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いつもお世話になっております。

「何かを得るということは、その代償に何かを失うことだ」という言い方をよくしますが、やはり世の中はそのように出来ているのでしょうか?

曖昧な質問で申し訳ないのですが、実体験なども含めて、自分はこのように思う、というような意見をお聞きしてみたいです。
(例えばお金を得た代わりに友達を失ったとか、配偶者が出来たけど家族と仲が悪くなってしまったとか)

逆に自分はそうは思わない、というような意見もあったら是非お願いいたします。

A 回答 (9件)

はじめまして。



人は必ず何かを得たり、失ったりしていると思います。

たまたま何かを得たときに、失うものがあると得たもののせいにするだけだと思います。

富を得て、友達を失った・・・
本当なら失わずに済んだはずなのに、富を得た本人がその友達を避けただけだと思います。

人間逃げ道は必要です、なるべく自分のせいにしないようにと・・・
生きる知恵だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
逃げ道……あぁ、なるほどと思いました。
確かに何かを失った時は、新しく得た何かに力を注いだ結果だったりしますものね。そこで両方を失わないことは出来ただろうけれど、結局は無理だった。でもそれはしょうがないんだ、という風に無意識に言い訳をしているのかもしれないですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:36

う~ん、難しい問題ですね。


私の経験則と世の中の道理という点からお答えさせて下さい。

昨今はなんでもわがままが通る時代になったのでにわかに信じがたいかもしれませんが、世の中には物理的・数学的な証明された定理(道理)・原理というものが存在します。
その道の学問に通じない方からみれば、それは「う~ん。そぉ???」と思うかもしれませんが、これはあって当然なのです。

例えば今回のご質問に該当する事といえば、「エネルギー不変の法則」というのがあります。
つまり、何か物事をするために行動を起こして得ようとすると、必ずその分のエネルギーがどこかで消費されているという法則です。
つまり、エネルギーの授受なくしてモノは動かないという事です。

もう少し分かりやすく説明すると、今あなたがボールを投げようとすると、ボールに対して「動かす」というエネルギーを与えて飛ばす必要があります。
そのエネルギーは全く同じ消費量(カロリー)で、あなたのカラダから消費されるのです。
ボールを投げたら疲れるのが、エネルギーが消費されたその証拠です。

これらは、様々な行程を経て得る場合だと「チカラのカタチ」が変化して授受されますので、エネルギーの消費計算はもっとややこしくなります。
もっとも分かりやすいのは、電力を得るのには風・水・火などからエネルギーを得ないと電気を起こせないという事と全く同じです。

お話を戻しますが、こうしたエネルギー不変の法則は、私たちあまり原理に詳しくない人間には見えない部分で、常にエネルギーの授受が行われています。
もともとは目に見えないものですし、エネルギーといっても様々なカタチに変わって存在し、伝わっていくからです。
という事で、基本的には「何かを得るには何かを失う。」が正論できちんと根拠があり、正解です。

ただし、これには例外があります。
例えて言うなら、物質的なものではない「心や思いやり」といった生物の心に存在するモノの授受です。
魂というのもそれに該当するでしょう。
なので、思いやりはいくら人に与えても減るものではない、と言います。
ご質問者の方の内容がコレに関わる事なのであれば、失うものはないと言えるかもしれませんね。

ただ、一般的にはこれが唯一と言われています。
なぜなら、通常身の周りで起こる損得勘定は、やはり必ずなんらかのエネルギーの授受と関係しているからです。
例えば缶コーヒーが欲しいと考えたなら、必ず幾ばくかのお金が必要です。
これも回りまわってエネルギーの代償なのです。
もちろんタダで人にもらうという事も可能ですが、それにも「その人に頼む」というエネルギーを消費します。
つまり、ダマってジーっと心の中で「缶コーヒーが欲しい。」と思っているだけでは決して得られないという事に繋がっています。

