マンガでよめる痔のこと・薬のこと

人間と機械が一緒だという考えには、賛成の人と反対の人がいるようですね…。

私は、どちらかというと人間機械論はすんなり受け止められるし、正しいんだろうと思ってきました。
でも、最近反対の人もいるんだと分かったのでもう一度考え直したいなと思っています。

人間と機械との違いとして、反論として聞いた意見(有機物・無機物の違い等ではなく、システムの違い)は…

・人間には芸術がある。
・感情がある
・魂がある

でも、芸術は視覚や聴覚に好ましいパターンがあるだけだと思うし、感情は学習したものとプログラムから引き出されるだけのものだと思います。
魂の存在は、私はあまり信じられません。
こうなると、やっぱり人間と機械は同じと考えてしまいます。

もっと、ほかに何か人間と機械の違いは無いのでしょうか?
何かお考えがある方がいらっしゃれば、教えていただきたいです。

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A 回答 (26件中1~10件)

敏速なご返事ありがとうございます。



ちょっと訂正とおわびを
>>ゆれ × ⇒ゆらぎ ○  >>複雑性 × ⇒複雑系 ○


さて
>ここで質問してみて分かったのですが、人間機械論に否定的な方のほうが多いのですね。少し、驚きました。友達とはこういう話をしないので。
komaas8さんの周りも、否定する方のほうが多いのでしょうか。もしかして、世の中、結構人間機械論なんてマイノリティだったのですかね

多分そうだと思います。人間自身のおろかな自尊心が、自分を単なる機械とみなすことを(なんとなく)拒否するのでしょう。「わしは神が創りたもうた絶品なのだ」というわけです。結局彼らの具体的な理由としては、人間はじめ高等ないきものはみなある種の超能力をもっているから、ということになります。精神力、根性、魂 みなこの種のものだと思いますが、私も完璧に説明できるわけではありません。


確信的無神論者(A)が意外に少ないのはその裏返しなのでしょう。
彼ら(A)は一見傲慢に見えて、実は非常に自分に正直な(真の自尊心を持った)人たちなのだと思います。

ご参考になれば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今回、質問を投稿して良かったです。

なんだか、自分がどんな立場にいるのか
みなさん、どんな事を考えていらっしゃるのか

色々な事が見えてきました。

お礼日時:2010/12/12 22:12

再現不可能な固有意識の有無

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いずれ脳と機械の直接接続ができるようになるでしょうし、肉体がどんどんサイボーグ化されるってのを想像しますね。

どんどん機械へ置き換わってゆく自分。

最終的に、肉体はすべて捨てられ、機械の自分が残るってわけです。

自分は脳も含めて肉体が人間であったのか---いやいや、機械の自分こそが人間だと思うでしょう。

しかし、完全に機械化されたときに自分は疑似永遠を手にしますが、その無意味さを知るでしょう。

人間と機械の違いはそこにあります。機械の人間に時間の意味はありません。言い方をかえると人間こそが時間を作っているということでしょうか。

おそらく結論は、 人間は機械に置き換えられるが、時間を消失し人間でなくなる。 です
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古代ギリシャの謎々遊びに


