中原中也の有名な詩に、「汚れちまった悲しみに…」というのがありますが、あれはヨゴレと読むのでしょうか、それともケガレでしょうか。どちらかだとはっきり証明するものがありますか。

A 回答 (8件)

「汚れつちまつた」という表記だったかも...?


個人的には「よごれ」派です。
「けがれ」というようなやや固い、比較的文語的な
表現よりも、「よごれ」という口語的な表現の方が
吐露としての(?)この一句の調子にあうと思いますし、
「汚れ」の後に促音が入るなら、「よごれっちまった」
の方がより自然な気がします。
また、たとえば「汚れ役」というときのような
「よごれ」という語がもつ惨めさ(?)が
「狐の皮裘」とか
「小雪の降りかかる」などのイメージにあうんじゃないかな
と思います。
いかかでしょう。
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この回答へのお礼

なるほどその表記だと、「けがれっちまった」は変ですから、よごれ、でしょうね。解釈上のお説も興味深くうかがいました。

お礼日時:2001/03/14 12:44

「悲しみ」という感情の中で最も個人的で社会性を持たないものまでが「汚れっちまった」ことを中也が嘆いているのだから「よごれ」でしょう。

「けがれる」と「よごれる」は似ているようで本質的に違います。そこに気づくと自ずと答えは出るはずですが・・・
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高校生の頃、中原中也大好き先生が「よごれちまった~」と1万回ぐらい叫んでいました。

(←大げさ)
この詞が大好きな先生は教育要項も無視してこの詞のためだけに何時限もどう解釈するのかと熱く語っていました。先生の名前は忘れたけどこの詞だけは絶対忘れられないぐらいに。もし「けがれ~」だったら、あの先生に一筆書きたいぐらい。
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私もヨゴレ派です。


気になって手元の岩波文庫を見ましたが、やはりふりがな無し。
詩を読み直すと、ヨゴレと読んだ方が、より表面的な汚れで、中心は白く輝いているイメージがあるように思えますが。
証明はできないのが残念です。
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授業でならったときに先生は「よごれ」と読みました。


先生を信じてわたしは「よごれ」と読んできました。証明には
ならないか~!
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WEB上でこの詩が読めるところがあります。


「汚れつちまつた」と表記されております。
ふり仮名はないので、正しくはなんと読むか分からず、
本件の答えにはなってないのですが、ご参考までに。

参考URL:http://www.gakkou.ne.jp/ken-h/yagino_h.htm#36汚れつちまつた悲しみに……
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この回答へのお礼

これはいいサイトを教えてもらいました。ありがとうございます。

お礼日時:2001/03/15 14:26

 「よごれ」だと思うのです。



 根拠は、うたです。マニアックな話ですが、男性合唱の曲に、多田武彦作曲による「中原中也の詩から」という組曲があります。その中にこれが入っているのですが、そこでは「よごれちまった」とうたっています。

 根拠に乏しいなぁ、、、
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回答。



文学者なら、もっと正確な解答をお持ちかもしれませんね。
私の普通の答とすれば、ケガレです。
悲しみは、物質的なものではなく精神的なものだからです。
単純でしょうか?
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ご紹介頂けないでしょうか?
また、WEBサイトでも構いません。
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http://kiifc.kikkoman.co.jp/tenji/tenji10/

書籍・雑学本
『近代日本食文化年表』(小菅桂子、雄山閣出版)
『にっぽん洋食物語』(小菅桂子、新潮社)
『にっぽん洋食物語大全』(小菅桂子、講談社プラスアルファ文庫)
『にっぽんラーメン物語』(小菅桂子、講談社プラスアルファ文庫)
『カレーライスの誕生』(小菅桂子、講談社選書メチエ)
『とんかつの誕生』(岡田哲、講談社選書メチエ)
『ラーメンの誕生』(岡田哲、ちくま新書)
『ヨコハマ洋食文化事始め』(草間俊郎、雄山閣出版)
『食の文化史』(大塚滋、中公新書)

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Q受容体とリガンドについて

 大学の講義で、受容体とリガンドについて以下の式が与えられました。


kd=[R][L]/[RL]・・・(1)

Rt=[R]+[RL]・・・(2)

[RL]/Rt=1/1+(kd/[L])・・・(3)

[L]=kd/(Rt/[RL])-1・・・(4)

kd:リガンドと受容体の解離定数
[R]:平衡状態でのfreeの受容体濃度
[L]:平衡状態でのfreeのリガンド濃度
[RL]:平衡状態での受容体とリガンドのcomplex濃度
    (最大応答を示す時のホルモンと結合した受容体数)

問1
 平常時の血液中のホルモン濃度10^-9M,kd10^-7Mとするとこのホルモンと結合している受容体の割合は何割か?

