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両立は難しい?

(そもそも「マジメ(真面目)」とは・・・)

A 回答 (11件中1~10件)

「真面目(マジメ)」というのは何に対して真面目かという違いがあります



上司の命令に対して真面目か、親の思い、教えに対して真面目か、人の道、真人間として真面目か

哲学する事について真面目か。

上司の命令に忠実でないと上司から睨まれ 仕事を辞めて失業者になったり鬱病になったりするかもしれません

しかし上司が「ガラスも燃えるゴミに混ぜて出せ」と言った時、人の道に対して真面目な人は真面目の両立さえ出来なくなるかもしれません。

哲学することに対して真面目だったら、親の教えも疑わなければなりません。

クソ真面目と言われてバカにされるかもしれません。生きていけないかもしれません。戦後の闇市とか。

何に対して一番真面目かというという事がポイントです。


それに対して「正直」と言うのは素直で偽りのないことですから。

真実一路ではありませんが 人の道を飽くまで真面目に求道しながら 素直で偽りがないという事は

結構難しいでしょうけど可能だと思います。 

完全な人間はいませんが、仏陀、イエス、ガンジー、マザーテレサ級の聖人は

人の道に対して真面目で正直だったと言って良いと思います。

信念の人という人はいるものです。宗教家でも文学作家でも哲学者で言えば多いですねえ

カントとかソクラテスとかアリストテレスとか 本人でも分からないかもしれませんが居たと思います。


確かに正直に生きることは至難の業です。政治家や経営者では難しいでしょう。

でも正直な人はいます。バカ正直な人もいます。生きていけるかどうかも難しいかもです。

クリナルさんの質問がシンプルで意味深なので僕の解釈で行けば

人の道に対して真面目に求道しながらそれを貫く人はいるでしょう。そして更にその上に偽りのない素直な人もいるでしょう。

この度ノーベル平和賞を受賞したお二方。マララさんとかもその一人だと思います。

完全ではあり得ませんが マジメで正直な人と言っていいでしょう。

従って質問通り 難しいです。

ですが 不真面目で正直とか マジメで嘘つきとか言う人も傾向として不自然です。矛盾を抱えて生きているでしょう。

まあ概して私達の様な凡人はマジメで在ろうとして力尽き 正直であろうとして程々に 方便とか言って

まあ何とかかんとか生きてるのが精一杯だと自分に言い訳するわけでしょう。


解答:難しい。が 可能。

この回答への補足

あれ?結局、
Ano.4様に頂いたご回答の内容に近いと思われるところとなりました。

「正直であるのは難しい」
・・・いや、「「正直で有ること」が難しい」

補足日時:2015/01/03 20:18
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この回答へのお礼

yuniko99様、ご回答ありがとうございます。


>「「真面目(マジメ)」というのは何に対して真面目かという違いがあります
上司の命令に対して真面目か、親の思い、教えに対して真面目か、人の道、真人間として真面目か
哲学する事について真面目か。

上司の命令に忠実でないと上司から睨まれ 仕事を辞めて失業者になったり鬱病になったりするかもしれません
しかし上司が「ガラスも燃えるゴミに混ぜて出せ」と言った時、人の道に対して真面目な人は真面目の両立さえ出来なくなるかもしれません。

哲学することに対して真面目だったら、親の教えも疑わなければなりません。

クソ真面目と言われてバカにされるかもしれません。生きていけないかもしれません。戦後の闇市とか。

何に対して一番真面目かというという事がポイントです。」

なるほど、なるほど。
なかなか、辛いこともあるかもしれません。
「過不足無く、オールラウンドであること」を目指す戦後教育において、
「本当に、真面目にやって、その結果なのか?」と言われてしまうことから、
自分を守るために、「真面目なのは、カッコ悪い」という考え方を生み出したのでしょうか。

しかし、人間が本当にツボに嵌まった時に見せる表情は、やはりイキイキとしているようです。


>「それに対して「正直」と言うのは素直で偽りのないことですから。
真実一路ではありませんが 人の道を飽くまで真面目に求道しながら 素直で偽りがないという事は
結構難しいでしょうけど可能だと思います。 