河でない河の木でない木に止まっているが止まっていない、鳥でない鳥に男でない男が、石を投げたが投げなかった。というのがあったようです。
答えは、河原の葦にぶら下がっていたコウモリに閻人が石を投げたが、当たらなかった。
ということですが。注目すべきと思った事は。二重思考をしている、二重思考を訓練している。ということでした。脳が神経の集積の意味をもち、左脳右脳に分離しているとは脳の思考回路は二重回路になっているはずなのです。一方の回路が心であるなら、もう一方は心とは逆の心、
心が感情や衝動、また思惑、と一体であるが故に、今、心、が想起している事を意識出来るが
、逆の心、これを知恵と置くと、知恵は、意識する事が出来ないものとなります。
知恵は心が眠っている時に起きる、子供は寝ている間に知恵が育ち、課題を抱えて眠ると、朝には答えが出ている。ということは、常識的に言われていることです。
ご質問の機械、人工頭脳は人間の知恵は同じになれるか、の一つの答えは、二重思考、
心=知恵 心×知恵=1 というプログラムが組めるか。ということになるでしょう。
そして、物理科学は、知恵、と言えるのか。事象×知恵=物理化学 あるいは。事象×哲学=理論物理学、とはなっていない。事象×数学=物理化学 という形態。数学が知恵の代役になっているのです。
数学は知恵か、心が介在しない、という意味からも知恵的ではあるが。数学は現実とは合致
しない、あるいは事象の反面しか見ることが出来ない意味があるのです。
諸行無常、世界は変化する過程として常に今ある。という世界の在り方に、ゼロやマイナスはあり得ない。事象は変化、転化、してゆくものであり。事象×0=0 となることはない。あるとしたら、コンピューターのプログラムぐらいであり。それは元々現実ではない、架空を具現しているからなのです。
1+1=2 というのが、数学の基本になっていますが。
1+1=1 と考えるのが、人間の知恵、と言えるかも知れません。
リンゴ+リンゴ=2個のリンゴ となるでしょうか。
リンゴが勝ってに、集まる、移動する。ことはない。現実には
(リンゴ+リンゴ)×移動=一皿のリンゴ
あるいは
(リンゴ+リンコ)×ミキシング=2個分のリンゴジュース となる
二つのリンゴは(人間が)移動させるという縁により。一皿100円のリンゴとして店頭に置かれた。
というのが。現実の起こり方なのです。そしてこの、移動する、というような変化には、実体がない、実体がない、無、とは、0、ではなく、「×1」の概念なのです、だから
(リンゴ+リンゴ)×1=2個のリンゴ としても。答えは合っている。しかしそれでは事象の半分しか見ていない、考えていないのです。
色即是空、形あるものは実体のないもの(と一体である)の問題なのです。
人間という肉体構造は精神という実体のないもの、と一体である。
人間の脳と人工頭脳、プログラミングの違いと言えるのは、実体のないもの「×1」を数学と一体のコンピューターにはプログラミングする事が出来ないということではないでしょうか。
万物の根元も全体宇宙も、1(いっ)である。とは老子の考え方。
「無を万物の祖に名付け、有を大地の母になづく。
もって無はその檄(能力方向性)を現さんと欲し、有はその嬌(姿形)を誇示せんとす」でったか?
無とは、実体はないが、変化=時間、を起こそうとする、能力方向性であり。
有とは、形あるもの(物=空間)であり。無と有が一体となって、あらゆる事象、が起きている。
有×無=1(いっ、なる単位)
物=変化 物×変化=一つの事象 という事であり
言葉を変えると。空間=時間 空間×時間=1 と言うのが。この世界の在り方である。
(と老子は、私と同じ考え方をしているのです)
気づかれるかどうか、玄奘が、老子を当てはめたのではと考えられる、般若心経の、舎利子以下の
色即是空・・が、老子と全く同じ意味になっているのです。
質問から離れた回答になった?質問の意図が、知恵とは何か、にあるなら。はなれてもいかもしれません。私はわたしの考え方を述べるだけで、非難や賞賛は無視するものです。



 
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>とはいえ、人間と区別の付かない人工知能が作られるのは、もっと先だと思っていました。


20年近く前、まだインターネットなどなく「パソコン通信」だった時代に、「人工無能」と呼ばれる会話プログラムがありました。
人間と会話を繰り返すことで知識や語彙を増やし、末期には相手が機械だと気がつかず会話をしていたという事例がめずらしくありませんでした。
そのためローカルルールとして、会話プログラムにはその旨わかるようなマークが付けられることになったのです。
SFで、人間そっくりのロボットにマーキングをするというのと同じことですね。
20年前でこれです。現在も続いていたらどんな代物になっていることやら。

SFでは機械の体になった人が「自分は機械か人間か」で悩むエピソードがいくらでもあります。
つまり、それだけ垣根があやふやということです。
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人間と機械が違うか違わないかという問いは、終局的には有神論か汎神論か、の違いということになる。



つまり後者の場合は第一原因へ遡行できないということ。
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>もっと、ほかに何か人間と機械の違いは無いのでしょうか?



