プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

いつもパワフルでポジティブで何事もハイスピードで
前に進んでいける人、一生懸命に何かに打ち込んでいて
いつも忙しい人ってキラキラしていて魅力的だと思います。

けれど、自分はエネルギッシュでもなく、何かに打ち込んでる
わけでもなく、辛いことが続いて心の病にかかったり落ち込み
やすくなったりして、自分はダメな不運な人間になってしまったと
思いました。

私は前向きに走り努力していかなければ輝くことはできない、
世の中から相手にされないと教えられて育ちました。親は
何をやらせても一流なエリート人間で、いつもエネルギッシュに
明るく生きていて、とても努力家でした。
けれど私は走り続けて壊れ、もうそういう走り続ける生き方は
嫌になってしまいました。親族や回りからは
「がんばれないダメな人」「レベルの低い人間になった」と
思われているし、自分でもそう思っています。


私よりもずっと辛いこと苦しいことを経験して、心の病や
深い心の傷を背負ってきた人と出会って、
考え方が変わってきました。なんとなく陰があるけれど
基本的に明るくてポジティブで、辛いことも、克服してきた
ことも、ほとんど人に言わないようです。
容姿も綺麗なのですが、なんとなく、その人の
存在や雰囲気そのものが美しく、魅力的なのです。
キラキラまぶしく光り輝いている、という感じではないのですが、
なんだか
静かな明るさのある雰囲気をもっていて素敵なのです。
明るいけど陰がある、親しみやすいけれど近寄りにくい、という
感じがします。

こうした人の美しい雰囲気や魅力は、どこからくるのでしょうか。
特別頑張っているわけではないのに、心の病や暗いことも
抱えていたのに、エネルギッシュに走るわけでもないのに。


私は、もうエネルギッシュに勝ち続け、努力し続けないと
評価されない環境では生きていけなくなってしまいました。
そうした環境から離脱せざるを得なくなりました。

その人のように、自然体に生きていて、
なぜか、輝いている人になりたいのです。
どうしたらそのようになれるのでしょうか。

人間のレベルって一体何を基準にしているのでしょうか。
ポジティブに走れて生きれる人間は、誰からも好かれるし、
レベルが高いですよね?
そうなれない人間は価値が低いから世間から
相手にしてもらえないのでしょうか。

実際、暗くて不運続きで腐ってしまっている人間
(私も含みます)もいますよね。
そうした人たちと、上記に挙げた素敵な人とは、
一体なにが違うのでしょうか。



とりとめのない文章になってしまってすみません。
読んでくださってありがとうございます。

A 回答 (8件)

はっきりいって常に走り続けている人って、そんなにいるんでしょうか?


どんなものでも適度な休息は必要ですよ。エネルギーを出した後は充電が必要です。また逆に常に走り続けているように見える人だって適度に流したり手を抜いたりしているものです。そこで手を抜いているように見せない術を知っているのですよ。また、全力を出すべきところと手を抜いてもいいところを経験的に知っているともいえます。
仕事であろうと何であろうと、7割くらいのできであれば成功なんですよ。常に100点を取る必要はありません。プロ野球選手だって3割打てれば、すごいといわれますよね。他の7割は凡退でも。世の中そんなものです。

思考だって、ネガティブな気持ちを持ったことがない人なんて僕は逆に信用しないですね。

だって、嫌なことがあれば凹んだり落ち込んだりするのって当たり前のことじゃない?嫌なことへこむような出来事があれば落ち込めばいい。落ち込んで落ち込んでどん底になっていけばそのうち落ち込んでいることが馬鹿らしくなってくる。このときにポジティブな考えを持ってがんばっていけばいい。変に落ち込む気持ちを抑える必要なんてさらさなない。
僕は、よく受験に失敗した受験生に「落ち込むなよ」なんていっている人がいるけど、そんな言い方ないよなと思う。受験に失敗したんだもん。落ち込んで当然じゃないか。ここで落ち込む気持ちがなかったら、受験に対する気持ちなんてその程度だったのかと逆に思ってしまいます。ここで、ネガティブな気持ちに向き合わないと常にもやがかかった状態になるし、自分に嘘をついていることになる。

いやなこがあれば、落ち込めばいいし凹めばいい。そうすればまた前向きになれるときがくるとそう思う。

と僕は思う。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、回答を読んでいて
励まされました。
落ち込むときは落ち込んでいていいんだと思うほうが気が
楽になります。

