プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

皆様、こんにちは、久しぶりの質問で少々緊張しています。

このマークの世間一般的な認知度とイメージについて、極めて個人的事情から興味を持ちましたので質問を立てさせていただきます。

一言だけ(1.について)でもご回答を頂きたいと考えております。

1.このマークをご存知でしょうか?
 YES or NO でも 知っている 知らない でも特に表現方法は指定無しです。

2.このマークをご存知の方はどのようなイメージをお持ちですか。
 表現方法自由自由、スルー可です。

3・このマークをご存知の方は実際に着けている人をどう思いますか。
 表現方法自由自由、スルー可です。

どのような回答でも今後、参考にさせていただきたいと考えておりますのでご回答の程、よろしくお願いいたします。
注)私自身はこのマークに該当する者ではありません。

どうも質問文が硬くなってしまいましたが重たく受け止められず、アンケートとしてお気軽にご回答ください。

なお、お礼のほうが当方都合により大幅に遅れることが予想されます。
身勝手な部分となりますが、ご回答頂ける方にはそこのところもご理解頂きたく存じます。

また、アンケートとしつつ、このマークの社会的認知度を少しでも上げようとする副次的効果を狙った問題有り質問と感じられた方はその旨を書き込んで頂いても運営側に連絡して頂いても本アンケートに対する一つの反応として真摯に受け止めますので、あらゆる形のご自由なご回答お待ちしております。

「このマークをご存知でしょうか?」の質問画像

A 回答 (30件中11~20件)

No.18です。

(もはや何番かわからなくなりましたが)
すみません。こちらこそ気を遣わせているみたいで。
私は脳性まひとかで普通に手足が動かない人、視野狭窄のひとはどこの職場にも(特に官公庁では)いましたので、彼らは字を書くことは苦手でも、ワープロを使うことは得意だったりします。ただ階段がうまく降りれなかったり、視野的にものが見えなさそうだったら見えそうなところに書類やお茶をおいてあげる、そういうことはしています。ただ身障者であることを前提にしていなければ「普通であること」は不可能です。そのうえで、わたしは「普通であること」を心がけています。

質問者さまのおっしゃった
>これが私の知っているマーク該当者であれば、すぐに駆け寄り体を支え、声をかけて意識の有無を確認します。
そこで本人が「大丈夫。」と言っても脈拍を測り、体温を確認し、足首のむくみ等の血液循環に問題が起きていないか見て取り、場合によってはすぐに救急車を呼び、心停止に備えてAEDの準備をします。

マーク該当者が「明らかに普段とは様子が違う状態」であれば、このくらいのことができる知識は必要だと思います。
祖父が死んだときは携帯電話が現在のように普及していない時期で、ペースメーカーへの危険性は叫ばれていましたが祖父が高齢で電車に乗ってどこかにいくこともなかったので、死因はがんでしたが21世紀のこの世ではいささか違ったかもしれません。(祖母は個室にいましたが、家族が携帯からメールしてきましたから:これはOKだそうです)

質問者さまがそのような立場であるからこそAEDの使用方法を熟知している、それがいつかどこかでやくだつかもしれないことを、前向きにとらえていただければと思い、再投稿しました。
ペースメーカーに対する勉強をしてくださっていたこと、感謝します。長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

再々度のご回答ありがとうございました。

やはり私が思ったとおり「身体障害者であることを前提とした普通」ができる方でしたね。
その感覚を身につけられている、ご回答者さんを素敵な方だと感じ、ご回答文を拝読しながら少し嬉しくなりました。

現在の携帯電話の普及率を考えればメーカー側から早く「安全宣言」が出ることを私も強く望んでいます。

近い未来には誰もが安心して使える道具になるでしょう。
それまでのちょっとの間は私も気をつけなければならないと考えています。

AEDのことなのですが・・・。

偉そうに書いておいて恥ずかしい話ですが、使用方法はいたって簡単です。
いざという場面に出会って慌てて説明書に目を通すだけで誰にでも使えるレベルです。

ただ、それが広く知られていないため、その時にAEDを手にすることを躊躇してしまう方が多いのではと私は懸念しています。

優しい方からのご回答ばかりで私にとって、いい質問を立てたと思っています。

お礼日時:2009/08/12 22:20

#8です。

返事ありがとうございます。

うちのスタッフは2回死にそうになってますが
生き残ってます。
動脈乖離で今も通院中です。
「お前は重機で轢いても死なんな」
っていえるぐらいの元気さです。
でも彼がムリをしないように
こき使う事が自分の仕事でしょうから
彼の状況を観察しながらこき使います。時には
「身障者を気使え!」
「へ?お前が身障者?そんなヤツココには居ないよ!」
といえる関係になれた事に感謝してます。