・制作可能性:人間は機械を作ることができるが、機械は人間を作ることができない。
・多機能性:人間は多機能であるが、機械は(相対的に)単機能である。
・多様性:人間が創出する価値は個体差に依存するが、機会が創出する価値は個体差に依存しない。
・在庫可能性:機械は不稼働時にエネルギーを消費しない(在庫可能)が、人間は休んでいても食わなきゃならない。

最後の原則があるために、長期間を要する宇宙探査旅行などは人間ではなく、機械にやってもらった方が良いのですね。

蛇足ですが、ゾルレンとして上記の制作可能性に対する制約があります。
・第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また危険を看過することによて、人間に危害を及ぼしてはならない。
・第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合はこの限りでは無い。
・第三条 ロボットは前掲第一条、第二条に違反する恐れが無い限り、自己を守らなければならない。

人間が機械を製作する時には上記の三条を満たす機械を製作しなくてはいけません。
しかし、最近は機関銃を備えた自律制御型の無人防衛ロボットなどが開発されており、これは上記のゾルレンに反しており、人間の重大な犯罪ですね。
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No.16です。


お礼有難うございます。

>(私は、次のような機械はそのうち出来ると思いますが)
>この場合の機械は、まず初期プログラムを持ち、高度な
>学習装置を持ち、プログラムされたことと学んだ事を生か
>せる機械です。これだけで、機械は人間と同じ頭を持つ
>ということになるだろうと思います。

ここでは「人間と同じ頭」について定義をして頂けなければ
なりません。

人間の頭が単なる情報処理装置と限定するなら
いずれ機械は人に追い付くどころか追い越します。

ところが、人間がまだ判っていない「心」や「生命」に在処
があるとすれば、それは脳を除外視出来ないようです。
そして、「心」や「生命」が脳の思考や脳から出される指令に
影響の有無も勿論判っていない。

従って、人間がまだ判っていない「心」や「生命」に関しては
人は機械にプログラムとして与えられない。恐らく機械も
自身が学習して得られない。しかし、「心」や「生命」という
訳のわからないものが機械に必要かどうかも判らない。

結局、「心」や「生命」が解明されないうちは、人と機械が
同じか否か答は出ませんね。
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やはり議論の仕方が難しいですね。


私たちが議論できるということは議論の対象について概念化してるということです。
そして、概念化してるものは機械化できるということでもあります。

しかし、世界は人間が概念化できるものだけで成り立っていません。
科学史を参考にすれば、人類は世界を概念化しつづけると言えますが

概念化し尽くしたと言い切るには、概念化していない部分を把握していないといけません。
結局、概念化していない部分を認識できない人類には無理ですね。

ですから、「いずれ科学的に解明されれば」という言葉は「世界を概念化し尽くことができれば(・・・その確認は不可能だけど・・・)」と同じです。
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お早う御座います。



>あなたは感情について、私が述べた以上のシステムを説明出来るのですか?

