『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

私は交響曲で好きなのは
ドボルザークです。

他は、ほどほどにしか知らない一般人ですが。

交響曲は、いまから数百年前にかかれた物を
現代人が演奏して私達に感動を与えてくれます。

ならば、今の現代人は交響曲を書かないのでしょうか?
或いは、書いていても昔の時代背景でないと
優れた物がでてこないのでしょうか?

質問は、なぜ現代には優れた交響曲が
出てこないのかという質問です。

よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

#1ですが、書き方が悪かったかもしれないです。


私はプロの演奏家ではありません。
>一音楽ファンの素人としての分析なので、断片的で間違えも多いと思います。
というのは、私の意見が素人意見なのでーという事です。
気分を害されたら申し訳ありません。

ベートーヴェンの交響曲が完成系で、それ以降は肥大化させただけであるとは、私は言いません。
その後、ワーグナーのような人が現れるまでの短い間、ある種のショック状態になったのではないか、と考えているだけです。
もちろんその間も優れた交響曲はたくさん生み出されていますが、ワーグナー出現以降の急速な音楽上の流れと比べると、という感じです。

現代の自由な気質を考えると、現代にマッチした曲を書く場合、交響曲という枠に収めるのは難しいのではないか、(擬古的な趣味で使われる事はあっても)というのが私の考えです。
交響曲は(ドイツオーストリア的な流れを汲む音楽としては)20世紀初頭ですでに限界まで拡大し、それ以上拡大すると交響曲といえるのか、いえたとしても、無理に交響曲と呼ぶ意味は?という部分まで来ていたのだと思います。
だから、民謡やその土地のリズム、旋法など、という新たな別の要素を付け加えた国民楽派などの例外を除いて、使わなくなったのではないかと。

おそらく戦後の自由と多様性を認める文化が(いい意味でも悪い意味でも)現代音楽にももろに影響しているのではないかと思います。そのような中で、形式あっての交響曲というジャンルは肩身が狭いのもうなづけます。
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この回答へのお礼

どうも失礼しました。
でも、音楽評論家さんのご意見とても
参考になります。

なんとなく理解できます。

ベートーベンがクラシック音楽を極限までたかめて
それ以上の音楽はもはやクラシック音楽の範疇をこえると
いう解釈ですね。

一度ユーチューブでワーグナーをきいてみますね。

ありがとうございます。
またよろしくお願いします。

お礼日時:2009/06/04 07:10

昔、対談かと思いますが、とある作曲家がこんなような話をしていました。



「交響曲を1曲作るのに半年かかる。半年かかってやっと完成させたのに、収入は数十万程度で、それでは生活できない。だから、なかなか機会に恵まれない」

確かに昔は作曲家にパトロンがついていて、生活が保障された中で作られたものもありましたし、そもそも生活様式が違っていました。現代の生活の貨幣経済の中で、苦労と収入のバランス、しかもその後の聴いた人のことまで考えると割に合わない、というのもうなずける話です。

また、現代では多種多様な音楽が氾濫し、録音・再生技術も発達しているため手軽に音楽が手に入ります。その中でいわゆるクラシックの作曲家がどのように生活していくのか、課題でもありましょう。

ただ、現実的すぎる話でした。どんな苦労をしてもいい音楽を作り、それが知れ渡る世の中だといいですよね。
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この回答へのお礼

当たっている話だと思います。
いくら才能がある人でも収入がない仕事に
時間はついやせませんものね。

ご意見を参考にしたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/04 07:07

今となっては、単に呼び方の問題なのではないでしょうか。



「ソナタ」はソナタ形式の楽章を含む複数の楽章で構成された楽曲
であり、中でも「管弦楽のためのソナタ」が「交響曲」と呼ぶ
・・・であるなら、これらに当てはまるものでも「交響曲」と呼ばれないものはたくさんありますし、逆に当てはまらないものでも「交響曲」扱いされるものはあります。シェーンベルクやドビュッシーの「交響曲」なんて管弦楽曲ですらありませんね。