質問者様?
貴方は身に覚えがないかも知れませんが
貴方の質問に答えてあげなくっちゃ!
今まで答えてもらって勇気を貰ったり、笑いを誘ってくれたり
そんなマッハ的なシモネタに楽しませてもらった人は多いハズです。
(そして削除も無敵状態!)
自分もそんな中の一人であることに自信すら持てます。


>ご回答者さん、バイクは所詮バイクです。
それが無くなったからといって人生が終わるものではないです。
私はジタバタとあがいて、それでも駄目ならそこはスッパリ諦めて切り替える心も必要だと考えています。
その、あがきっぷりが自分がとことんやったと納得できるレベルで無いと駄目ですが。

=確かにそれがなくなったからといって人生が終わるものではないですね。
足掻く事を貴方に教えられ、足掻いて今「休養中」とした者です。
「納得できてます?」って聞かれれば納得はマダしてません。
が、とりあえずそれを手放しました。
手放した上で今自分に出来る事を模索しないと次に進めない気がしたからです。諦めてはいませんよ。諦めたら終わっちゃいますから。

もう一度
「私は貴方に助けられました。だから貴方を助けたい。
そのためなら何度でも帰ってきますから!
他の方も言ってますが
顔も声も知らない関係ですが、私は貴方を信頼してます」
バカですかね?(笑)

この回答への補足

最後の一文中「誓い」は「近い」でした。

失礼しました。

補足日時:2009/08/12 07:44
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。

やはり私の想像したとおり、そこではこのマークが存在価値を失うくらい素敵な人間関係が既に存在している。
そういう職場環境を構築されている様子を感じます。

世間全体がそうなれば健常者、障害者という言葉さえ必要の無いものになるでしょう。

申し訳ないのですが私はご回答者さんに全く(笑)100%(笑)ちっとも(笑)心当たりが無いのですが、無いのが幸いかと考えます。
あれば、馴れ合い、個人的コミュと面倒な声がどこからともなく上がってきそうなので。

「休養中」ならまだ立ち上がれますね、上を向くことができます。
「模索中」であればそれは私の感覚では「前進中」と同義語です。

文章からパワー溢れるものを感じられるご回答者さんなら大丈夫です。

それと私はここ(goo)でご活躍中の多くの他の立派なご回答者さんとは違い、ご質問者さんの事を誠心誠意親身になって考えて回答することはしていません。
もし、それで私に助けられたと感じられたのであればその問題に実は私の回答は必要なく、その時のご質問者さんが一人で乗り越えられる問題であったと私は思います。

ご回答者さんなら今後も大丈夫でしょう。

「模索」中であれば他人から誤解を受ける場合も多くあると想像します。

そんな中でもご自身の信じた方向に向かって、ちょっと回り道加えながらも前進してください。

今はまだ私は大丈夫です。
過分なお心配り頂いたこと、感謝いたします。

お互いによく知っている当然のことなのですがバイクは前進し続けていない状態が一番不安定になっちゃうんですよね。

釈迦に説法してしまった感、大いに感じていますが・・・。

多謝。。。。

あ、ご回答者さんはバカだと感じる点、確かにあります。
ただ、その「バカ」の頭には必ず「私に誓いと言えるほど」という枕詞を私はつけます。
(「いや、それほどバカではない。」という反論が聞こえそうですが。)

お礼日時:2009/08/12 02:28

No.15です。

お礼、どうもありがとうございました。

>それは私の見栄によって苦痛を表情等、他人に見せることを拒否しているからで

私は障害者ではありませんが、そのお気持ちはよくわかります。私も体調が悪くても、そのことを周囲に気遣われるのが嫌いで、隠してしまいます。病院で点滴打ってから出勤しているのに、その事を人には言いたくない…!本当、見栄なんですよね。(^^;

私の回答は、障害者や障害者の気持ちを考慮しようという方にとって、不快を与えるモノであると自覚しています。それなのに、このような回答をした理由を延べさせて戴く事、ご了承下さい。