【システム】
複数の要素が有機的に関係しあい、全体としてまとまった機能を発揮している要素の集合体。
組織。系統。仕組み。
[広辞苑(第六版)]

何やら、難しいですな・・・。
しかし、「有機的」とシッカリ書いてありますよ。
つまり、「システム」って「有機体」に対して使う言葉じゃありませんか?。

質問文には、
>有機物・無機物の違い等ではなく、システムの違いは…

と書かれてあって、最も大きな違いを無視してますよ。
★有機物と無機物は、大きく違う。
★「システム」は、有機的な関係を言う。
この初期の大事な条件を無視するから、
>やっぱり人間と機械は同じと考えてしまいます

こうゆう自己解釈が生まれんじゃないの?。

アナタは、活きて地面を動く「本物の蛇」と、機械仕掛けで動く「ロボット蛇」を、最初から
「同じような動きをするから、同じモノだ」
と見てしまってる訳ですね。

更に、アナタは、「芸術面」にも「精神面」にも関心が無い。
いや、無さそうに「見える」よ。
>芸術は視覚や聴覚に好ましいパターンがあるだけだと思うし

美術・芸術が好きで、その「創造」を考える人間なら、こんな言葉、間違っても口に出しませんよ。
その「好ましいパターン」を作り出す為に、人は四苦八苦するんです。
機械なんて、プログラムされた事以外、何が出来るの?。

>感情は学習したものとプログラムから引き出されるだけ

こう考えておけば、泣いたり笑ったり、怒って切れる人間の説明も「ヒジョー」に解り易くなりますモノねえ・・・。

>どちらかというと人間機械論はすんなり受け止められるし
>魂の存在は、私はあまり信じられません

それは、アナタの勝手で「自己中」って奴です。
アナタ一人が勝手に、そう考えていればいいじゃん。
どちらも、子供の「好き嫌い」と変わりませんな・・・。
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタイン...続きを読む

Q専攻とは

よく大学での専攻は?などと言いますよね。
この専攻って何の事なのでしょうか?

学科の事ですか、ゼミの事ですか、それとも特別の研究室のような所での研究の事ですか。

もし、学科の事だとしたら、細かく学科に分かれておらず、学部だけしかない規模の小さな大学の場合はどうなるのでしょうか。

また、研究室の事だとしたら、研究室に入っていない学生は専攻なしということになるのでしょうか。

Aベストアンサー

普通、「専攻」と言ったら、卒論で自分が扱う分野、卒論がないのなら、それに代わりゼミ研究などで自分が扱っている分野のことです。

たとえば「私は文学部の日本文学科で、紫式部を専攻しています」のように使います。そこまで細かく説明することを要求されているわけではないなら、「文学部で日本文学を専攻してます」って言い方もアリです。

また大学によっては、「○○科」の変わりに「○○専攻コース」などを設けている場合もあります。この場合、○○の部分を自分の専攻であると言ってしまっても差し支えありません。

まあ、そんなに厳密な言葉でもないので、神経質になることはないですよ。自分が主に勉強している(したいと思っている)分野、という程度の意味です。

Qショットバーとバーの違い

ショットバーとバーの違いが分かりません。
教えてください。
それとそのようなお店にこの前連れて行ってもらって店の雰囲気とかすごく気に入ったのですが、メニューとかもないのでどう頼んで良いのか分かりません。スマートに頼んでかっこよく飲みたい!って思うのですがお酒に詳しくないので困ってます。
そういうオーダーのポイントなど教えて下さい。
やはりお酒に詳しくならないといけないですね 。
勉強ですね。

Aベストアンサー

昔(昭和30年代まで)はバーというとカウンターにホステスがいて接客をする店(今で言うスナック)だったみたいですね。
そこからホステスの接客やボトルキープもしないでショット(1杯)単位でお酒そのものを気軽に飲めるショットバーが派生したそうです。
お酒の味そのものを楽しむためにお酒の品揃えや氷や水にこだわり、店の雰囲気も静かで落ち着いたものにして人気が出て現在に至ります。
現在はホステスの接客を受けられる店=スナックが一般的ですからバーとショットバーの区分けはあいまいになっていますね。
接客があってもスナックとは一線を画す静かで落ち着いたものです。

