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その実体は、真面目で平和的で、
常識を逸脱することなど何もない新興宗教団体であるのに、
極めて多くの人が、一部のデマに惑わされて、
その団体に偏見を持つようになってしまい、
世間一般的には、実情と全く違う悪しきイメージが出来上がってしまっている・・・・
そのようなことは、やはりあるのでしょうか。
あるとすれば、その原因は、
一部のデマを無批判に信じてしまう無知さ加減や、
世界規模で発展する団体に対する嫉妬心などでしょうか。
どのように思われますか?

A 回答 (14件中1~10件)

おおよそ当たっています。


このサイトでこういうことを確認しようとしても信憑性、真偽は確かめられません。
賢い人はここを利用しません。
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この回答へのお礼

>このサイトでこういうことを確認しようとしても信憑性、真偽は確かめられません。

ということは、貴方の回答も信憑性に乏しいと受け取らせてもらいます。
もしかしたら、貴方の場合は特別だと思われているのかも知れませんが、普通賢い人は、自分だけは特別だとは思わないでしょうね。 

お礼日時:2003/05/25 22:12

新参者はえてして排除対象になりやすいものです。


特に確固たる理念が確立されている場合はなおさらです。たとえば仏教も最初はまったく受け入れられませんでしたが、その時代のニーズにあっていたため普及していったいい例です。
宗教だけではなく、地動説などの理論も最初はまったく信じられませんでした。

ましてマスメディアの発達した今日、
新興宗教の度重なる事件、謎の行動などが
報じられています。
よって、新興宗教=怪しい→排除という
理念が最初に働くのは分かる気もします。
ただ、人間の意識はそんなに単純じゃありません。
(むしろ単純というべきか・・・)
実際の宗教の話を聞くと信じることが多々あります。
もっともそれが宗教の力でしょうが・・・。
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信仰が、自身の中に宿り、他者との調和・共存が出来て、宗教、というのものは成り立つ、と私は考えます。



仰っておられることは、良くわかります。

ですが、真に信仰と共に生きていれば、仰っておられるような心配は無用かと思います。
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>その実体は、真面目で平和的で、


>常識を逸脱することなど何もない

【真面目・常識を逸脱することのない】は極めて『主観的』なものです。特に宗教となるとなおさら『主観的』です。多くの人はみんな自分の『正しさ』で生きています。それでも宗教間の戦争等争いがある原因のひとつが各々の宗教が持つ『主観的正しさ』にあるのではと思います。

>極めて多くの人が、一部のデマに惑わされて、
>その団体に偏見を持つようになってしまい、
>世間一般的には、実情と全く違う悪しきイメージが出来上がってしまっている・・・・
>そのようなことは、やはりあるのでしょうか。

 これもあるでしょう。マスコミが最たる要因でしょう。プロパガンダ的要素はいつの世の中でも有ります。事実を自分の目で見て、自分の価値観をしっかり持たないと一見ロジックの通った考えやディベートの上手な人には影響されてしまいます。

>その原因は、一部のデマを無批判に信じてしまう無知さ加減や、
>世界規模で発展する団体に対する嫉妬心などでしょうか。

 『無知さ加減』『嫉妬心』はあまりないでしょう。あえて言えば自分の価値観範囲を逸脱した考えには畏怖をおぼえるのが人の常ではないでしょうか。
 
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いったいどの宗教団体のことですか???


それによって答えが変わってくると思うのですが・・・
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 特に日本の文化では・・っていう条件もつくと思います。

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本質的なことを忘れていませんか。

宗教というのは理想や戒律を持つ一つの文化社会そして規範社会なのです。

それが真面目であろうが、平和的であろうが、その規範はその集団の中でしか成り立たないのであって、他の規範を持つ人々から見れば、それは異質なものです。

たとえば真面目とか平和的という二つの属性を上げられていますが、これだって人によって捉え方は違うのです。偏見が生まれないわけがありません。

もし規範の異なる、二つの集団が接触すれば、そこに摩擦が生じるでしょう。それを解消するには共通の規範を作らざるを得ないわけです。ここに人類は主権をもつ国家という存在を発明したわけです。

もしウエストファリア条約が成立していなければ、領域というものを持たない宗教社会どうしが、未だに入り乱れつつ対立していたことでしょう。
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この回答へのお礼

>本質的なことを忘れていませんか。

本質的なことを問題にする前に、新興宗教の中には、少数の欲望を満たすために半私物化されている団体もあるということです。
そのような団体に対しては、本質的なことを論議しても意味を持たないでしょう。
新興宗教を見ていく時には、そういった私物化された団体であるかないかを見極める視点が必要でしょう。
貴方のおっしゃるように、「異質なのは当然」という視点では、あらゆるカルトが正当化されてしまわないですか?

お礼日時:2003/05/26 00:17

なんらかの常識逸脱があるからこそ、そのような報道や解釈をされてしまうのではないでしょうか?

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この回答へのお礼

やはり、そう考えるのが妥当ですかね。

お礼日時:2003/05/25 23:08

2000年前,キリスト教もイスラム教も仏教も新興宗教でした。


そして,時の支配者に弾圧されてきたのですネ。
宗教団体という限られた組織の中でのみ成立する「常識」も沢山あるわけで,その「常識」が社会常識と相反することは珍しくありませんからネ。
それでも生き残る団体は生き残り,消滅するものは消滅するということなんですネ。
また,現実に新興宗教団体の中には霊感商法をはじめとする不法行為を重要な資金源としているところもありますし,批判の対象となるのも当然という場合もありますネ。
以上kawakawaでした
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なんという団体のことかこの質問ではわかりませんが、「平和的」「世界的規模で発展」「新興宗教」をキーワードにするとおよその見当はつきます。

見当をつけた団体だとすると、その構成員の方々はおおむね真面目で、個人的には「いい人」で、中流以下の階層に属する方で「社会的弱者」の方が多いような気がいたします。その方々の一部がしつこい勧誘や脱退者に対する嫌がらせ、選挙時における違法行為(公営ポスターの破損、発行所を隠した事実無根内容のビラ配布、演説の妨害、相手候補を口汚くののしる等々)があったりします。宗教(特に新興宗教)は排他的なところがありますが、それが政治に対する影響力を持つとなると一種の「危険な匂い」を感じる人々が日本では多いと思います。こういったことがあなたの言われる「偏見」をよぶことになっていると思います。
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この回答へのお礼

>一種の「危険な匂い」を感じる人々が日本では多いと思います。

ようするに、本能的に危険なものをかぎ分けているってことですかね。
そういうのって、意外に的を得ていることが多そうですね。

お礼日時:2003/05/25 23:34

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