
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
マレーシア、シンガポール、インドネシアにいたる一帯は、
国という概念があいまいだったころから、海洋民族として
マレー語を共通言語とする共通文化圏だったのです。
各地にはそれぞれのスルタン( 王族 )がいて、小国を
統治していましたが、国というよりは勢力圏と考えたほうが
適切でしょう。さらに福建省のあたりから多くの華人が移住し、
マレー民族と融合してプラナカン( 現地生まれといった意味 )
と呼ばれる文化・民族を生み出しました。
なので、欧州列強に支配される以前はいまのような具体的な
国境はありませんでした。それが植民地支配を経て、マラヤ連邦や
インドネシアに繋がります。現在の国境はある意味、人為的に
作られたものだと言えます。
東マレーシアのサバ州とサラワク州はインドネシア入りではなく
マラヤ連邦との統合を選びましたが、ひとつには同じイギリスの
統治下にあったこと、もうひとつには険しい山で分断された島の
反対側よりも、海洋民族的には海を越えてマレーシアに出るほうが
感覚的に近かったのでしょう。
実際、コタキナバルから見れば、ジャカルタよりマレーシアの
ほうが近いですし、貿易面でもマレー半島との結びつきが強かった
はずです。海は分断ではなく、連携を生むのです。
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