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来世はあると考えたほうがいいのか、来世はないと考えたほうがいいのか、
どっちのほうが今を大切に生きられるでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

メリットとデメリットを挙げてみます



「来世はある」
メリット=今世がダメでも来世があるさと希望を持てる
デメリット=今世をおろそかにしても大丈夫と考えてしまう
「来世はない」
メリット=今現在が特別な時間だと思える
デメリット=自分が消え去るのをむなしく感じる

一般的にこんな感じですかね?
実際には「来世(輪廻転生)は無い」が本当だと思いますが
人間は本当のことを見つめすぎると精神に不調を来たす事が多いようです

>どっちのほうが今を大切に生きられるでしょうか?

どちらかと言えば「来世はある」と思ってた方が精神の安定を得られるというのはあるかもしれません

ただし「来世はない」「来世はある」その2点以外の考え方もあります
「天国がある」なんてのは、来世とはまた別物が存在するという考え方です

私個人「天国がある」てのが好きですねwwこの苦界(現世)にまた転生したいとは思ってません

さきほど「来世(輪廻転生)はない」と書きましたが
わざわざカッコ()でくくったのには意味がありまして
輪廻転生はないけれど、違うものに生まれ変わることはあると思います
ただし1個体が1個体に生まれ変わるのではなく
1個体が多個体の一部になる…ということです

実際私達が死んだら火葬されます。遺骨の一部は墓に納められますが
その他の残りや水分等私達を形成していた一部は他の生命体に循環していくはずです
そういう物質循環という意味での「来世はある」と思います
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私は、創価学会という宗教団体に所属する者です。



さて、質問の「来世というのはあるのか」ですが、仏法では、人間の生命は永遠と説きます。三世というのがあり、「過去世・現在世・未来世」にわたって生命が永遠に続くのです。したがって結論としては、来世は当然あるということになります。

もちろん、今我々が生きている今世の生命は、病気などにより、あるいは生きながらえたとしても老衰により、死を迎えざるを得ません。永遠に生きた状態は持続はできません。生命が永遠というのは、生まれたり死んだりを繰り返しつつ、ということなのです。

人間は死を迎えた時、その生命は大宇宙のなかに溶け込み、具体的な姿は消滅してしまいます。しかしながら、前世の行いにより、安楽あるいは苦悩の状態で、生命自体は厳然と存在し続けているのです。そして、何らかの縁が生じて、再びこの地上に、人間等の生命体として生まれ、具体的な姿を現す。それを永遠に繰り返すのです。その時、前世に善行を行った人は恵まれた境遇に、悪行の人は苦悩の境涯に生まれ合わせてしまう。いわゆる「業(ごう)」です。死によって自らの行いが「リセット」されることはなく、次の生にもそれを引きずることとなるのです。ここに、生命の永遠の厳しさがあります。

しかし、現今の社会では、人の生命を簡単に軽んじるなど、人の道から外れた身勝手な生き方があまりにも多い。これは、自らの生命の永遠性を自覚できず、「どう生きるべきか」と自らに問いかけることもない、現代人の哲学性の衰弱を示しています。自分の行動が、自分の永遠の生命の状態を築きあげてしまう。こう考えれば、善業を積むために、人間は今の人生を謙虚に、誠実に生きるべきなのです。それによって自分の未来(来世)が決定してしまうからです。

ところで、前世に悪業を積んで今世に苦しんだとしても、前世に善業を積んだかのごとく転換する力が、日蓮仏法の「南無妙法蓮華経」にはあります。しかし、これはここでのテーマではなく、また宣伝めいたことになりますので、ここまでにしておきます。

(生命の永遠性については、「小説・人間革命第四巻」〈生命の庭〉の章に詳述)
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貧すれば鈍す、貧乏暇なし。


人生あれもこれもというわけにはいきません。

出来なかったことは次の人生でやればいいさ!
と考えるくらいの余裕とおおらかさで生きたほうが
クリエイティブな、無駄をも楽しむ、豊かな人生になるはずです。

結果的にたった一度きりの人生になるとしても、
いつでも未来が一杯、夢も一杯と考える人の顔は上を向きます。
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私は、前世も来世もあると考えるようにしています。



世の中を見回すと、なんだこいつと思う人に稀に出会います。
「あぁ、きっと前世は爬虫類か何かで、まだ人になりたてなんだな」って思います。

逆にとても利口な犬を見ると、「前世は立派な人だっただろうにちょっとした過ちで今は犬か」と思うのです。

また、世の中には地位も名誉も人間性も兼ね備えた人がいます、「もう何十回も人を経験して今の地位に至ったに違いない」と思うんですよね。

来世も人として生きられるように、日々精進です。
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「どちらもそうだし、どちらも違う」ということでしょう。


あくまでも「思想」だったり「理念」だったりです。
人間が考えることですから、表裏はあるものですよ。
決定打にはならないよ、ということですね。

自分で「合う」と思ったほうをセレクトすれば良いんじゃないでしょうか。
わが国ではそれは充分許されているんですからね。
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簡単に考えましょう。



明日があると思って今日一日を過ごすのと、
明日が無いと思って過ごすのは、どちらが今日一日を大切に生きますか?
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ちょうど最近、下記のオンライン書籍を読みました。


よろしかったらお読みください。

『「いきがい」の夜明け』
-生まれ変わりに関する科学的研究の発展が人生観に与える影響について-
http://www.sol.dti.ne.jp/~sam/realaim/Lifeindex. …

こちらの先生がおっしゃるには、
生まれ変わりを信じたほうが、仮に生まれ変わりなどないとしても、
あるとしても、どちらにしても今の人生を幸せに生きられる、
と説いておられます。(理由は書籍中にて)


わたし自身は、現在31歳で、精神世界のことを勉強しています。
すると、それは子供のころ知っていた!
ということがたくさん出てきました。
ここ数年ですっかり有名になった「引き寄せの法則」もそうです。
子供の頃は、みんなも知っているはずだ、と思っていました。

前世の人物記憶はありませんが、
当たり前のように知っていた精神世界の知識の記憶が多かったので、
前世においても精神的なことにかかわりのある人間だったのではないかと思っています。
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来世はあるような気がします。



理由:自殺を図って黄泉の国の一歩手前で引き返しましたが、向こうでは何か順番待ちでした。
何かはもしかして来世に出てゆく順番待ちなのかもしれません。
ちなみに自殺未遂の戻りはとっとと帰れと命令です。
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『今を大切に生きる』のならば、来世はないと考えたほうがいいと私は思います。

なぜなら、次が無いからこそ、今を大切に精一杯生きようとするからです。
人に依っては、一回限りの人生だからこそ、いい人生を送りたい、だから変なプライドなどを捨てれず、楽しくバカに生きられないでくすぶったまま終わる。
来世があるから、今は、自分が楽しく好き勝手自由に生きればいいと考える人もいると思いますが、少数でしょう。
どちらにしても、『来世はない』と考えるほうが“今”を生きられると私は思います。
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”来世”が”ある”とか”ない”とかまで考えているあなたにとって、


どちらであるにせよ「今」を大切にすべきであると云う事はもう分かっていらっしゃるのだと思います。
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