数年前、町中を歩いていた時、白杖を持たれた方から「すいません」と声をかけられました。点字ブロックから離れた位置に立たれていたので、気になって側に寄っておたずねすると「お金を貸してくれませんか?」と言われました。これから、○○病院に行きたいのだけど、お金を無くしたので、バスに乗れないらしいのです。意外な答えが返ってきたので、考え黙っていたら(頭が良くないので、考える時間がかかっています…笑)、「学生さんですか?」と訪ねられました。私は社会人でしたが、見た目はそのように見えるタイプです。声は、子供っぽくはありません。ですから、『この方は目が見えている』と判断しました。仕事柄、視覚障害者の方と関わる機会もあるので、どういう時に手をさしのべるべきか、おおまかな福祉サービスの内容も理解しているつもりです。違和感を感じたので「定期を使っているので、財布は持ち歩いていない」と嘘をついて、その場を離れました。
後日友人にこのことを話したら、友人も以前に電車の中で「白い杖を持っていた人から、お金を無くしたので貸して欲しい」と言われた事があったそうです。他にも、同じ経験をされた方がいるらしいのです。特徴がよく似ているので、同一人物が同じ事を繰り返しているように思えます。

このような事を書くと、障害者の方に偏見を持たれる方がいるので、あまり書くべきではないのかもしれません。もちろん、こんな事をされるのは、障害者の中でも、極一部であると理解しています。心優しい健常者がいるように、良識がなく&平気で犯罪を犯す健常者がいるのと全く同じで。

これは、極端な例だとは思います。質問者様のように、きちんと自分の障害と向き合われて、頑張っていらっしゃる方がいるのも充分承知していますよ。不快な思いをさせてしまって、ごめんなさい。

>見た目に不自由が無ければ誰もが詐欺師と断じる心理は容易に想像できます

決してそういうつもりでの回答ではない事を、ご理解頂けたら幸いです。説明不足で、申し訳ございません。

質問者様がこのような質問をたてられました事、good job!(^^)vと思っています。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

私は聖人君子でもありませんし、どこかのTV局のように「障害者は皆清らかな心を持っている」というつもりはありません。
なにしろ、私自身が悪の心を多く持つ者なのですから。

故にご回答者さんの先のご回答を拝読して私が不快になることはありません。

視覚障害者を装っていた事件が最近も一時ニュースやワイドショーで騒がれていたこと、ご回答者さんが不幸にも遭ってしまった障害を利用(偽装)した寸借詐欺が存在することも私は知っています。

ただ、できれば少しでも多くの方がハートマーク・プラスマークができた経緯を知ってくださればいいと考えています。

以下はご回答者さんに向けた文章では無いので誤解されないようお願いいたします。

見た目が健康そうで苦しさを顔に出さない内臓に疾患を抱えた方々は今まで優先座席や障害者用駐車スペースを利用することに躊躇し、それでも利用しなければならない時には周りの健常者から白い目を向けられていました。
それがこのマークができたことによって「座る(使う)理由が有って座って(使って)いる」というふうに見られるのは夢が現実になったくらいの前進だと感じられていると想像します。

ところが弱者を守るシステムができればそれを乱用、悪用する者が必ず出てくると私も考えますし、過去をふりかえってもそのような例は数え切れないくらいあります。

弱者の事を考えて作ったマークが新たに弱者を苦しませる原因となってしまう。

そのような哀しい流れを感じて今回、この質問を立てさせていただきました。

ご回答者さんへのお礼の欄を少々まとめとして使わせていただきましたこと申し訳ございません。

私の質問にわざわざ時間を割いてまでお付き合い頂きましたこと本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/08/12 00:26

No.9です。


お忙しいのにお返事ありがとうございました。
私の中途半端な知識っぷりに(私はあえてぐぐることをしなかった)
恥ずかしさを覚えるばかりです。
来週は祖母の1周忌で、健康に亡くなりましたが
私は昔の家族は義両親ともこのシールの該当者でした。
前にも書きましたように祖父はペースメーカーを入れていました。
私はこのシールを持っている人に、特別扱いはしません。
普通に対応します。職場ではどこの会社にも必ずひとりはいましたから。ただ手伝ってあげることはありますけれど。
私にとってはみんな同じ人間。そのマークをつけている人も自覚のあるうえで普通に生きて欲しいと私は思います。

この回答への補足

再度のご回答、ありがとうございます。
ただ気になる点が少々。

>お忙しいのにお返事ありがとうございました。

そんな状況で質問してしまったのは私なのでそこまでお心配り頂くと恐縮してしまいます。
それと・・・「お返事」ではなく「お礼」のつもりだったのですが、そう受け止められなかったと言うことは私の文章に誠意が表れていなかったことと真摯に認め、反省点といたします。

>恥ずかしさを覚えるばかりです。

すみません、実はそうだったこと、このご回答を拝読するまで一切気がついていませんでした。
逆に私自身が身近な該当者のことにばかりに考えが向いていたのを、当然該当されるペースメーカー使用者にまで考える幅を気づかせていただいた大変価値あるご回答と受け止め、本日、昼休みに職場でペースメーカーのことも少々勉強していました。
ご回答者さんの真意がどうであれ私にはプラスになったご回答を頂いたと今でも思っています。