お礼日時:2010/02/06 17:13

まず主体的になることです。


今あなたの人生は完全にあなたの手から離れ、
他人の影響に支配されていると思います。
輝いている人たちは、他人に良い影響を及ぼし、
他人からの悪い影響に支配されません。
周りの不安材料(エネルギッシュな両親や輝いている知り合いの方など)のことばかり考えて、
自分の負の感情をあおっているように思います。
人間は一旦挫折すると、頭では輝きたい、と思いながら
また失速するのが怖くてしかたないんだと思います。
なので無意識のうちに思いとは裏腹に
二度と自分のエネルギーが復活できないように
どんどん傷をえぐって心を閉ざしてしまいます。
周りにどんなにすごい人がいようと、
自分を褒めたり、将来に期待したりしていいのです。
自分を認めることで自分を甘やかしてかえって駄目になる、
と思うかもしれませんがそれは違うと思います。
自分を大事にすることで、恐怖心が薄れ、
世界に対して心を開かれいきます。
他人の評価を通して世界とつながるのではなく、
自分自身がダイレクトに世界とつながったとき、
自然に「生きているっていいなーー」と思え、
輝きはじめるのではないでしょうか。
まず、気分が輝くことからはじめてみればいいのではないでしょうか。
人生は自分が見ている世界でしかないので、
自分の気分が輝いていれば、どんな状況であれ楽しくなると思います。
参考までに。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>人生は自分が見ている世界でしかないので、
自分の気分が輝いていれば、どんな状況であれ楽しくなると思います。

印象的な言葉でした。とても参考になりました。

お礼日時:2010/02/06 17:23

確かに、自分の視点から見て「輝いている人」に憧れてしまいますよね。



でも、良く考えてみて下さい。
その人には絶対になれないし、あなたらしい生き方をすればいいんです。
他人になろうとするから疲れるだけなのです。

エネルギッシュでなくてもあなたにしか出来ない事もあるはず。
それに自分のいい所と悪い所両方受け入れて褒めてあげてはどうでしょう?
「自分はこんな所が長所でこんな所が短所、でもそれが好き」
って声に出してみるとか。

価値の無い人なんていないと思いますよ。
人にレベルなんてものも無いと思います。
その出会った方は自分の全てを受け入れて、自分らしく生きてるから輝いて見えるのかもしれません。
どうかその人との絆を大切にして欲しいです。
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この回答へのお礼

>その出会った方は自分の全てを受け入れて、自分らしく生きてるから輝いて見えるのかもしれません。
本当にそのとおりだと感じました。
私は、頭ではこのことがわかります。
けど、心がまだついていっていません。
自分の固まった価値観を変えていきたいです。

お礼日時:2010/02/06 17:21

僕は、人間をレベルで評価するっていう考え方が嫌いです。


人間は「個」っていうものを持っていて、何か尺度で測ろうとしてしまえば、その人を捉え切ることはできません。
それでも僕がこうなりたいって思うような人はあなたと一緒で、何でも前向きになれる人です。一番を目指すだけが能じゃないってわかっている人。そしてそれでも自分が満足できる最大レベルを目指すことの出来る人。

自己満足なんだと思いますね。根本にあるのは。自分が満足で幸せな生き方をするのがいい、そう思えたら、千倍楽しくいきられると思います。

暗いことがあっても前を向けるのは、悲劇は一面には喜劇的な性質を持っているから。その喜劇に目をむけることが出来れば、悲劇はただの悲劇ではなくなるんですよね。
その喜劇に目をむけるためには、そういう目線を持ってる人に近づくのが良いですけど、これが誰がそういう目を持ってるのかってなかなか分からないんですよね 笑

昔あんまりいい思い出のない人は、たぶんそういう目の向け方が上手なんじゃないですかね。面白さを見つける見つけ方とか。
それから、へこまされることが多くて、意外と心って折れないんだ・辛い思いってしたって全然心臓の脈動は変わらないんだ、どうって事ないんだって、そういうことに気づいてるんじゃないですかね。
そういう強さが、きっとそういう人の支えになってるんだと思います。
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この回答へのお礼

悲劇は喜劇的な性質をもっているのですか。
視点の向け方が上手いのでしょうか。
参考になりました、ありがとうございます。
自分が満足できる生き方を目指せるように
なりたいと思います。

お礼日時:2010/02/06 17:19

模範解答にはならないかも知れませんが・・・



私も昔は、エネルギッシュでバリバリしている人が憧れで目標でした。
元々バイタリティのない方で、それが故に最後の最後で自分も「頑張れてない」思いにつながったり、
また馬力のある人に負けることもあったりしたためだと思います。

でも、ある頃からふっきれました。
一つのきっかけではありませんが、自分のペースでやって来ても
がむしゃらな頑張りじゃないので自然な自分の感性や
持ち前の視点がとても評価して貰えたり、
成果が出始めたことも関係あったかと思います。

