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地球は 動物は なぜ誕生したのですか?

すべてのことには理由がある

気がするのですが であれば なぜ 地球があって 人が 誕生したのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

赤ちゃんが誕生する時のことを考えてみましょう。


その諸々の準備において、赤ちゃんが誕生してから準備を始める親はいません。
赤ちゃんが生まれる前から諸々の準備をして万全を期すのが一般的な親のありかたですね。
赤ちゃんが生まれた時に、赤ちゃんにとってのあらゆる面から考えて最適な環境を準備するのが親というものです。室内温度、柔らかい毛布、快適な肌着、気持ち良いお湯の温度、体に優しくて美味しいミルク、好奇心を満たすおもちゃ、24時間見守る母親の体制etc.etc.
全てが、赤ちゃんのためにシフトされた環境を作ろうとするのです。
人間も同じでありましょう。
人間が始めにありきなのです。
人間が生きる上で、最適な環境を逆算して創造されていることがわかります。
ありとあらゆる諸要素や諸環境がありますが、全ては人間という存在を前提にして、造られていることがわかります。例えば、肺は空気を前提にした構造に作られていますし、空気もまた肺を前提にして造られています。惑星間の距離一つあるいは、軌道一つ狂っただけでも、今のような生物が生きるための空気は存在し得ません。よって地球の大気を前提にして、天体全体の存在様相や配置が決められているのです。
惑星地球が誕生するには、銀河が形成されなければならなかった。銀河が形成されるには、150~200億年前に遡って、ビッグバンがなければならなかった。大爆発が起こり、膨張を始め、やがて渦を巻いている熱いガスが冷えて凝縮し、銀河系が誕生したのである。
この宇宙発展において、比較的短時間の過程では、物理化学的法則の作用しか見えないのであるが、
しかし数十億年という長い期間から見れば、物理化学的法則に従いながらも、宇宙は一定の方向に向かって進んでいたことがわかりますね。
すなわち宇宙の発展には目標があったというわけです。
目標とは、宇宙の主人公たる人間、そして人間の生活環境としての天体を造るということになりましょう。
宇宙意志=神は、宇宙の創造に際して、一番最後に造るべき人間を一番はじめに考えられたのです。
すなわち、人間を標本として万物を考えられたということです。
人間という明確な青写真が神の頭の中にあり、人間の構想を標本として動物を考え、次に動物の構想を標本として植物を考え、さらに植物の構想を標本として鉱物を考えられたと思われる。
つまり、構想(イメージ=青写真=設計図)においては、人間、動物、植物、天体と鉱物、というように下向式に考えられたのだと思います。
ところが実際にこの世界を造る順序はその逆であったわけです。すなわち、鉱物と天体、植物、動物、人間の順序で上向式に造られたのです。
最初の人間(=人間始祖)の具体的な姿(抽象的ではない)を心に描かれ、次に人間から一定の性質と要素を捨象し、変形しながら、いろいろな動物を考えられたわけです。
そして、動物から一定の性質と要素を捨象し、変形しながら、いろいろな植物を考えられたのです。
さらに植物から一定の性質と要素を捨象変形しながら、いろいろな天体と鉱物を考えたのです。
その時、動物の中においても、高級なものから始まって、それから一定の性質と要素を捨象変形しながら、次第に低級な動物を考えられた(植物も同様)のは言うまでもありません。
したがって、高度なチンパンジーから低度な鉱物に至るまでの全階層は、人間と相似していないものは一つもないのです。
例えば、人間と地球を比べてみれば、地球も人体構造の表示体であることがわかるのです。
地球には植物で覆われた地殻があり、地層の中には地下泉があって、その下に岩層に覆われた溶岩層があるが、これは、ちょうど、産毛で覆われた皮膚があって、筋肉の中には血管があり、その下には骨格と、骨格に覆われた骨髄がある人間の構造とよく似ている。
海と大陸の比率も人間の水分の比率に近似しています。それだけでなく、海水の成分の構成比率までもが血液のそれと近似しているのである。
似るとは何か?似ることが人間の喜びの大前提なのです。
人間を標本にして造られた全存在階層は、低秩序~高秩序まで、全てが人間の喜びの対象として造られているというわけです。
鉱物にも人間の要素が、植物にも人間の要素や作用が、動物にも人間の要素や本能があるからです。
人間の親が自分の産んだ子供を見た時、他人から「まあ、お父さんに似てますね」とか「お母さんに似てますね」と言われる時、無情の喜びが湧き上がるのである。
親にとっての子供、作家にとっての小説(=作品は第二の自己)、人間にとっての動物etc.
似る=喜びなのです。
動物や地球や宇宙は、人間が見て聞いて、触って感じるための博物館(喜びの対象)なのです。
赤ちゃんにとってのおもちゃのように!!
人間を喜ばせたい神の思いが込められているのです
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地球が偶々生命を発生させ育める環境だったからではないでしょうか。

