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いまよりずっとルビ(ふりがな)をつくる技術がむずかしくて、めんどくさかったはずなのに、
なぜ殆どの明治の新聞にはルビがふってあるのでしょうか。
世間でそれが通例だったから以外に理由があるのでしょうか?。
(行政指導とか?)

A 回答 (6件)

 明治中期に大人気だった「万朝報」の場合は、総ルビだったはず。

sukemasaさんの仰るように、ルビを振ることで漢字の読めない人でも新聞を読めるように主筆の黒岩涙香が図ったと記憶しています。万朝報の主張は、社会主義的性格を帯びていましたので、新聞の主張の展開には字の読めない労働者層を啓蒙することが必要だったことでしょう。この総ルビは衝撃的だったようです。
 陸実が主筆の「日本」は、ルビが少なかったように思います。ルビが必要なのは、当時の知識層は西洋語の概念を漢語を用いて翻訳しましたから、政論新聞とはいえ読者にとって不慣れな用語がたくさん新聞紙面に登場した。人名、地名も漢字で音を表した。そのことも一因でしょう。
 技術的には浄瑠璃本や漢文の読み下しの点や傍点は江戸時代にもあるので、難しくなかったと思います。ただし印刷工はたいへんだったことでしょう。
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傍訓ということもありましょうが,やはり最大の理由は識字率であろうと思います。


義務教育が4年ないし6年しかなく,それさえ十分に通えないような家庭も少なからずあった一方で,口語体が未成熟の当時は新聞の記事は主として文語体で書かれ,難しい漢語も多かったわけですから,内容を読んで理解してもらう上でルビの重要性は今よりもずっと高かったのでしょう。
行政指導ということはなさそうな気がします。昔は新聞紙法など出版関係の(言論を統制するための)法律がいろいろとあって,図書には奥付を必ず付けろとか,そこには何を書けとか,事細かに定められていましたが,ふりがなについては見た覚えがありませんので,少なくとも法的な義務ではなかったと思います。

そういえば,harutaさんの回答で思い出したのですが,黙読する習慣がこれだけ普及したのは戦後の日本人の国語力が大きく伸びたことを示している,みたいな文章をどこかで読んだことがあります。丸谷才一さんだったかもしれません。
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ルビをつけていた理由はよくわからないのですが、当時は新聞などを「音読」することが多かったようです。

そのようなことが理解できる資料(当時のイラストなど)もあったと思います。新聞の話題からは離れてしまいますが、当時の文学の中には七五調のように声に出すと小気味よく聞こえるような文章も多く、「音読」の文化を知る手がかりと受け取れると思います。
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ルビを振るのは、皇帝を「てんし」と振ってあったり、政府を「おかみ」、帽子を「かむりもの」と読ませているところです。

これは、『傍訓』と呼ばれるものらしいです。ルビが単に漢字の読み方、発音を示すだけなのに対し、『傍訓』は漢語の意味するところを当時の話し言葉にできるだけ近づけて注記するものであるようです。

 
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ルビについての面白いHPを見つけました。



語源、目的、効用、使用法など書いてあります。

ルビの主目的は「漢字にカナをつけることでなく、カナに漢字を付けることである。」という件には感心しました。

http://www4.justnet.ne.jp/~greentree/CODERUBY.HTM

参考URL:http://www4.justnet.ne.jp/~greentree/CODERUBY.HTM
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当時はまだ漢字の識字率が低かったからでは?

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