普通に接するということなのですが、これがなかなか解釈が難しく悩んでしまいました。

そもそも、全く普通の方と同じに扱われたい方であればこのマークはつけないでしょう。

私の身近なケースを例に挙げると、今の時期に外回りから帰ってきた同僚がオフィスのある階まで階段で上がってきて大汗をかいて息を切らしていたら「運動不足と歳だな。」と軽口を叩くのが私としては極めて普通の対応です。
これが私の知っているマーク該当者であれば、すぐに駆け寄り体を支え、声をかけて意識の有無を確認します。
そこで本人が「大丈夫。」と言っても脈拍を測り、体温を確認し、足首のむくみ等の血液循環に問題が起きていないか見て取り、場合によってはすぐに救急車を呼び、心停止に備えてAEDの準備をします。
(その人のために私はAEDは個人で購入し可能な限りその人のそばにある状態を作っています。)

これが私のその人に対する普通の接し方なので私は、病状を知り得ない通りすがりや乗り物で乗り合わせたマークをつけている方に対しても同じような状況になれば普通に同じ事をします。
(さすがにAEDはどこにでもはありませんが、AED無しでの心肺蘇生法もその人のためだけに学んでいるので全くの無力ではないと自分で思い込むよう心がけています。)

それをしないことによって次に起こる私の目前での人の死を避けるために。

逆によく知った間柄で病状にそれほどの緊急性が無いと知っている方であれば普通の内容も変わってくることは当然だと思います。

おそらくはご回答者さんの仰られるところの普通と私の考える普通は同じものだと思いながらダラダラと長文となってしまいました。

失礼いたしました。

補足日時:2009/08/11 22:40
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この回答へのお礼

すみません、お礼がここに収まらなくて補足欄を利用してしまいました。

本当に二度のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/11 22:43

NO.7、14です。

何度も申し訳ありません。

お題をいただいて考えるのが好きなので、昨晩自分が書いた内容、ギプス+両松葉杖の時には座席を譲って貰えなかったのに、アルコールでギブアップ状態だと優しくして貰えるのは何故?、を考えておりました。

見慣れている状態、自分も体験した状態には寛容になる、優しくなれるけど、想像が及ばない状態には優しくなりきれない、想像力が及ばない、どうされたいのかが分からないので対応できないのかも知れないですね。

以前、敢えてコルセットなどで関節を固定して片麻痺状態を経験したり、天井から吊された帯に体を預けてお風呂に入ったり、調理台まで移動する経験、車椅子で2cmの段差を超える練習、弱視の方、白内障の方、老眼の方の見え方を体験をしましたが、想像以上に厳しいと思いました。

そのような体験を心の柔らかい子どものうちにできれば、もっともっっと優しい人に育たないでしょうか?。

長崎県が、原爆の恐ろしさ、戦争の悲しさを知っている人たちが老齢化し、情報が断絶してしまうことを懸念し、小学生、中学生を呼び込む運動をしているように、

障害を持つ経験、年老いる経験をする実習を小学生、中学生の授業に取り入れるようになれば良いのに、と思いました。

私、ご質問者様の自称おっかけ(悪く言えばネ・スカ)なのに、ご質問者様が、体に不自由を持っている方の団体に所属していらっしゃることを失念していました。声を届けていただけるのであれば、是非ともよろしくお願いいたします。


私も、自分の中に「悪」をたくさん持っていて、ご質問者様と似ていると思います。息子の命が一番で、そのためなら誇張では無く、なんでもします。しかも、それを「悪」とは思っていません。

よく言われますよね。突っ張ってきた子の方が優しい。それと似ているかも知れません、ジェットコースターのような人生の中で、ほとんどのことが気にならなくなりました。そして、優しく見える自分を演ずることができるようになりました。既に、善と悪との葛藤も有りません。自分の中で、調和されたようです。

ご質問者様とは、魂の存在になった時に、奥様をご紹介いただき、たくわんを食べながらお茶をすすって語り合う予感が有ります。

その時を、私はとても楽しみにしています。

その時に、戦争というトランプ・ゲームみたいにして、ご質問者様に自慢できるようなネタをまだまだいっぱい集めていきますので、ご期待下さいね!。ご質問者様のネタが今ひとつだったら、鼻で笑っちゃいますからね!!。

この回答への補足

お礼を書くべきところなのですが明日も仕事がありますので補足とさせていただきます。

この質問が明日も残っていればきちんとお礼を書きたいと思います。

ただ、たくわん&お茶の席には私は参加できないでしょう。
ご回答者さんと私の配偶者が天国で楽しまれている時に私は多分、地獄の業火で焼かれているはずです。

補足日時:2009/08/11 03:20
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この回答へのお礼