管弦楽による表現や形式なんていくらでもパターンは考えられるのに、わざわざ古い時代に作られたそんな無意味な形式に当てはめて作らなくても、管弦楽曲は成り立つから・・・というところでしょう。
あるいは、それまでの「交響曲」という一面的な形式からの脱却に伴い、大規模な多楽章の管弦楽曲であれば(例え「交響曲」形式でも)単に「組曲」あるいは固有のタイトル(標題)として名づけられる事の方が多くなったと考えてもいいかと思います。
事実、「管弦楽曲」という名目で扱われる作品なら、「交響曲」の旬が過ぎた近代以降にも優れた曲は普通にありますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今現代でも演奏される(コンサート形式でお金がとれるもの)は
百年前に書かれたクラシックばかりですよね。

ここ近年(30年以内くら)に書かれて
演奏会で使われる曲はないですよね~?

またよろしくお願いします。

お礼日時:2009/06/04 07:14

【チョッと、視点を変えてみました】


 同じカテゴリーの中で新しい刺激に対して、人の感動を呼起こすメカニズムに、過去に経験したのと同レベルと思える感動を得るのには、前よりも強い刺激でなければ同レベルとは感じなそうです。
 一方、この様な嗜好性に因る、好意は経験値の影響!それも同種の一番最初に気に入った経験値による保守性が非常に強いそうです。
 上位、二つの受験が、このテーマとどの様に関わるかと言う事です。
 交響曲というジャンルに限定してみると。
 長い歴史の中で人気の出て今まで聴き継がれてきた曲は、演奏会しか聴く術がなかった時代から、何時でも何所でも聴ける時代へと激変しました。再生が出来る事に因って、昔より既知の曲を耳にする頻度は、昔の比ではない筈です。つまり、過去の人気曲の演奏頻度や録音頻度が益々増える事に因って、革新を求める欲求より既知の保守性・安全性の方が勝っているのが現代だと思います。
 乱暴な比喩ですが。
 革新的なTVドラマには、難解と敬遠され理解が得られず人気が出ないのに対し、キャスティングを見ただけで、筋書・善人・悪役まで想像出来るドラマの視聴率は何時も高い。
 つまり、革新的な曲に対しても、余程優れた感性の持ち主でなければ、自己消化力では消化不良を起こし、気に入るどころか理解も出来ないと言う現象にそっくりだと思うのです。
 やがて、世代が替わり、街の風景やライフスタイルが変化すると、時代に因る、人気のスタイルが変わります。が、クラシックの場合、その変化に対処出来ないでいるのが、作曲家と視聴者の間にいる、アーティストではなが、音楽で、ご飯を食べる人達です。
 現代にも交響曲を書く(書いた)作曲家は沢山います。
 でも、上記の様な現実問題から演奏会のプログラムへも中々取り上げて貰えない(無名作曲家の無名な曲では観客動員数は見込めない)。
 知る人の無い曲をCD化するのにはかなりの度胸が要ります。周知して貰う営業や宣伝活動を必要としますが、大衆娯楽的音楽と違って、ある程度の人気曲になったとしても、収支として宣伝経費を越えられるのか、甚だ疑問なのです。
 確かに何年か何十年かに一度の奇跡的大ヒットが出る曲も、有るには有りますが、その大ヒットした曲とても、良く考えてみれば、それまで余り知られていなかった、過去の曲と言う事が殆どです。私が知っている例では、1960年代末期の映画「2001年宇宙の旅」にて「リヒャルト・シュトラウス:ツァラトゥーストラはかく語りき」別格の売れ行き度!レコード時代1970台の「ヴィヴァルディーの四季」1980年台の人気映画「アマデウス」で知名度が上がった「モーツルト:レクイエム」と「同:交響曲第25番」そして、1990年代では、周知媒体は知りませんが「ホルスト:惑星(ジュピターに特化)」でしょう。この曲は今、又、人気が有る様ですね。今回の火付け役は「平原綾香」の影響でしょう。
 斯様に、ヒットした曲とても、現代に作曲された曲ではありません。日本の現代作曲も交響曲を作っている(作った)人は複数います。その中で、運の良い曲で稀にCD化されている曲も有ります。が、その作曲家の日本での知名度が高いとか、重鎮であるとか、作品の良さとは無関係な条件が大きく働いているのも現実です。そのCD化された曲が売れているかと言えば、はっきり言ってNOです。
 ましてや、作曲はしたけれど・・・
 初演だけされたが、楽譜ごと行方不明とか、初演さえもされない曲も沢山有るのです。
 質問者様のお言葉をお借りすれば、
>今の現代人は交響曲を書かないのでしょうか?
>或いは、書いていても昔の時代背景でないと
>優れた物がでてこないのでしょうか?
 出て来ているかも知れませんが、人の耳に届かない!届きにくい時代なのです!
 再生装置の無かった時代の方が、挑戦的なプログラムの演奏会は、やり易かったのではないかと想像します。
 演奏会もCD化も、資本主義市場経済に乗るしか、曲を知って貰う術の無い現代に有っては、ユーザー側の方から積極的に、無名の作曲家、無名な曲の演奏会が有る度に、再演を繰り返させるほどの話題作りや音楽配信会社やCDレーベル向けに、切れ目無く、処理仕切れないほどのリクエストや大量のDL,そしてCD化要望を起こさなければ、現状に変化は望めないと思います。
 蛇足ですが、現代作曲家一覧を付けて置きます。
 その中には、作品として交響曲を作った人が出てくるはずですので。ご確認下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%8F%BE% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%8F%BE% …
http://www.hmv.co.jp/news/article/701050038
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優れているかどうかはさておき(優れていないという意味でもありません)、現代でも交響曲を書いている人はいます。