完全な人間はいませんが、仏陀、イエス、ガンジー、マザーテレサ級の聖人は
人の道に対して真面目で正直だったと言って良いと思います。
信念の人という人はいるものです。宗教家でも文学作家でも哲学者で言えば多いですねえ

カントとかソクラテスとかアリストテレスとか 本人でも分からないかもしれませんが居たと思います。」

何処までも正直、では、多分、それこそ出家!(笑)でもして、社会から隔絶して生きるよりない、というようなことにもなりかねないと思いますから、それぞれに「歯止め」を設けていたのではないかと思います。



>「確かに正直に生きることは至難の業です。政治家や経営者では難しいでしょう。」

なるほど。


>「でも正直な人はいます。バカ正直な人もいます。生きていけるかどうかも難しいかもです。
クリナルさんの質問がシンプルで意味深なので僕の解釈で行けば
人の道に対して真面目に求道しながらそれを貫く人はいるでしょう。そして更にその上に偽りのない素直な人もいるでしょう。

この度ノーベル平和賞を受賞したお二方。マララさんとかもその一人だと思います。
完全ではあり得ませんが マジメで正直な人と言っていいでしょう。」

そうなんですか。


>「従って質問通り 難しいです。
ですが 不真面目で正直とか マジメで嘘つきとか言う人も傾向として不自然です。矛盾を抱えて生きているでしょう。」

ご回答を頂いているので当たり前ですが、勉強になります。



>「まあ概して私達の様な凡人はマジメで在ろうとして力尽き 正直であろうとして程々に 方便とか言って
まあ何とかかんとか生きてるのが精一杯だと自分に言い訳するわけでしょう。

解答:難しい。が 可能。」

ご回答から私が把握し得た内容からすると、「真面目」については、とにかく精一杯やっていればいいわけですから、そんなに難しいとは思いませんでした。しかし「正直」については、相当難しいように感じました。Ano.9様へのお礼に書いたのですが、近代(刑)法は、「刑罰の予告によって、犯罪の発生を抑止する」という一面があり、そうした(社会的)制裁?の存在によって、つまりそこに「葛藤」が生じてしまう、というわけですね。

お礼日時:2015/01/03 20:00

>「戦うより解放はもっと冒険」


『指輪物語』などを見ると、戦った、後に解放がある、ようですが。
「純潔に誘惑される」は、ちょっと判りません。

戦いの後の惨状を見て何の落ち度もない勇敢な若い命は気の毒で、
残された者に気力溢れる者も利口な者も居らず、陽気な者は疎まれるに至る。
とかになると冒険とか勇気で正義に打ち震えた純粋さは
結局「無意味」に。

無意味な純粋も語り継がれていけば長期的には無駄でないかもしれない。
影響を及ぼされた人が「生き甲斐」を見つけてしまい無駄生き?であっても
当人には自由と呼べるものに昇華させるかもしれないから。

誘惑に乗るのは不謹慎なこと、これまでの努力を無駄にすること
敗北者の烙印を押されること、堕落だということかもしれません。
けども無意味の相棒になろうとするのは
各人で見つけた正直さと真面目さがあってのことでしょう。
人は自分に無理なことは理解できないので狂人としてしまいますが。
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この回答へのお礼

miko-desi様、ご回答ありがとうございます。


>「誘惑に乗るのは不謹慎なこと、これまでの努力を無駄にすること
敗北者の烙印を押されること、堕落だということかもしれません。
けども無意味の相棒になろうとするのは
各人で見つけた正直さと真面目さがあってのことでしょう。
人は自分に無理なことは理解できないので狂人としてしまいますが。」

もう一度、前回、頂いたご回答を読み直し、
>「戦うより解放はもっと冒険で(純潔に)誘惑されてしまう
(白痴な)人がいる事実。」

そういうことでしたか。
ああ、これも最近新聞で「自由とは、「「やるべきでない事」が出来る」ということではない」
とか。
・・・ああ、例えば?時々、犬の散歩に「リード」を付けてない人が居て、大丈夫かな?と思ってしまうことがありますが、


>「人は自分に無理なことは理解できないので狂人としてしまいますが。」

厳しいご指摘です。


>「戦いの後の惨状を見て何の落ち度もない勇敢な若い命は気の毒で、
残された者に気力溢れる者も利口な者も居らず、陽気な者は疎まれるに至る。
とかになると冒険とか勇気で正義に打ち震えた純粋さは
結局「無意味」に。