そういう意味では、「出世する」という利も、必ずそれなりにエネルギーを使って努力をしないと得られないので、その分頑張ったという事になりますしね。
また、一人が出世するという事は、必ずその席を得られなかった挫折者が数人いるのは当たり前の事ですから。
その出世が社長という席だとしたら、それはひとつしかありませんからね。
つまり、成功のウラには必ず等しい挫折者が存在する訳です。

だから、私はやはり世の中には必ずなんらかの損得や正負が存在すると思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とっても論理的に説明してくださってありがとうございます。
確かに自分では気づいていない、考えていないだけで、自分が成功している時には、必ずその裏でうまくいかなかった人というのがいるはずですね。
自分が挫折側に回った時、または得た物の代償に何かを消費した時、それを嘆かずにどうしてそうなったのか考えて、受け入れることが大切かな、と思いました。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/07 09:19

質問文を見ると何かは自分にとって大事なものや必要なものなどプラスになっているものだと思っていませんか?


そうでなく、時には自分に不必要なものを失って自分に有意義なものを手にすることもあります。
逆に自分に必要なものを失って入らないものを手にすることもあります。

そして、人生の中には何も手に入れていないのに失うものだけはあるということはあります。
逆の何も失わないのに手に入れるだけということはありません。

これは人間生まれたときから残りの人生の時間というものを失い続けるのだから、避けることが出来ないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
時間というのは誰にも等しく与えられ、等しく失われていく物ですよね。
大切な何かを得て、その代わりに大きな物を失ったので、ふとこの疑問を持ったのですが、思い返してみるとどんな物であれ、常に色々と得たり失ったりしているな、と感じました。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/07 09:15

貴方に損得勘定があるのならそうなるでしょう。



目標がしっかりとあり、それに対して向かっているのであればそれに対する負の結果は損に感じる事は無いのです。

知り合いに趣味で大怪我をして会社に迷惑を掛けると止めた人が居ますが、私は三度程大怪我をしたけど今だ内緒で続行中・・・。

どのように生き、どのように自分の結果に責任を持つか?が肝心ではないでしょうか!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに失う物を損、と思うとそのような考えになるのでしょうね。
何か大きな目標があって、その為には犠牲というか、割り切らないといけない部分みたいなのもあるのでしょうね。
あれもこれも、では、まさに二兎を追うもの……になりそうです。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/07 09:12

貴方は女性のようですね?女性に私の言う事はあまり意味がないかもしれませんが?


皆さん薀蓄のある答えを沢山言っておられます。
私はもう還暦を過ぎた男ですが、同年輩の知人には社長もいれば院長もいますし、博士も警部もいます。
又土木関係の一人親方の泥、ペンキにまみれた職人も多くいます。
友人としてこの様々な人達とは対等に付き合っていますが、
仕事となるとそうは行きません、私も一度はトップに立った男ですから
大きな会社の社長、部長などとも、気さくに会話はしますが、仕事上は相手が上位にある事は歴然としています。
ある馬鹿話でそう言う人と「イヤー立派になられましたね。私なんか今は平社員ですよ!」と言うような事を言ったら
「お前は自分のしたい事を好きなだけやって来たじゃあないか!俺たちは自分のしたい事の殆ど我慢して出来なかったんだから!」
と非難めいた事を言われました。確かに歳を取った今、私はしてきた事に満足しています。
したい事を我慢し社長になった友人がいまさらしたい事をと思っても絶対出来ない事を私は知っています。
得たら失うのではなくどちらを取るかではないでしょうか?
でも今の時代、運が悪ければ、全てを失う時代ですから?気をつけましょう
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
確かに周りから見て大きな何かを得たように見える人も、本人にとっては大切な何かを犠牲にしてきているのでしょうね。
お仕事にしろ人間関係にしろ、自分が選んだ道なのだから、私も歳をとって振り返った時に、saninnoozi様のように満足のいくように人生を歩んでいきたいと思いました。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:56

人生でそういう部分はあると思いますよ。



やはり同時に二兎は追えませんので、一兎を追えば、一兎を失うという場合はありますね。

でもそれは、同じ時間や同じ空間に、2つ(以上)のモノは存在し得ないという、ごく当たり前のことです。
時間や空間を、うまくズラせば、二兎を得られますヨ。
簡単に言えば、要領のイイ猟師なら、一兎を仕留めて、もう一兎も仕留められるというコトです。

勉強などでも、一夜漬なら教科を絞らないと全滅してしまうかも知れませんが、受験など、時間を掛けられる場合は、欲張って、2教科でも3教科でも、勉強すりゃいいと思いますし、逆に、そうしないと、受かりませんから。

何かを犠牲にせねば、何かを得られないワケでは無く、両立するためには、人より努力したり、知恵が必要というだけのことではないでしょうか?