問2
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 問1に関しては、直接[L]とkdに値を代入すれば良いと知り合いに聞きましたが何度計算しても出ませんでした。
 問2はまったく手付かずの状態です。

計算方法、解き方など、どなたか教えていただけないでしょうか。

 大学の講義で、受容体とリガンドについて以下の式が与えられました。


kd=[R][L]/[RL]・・・(1)

Rt=[R]+[RL]・・・(2)

[RL]/Rt=1/1+(kd/[L])・・・(3)

[L]=kd/(Rt/[RL])-1・・・(4)

kd:リガンドと受容体の解離定数
[R]:平衡状態でのfreeの受容体濃度
[L]:平衡状態でのfreeのリガンド濃度
[RL]:平衡状態での受容体とリガンドのcomplex濃度
    (最大応答を示す時のホルモンと結合した受容体数)

問1
 平常時の血液中のホルモン濃度10^-9...続きを読む

Aベストアンサー

ホルモン不在の時の受容体濃度を[R]0とし受容体濃度を[R]、ホルモンの濃度[L]とするとき、[RL]/[R]0を求めます、
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[R]0=[R] + [RL]
10^-7mol/L=Rt=([R]0-[RL])[L]/[RL]=[R]0[L]/[RL]-[L]
になりますので、
[R]0[L]/[RL]=10^-7(mol/L)+10^-9(mol/L)≒10^-7(mol/L)
[R]0/[RL]=10^-7/[L]=10^-7/10^-9=100
∴[RL]/[R]0=1/100
でしょう。
問2、ホルモン濃度を求めるのに、
>…のホルモンが10^-10Mとする…
これでは分りません。kd=10^-10M
なら、[R]0=1000、[RL]=100として上と同じに解けば良いのですが。

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おりしもかなた野のうえは
あすとらかんのあわい縫う
古代の象の夢なりき

ここの意味がどうしても理解できません。詩である上に夢の話だから普通の理屈にはあわないと言われればそうかもしれませんが、どのようなイメージを思い浮かべたらいいのでしょうか。あすとらかんとは「ロシアのアストラハン地方に産する カラクール種の生まれたばかりの子ヒツジの毛皮」。古代の象とはマンモスでしょうか。子羊の毛皮の間を縫うマンモスとはどういうことなのか、あまりにシュールで分かりません。現代詩と違い、中也の詩ではこんなに分かりにくい箇所はあまりないと思うのですが。

Aベストアンサー

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http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/4315/1/KokubungakuKaishaku_37%283%29_71.pdf

Q酢の酸っぱさを感じる特別な受容体があるのでしょうか

舌の上には、苦みとか甘みを感じる受容体があるそうですが、酸っぱさに対しても特別な受容体があるのでしょうか。

Aベストアンサー

>舌の上には、苦みとか甘みを感じる受容体があるそうですが、
は大嘘・・・100年以上の歴史のある大嘘・・・
【引用】____________ここから
一般的な通説として舌の異なる領域で異なる味を感じる味覚分布地図が存在すると言われているが、実際には味蕾は全ての味を感じることができるため、どの味も舌の全領域で感じられる(ただし、味覚が生じる刺激強度の閾値には部位によって差がある)。
 このような誤解の原書となった「味覚分布地図」は、1901年にフィロゾフィッシェ・シュトゥーディエンから出版されたヘーニック博士のドイツ語論文をアメリカのハーバード大学の心理学者エドウィン・ボーリングによって翻訳引用され、1942年に出版された「実証心理学の歴史における感覚と知覚」という書籍で一般に広まったといわれている。
 この間違いは濾紙ディスク法などの味覚検査を行うことで容易に解明する程度の事実でありながら、長年にわたって医学の専門書にすら記載されている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ここまで[味蕾 - Wikipedia( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E8%95%BE )]より

甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の感覚器官は同じ。それ以外は、辛味の正体は痛覚とか・・

>舌の上には、苦みとか甘みを感じる受容体があるそうですが、
は大嘘・・・100年以上の歴史のある大嘘・・・
【引用】____________ここから
一般的な通説として舌の異なる領域で異なる味を感じる味覚分布地図が存在すると言われているが、実際には味蕾は全ての味を感じることができるため、どの味も舌の全領域で感じられる(ただし、味覚が生じる刺激強度の閾値には部位によって差がある)。
 このような誤解の原書となった「味覚分布地図」は、1901年にフィロゾフィッシェ・シュトゥーディエンから...続きを読む

Q「よごれちまった悲しみに」の悲しみは

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Aベストアンサー

はじめまして。
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