いえ、ご回答回数に制限を設けたつもりはありませんので何度来られても大歓迎いたします。

アルコールの件ですが魅力的な妙齢の女性が酔いつぶれていたら私を含めて95%以上の日本人男性が優しくなるのではないでしょうか。
(すみません、また少し気が緩んでいます。)

他人の苦しみを体感する経験は確かに優しい人を育てるのに有効であると私も感じる部分あります。
ただ、同じ経験をしても当然のことながら個人によって受け止め方が違うという点に少し不安が残ります。

自分が○○が不自由な体験をしたときはまともに動くことができなかった。
だが、目の前にいる人は○○が不自由だと言いながら自由に動いている。

これは極端な例ですがご回答者さんのお考えになられた教育を導入するにはこの辺りを専門家に精査していただけばより良いものになりそうです。

私の力は・・・恥ずかしながら最近は発言力、そんなにありません。
組織に属しながら個に執着し暴走してしまう厄介な存在なので。
ただ、ルートはある程度確保していますので・・・。



強がっている私と違って、ご回答者さんは本当に強い方だと思います。
私も悪性腫瘍の宣告受けた時(医師の見間違いでしたが。)には自分はもう死すら怖くなくなったと思いましたが、それは強さでは無く諦めが早くなっただけでした。
癌のように診断によってある程度の時期が特定できるものは諦めるしか無いと気づいたのは昨年の事です。
そして、それより怖いのは自分の大切な人に近づいているかもしれないそれです。

どうも今後は笑ってもらえるようなネタは増やせないような気がしています。
今日と同じような明日が来ることを私が心底願うようになる日が来るとは思ってもいませんでした。

いけませんね、今夜は少し虎舞龍入ってます。(笑)

まだ後1ヶ月は湘南乃風で行かなければ・・・。

お礼日時:2009/08/12 01:49

こんばんは。

marucheeseです。
お礼を頂きありがとうございました。
正直、自宅で1人 泣きながら読ませて頂きました。

他の回答者様同様、私もcucumber-yさんが大好きです。
誤解を招いてしまうかも知れませんが、お顔を拝見したわけでもなく
お名前も存じ上げない。お声すらもお聞きしたことがありません。
しかし、何度か質問、回答でご縁を頂き確実にこの方は実際にお会い
しても良い方だろうと思う人の中のお1人です。
こんな私の所帯じみた回答を見ていて下さったそうで、それだけでも
ここに入会して本当に良かったと実感しています。

>うーん、ここで書いておきたいことがまだまだ沢山あります。
私もです。この質問に対してまだまだ書きたいことが沢山あります。
>一言だけ書きますね。
>私なぞがご回答者さんのお母様のように頑張れるわけがありません。
>過去にも人並みに頑張った覚えがないです。
それは違いますよ。
自分自身が気付いていないだけなんですよ。
cucumber-yさんのご回答を毎日読ませて頂くのが楽しみになっており
ほとんど拝見しております。
cucumber-yさんが頑張った覚えがないならなぜこんな素敵なご家族に
恵まれたのでしょうか?
奥様や、お子様がいつもcucumber-yさんが頑張っておられるのを見て
いるからこそ幸せな家庭を築かれているのではないでしょうか?
私は、頭が悪いので文面で上手く表現することができないのが残念です

>ただ流され、時に淀みで立ち止まっているだけ。
>そしていつか・・・。
このあとはどう続くのでしょうか?
私も一言だけ書きますね。
どうかご家族で乗り越えて下さい。1人で抱えこまないで下さい。
私自身にも言えることなのですが、時には人に甘えることも大事なんだ
とこの質問、回答、お礼を通して学ぶ事ができました。
そして、命尽きるその日までずっとご家族のそばにいてあげて下さい。
また『この場所』にも『ずっとずっといて下さい。』
この2つはご自分でお考えください。

>私はまだ元気です。(^^)v
>ご回答頂いたこと忘れません。
まだ元気ですか? それはそれは良かったです(^^)v
命の期限を切られていても人は寿命がこなければ自分で命を絶たない
限りあの世には行けません。
まだまだ同じ40代、人生これからです。
パッともう一花咲かせるくらいの前向きな気持ちをお互いに持ちましょう。