こういうことってがむしゃらな努力で得たものではないですよね。
逆に、パワーや根性で一番のみを目指す視点では得られなかった
自由な視点や、冷静で合理的、かつ客観的な視点が役立つことも
実社会や仕事の面では多いのだと、年齢を重ねて気付かされました。

またがむしゃらや、努力、苦労、頑張りをよしとする努力主義は
もう古いということにもすぐに気付きました。
古い人たちは今も気付かず、成果も出ない無駄な努力主義、頑張ったもの、うまくいなくてもいいわよねえ!とやっているかも知れませんね。

ただですね、
苦労したから素敵に見えると言うのは、あなたのみの思い込みでもあると思うのです。
何故かというと、当のご本人がそれを「苦労」とは思っていない可能性も往々にしてあるからです。そんな人に「苦労したのに乗り越えてすごい」と評価するのはピントはずれではないでしょうか。
周囲から強要された突っ走る努力主義とそれに加えた成果主義に疲れたあなたが、
また違う「努力主義(不幸を乗り越えようと努力した人)」の罠に陥ろうとしているだけではないでしょうか。
(横ですが、何となく陰がある人は、私は本当はその人はまだムリを抱えたまま解決しきれていないのではないかと思います。)

素直に、頑張りきった人を美しい、すごい、輝いていると思うのであればいいのですが・・・・。
それはあなたがそうありたい、苦労を乗り越えた人間に価値があるのだと今も思っている鏡なのだと思います。

私は、年のせいか(笑)頑張りすぎている人には偉さや凄さより、その痛々しさが目につき辛いなあ、と感じるようになりました。
何かを辛い、こんなんじゃない、自分は本当はこれをやりたくないんだ、と心が叫んでいるように見えるからです。
仕事も、あとは美容面ですね。
私はすごく磨いているのよ、努力しているよーーー!と自己主張している美しさは、心に余裕があり優しさにあふれた人の、内面からにじみ出る美しさには全く叶いません。
必死は美しくないのです。頑張る女性は美しいですが、血走った眼は美しくないのです。

話がそれましたが、成功したスポーツ選手はよく言います。
「努力とか、苦労とは全く思ったことはありません」
たぶん、その人にとっては文字どおり本当なのではないかと思うのです。
その人にとってはトレーニングもひたすらやりがいがあって、心から自分が楽しくやりたいことであっただけなのではないでしょうか。

だからその人は、痛々しくもなく、悲壮でもなく、暗さもなく、
どこから見ても心からの素晴らしい光に満ちて見えるのではないでしょうか。

そんな人をうわーいいなああ・・・と見てニヤニヤするだけの人間ですけど、良かったらお聞きのがしください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
たしかに努力努力ーー!!って感じの人はなんか嫌ですよね。
でもそうしないとまわりに見捨てられてしまう、という
恐怖感があります。
>周囲から強要された突っ走る努力主義とそれに加えた成果主義に疲れたあなたが、
また違う「努力主義(不幸を乗り越えようと努力した人)」の罠に陥ろうとしているだけではないでしょうか。
多分そうなのだと思います。違った形で私はまた努力至上主義に
とらわれているのかもしれません。

お礼日時:2010/02/06 17:16

>そうした人たちと、上記に挙げた素敵な人とは、


一体なにが違うのでしょうか。


ちょっと他人のことを褒めすぎのような気もしますが
理解はできます……日常の中で輝いている人はたしかにいます
そういう人は、心が豊かなのだと思います
ととえば貧乏であっても苦労を背負っていても、
その苦労さえも、自分の羽衣として美しさのエネルギーに変えることのできる人
ひとことでいえば「酔える人」「いける人」という人ですね
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この回答へのお礼

心が豊かなのですね。
自分もそうなりたいです。
参考になりました。

お礼日時:2010/02/06 17:10

そんな事を気にすることが問題でしょうね


普通の人でよいのでは 自分にやれることしかしないことです
それでも何の問題も起きません 人は一人一人違うのです
他人を見てそのようになりたいと思うことはかまいませんが
それで自分はその人より不幸と思わないことです
世間から相手にされないことは普通です
それは異常では有りません
見た目に素敵でも事実はわかりません
一度哲学を学ばれることをおすすめします
世間から排除されることはどういう事か解ります
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2010/02/03 20:37

みんなしたくて辛いこと苦しいことを経験して、心の病や


深い心の傷を背負ってきたわけではないし
だから親御さんは自分の持つべき最大限の
エネルギーを使うことで努力してきたのでは?
この静かな人が静かであることに最大限の努力を
してないなんてわからないですよ。 

ネガティブになったら
まず自分は何ができるのか?
を考えてみるといいですよ。

どこが違うのか等は
別の方から教えてもらうといいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
見えないところで努力しているかもしれませんね、
私にはわからないだけで。

お礼日時:2010/02/03 20:24

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