単二電池

別に、
「歌はなにものも示さないことでなにものかを表現し美となる力を持っている」の意味するところをお尋ねしておりますがここでは、
「俳句はふたつのことをいう。短歌はひとつのことをいえばいい――佐藤佐太郎」
の、「俳句はふたつ」と「短歌のひとつ」をお教えください。宜しくお願い申し上げます。

A 回答 (2件)

私、全然その言葉も人も存じ上げないので、推論なのですが。



俳句は「季語」が必要です。
ですので、情景と季節、二つを詠み込む必要があります。
短歌は、そういう縛りがありません。
ですので、情景だけを詠めばよい。

そういう意味ではないのかと思いました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

他の人からのご回答を待ってみましょう。

お礼日時:2003/03/09 03:06

 


これは、一体どういう文脈や場面で言われた言葉なのかが分からないと、理解しにくいです。このように、格言的言葉を出して、意味を尋ねても、文脈を知っている人なら解釈のしようもあるでしょうが、そうでない場合、見当も付きません。

どういう文脈で出てくるのか、説明が必要でしょう。

現在の質問の形からだと、短歌(和歌)は、それ自身で作品として自立します。感覚・感情の錯綜をうたの美に収束させて行けば、短歌は成立するのでしょうが、俳句は、元々「俳諧の連歌」の発句の長句を独立させたものであるので、美への自立以外に、俳諧(おかしみ)への客観視点(作品外部の視点)が必要だとの意味かも知れません。

言い方を変えると、短歌は、その作品で自立し独立するのですが、俳句は、外部にレファランス(参照)を必要とし、レファランスを意識しなければ、俳句は作れないという意味にも解釈できます。

短歌は作者が、その作品内部に没入して、美を収束・造形すれば作品として自立し成立するのですが、俳句は、作品外部から、客観的に作品を眺めている視点が必要で、上では、レファランスと言いましたが、「俳句がよまれた場・詠んだ人の作品との距離感覚」を作品に入れなければ、作品にならないという意味かも知れません。

もっと単純なことかも知れません。ただ、季語があるとかないとかは、関係ないでしょう。短歌にも季節語はあるからです。俳句に季語があるのは、レファランスとして必要になるからだとも言えます。

いずれにしても、よく分かりません。もう少し、こういう言葉の出てくる背景を説明しないと、謎々遊びをしているのと変わりありません。勿論、この言葉の意味を知っている人にとっては、謎々でも何でもないでしょうが。

参考URLのわたしの回答では、「状況説明」と言っていますが、レファランスと同じような意味です。

>No.487013 質問:俳句の説明
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=487013
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=487013
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
前後に文はございません。
実際に俳句&短歌それぞれの作品をお作りになられておられる人は、それなりの、その人なりのご見解をお示しいただけるのではないかと希っております。

鋭意双方の作品をものされているある人は、
《私なりの解釈は、
歌を詠む時のコツではないでしょうか。
俳句という17文字の短さに2つの意味をこめ、短歌という31文字の長さに1つの意味をこめて歌うと、歌そのもののバランスがいい。これを、逆にすると、中身が薄くなったり、欲張りすぎたりする。そう解釈しましたが》

お手を取りました。

お礼日時:2003/03/09 14:48

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