無意味な純粋も語り継がれていけば長期的には無駄でないかもしれない。
影響を及ぼされた人が「生き甲斐」を見つけてしまい無駄生き?であっても
当人には自由と呼べるものに昇華させるかもしれないから。」

そうですねえ。
これも、最近聞いた話で、「1500回、失敗しても・・・」


(追伸)「「右肩上がり」という発想からは、「現状維持(達成)」は、それほど評価されないが、
「現状維持(の達成)」は、もっと評価されても良いのではないか」(・・・受け売りです)

お礼日時:2015/01/03 20:39

正直はそのまんま、感覚や感情を伝えること。


あなたが好き、あなたが嫌い、
お腹すいた、疲れた、面白い、退屈だとかって。

真面目は「意志すること」。
時には自分さえ裏切ります。
けれど非情になるのとは違いそれは情熱の表れで

恐怖を観照(かんしょう)する勇気です。

理不尽な相手に対して仇とばかりに同じ卑怯な手を使ったら
勇気を語ることも出来なくなる。
いくら苦しくても、正義を語るには
鬼神に屈しない純粋なココロで戦うしかない。

正直であっても戦時にほとんどの戦士は膝を屈して生きてる。
やり返されて文句が言えなくなるなら、初めから仕掛けたくないもの。

報復でなく「恩返し」は正直な気持ちの中に優しさが増したもの。
真面目であると愛憎や恐怖といったものが「狂人の定義」により
宥恕(ゆうじょ)と勇気の背後に隠れて幽霊を解放します。
幽霊と関係が結ばれることはありませんけど、
戦うより解放はもっと冒険で(純潔に)誘惑されてしまう
(白痴な)人がいる事実。

真面目だけがとりえだとしても勇気を持った正直で居れたら
感情に流されず自分自身と最短距離で結ばれるはずだから。
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この回答へのお礼

miko-desi様、ご回答ありがとうございます。


>「正直はそのまんま、感覚や感情を伝えること。
あなたが好き、あなたが嫌い、
お腹すいた、疲れた、面白い、退屈だとかって。

真面目は「意志すること」。
時には自分さえ裏切ります。
けれど非情になるのとは違いそれは情熱の表れで」

なるほど。
(「自由意志」については、ここでかつて教えて下さった方が居られました。)
「真面目」について、受身ではなく、より積極的なんですね。


>「恐怖を観照(かんしょう)する勇気です。

理不尽な相手に対して仇とばかりに同じ卑怯な手を使ったら
勇気を語ることも出来なくなる。
いくら苦しくても、正義を語るには
鬼神に屈しない純粋なココロで戦うしかない。

正直であっても戦時にほとんどの戦士は膝を屈して生きてる。
やり返されて文句が言えなくなるなら、初めから仕掛けたくないもの。

報復でなく「恩返し」は正直な気持ちの中に優しさが増したもの。」

そうですねえ。
(ハンムラビ法典)「目には、目を」
(キリスト)「右を打たれたら、左を」
「恩」も、返したくなるものでしょうか。
(近代(刑)法は、「1罰も無し」を目指していると思います)



>「真面目であると愛憎や恐怖といったものが「狂人の定義」により
宥恕(ゆうじょ)と勇気の背後に隠れて幽霊を解放します。
幽霊と関係が結ばれることはありませんけど、
戦うより解放はもっと冒険で(純潔に)誘惑されてしまう
(白痴な)人がいる事実。」

>「戦うより解放はもっと冒険」
『指輪物語』などを見ると、戦った、後に解放がある、ようですが。
「純潔に誘惑される」は、ちょっと判りません。


>「真面目だけがとりえだとしても勇気を持った正直で居れたら
感情に流されず自分自身と最短距離で結ばれるはずだから。」

「真面目だけがとりえ」・・・解釈によっては、勇気を持ち得るはずもないですし、正直なんて、とてもとても。
ああ、「より積極的に」真面目ということを捉えると、違うんですか。
(民主主義における真面目)

お礼日時:2015/01/02 14:50

判り易く説明してくれ?