例えば、金持ちになったぐらいで、友人を失うというのは、金を稼ぐ能力を磨く過程で、人格形成などは手を抜いたということでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ふむふむ、なるほど。
確かに一時期に色々なことが集中した結果、全てにパワーが行かず、結果どれかがダメになってしまうということがこういった考えに繋がっているのかもですね(数学を取った結果、英語は壊滅的だったみたいな)
そこで考えて、全てにそれなりに力を注ぐなり、一つに集中して力に注ぐなり、というのも選択肢なのかもしれないですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:51

>「何かを得るということは、その代償に何かを失うことだ」という言い方をよくしますが、やはり世の中はそのように出来ているのでしょうか?



必ずしもそうとは言えません。失わない事も多々あります。
また「何かを得る為に、相応な代償を支払う」と言うのも有ります。

最近では、Win-Winの生き方と云うのも良く言われます。
これはどちらかが得をして、どちらかが損をする。
或いはどちらかが勝って、どちらかが負ける。
のではなく、共に勝つ生き方、つまりどちらも得る生き方です。

何かというご質問なので、具体的な事柄や、物質的なものだけでなく、
全ての領域の物が対象とするならば、あるときもあればない時も有るでしょう。

ただ>(例えばお金を得た代わりに友達を失ったとか、配偶者が出来たけど家族と仲が悪くなってしまったとか)
というのは、一見関連性があるように見えますが、お金を得て友を失う、嫁を得て、家族の仲が悪くなるというのは、直接の因果関係ではなく、ストーリーがあっての結果だとおもいますので、
「何かを得るということは、その代償に何かを失うことだ」には当てはまらないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>最近では、Win-Winの生き方と云うのも良く言われます。
こんな考え方があるのですね。初めて知り、お勉強になりました。

例にあげたような事は自分が勝手に関連性をつけて考えているだけで、実際は全くの別物なのに、何かしら辻褄をつけて納得しようとしているのかもしれないですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:44

 『満つれば、欠ける。

』って言いますね。まぁ、月の満ち欠けとくっつけて自然の道理を説いているのでしょうが、『余り欲を張るな。』、或いは、『盛りにも注意を怠るな。』ってな教えでしょう。
 『人盛りにして、神祟りなし。』なんて驕らずに、謙虚に生きていれば失うものもないのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
絶頂期はそれ以前の努力が実ったもので、調子がいいからと気を抜いてしまうから努力が足りなくなって、その後に下り坂になってしまう、なんて話を確かに聞きますね。
常に謙虚に生きていきたいものですね。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:39

世の中一般がそのようにできているかはわかりませんが、私もそのような経験しました。



私の場合、彼氏を得た代わりに友達を失いました。
彼氏ができる前は友達とのおしゃべりも楽しかったのですが、彼氏ができてからは嫉妬やねたみの感情を友達から感じるようになりました。
ダイエットを邪魔されたり、嫌味言われたり。
私が不幸になるのを願っているような心の闇を感じます。。。

とても疲れるので、私からも距離をおいてます。両方得られれば一番ですが、人の世は嫉妬や妬みがうずまいてるんだなーと理解しました。
何かを得た人はうらやましがられますから、その分嫌われるのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
arpege9様と同じような経験があるのですが、やっぱりそういった事ってありますよね。
自分自身も妬みのような感情を持ってしまう時はあるし、どうしてもそういったものって沸いてしまうのかもしれないですね(表に出すか出さないかは別ですが)
ありがとうございました!

お礼日時:2009/08/06 11:34

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