例えば、L.セーゲルスタムという人は、指揮者としても有名ですが、作曲家としてもたくさんの交響曲を残していて、今も書き続けていると思います。その数、200を超えるとか。
他にも、ヘンツェ(ハンスヴェルナーヘンツェ)という人も現代音楽作曲家として交響曲を書いており、最新作は2000年のものです。

しかし、古典派・ロマン派の時代から考えると、交響曲を書く作曲家が少なくなっているというのも私は共感する所もあります。
では、現代の作曲家の腕が悪いのかというと、そうでもない気がします。

交響曲は序曲に始まり云々はよく音楽書に書いてある事なので割愛しますが、ハイドン、モーツァルトを経て、ベートーヴェンによって完成されてロマン派に受け継がれましたよね。
そのベートーヴェンの交響曲が余りに完成されていて、かつ、当時としては斬新な試みだったので、ロマン派前期の人々は、よく言えばそれに則った名作を多数生み出した、悪く言えば、あまり音楽的な発展性はなかったのだと思います。ロマン派の気質が交響曲に合っていたのもあると思います。
しかし、音楽は常に新しい部分がないと、誰の心にも残らないし、作曲家は新しいものを求めて作る。
そこでワーグナーという人が現れた。彼は直接は交響曲の大作を作らなかったですが、それに変わる総合芸術を生み出して、それに影響された作曲家の、ブルックナーやマーラーたちが規模もどんどん大きくなって、形式も型破りが多い交響曲を作り始めた。調性的にも、形式的にも。
そして究極的にはマーラーの9番のようなものが出来上がった。
あのような作品はすでに交響曲として保っていられる限界なのではないでしょうか。
それ以上発展的なものを作ろうとしても、それはもはや交響曲ではなくなってしまう。しかし作曲家は、常に新しいものを生み出したいと考えている。
では、交響曲にとどまる必要はあるのか。おそらくないと考えたのでしょう。
もはや作曲家が交響曲にあわせることなく、調性の縛りも形式の縛りもなくなり、自由な音楽が発展した。(もちろん形式がある作品も多数ありますが)
それが現代音楽なんでしょう。
もちろん、形式的な意味を持たせたかったり、擬古的な雰囲気を出すために使われる事もあるし、そのような音楽への反動も当然あった(いわば、現代のブラームスでしょうね)
その次の世代の新ウィーン楽派やショスタコーヴィチのような人も交響曲を書いていますが、シェーンベルクは規模の小さい室内交響曲を作ったし、ショスタコーヴィチはあの現代音楽全盛の時代にしては異端的な流れ、反動的な流れだったと思います。
だから、回答としては、現代人には実感はわかないかもしれないが直接の原因は、ベートーヴェンとワグナーにある気がします。
間違えないで欲しいですが、私はベートーヴェン、ワグナー、ブルックナー、マーラーが大好きです。自分でも呆れる位これらを聴くのに自分の時間を使っています。彼らが間違いを犯したとは言わない。おそらく必然だったのでしょう。

