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って言われるけど、神目線でいえばそれも含めて自然の流れの一部であって、破壊してるからいらないって言う考えは視野が狭いのでは?

って思ったんだけどどうなの?

A 回答 (17件中1~10件)

自然を破壊する一面もあるけれど、本気で守ろうと思えば他の生き物よりも知恵も手段もあるのも人間だから、どうするか、いつも神様に見守ら

れてるんじゃないかな…♪
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いいえ、神も一つの生き物でその生き物の最たるものでした。


遠い昔、神という超文明を持つ宇宙人が地球を訪れ、
天と地を分け、自然そして万物を創造し、
その頂点に人を創造したのです。
と誰かが言っていました。
そこであなたに言わせれば、
自然を破壊しているのではなく、
自然を変えているのでしょうね。

その意味では視野が狭いというのは
貴方を含めた人自身の事ではないでしょうか。
このまま自然を変えていけば、
やがて自然が人類に復讐するかもしれませんね。

要らないのではなく、それを阻止して
自然あるいは地球を守るのも
人ではありませんか。
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「人間は自然を破壊しているいらない生き物」


これを言う人達のほぼ全ての人が都市部で生活しています。
住むのは都市部でファッションとして自然保護を言うみたいな人が多いですね。
自然破壊云々を語りたいのであれば都市部での生活を捨てて自給自足生活でも経験してから語った方が良いのだろうと思います。
こういう人達が自然破壊の象徴のPCやスマホを使って情報発信するのは大いなる矛盾ですね。
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「人間は自然を破壊している」というのなら、


「自然を破壊していない生き物」は、存在するのでしょうか?

どのような、地球上の生き物も、生きるために「エネルギー」
を生産している。
家畜は、草を。動物は、肉や果実や植物を。
魚は、魚やプランクトンを。

それらが、「自然破壊」ではなくて、人間だけが
「自然破壊」をしているという論拠はなんだろうか?

キリスト教的に言えば、全知全能の「神」が、
人間を作ったのだから、「神」が失敗する訳が無い。
失敗なら、「神」は、全知全能ではなく、唯の
「詐欺師」ということになる。

だから、人間は、「いらない生き物である。」と
主張するのは、キリスト教の「神」を「詐欺師」と
言うのに等しい。

まあ、どうでもいい主張では有る。

そういう連中に限って、爆発的にCO2を排出する
牛のビフテキを食いながら、論じているのだろう。
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まぁ西洋的な神は人間以外は格下の生物なので何をやっても許してくださるでしょう

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視野が狭いどころか無知そのものだと思います



人と自然とも関係を考察してみましょう
 人と自然との関係は人間関係の世界で第一層の意味である。
人と自然との関係の状態が人間の生活世界の物質占有状態を決める。
人が人である大前提は自然に持ちえた肉体や生命で、
つまり生きていることである。
 人間は生きていくには、物質の力を占めて自分の基本的な生存を
満足させなければならない。
だから現実における人は、まず、相当する物質力を占める可能性を持つ必要があり、彼は自分のやり方により社会で生きることができる。
 人と自然との関係の視点から見れば、現代人は大気や水および土壌の汚染、気候異常、多発する災害など多くの環境問題と生態危機の世界的な難題に直面している。
 より重要なのは、現代人はすでに物質生活の便利さといかなる場合でも
たやすく物質を入手できることと、物質に頼りきることに慣れてしまったため、すでに存在している環境問題や生態危機を抑えることができなくなる。

更に深く考察してみましょう
 現代の科学文明は、自然と人間とを対立関係でとらえ、人間の利益のために自然を征服し、利用しようという発想をその底流にもっていたのではないでしょうか。その源流を最後に言います。
 そのため、元来肥沃であった地域のいくつかが、放牧や耕作や伐採などのやりすぎのために、不毛の砂漠に変わってしまったことは事実です
 当時のこうした人間による自然への侵害は、産業時代に入ってから人間が自然に対して行った所行の、不吉な前兆だったわけです。
 とはいえ、自然に対する人間のこのような初期の冒漬も、まだ局地的、部分的なものにすぎませんでした。
 当時はまだ人間の技術力に限界があったため、自然に対する侵害も、半ば無意識のうちに制約されていたわけです。もっとも、この段階では、人間はある程度意識的にも、人間以外の自然の汚損に制限を加えていました。つまり、人間も自然の一部と言う概念によって制約を受けていたのです。

ところが現代の科学文明は、自然と人間とを対立関係でとらえ、人間の利益のために自然を征服し、利用しようという発想をその底流にもっていたのではないでしょうか。科学は、まさにこの発想を基盤とし、原動力として発達してきたといえないでしょうか。私は、ここに現代の自然と人間の調和が崩れた一因があったと考えています。

更に深く掘り下げれば
『創世記』第一章第二十六―三十節によれば、神は、自ら創造したもののうち、人間以外の一切を人間の自由に任せ、人間が好きなように利用することを許したとされています。
これが自然破壊の本因(源流)なのではないでしょうか

ここで
自然との関係性や相互依存性を根底とした
仏教の「依正不二論」を展開したいのですが、又後で。
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神といっても、色々あります。



キリスト教によれば、人間は特別な
存在として、創られたことになっていますから
自然と人間は対立関係にあります。

だから、人間も自然の一部とは
考えません。

人間が自然の一部、と考えるのは
むしろ東洋的考え方です。
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「自然破壊」などと呼んでいるやからは, 「ヒトを特別視している」あるいは「ヒトも自然の一部であるという発想がない」んじゃないかなと妄想したりする.



そもそも「自然」ってなんだよ.
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自然破壊ってのが微妙な表現ですね。


ミヤザ〇アニメに代表される様な 動物愛誤アニメのシーンみたいな事だけが 人間と自然とのかかわり方ではないのですが。
農業、林業等の一次産業も人間の自然破壊で 里山は人工だし 自然公園も人口自然の所が多いし 桜の植樹も人口ですね。
田に棲む生物もいるし 程々で樹木を伐採してきたので 現在の様な老木の倒木や伝染病等の問題も起きなかったのも事実です。

>人間は自然を破壊しているいらない生き物

これを言う人は 上記の全てが人間の自然破壊なのに 自分にとって都合よく「これは自然破壊でこれは違う」と言う二枚舌(ダブルスタンダード)論者ばかりです。

「自然破壊が絶対的な悪だ」という人は自然災害を受け入れて防災工事には反対しないと可笑しいです。
「山は崩れるものだし 川は溢れるもので 地震も津波も自然現象だから防災工事はやめて全て受け入れましょう。」と主張するべきですね。
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神とは親のようなもので多少出来が悪くても注意する程度で自立、自覚を促します。

しかし、創造主にも責任と力に限界が有るので見捨てることもあります。
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