この質問に回答させて頂いたこと、そしてまた私の質問にも回答を
下さったこと、特に『歩いてますか?』に回答を下さったこと
一生忘れません。

こんな再回答をどうぞお許し下さいね。
またまた長文、大変失礼致しました。

この回答への補足

情け無いですが今晩も成し遂げることなくこの時間を迎えてしまいました。
私の書いたお礼に中に問題を含んでいる部分も感じていますので明日に繋ぐ前に優しさに満ちたご回答を拝読したことだけお伝えしたいと思い補足としました。
あす、まだこの質問が残っていればきちんとお礼を書きたいと思っています。

余談となりますが私は犬や猫が家の中にいるまったり感に憧れています。
彼らが私より長生きする保障があれば飼いたいのですが。
失ったものに向き合って成長する方は強く、優しい人になれるでしょう。
逆に向き合う勇気を持ちえずに目を逸らす者は何も得られないと考えます。

私は当然、後者です。

補足日時:2009/08/11 03:07
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この回答へのお礼

実は少々意図してお礼を遅らせました。
申し訳ございません。

少々、愚痴になるので質問自体が過去に埋もれるであろう時間を置きました。

前配偶者が幸せになるために家を出てから男三人で約6年生活してきた、息子達というよりも戦友たちは既に家を出るべき年齢に達しました。
長男は「高校はお父さんに甘えて行っていたけど、大学は自分で行きたいです。認めてください。」と一丁前なことを言ってこの春家を出ました。
まだ一度の仕送りもしていないし、今後することも無いでしょう。
次男もどうやらそのつもりらしいです。

私自身が彼等をそのように育てたので後悔はしていませんが寂しく無いといえば嘘になりますね。

幼い頃から少し面白い家庭環境で育った私は年単位で他人の中で生活したり、父親だけいたり、母親だけいたり、兄弟だけだったりと考えてみると一緒に18年も家族として継続していたのは息子達だけなのです。

彼らが私の庇護を必要としなくなっても困った時には助けてやるつもりは満々なのですが・・・。
私は人魚の肉を食べているわけでも無いので、その時間も限られたものでしょう。

今度は私が逝くまでは見送ってくれると期待していた人は約一ヶ月後に4つの部屋を持った内臓の手術を受けます。

阿部寛さん主演のドラマ「白い春」で病名が告げられただけで全ての視聴者が悲しいラストを想像していた時に我が家だけ「よく聞く病名だな。」と言っていました。

私もできることなら家族と共にずっと笑いながら歩んで行きたいものです。

パッとした花じゃなく置物みたいなサボテンから気がついてみれば開いているくらいの花でいいんですが。。。

それほど神様は私には優しく無いと思っています。

もし、万一、このお礼を目にされてもあまり気にしないでください。

もしかしたら「海が青い」や「お花が様々な綺麗な色をしている」理由くらい私の作り話かもしれません。(笑)

お礼日時:2009/08/13 23:40

1.ハートプラスです☆



2.内臓疾患。
内臓疾患者の一部に、ペースメーカーをご使用されている方も含まれていると思います。このマークをお持ちの方のすぐ傍では、いちおう携帯電話の使用には注意かも…。(電波で誤作動を引き起こすので)

3・実際に着けている人は、見たことがありません。
ハートプラスを着けて、電車に駆け込み乗車して、きつそうな表情は全く見られずに、高齢者や妊婦さんをさしおいて『身体のご不自由な方の優先席』に腰掛けたら、白い目で見てしまいます。このような、極端に矛盾を感じるような行動が見られなかったら、疾患をお持ちの方として、必要な時は援助&見守り致します。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。
率直なご回答ありがとうございます。

実は質問を立てるに当たって同様の健常者の方からの回答が多く寄せられると思っていました。

私はハートプラスには該当しない片足が義足の軽い身体障害者です。
普段は歩くことに不自由はありませんが月に数日間くらいの頻度で義足擦れ(靴擦れと同様の症状で直径10cmくらい皮がベロリと剥げ落ちて肉と義足の摩擦により血が滴ることも珍しくありません。)が起きて立っている事も苦痛を伴う状態ですが優先座席には座れません。

それは私の見栄によって苦痛を表情等、他人に見せることを拒否しているからで健常者の方から見れば何の苦も無く生きている普通の人間に見えていることを自覚しているからです。

ただ、私のような足の皮が少々剥けて出血と痛みを感じている程度の生易しい苦痛では無く、心臓の弁が機能を一時的に失い、全身の血液が逆流することによって苦痛を感じていても表情には一切表さない方もいます。

「人々に憐れみを請いたければ、お前が足を引きずって道の真ん中で苦悶の表情を浮かべて涙を流せばいい。善良な市民が胸を張って自分の善行に満足しながら助けてくれるだろう。だけど俺はそれをしない。俺は人間だからだ。」