一音楽ファンの素人としての分析なので、断片的で間違えも多いと思います。他の専門家の方の回答もお待ちください。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
しかも現役の演奏家さんのご意見を参考にしたいと思います。

私なりの読んだ解釈ですが
ベートベンが交響曲を完成させたので
それ以上を凌ぐ曲が出てこないと
言ったところでしょうか!?

私の思いも文章後半のご指摘どうりで古典ばかり聞いているだけでなくて現代にマッチした交響曲がどうしてでてこないのかと言う
素朴な疑問です。

何百年の古典曲?もすばらしいですが・・・
それを越えるような曲をです。
なにせ演奏していてそれを聴いているのも
現代人ですから・・曲も現代的なものが出てきても
いいのではと素人なりに思った次第です。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/02 18:24

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Qフルオーケストラの曲の作曲について

長い間、疑問に思っていたのですが・・・・。
Beethoven や Mozart などのフルオーケストラの曲を作曲するときって、彼らはどうしたのでしょうか。 あれだけの、さまざまな楽器があるわけで、現在のように トラックに分けて演奏を保存し、音を重ねていくことは 昔はできなかったはずです。

作曲家の頭の中で 数十にわたる 楽器の音がどのように響くのか作曲するときにイメージできたのでしょうか?
そうだとしたら、もはや 天才ですよね?

Aベストアンサー

こんにちは。クラシックの作曲家です。オーケストラの曲も書いています。

一般の方は、こういう疑問をよく持たれるようですね。それを一番痛感したのは、例の佐村河内氏の事件です。音を一切聞かず、ピアノも使わないで作曲することが、すごいことのように思われるようです。

しかし、プロの作曲家を目指す人は、すべてそういうことができるように訓練します。そもそも、音楽大学の作曲科の入学試験で作曲をするときは、数十人の受験生が一つの部屋へ押し込まれて、ピアノも使わず、歌うことも許されず、すべて頭のなかだけで創作しなければなりません。オーケストラの曲を書く場合も同様です。まさか、作曲するたびにオーケストラを雇って試演するわけにはいきません。頭のなかだけでイメージできるようになるようにちゃんと学習するので、天才とはほとんど関係がないのです。