実に無様な物乞いだ。
この犬。

社会的にまじめ。
自分に正直。
これは調和する。

君達はそうではない。
社会の奴隷。
自分自身への奴隷。
どっちにしろ奴隷だ。
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この回答へのお礼

Flareon様、ありがとうございます。

本年も、よろしくお願い申し上げます。


>「社会的にまじめ。
自分に正直。
これは調和する。」

相も変わらず、判り難いまま。


>「君達はそうではない。
社会の奴隷。
自分自身への奴隷。
どっちにしろ奴隷だ。」

「反語」でしたか。

お礼日時:2015/01/01 19:46

 対外的に誠実(まじめ)であることと対内的に誠実(正直)であることの両立についてだと思います。

「前者が行き過ぎると自分が息苦しい。後者が行き過ぎると他人に心無い。」そこに息苦しくも心無くもないバランスを維持しようとするには、少なくとも‘エネルギー‘が必要ですね。そのバランスが崩れると対外対内どちらかへの無茶になります。無茶によるひずみが蓄積すると攻撃的な暴発につながります。

 対象を大切に思う気持ちから誠実さ(誠意)は生まれ、誠実さ(誠意)は信頼関係の土台になります。社会的動物として欠くことができないのがこの信頼関係です。つまり、人間が社会的動物に過ぎない存在であることを意識すればするほど、信頼関係の土台にある誠意の大切さ、さらにはその対外対内のバランスの維持にエネルギーを使う意義も理解できると思います。

この回答への補足

おっと。


「誠実」については、不肖も、最近(ようやく、笑)注目させられましたところです。
(プライベートにおいて、ですけど)

【誠実】・・・「真心が、こもっていること」
「真心」ですよ。


現実的には、トラブルや面倒を避けるために「真心」なんてのは、深く秘匿、されてませんかね。

補足日時:2015/01/02 15:00
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この回答へのお礼

suzumenokox様、ご回答ありがとうございます。


「折衷案」ですか。
人権を侵害しないでね。

お礼日時:2015/01/01 19:11

規範に忠実なのが真面目だ。


自己に忠実なのが正直だ。
君達は知らないだろうが、自由とは社会と調和するのだよ。
そうなると両立できる。
私を見たまえ。
調和しているだろう。
君はそんなことすら知らない。
実感できていない。
その証拠は君達虫けらをキチンと足蹴にしていることで証明される。
君には神すらもあらぶれ、悪魔を差し向けるだろう。
私はそれを見定めているのだ。
お前が悪いんだ。
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この回答へのお礼

Flareon様、ご回答ありがとうございます。


>「規範に忠実なのが真面目だ。
自己に忠実なのが正直だ。
君達は知らないだろうが、自由とは社会と調和するのだよ。
そうなると両立できる。
私を見たまえ。
調和しているだろう。」

もう少し、判り易く、ご説明願えますか?




>「君はそんなことすら知らない。
実感できていない。
その証拠は君達虫けらをキチンと足蹴にしていることで証明される。」

・・・人権を侵害しないでね。



>「君には神すらもあらぶれ、悪魔を差し向けるだろう。
私はそれを見定めているのだ。
お前が悪いんだ。」

「魔女狩り」が、来ましたか。

お礼日時:2015/01/01 19:05

真面目というのは正直を含んだ自分の信念に関して(社会的な場合も含め)の誠実さですから、両立は可能でしょう。


でも厳密にはこの観念は完全に重なってはいませんし、両立出来ない場合も、相反する場合もままあると思います。

たとえば家族のことを思うあまりに正直に事実を言えない真面目な人間は存在します。ある意味真面目は正直の上位にあるやや複雑な思想だと言えますが、必ずしも真面目な方が正直よりも良いとは言えません。正直を尊重しながら、より広い視野に立って彼の思想としての真面目を選択する(この場合正直を捨てる)こともありうると思います。その思想によっては良い選択もあればそうでないばあいもあるでしょう。
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この回答へのお礼

kohichiro様、ご回答ありがとうございます。


>「両立は可能でしょう。
でも厳密にはこの観念は完全に重なってはいませんし、両立出来ない場合も、相反する場合もままあると思います。」




>「ある意味真面目は正直の上位にあるやや複雑な思想だと言えますが、必ずしも真面目な方が正直よりも良いとは言えません。」

BA候補とさせていただきます。

お礼日時:2014/12/31 16:55

>両立は難しい?



