とっておきの「夜食」教えて下さい

「人を殺してはいけないのは何故?」
「人が生きる理由は?」

など、人間の基本的なことの確たる理由=根拠が見いだせないと
長い間言われてきたことですが、自然科学の発展を見れば、この
程度のことが何故分からないのか、私には不思議に思えますが、
こういうようなことが人間が分からないのは何故だと思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 自然科学の発展を見れば、というのは、自然科学が大発展している「割には」人間の基本的なことが不明のままなのは、不自然な感じがする、ということでした。言葉足らずで申し訳ない。

      補足日時:2024/04/14 21:23

A 回答 (33件中1~10件)

人はしあわせを求めています



殺しはしあわせなことではありません

このような事が分からないのは

しあわせが何かが分かっていないからです

愛について 思いやりについて やさしさについてなどの体験が不足していて それらを知らないからだと思います

これらを体験する機会に恵まれ それらを知ることが出来れば 上述の様な言うまでもないこと事が分かるようになると思います
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この回答へのお礼

むむっ。これは深いぞ。

お礼日時:2024/04/14 21:02

科学にはもう答えはもう出ていますよ。


ヒトはもちろん、生物ですから生きるように出来ています。生物なのですから。自シを選ぶのは、精神的に正常でない状態な場合です。
子や同じ種の為に死を厭わない行動を取ることがあります。これも生物だからです。
人が人を殺すのを厭うのは、サピエンスがそうすることによって繁栄に有利だったからです。共同体、社会(コミュニティ、ソサエティ)を作ることの出来るサピエンスは、集団化で効率化を計れ、他を駆逐する種となれたわけです。
稀に生まれる同属を殺すことを厭わない個体は共同体からは排除されて行きます。もし同属殺しがマストな集団は、そうでない集団に駆逐されたことでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/04/17 10:22

殺していけないのは何故?



法律で殺してはいけないと定められているから

人が生きる理由は?

生まれたから。どうせ生まれたなら生きよう

人が人を殺さないのは、可哀想だからだと思います。言葉にしてみましたが、理由になっていますかね
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この回答へのお礼

ひとつの理由にはなっていると思います。

お礼日時:2024/04/17 10:22

人を殺すと自分が警察に追われる。


どんなに気に入らなくても
その人のために追われる身になるとつまらない。
気に入らぬ人物は呪殺しかないでしょうね。
その場合、呪う方は清廉潔白を保ちましょう。
心の歪みは危険です。
気に入らぬ人とは距離を置きましょう。
人生が損ですね。
君子危うきに近寄らず
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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2024/04/17 10:21

人を殺してはイケナイなんて、罪があり刑罰の対象になるからであり、偽善ですね。

世界には、紛争があり、戦争がある。そこで争いが、生まれ殺し合いをしている。人間は、イジメがある。何故だか分かりますか?差別やイジメが起きる原因は、生存競争があるからです。学校で何故イジメや差別が、自然発生的に起きているか分かりますか?生存競争の縮図だからです。生命は、生存競争の中にいる。要するに生命は、殺し合うようにプログラムされている。この意味が分かりますか?
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この回答へのお礼

イジメなんて、エゴイズムの代表でしょう。

お礼日時:2024/04/17 10:20

>人を殺してはいけないのは何故?」


「人が生きる理由は?」

正解はわかりませんし想像や空想の世界ですが、神様がもしいるとしたら、神様はどこかに真の楽園を作らせるために、先ずは宇宙を創り、地球という星をつくり、空気を作り、大地や海や川や森や鉱物や他の生き物たちを作り、神様の姿に似た人間を作り知恵を授け、楽園づくりに必要なありとあらゆ道具となる全ての物を無償で用意し、提供してくれたのだと。

神様の仕事はそこまででおしまいです。

あとはどうなろうが知ったこっちゃなく、高いところから眺めてじっと見守っているだけで、どうするかは人間にお任せです。
手出しも助けもしませんし罰も与えません。我関せずです。

後はそれらの道具をどう使おうが、どう活かそうが殺そうが、全ては人間たちの思いや知恵に委ねてるのだと。

そんな発端があり、何億年もの年月を費やしながら徐々に徐々に様々な出来事を繰り返しながら、人間は良い方向に向かうよう、つねに試行錯誤はしながら、秩序やルールを作りかえながら今に至るのだとは思うのですが……。

それでも、時々方向性を大きく間違う人々が居て、それに引きずられ大きな出来事や事件も……。

今は楽園を作るという事を忘れ、本筋から離れ、私利私欲や自分ばかりの営利を貪る人も多く、大きく道が逸れ初めている気もします。

地球の資源の無駄遣いにもため息をついていそうです。

きっと神様はお空で寝そべって、お尻を掻きながら、呆れ果てているかもしれません。
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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2024/04/17 10:18

殺してもいいんです。

見つかって捕まれば、裁かれて刑罰を受けるだけです。死にたくないから生きてるだけです。
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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2024/04/14 21:37

いくら論理的に説明しても理解してくれないだけだから。


理解できない人にいくら説明しても無駄だから。
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この回答へのお礼

そうなんだよね。

お礼日時:2024/04/14 21:37

主要因としては、諸個人の自由意志と、その余白・可変性としての意義があると思います。


また、科学発展による宗教の衰退や、ネオリベによる倫理の没落などの影響もありそうです。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2024/04/14 21:35

要するに、間違った理論が完成すると、それを正すのは無理なんですよ。



例えばですが

わたし「糞は体に悪いから食べない方がいいよ」
あなた「いや俺めっちゃ食うから!お財布にも健康にもいいわ!」

と言われたらもうどうしようもないんですよ。
その人の中で変な理論ができてしまってる。

そんな感じで、間違った理論が完成している人はその人の理屈で動いており、介入する事は出来ないとなるのです。経験まで特殊ですので。
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この回答へのお礼

個々の人の中には、「公理」があって、それを基準にして理論が組み立てられています。それも、論理学的な正確なものではなく、得手勝手な論理であったりするわけですが、だから、その「公理」が何かとか、どんな論理になっているとかを見つけ出すことが楽しいと言えると思うのですが、ま、現実はそうはいかないですね。

お礼日時:2024/04/14 21:34
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