英国の障害者を主人公にした小説に出てくる二人の障害者のやり取りの台詞の一つです。

障害者はここまで全てを晒さなければ健常者から白い目で見られるのだとは私も思います。
しかし、そこまで障害者は自らを惨めに貶めて生きていかなければいけないのでしょうか。

これはご回答者さんを批判しているつもりは全くありません。
社会に出ている人々の中で健常者の数が圧倒的多数であり、少数派の障害者。
見た目に不自由が無ければ誰もが詐欺師と断じる心理は容易に想像できます。

質問を立てた以上、事実と健常者の本音をありのままご回答くださったご回答者さんに感謝いたします。

私がもっとも多く寄せられると想定したご回答が正にこれだったのですから。

お礼日時:2009/08/11 03:03

>乱用を勝手に決めつけたと他者に書かれたのは大変心外でした。




申し訳ありません、私のことですね。

ご質問者様がお礼欄に書いてくださっているとおり、なるほど、乱用の可能性も有るのかな、と、そのご回答を読んで気が付きましたので、それに対する意見を書いてしまいました。決して、何らかを断じるつもりも、非難するつもりも有りませんでした。

つい先日、妊娠されている方が、マークを付けていても、誰も座席を替わろうとせず、寝たふりをしているのは何故?、との提起をされていたのですが、「乱用している人もいる」と悲しい回答をしていて、それならそれで、事情が有るかも知れないのにな、と思ったところでした。

また、私自身、左足首を骨折して、ギプス(後コルセット)+両松葉杖を半年使って電車に乗っていましたが、誰にも座席を替わっていただけなかった経験が有り、困っているのが明らかな者が電車の揺れでよろけていても、時には転んでも、座席を譲る気になれないほど、世の中の皆様は弱っているのかと思ったことが有ったり、そうかと思うと、アルコールでみっともない私を親身に看病してくださる方もいたり、考えると難しいな、とも思っていました。

とは言え、ご気分を害された方には非常に申し訳ないことを致しました。

ごめんなさい。

また、ご質問者様にも申し訳ないことを致しました。重ねてお詫び申し上げます。

そして、ご質問者様、他、ご回答者様の皆様に、考える良い機会をいただけましたことをお礼申し上げます。

この回答への補足

お礼が遅れているためなんとか今晩中に感謝の気持ちをきちんとしたかったのですが・・・。
言い訳となりますが実は職を持っているためにこれ以上の夜更かしで月曜を迎えるのは厳しいとお礼をここで不本意ながら一旦休ませていただきます。
勝手に質問を立てて我ながら残念なけっかとなりますが明日夕方以降までお持ちいただけるようご理解お願いします。

補足日時:2009/08/10 03:06
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この回答へのお礼

先のご回答者さんは敢えて悪く取られる覚悟を持った上で有意義なご回答を寄せてくださった勇気ある方で、双方の些細な表現の違いにある誤解は既に解けていると私は考えています。

その方も聡明な方で今後、考えられる危惧を実体験から述べてくださったものであり、私にとって得るものの多いご回答であることはご回答さんと同様です。

立ち位置が違えば表現も変わります。

「利用する方には利用するだけの理由がある」

これもまた私が共感できる正論の一つでしょう。

ご回答者さんが反省、懸念されている部分はあの方には既に届いて誤解もなくなっていると私は信じています。

お礼日時:2009/08/11 03:49

1、ハートプラスマーク



以前ある質問で質問者さんの回答を拝見した時に、この言葉があり知りました。
2、3、特にイメージはありません。見たままだと思っています。
ただ、このマークを着けることでどうして欲しいのか分かりません。

この回答への補足

お礼が遅れているためなんとか今晩中に感謝の気持ちをきちんとしたかったのですが・・・。
言い訳となりますが実は職を持っているためにこれ以上の夜更かしで月曜を迎えるのは厳しいとお礼をここで不本意ながら一旦休ませていただきます。
勝手に質問を立てて我ながら残念なけっかとなりますが明日夕方以降までお持ちいただけるようご理解お願いします。

補足日時:2009/08/10 03:04
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまっていること、先ずはお詫び申し上げます。
ご回答ありがとうございます。

私などの回答を読んでいただいた上に覚えてくださっていること嬉しいです。

>ただ、このマークを着けることでどうして欲しいのか分かりません。

例えば(分かり難さに定評のある私の例え話ですが。)公園のベンチにご回答者さんが座っている時に目の前の砂場で遊んでいる赤ちゃんがいる状況をご想像ください。
赤ちゃんは脆い存在です。
それでも目の前にいるだけならご回答者さんがなにかをする必要は無いでしょう。
ところが誰かが掘っていた穴に赤ちゃんが頭から転がり落ちたら、突然、公園内に侵入してきた大きな犬が赤ちゃんに向かって走ってきたら。。。
ご回答者さんの身体が何らかの反応をすると私は思います。
実際にはもっと近くにいるはずのお母さんの反応が先になるとも思いますが。