両立は難しくないけれど、そもそも「正直で有ること」が難しい。

一旦「正直で有ること」の能力を身につけたら、あとは真面目でも、不真面目でも正直で有り続けることができる。


正直で有り続けることが一番難しい。

この回答への補足

>「正直で有り続けることが一番難しい。」

「味噌借りる、塩借りるってのは、あったけどよ。米を借りるってのは、前代未聞だったよ」


・・・人権を侵害しないでね。

補足日時:2014/12/31 17:09
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この回答へのお礼

Mokuzo100nenn様。


「真面目」は、仮面ですか

「不真面目」も、ステレオタイプでは、可哀想です。




>「正直で有り続けることが一番難しい。」

・・・そろそろ、どうでしょうか?

お礼日時:2014/12/31 16:48

マジメは物事を直線的に捉える。


正直は物事をあるがままに捉える。

あなたは素晴らしい人間ですね。
マジメな人間は謙遜し、正直な人間は喜ぶ。

子供が飼っていた鳥が猫に食べられた。
マジメな人間は逃げていったと子供に伝え、
正直な人間は猫に食べられたと伝える。

マジメな人間ですね。
マジメな人間は謙遜し、正直な人間は喜ぶ。

苦しいのでお金を貸してください。
マジメな人間は事情を聞き、正直な人間は金を貸す。

正直な人間ですね。
マジメな人間は謙遜し、正直な人間は喜ぶ。


正直な人間は愚者のようで、マジメな人間に劣っているかに見える。
しかしマジメな人間には時折偽善の匂いを感じてしまう。

マジメな人間というのは、彼の価値観を土台とした
真っ直ぐな柱と共に生きている。
一方正直な人間というのは、彼自身が鏡となり
世の中を映し出している。

マジメな人間が『柱』にしがみつけば、彼は
形式的人間でしかなくなる。
正直な人間が『鏡』であることに満足すれば、
彼は主体的意志の欠如した人形となる。

マジメと正直が両立できるか?
当然可能だ。両者は背反するものではない。

ただひたすらに柱の表面を磨けばよい。
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この回答へのお礼

nolaneco様、ご回答ありがとうございます。


>「子供が飼っていた鳥が猫に食べられた。
マジメな人間は逃げていったと子供に伝え、
正直な人間は猫に食べられたと伝える。」

正直な人間が「食べられた」と伝えるのは、判ります。
マジメな人間が、事実と違うことを伝えるのは、何故?


>「正直な人間は愚者のようで、マジメな人間に劣っているかに見える。
しかしマジメな人間には時折偽善の匂いを感じてしまう。」

なるほど。





>「マジメな人間というのは、彼の価値観を土台とした
真っ直ぐな柱と共に生きている。」

そうなんですねー。

>「一方正直な人間というのは、彼自身が鏡となり
世の中を映し出している。」

ウソ、つけないんですねえ。




>「マジメと正直が両立できるか?
当然可能だ。両者は背反するものではない。

ただひたすらに柱の表面を磨けばよい。」

・・・「正直者が、馬鹿を見る」とは?

お礼日時:2014/12/31 16:29

正直と真面目は、内容が違いますので、両立はできると思います。


真面目は、応用のきかないタイプの様に思います。
横道にそれずに真直ぐに、教科書通りの生き方をする様な。
正直は、嘘のつけない人で、隠し事が出来ないので、良い事も悪い事もなんでも言ってしまうそうです。

言われた通りの事をやり、聞かれた事は何でも答えるのが、両立した「真面目と正直」でしょう。
が、そこに少しスパイス的に、多方向から客観的に見る自分がいると良いですね。

この回答への補足

♪「あーあ、恋のB級アクション」

補足日時:2014/12/31 22:15
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この回答へのお礼

jzajza様、ご回答ありがとうございます。


>「真面目は、応用のきかないタイプの様に思います。
横道にそれずに真直ぐに、教科書通りの生き方をする様な。」

>「正直は、嘘のつけない人で、隠し事が出来ないので、良い事も悪い事もなんでも言ってしまうそうです。」

ほほう。「なんでも言ってしまう」


♪「教科書通りのA級アクション、何故か気ままなB級アクション」

お礼日時:2014/12/31 16:12

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