オーケストラの作曲をするためには、まず、管弦楽法という科目を勉強することになります。各楽器が演奏できる音域や、それぞれの音域の特性、例えば、この音域では大きな音が出せるが、別の音域の音は弱いので、ほかにたくさんの楽器が鳴っているときは聞こえなくなる、などのことを学んだり、指使いによる演奏の可、不可、また、どの楽器とどの楽器を重ね合わせるとどういう響きになるか、ということを、過去の作曲家の作品から例を取りながら学習したりしていくことになります。それと同時に、過去の優れたオーケストラ作品の録音を聴き、オーケストラのスコアを隅から隅まで読み込み、どう書いたらこういう音が出るのかを経験的に蓄積していきます。ですから、ヴァイオリンとフルートがユニゾンで同じ旋律を演奏したときにどんな音色になるか、あるいは、フルート、オーボエ、クラリネットが3本ずつ、計9本で同じ旋律を演奏したらどう響くか、金管楽器の和音に弦楽器のピチカートを加えるとどのような効果が出るか、というようなことは、完全に響きとして記憶されています。その引き出しを開けながら書いていくわけですが、いくら蓄積があっても、引出しの中に見当たらないような自信のないケースもありますし、今まで人がやったことのない音色を作ってみたいと思うことも当然あります。そういう場合も、一応それまでの蓄積を応用して、自分で考え出すしかありません。あとは、実際に演奏されたとき、自分の計算通りの音になったかどうかを確認して、ダメだった場合は原因を考え、修正します。そういう経験を積んでいくと、自ら新しく考えたオーケストレーションも成功する確率が大きくなります。ただ、これは一生の勉強です。熟練した作曲家でも、一度書いたオーケストラの曲を何度も改訂しなければならないケースは多いです。

モーツァルトやベートーヴェンの時代は、今のように録音がありませんでした。しかし、当時は作曲しかやらないという人はまれで、普段からオーケストラと一緒に仕事をしていたわけです。ですから、生の音を毎日のように聞く機会もありましたし、楽器の奏法についてわからないことがあれば、直接奏者に聞くことができます。それに、自分の曲が演奏される機会も今よりは多かったと思います。今日でも、ヨーロッパの作曲家のなかには、オーケストラで楽器を弾いている人もかなりおりますので、毎日古典の作曲家の曲を演奏することで、オーケストラの書き方や響きを毎日習得できる理想的な環境にいるわけです。また、録音のない時代の作曲家たちは、とにかくたくさんのオーケストラの楽譜を常に貪欲に読み、研究していました。私事で恐縮ですが、私が通った高校には幸いオーケストラ部がありました。最初はチェロを弾き、すぐ指揮者になりました。学校の催し物などの折、映画音楽などを自分の手でオーケストラに編曲し、自らの指揮で演奏させました、それ以前に、古典的なオーケストレーションは独習済みでしたので、大体予想した通りの音になり、修正はほとんど必要ありませんでした。しかし私は天才ではありませんので、勉強すればだれでもできると考えます。

なお、大編成のオーケストラ作品を書く場合、最初からオーケストラのスコアを書くことはできないので、まず、ピアノ譜のような2段の五線や、曲の複雑さに応じてもう少し多く、6段、8段といった五線紙上で、まず音楽そのものを作曲します。これをスケッチと呼びます。このスケッチを作成している段階で、今書いている音を最終的に何の楽器で演奏させるかというイメージを明確に持っていなければなりません。そして、スケッチの中に、使用する予定の楽器の名前をメモしていきます。スケッチで音楽の作曲が終了したのち、初めてオーケストラ用の段数の多い五線紙を出してきて、曲の冒頭から改めて書き直していくという作業になります。

なお、最近はパソコンを使った作曲も行われていますが、私たちクラシックの作曲家は、楽譜制作ソフトのプレイバックや、DTMにはあまり頼れません。私は今Finaleを使用しており、ヒューマンプレイバックという、実際の楽器にかなり近い音が再現できますが、これまでの経験から、このような音になるはずはない、と考えるケースが多いので、あくまでも参考程度にとどめ、基本的には自分の体験蓄積により判断します。

以上、御参考になれば幸いです。

こんにちは。クラシックの作曲家です。オーケストラの曲も書いています。

一般の方は、こういう疑問をよく持たれるようですね。それを一番痛感したのは、例の佐村河内氏の事件です。音を一切聞かず、ピアノも使わないで作曲することが、すごいことのように思われるようです。

しかし、プロの作曲家を目指す人は、すべてそういうことができるように訓練します。そもそも、音楽大学の作曲科の入学試験で作曲をするときは、数十人の受験生が一つの部屋へ押し込まれて、ピアノも使わず、歌うことも許されず、すべて...続きを読む


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