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自然の成り行き


理由や意味などない
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 回答No.6で使った‘無機質、有機質’を‘無機物、有機物’と替えた方が良いかも。


 早合点で安易に使ったため、今頃になって‘無機物、有機物’って何?なんてwikiで調べたりしています。(私のおっちょこちょいぶりはこれで何度目になるんでしょうね)

 なぜ生命が誕生したか、という理由に私は“物事の二面性”という観点から考えてみたのですが、紙の表と裏、磁石のSとN、また物質と精神と言った事柄は、‘表裏一体’あるいは‘表裏一体的’という捉え方ができる、と云えるかと思います。

 しかし、無機物と有機物の関係は‘表裏一体的’とは云えないようで。
 量的に推測しても、宇宙は圧倒的に無機物の世界だと思えるし、地球だって生命はその表面をわずかに覆っているに過ぎず、大部分は無機物かと思います。

 と、こんなことを考えていたら、‘物質と精神’についても‘表裏一体的’とは云えないのでは、と気付きました。

 この大きな宇宙を“精神”と受け止めてみれば、この宇宙に存在する“物質”の量なんてホンのわずかな量でしかないのではないかと。

 と云うことになれば、無機物と有機物の関係を「例えとして」使ったこともあながち不適当ではないような・・・・・・。

 
 
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地球の存在理由…私たち人間をのせるため


人の存在理由 …私たちが助け合うため

地球はなぜ生まれたのか… 引力同士hが引きあって宇宙塵がまとまったのでしょう。
ひとはなぜ生まれたのか…  ひとの先祖(ひとではない)がいたからでしょう。
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最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に


よって生じています。
自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが宇宙。
(無の無限の闇に対する自我の射影)
全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)
補完なのです。
(詳しくは過去回答をご参照下さい↓)
http://okwave.jp/qa/q5822817.html
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 理由、わけ。


 物事の捉え方の一例として。
 “二面性”ということに着目して見ました。

 たとえば、紙。表と裏。
 表は裏があるから、裏は表があるから。

 その伝(やり方、方法)で行けば、
 男と女、磁石のSとN、物質と精神、精神世界では善と悪とか。

 また、相対性といった点も二面性と共通するような。
 大小、軽重、高低、強弱など。

 ということからこの世の存在は二面性を持たざるをえない。

 ゆえに、
 無機質があるということは有機質もあることが必然と思え、それゆえ、生命というものが在る。

 なんてことを考えてみました。

 結論。

 この世の存在は、二面性あるがゆえ。
 
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神が多様性を求めて創造したからです。



ダーウィンの進化論はでたらめね。
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もし誰かに直接私に問われたら、


「私が産まれて来る為によ?」
と答えます(笑)
そこを踏まえてですが、
「あなたが産まれて来る為よ。」
です。
だから有り難いのです。
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彼がアメリカに移住したのには理由がある。


という時の「理由がある」は言いかえれば「目的がある」ということですよね。
この意味で解釈すると、答えは、理由はない=目的はない、が正しいと思います。

あのビルが倒壊したのには理由がある。
という時の「理由がある」は言いかえれば「原因がある」ということですよね。
この意味で解釈すると、たしかに理由がある=原因があると思います。

その原因は、物理化学的な因果律とあるとき偶然起きた環境だと思います。
これは浅学非才な拙者には一言で解説できるようなものでなく、複雑系です。

哲学的な疑問として、物理化学的な因果律とあるとき偶然起きた環境だけなのか、それともなにかあずかり知らぬ者の意思があったのか、が残ります。
私は「あずかり知らぬ者の意思」なるものを見た事が無いし、理解できない事は信じないタイプなので、それは無かったと思っています。

ここは「そうは思わない」人がたくさんいて「神が6日間で天地創造した」なぜか「週休一日で七日目はちゃんと休日にした」というストーリーが真相だと考える(信じる)人も多いようです。
2006年にアメリカで実施した調査によれば、31%のアメリカ人が聖書に書いてあることは一語一句が真実であると信じており、その方々によれば、6日間で総ての動物が作られたので、6500万年前の恐竜たちと同じ時期に人間も存在したと信じているそうです。

私たちには、分からない事を分からないと認める態度が必要で、だからこそ分からない事を少しでも減らし、自然界をより良く理解するために物理や化学や生物や天文学の研究が必要なんだと思います。

私たちが生きている時間は限られているので、生きているうちに分かりたいという願望は強いのですが、やはり分からないものは分からないという態度を貫かなければならないと思います。

自然界(人間を含む)に対するこの疑問に限っては、は哲学はあまり役に立たないような気がします。

お答えになっていないかと存じますが、私見を申し上げました。
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