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No.4
- 回答日時:
『官職要解』という本をみてみました。
京職の長官は、現代の県知事と県警本部長と地方裁判所長を兼ねたような権力を持っていたようです。ただ、司法・警察権は検非違使に移ったりして、平安時代の後期にはすでに名ばかりになっていたようです。
朱雀大路の東側を担当するのが左京職、西側を担当するのが右京職だそうです。
左京職の長官が左京大夫 (「さきょうだいぶ」あるいは「さきょうのかみ」?) で、次官が左京亮 (さきょうのすけ?) です。右京職も同様です。
No.3
- 回答日時:
質問とは直接関係はないのですが……
大岡越前は本当に越前守 (えちぜんのかみ) だったようです。本名?は大岡忠相です。
遠山の金さんの左衛門尉 (さえもんのじょう) は本当かもしれません。本名は景元で、通称が金四郎です。
未確認ですが、吉良上野介は本当に上野介 (こうずけのすけ) だった時期もあったようです。最終的には上野介ではなかったような。本名は吉良義央です。
大石良雄の内蔵助は自称の通称でしょう。
高級官僚では井伊直弼の掃部頭 (かもんのかみ) や酒井忠世の雅楽頭 (うたのかみ) は正式に「おかみ」からいただいたものだろうとおもいます。
あと、架空の人名で印象ぶかいのが、内藤勘解由です。
越前守 = 越前国の国司の長官
左衛門尉 = 左衛門府の3等官
上野介 = 上野国の国司の次官
掃部頭 = 掃部寮の長官
雅楽頭 = 雅楽寮の長官
勘解由 = 勘解由使 (かげゆし)
No.2
- 回答日時:
概ね、1の方のおっしゃっている通りですが、「律令制の朝廷の役所の名」がもとになっているのだと思います。
江戸時代の武士は、名前として「朝廷の役所」をつけることが多く(流行っていた?)、式部(式部省より)とか、大学(大学寮より)とか、主税(ちから/主税寮より)とか、修理(しゅり/修理職より)とか、右衛門・左衛門(左右の衛門府より)とか、左近・右近(左右の近衛府より)等々の名がみられます。
現在、そのような名前をもっておられる方の親御さんが、どのような考えをもってされたかは(聞いてみないと)わかりませんが、基本的にはその名残ではないかと思います。
なお、江戸時代は形式的にはまだ「律令制」が生きていますので、ややこしいのですが、大名等の高級の武士は、本当に朝廷の官職についており、その職名が「通称」として使われています。
すなわち、忠臣蔵でいえば、
浅野内匠頭は、形式だけですが、本当に内匠寮の長官(頭)であり、名前は別にある(ナガノリだったか?)わけですが、大石の息子の大石主税は「主税」が名前なのです。
No.1
- 回答日時:
これは回答ではなくて私の想像なのですが……
■ 事実
平安時代ごろの役所、役名に左京職、右京職というのがありました。
あと、役所の名前としては、左衛門府とか内蔵寮とか、そのほか一杯ありました。
また、役職名はたとえば、内蔵寮の長官が内蔵頭(くらのかみ)で、次官が内蔵助(くらのすけ)でした。
■ 私の想像
もともと朝廷の役職名だったものが江戸時代ごろには武士の呼び名になったのではないかと思います。
たとえば時代劇で有名な人では
大石内蔵助とか
中村主水 (平安時代の朝廷には主水司という役所があった) とか…
人名の右京や左京も左京職や右京職からとったのではないかとおもうのですがどうでしょう。
勿論、片山右京のご両親や、小松左京がどういうつもりで、名前をつけたのかは本人にきいてみなければわかりませんが。
この回答へのお礼
お礼日時:2003/04/06 08:56
役職名からそのままとったものだとは
思いにくかったのですが
それ以外にやはり意味はないんでしょうか・・。
ありがとうございます。
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