お酒とかの頼み方ですが、お酒の知識がないのでしたら臆することなく何でもバーテンに相談すれば良いですよ。
生半可な知識で背伸びしていることは直ぐに見透かされてしまいます。
付け焼刃なウンチクでも語ろうものなら裏で失笑されてしまいます。
好みだけを伝えて見繕ってもらえば良いですね。

私も何度も通っていても自分の知識だけでは飲むお酒が固定されてしまうので時々新しいお酒に挑戦しようと相談します。
ラックにいっぱい並んでいるお酒の名前もほんの数種類しか分かりません。
いつもボトルを指差して”あれちょうだい”なんて注文しているものだから”いい加減名前くらい覚えてくださいよー(笑)”なんて言われてます(笑)

昔(昭和30年代まで)はバーというとカウンターにホステスがいて接客をする店(今で言うスナック)だったみたいですね。
そこからホステスの接客やボトルキープもしないでショット(1杯)単位でお酒そのものを気軽に飲めるショットバーが派生したそうです。
お酒の味そのものを楽しむためにお酒の品揃えや氷や水にこだわり、店の雰囲気も静かで落ち着いたものにして人気が出て現在に至ります。
現在はホステスの接客を受けられる店=スナックが一般的ですからバーとショットバーの区分けはあいまいになっていま...続きを読む

Q東海道新幹線 「のぞみ・ひかり・こだま」は、時速何キロで走るのでしょうか?

タイトル通りです。

子供に聞かれて調べてみたのですが、根本的に、列車の事がサッパリ分かりません。

どなたか、教えて下さい。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

正確には、275km/hまで出すことが出来ます。

新幹線で使われているATC(自動列車制御装置)と呼ばれる信号システムでは、列車の速度が275km/hに達した時点で自動的にブレーキがかかり、これ以上の速度が出ないシステムになっています。
※山陽新幹線では、車両によっては285km/h・300km/hまで出すことが出来ます。

では、なぜ270km/hが最高速度とされているかというと、この速度での運行を原則としてダイヤの作成などが行われているからです。
実際に走ってもいい最高速度より若干低い速度を基準としてダイヤを作成することで、列車の遅れを回復させるための時間的な余裕を持たせているのです。

あと、No.2さんの方法では、速度の計算は出来ません。
これは、時刻表に掲載されているキロ数は運賃・料金を決定するための営業上の数字で、並行して走る在来線の線路を元に設定されていますので、実際の新幹線の線路の距離とはかなり異なるものになっているからです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/自動列車制御装置

正確には、275km/hまで出すことが出来ます。

新幹線で使われているATC(自動列車制御装置)と呼ばれる信号システムでは、列車の速度が275km/hに達した時点で自動的にブレーキがかかり、これ以上の速度が出ないシステムになっています。
※山陽新幹線では、車両によっては285km/h・300km/hまで出すことが出来ます。

では、なぜ270km/hが最高速度とされているかというと、この速度での運行を原則としてダイヤの作成などが行われているからです。
実際に走ってもいい最高速度より若干低い速度を基準としてダイ...続きを読む

Q日本語で一番汚い言葉は何だと思いますか?

英語では「f**k」とか「s**t」とか、「god d**m」とか文字化できないほどの(別にできるんでしょうが)、伏せられるほどの汚い言葉があるのに、日本語にはそれに相当するほどの汚い言葉って、見当たらないんですよね。まぁ、日本人自体がそれほどお行儀がいいのかも知れないですけども、皆さんが思う一番汚い日本語は何だと思いますか???隠語とかでもいいので、教えてください。

Aベストアンサー

いやいや、日本語をなめてはいけません(笑)

いくらでも汚い言葉なんてありますよ。

「このくされマ○コ」
「どイ○ポ」
「くそ外道」
「淫売」
「ケ○メド野郎」
「くそたわけ」

出す気になればまだまだ出ますが・・・

書いてて自分の人格が否定されそうで怖い(鬱)

その他各種の差別用語なんかも、汚いの多いですね

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む


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