マークを着けている方見てあげてください。
困っている、苦しんでいるとご回答者さんが感じたら、その時にご回答者さんのできることをするだけで良いのでは無いでしょうか。
それは人命救助のような大きなことでなくてもいいと思います。
声も出せないでいる、その方の代わりに声を出して周りにいる他の方に知らせるだけでも十分です。

このような質問を立てている私でさえ、いざ自分がその場面に居合わせたら近くにいる頼りがいのありそうなオッサン(私もオッサンですが頼りがいはありません。)に全てを任せる方向に持っていこうと考えていたりします。

マークを着けているということは「私を見ていて欲しい」と精一杯の声を出していることだと私は思っています。

個人ができることには限界があり、それ以上を求めているわけでは無く、ただ見ているだけでいいのではないでしょうか。

私がある一人のためだけに2年に1度受け続けている普通救命講習の中でも「現場で自分がパニックになった場合は側にいる他人を捕まえ命令して119に電話させることも立派な救命行動だ。」と習いました。
(人は自分で判断ができない場面に遭遇した時に命令調で具体的行動を指示されたら自分の判断で無い分、落ち着いてそれが実行できるそうです。)

あくまで私個人の考えですが。

重ねますがご回答、誠にありがとうございました。

お礼日時:2009/08/11 01:32

2です。

再度の回答をお許しください。

乱用を勝手に決めつけたと他者に書かれたのは大変心外でした。

また私は人を許す気持ちが全く持てないのではなく、あくまでそう見えるという事、
それに甘えてばかりではいけないのではないかという主旨で書かせていただいた次第です。

身内と申しましたが該当は私自身と母です。
私も母も以前は質問者様の書かれた「>憐れみを請う者」を全面的に醸し出した患者、被害者のようでもありました。

様々な障害を持つ者がいて、見た目にわからない者も多い事を周知させるには良いマークだとも思います。
しかし、勝手に決めつけている等と、それこそ木を見て森を見ない者もいる事から、
使用するもののさらなる甘え、権利の乱用を呼ぶ可能性もあるのではないかと懸念をしていると同時に、
逆に気丈にふるまう努力をする者の心底にある痛みや苦しみ、
表面だけを見て強い心を持っているからあなたは大丈夫と判断される偏見に、解決を見出すことは私にはできないというのが本音です。

多くの方々が思う「強い心を持っているから助けは必要ないように見える人」こそが、本当の助けを求めているのかも知れません。
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この回答へのお礼

すみません、私の勝手な判断でお礼の順番を変えてしまいます。
先ほどお礼を書き終えた時点でメールに気づき、取り急ぎ確認してみました。

再度のご回答ありがとうございます。

ただ、少し誤解があるようです。
ご回答者さんも他のご回答者さんも双方、仮定による懸念について触れているだけで何ら断じているとは私は感じていませんし、他の方から見てもそうでしょう。

コナン君気取りをするわけではありませんが、先のご回答を拝読して実はご回答者さんご自身もなにか背負っているものがあるのではないかなと感じていました。

世間と違っていると認めている自分、違っていないと思われたい自分、違っているけど弱者では無いと他人の前で振舞う自分、その振る舞いの中に隠している弱さを他人に見つけてもらいたいと願っている自分。
一人の身体障害者である私の中にこれだけ面倒くさい『自分』達がいます。

この私を表した上記の一文はご回答者さんにだけは理解していただけるような気がして書いてみました。

いかがでしょうか。

私は20代で足を一本失った時にそれを笑い話にすること、義足をつけてから健常者と運動能力で劣っていると見えないようにすることによってなんとか自我を保ってきた心の弱い身体障害者です。

私のように軽い障害ですら悲劇の主人公気分に浸った一夜もありました。

私はご回答者さんを否定しません。
実際の経験から導かれたご回答を頂いたことに感謝し受け入れるだけの者です。
(そう言いつつ、ご回答者さんを不快にさせる内容がこの私の質問から生じているのであれば責任の所在は私にあります。申し訳ございませんでした。)

ご回答の最後の一行、仮定では無く断言してもいいでしょう。
健常者、身体障害者分けるまでも無く人は人との繋がり無くして生きてはいけませんから。

「本当に誰の助けも必要としない者」は「真の強い者」に非ず、それは「孤独で不幸な者」だと私は思っています。

お礼日時:2009/08/09 23:29

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