかなと。

よかったらデリダの文章を読んでみてください。
それに、このカテゴリーにはデリダについて
詳しい回答者さんがいます。

時々感じるのですが、私に妙に影響される人がいるので、
本気に受け取らないでね、私の性格がおかしいから
それにかなり自分でも間違ったこと言っているから
という感じでああいった表現をしています。
私なりの配慮なんですが、それではいけない
教育・矯正してあげよう
という「啓蒙精神」あふれる方は多いですね。

意図を伝える文章は大切です。真意を伝える文章も大切です。
でもそれとは違うことを考えてみようということも大切だと思います。

それからカール・ポパーという
哲学者がいるのですがその人は批判を受けることの
大切さを説いています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …
批判から学ぶこと、改善することは大切なことですよね。
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この回答へのお礼

いえ、誰かへの当てつけとして質問を書いたつもりではないのです。なので、もしそれで無闇に批判を間接的にされたとお思いでしたら、そこは俺の文章が拙いせいだと心苦しい限りです。

リンク先は時間があるときにゆっくり見させていただきますが、先にお詫びを兼ねてお礼だけさせていただきます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/28 02:45

> 例えば、真意を語らないようにすれば


このご質問も、実は真意が隠されていたりするのでしょうかね?
私が「そんなこと出来るわけねえだろう」と回答したあと
ご質問のトリックがあかされて
私が「しまった、やられた!」と思わせてくれたりすると
とっても楽しそうですが
それでも私が負けを認めなかったら
(例え周囲からは私が開き直っているとしか見えないとしても)
ご質問者さまは「批判に勝った」と言えるのでしょうかね。
つまり、このご質問は
相手を必ず負けに追い込むことが出来るか?
と私は読み替えて考えたのですが
う~ん・・・
勝ち負けを判定するにはお互いに何かルールを共有していることが必要だと考えます。
ルールがあれば、それを逆手にとってトリックを仕掛けることが出来るかも知れません。
しかし、ルール無用の世界ではどうしようもないのではないか?
今、15分ほど暇があったので回答を考えてみましたが
こんなところで時間切れです。

この回答への補足

楽しいですか…ね?
いや、ごめんなさい、ご期待に添えるようなことは、何ら一切意図して書いておりません(苦笑)。書いた後、そういう風に勘ぐってくる人が出てくるかもしれないことに気づいたのですが、投稿すると編集も何もできないですし、あまり補足しすぎても本来の質問が何か訳が分からなくなると思ったのでやめることにします。

強いて言うのなら、そうやって裏を読んできた人に、裏なんてないですよといってズッコケさせるのがこの質問のトリックでしょうか。意図して書いて、そうなったわけではないですから、全然、面白くないですね(苦笑)。

補足日時:2009/03/26 20:55
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この回答へのお礼

やっぱり、そもそも勝ち負けの判断が微妙なんですよね。本人が勝ったと思えば勝ちという判断だと、極論すれば手法なんてとらずとも、本人が勝ちとさえ思えばいいとなっちゃいますし。

やっぱり、ルールは必要ですよね、ないとどうしようないですし。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 21:07

できません。


どの範囲の論理武装(綿密なディべート)も、その限界外からの攻撃にはひとたまりもありません。
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この回答へのお礼

そうですよね。俺も書いているときから、そこはあるだろうな、と思っていました。範囲をどんなに広く作り出しても、それより外から攻撃してくる人はいますからね。それは自分のテリトリーを作り出して、そこに潜り込んできても同じことだと思います。

とはいえ、限界外からの攻撃は的外れになることもあるので、その辺りは腕の見せ所ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 20:54

それは批判に勝つ方法と言うよりは、批判をはぐらかす、誤魔化す、論破したように見せかける方法といった方が良さそうですね。


批判されたとき、相手の言い分が自分より正しいとか、筋が通っている場合にはその批判を受け入れればいいし、そうで無いなら堂々と反論すればいいのでは?常に建設的な議論が成り立つとは限りませんが。
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この回答へのお礼

 議論はそうであってほしいし、そうあったほうがいいとは思いますが、時おり勝ち負けに拘ってしまって、駄々をこねるようになってしまうこともあります。

先日、「議論に絶対勝てる本」といったタイトルの本を図書館で見かけまして、「議論の目的は勝ち負けじゃないだろ」、と思ったのですが、そういった風に勝ち負けに拘る人は、どのような手法で議論しているのか、勝ち負けに拘る人と議論をする際、対処法はあるのだろうか、という疑問が出てきました。それらの疑問を質問させていただきました。

実際に勝つ手法があるかはまだ何ともいえませんが、少なくとも俺が挙げたような手法は批判を勝っているように見えているだけ、というのは分かりました。

ご回答いただき、ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 20:47

この質問で問題にしているのは負けた時に傷つくプライドの事なのですか?


なぜそれほどまでに勝ち負けを問題にするのですか。

この回答への補足

いえ、ただ単に最初に挙げたようなことをして、批判に勝つことができるのかが気になりまして、勝ち負けに拘っているわけではないのです。

やはり議論で勝ち負けを拘る人もいるでしょう。そういう人にとって、批判はどのように目に映っているのか考えたところ、最初に挙げたような手法を取っているのではないか、と考えたんです。プライドも……その中に含まれているかもしれませんね。

補足日時:2009/03/26 20:29
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この回答へのお礼

やはり、ちょっと書くことが足りませんでしたかね。このように意図していないところから詰問されるとそう思いました。

俺からすれば、本当にただふと疑問に思っただけなのですが……。それとも、このような意図しないところからのアプローチは対処できないだろうというのを、遠まわしにおっしゃりたかったのでしょうか、というのは勘ぐりすぎでしょうか(苦笑)。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 21:12

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