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なんで生きているのか分からない?

「なぜ生きるのか?」
に、対しての答えは、

「生きる意味など元々無い。生物が生きる意味などもともとない」
と、いう結論が自分の中ででてます。


しかし、そうすると自分の中に絶望とか苦痛とかしか残らないのです。



努力しても自分がどうしても欲しい者が手に入らないと分かった時。

努力しても自分を変えられないとかかった時。


自分には、もう生きる意味がないのです。

いかなる目標を達成してもただそれは虚しいものであり、
何の意味も無いんです。


どう生きていけばいいですか?

A 回答 (14件中1~10件)

30代サラリーマン♂です。


 
 

>「生きる意味など元々無い。生物が生きる意味などもともとない」
>と、いう結論が自分の中ででてます。
 
ご質問者様の年齢は判りませんが凄いですね。
私も最近、色々考えた結果同じような結論に至りました。

その結論の先を「どう生きるのか」は恐らくご質問者様よりも
年をくっているせいかポジティブです(笑)。
 
>いかなる目標を達成してもただそれは虚しいものであり、
>何の意味も無いんです。
 
>どう生きていけばいいですか?
 
それらの感情、思いを『全て受け入れて』生きるしか
ないと思います。

「そんな事出来るはずがない!」と思いならば
出来ない部分を吐き出して、残りを受け入れて、時間が経って
その吐き出した部分を受け入れられると思ったら
受け入れ、やはりダメならまた吐き出して、、
人生はその繰り返しだと思います。
 
 
>努力しても自分がどうしても欲しい物が手に入らないと分かった時。
 
諦めればいいのです。
諦められないならば手に入れようともがいて苦しんで
手にいれればいいのです。
 

>努力しても自分を変えられないとわかった時。

諦めればいいのです。
諦められないならば自分を変えようと10年でも20年でも
試み続ければよいのです。10年でも20年でも30年でも40年でも
かけて自分を変えられないとしたら、それでも変えようと
努力を続けたのならば、それは充分誇れるし周囲の
人間も賞賛してくれることでしょう。
 
 
ただし 
「手に入らないとわかった」
「自分を変えられないとわかった」
は極めて大きな誤りだと思いますよ。

「手に入らないとわかったような気になって止めてしまった」
「自分を変えられないとわかった気になってどうでもよくなった」
だけでしょう。
それは確かに人生で最も虚しくて意味がなくて
何年経っても後悔の念はひたすら大きくなるだけでしょう。
 

絶対に達成できない目標を掲げてそれに向かって
突き進んで諦めないで見事に達成してみたらどうですか?
 
それでも(達成しても)今と同じく虚しかったら凄い人ですよ。

極めて達成の難しい困難な目標をご自分に課して、そして
ご自分の心の内に起こる思いを観察して、文章に起こして
日記にしてみたらよいと思いますよ。
 
「生きる意味など元々無い。生物が生きる意味などもともとない」
という結論を言い訳として"利用"して目標から体よく逃げる
自分の姿を見るかもしれません。
 
結論を出すのはよいですが、それはあくまでも自分だけの
答えです。人にその答えを押し付けてもそれこそ全く無意味
ですし、自分で出した答えなのにその答えから逃げたり
都合よくその答えまでの過程を変えるのもまたひどく虚しいことです。
 
どうか頑張って生きてください。
 
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生きたいから生きる。


意味は要らない。

死にたいなら死ぬ。
理由は要らない。

私は私のやりたいようにやる。
目的は要らない。
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人間を含め、生き物は遺伝子の奴隷です。



生まれてきたということは強制的に生まされたのです。自分の意思など関係ありません。

世界中の多くの人は飢えています。日本では当たり前に受けられる医療も受けられない人が多くいます。

現実を見ると残酷なものです。確かに生きる意味なんてありませんが、意味を超えて勝手に生まされて拷問を受けているような状態が世界の実情です。みんな被害者です。

でも人間にできることは生きるか死ぬかの2つの選択肢しかありません。
幸い平和な日本に住んでいられることはまだましな方です。

生きるのであれば自分が比較的楽な状態でいられる方法を悩みながらも自分で模索するしかありません。
そのあとで努力云々を考えてはいかがでしょうか。
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誰もが青春時代に感ずる疑問ですね。

それでもなんとか生きてゆくことになるのです。
・もしも生きる意味がないとすると、その意味という概念こそが人間の妄想ではないのか。
 意味というものがない=絶望・苦痛 ではありません。
 ・意味を探すことを目的にとりあえず生きてゆけます。
 それを探すことを仕事とする・人生哲学を構築するという目的で生きていけます。
・人生になにか特定の意味があるとすると、それで人生が限定されてしまいます。
 なにも見つからないからこそ、常に新しい人生の展開があるともいえます。
・人生の最後になっても意味がない=空虚・虚無 であったとしても
 それまでは生きぬけます。空の中で座禅する禅僧のごとき心境で。
・あなたが人生に意味がないと感ずるのは、論理の動きではなくて、感情の動きなのかも
 しれません。仕事が見つかったとか恋人ができたとか、そんな感情の価値が見つかると
 人生の意味がすぐにできます。
なので、もう少しじっくりこの問題を考えつつ生きてみてください。
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意味なんてありません‥‥でも、意味がないゆえの必然性、というのもあるのです。



物質に「目的」はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。
(その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙)
その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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なぜか知りませんが,こうした問いかけに対して,疑問をもつことを禁ずる風潮がありますね。


疑問に感じるのは~だからといった揶揄も。
結局,答えを持っていないゆえに,きちんと答えることができず,問いによって根底から覆されることに不快感をもつからでしょう。

私も「生きる意味はない」には賛成です。
目的をもつもなにも,子どもは親を選べず,時代や環境も選べずに生まれてくるわけです。
生きていくうちに何かの価値観をもって,その価値観に生きる目的を見出せるのは,ひとえに幸運のたまものであって,誰にでもあるわけではないと思います。
そのときに,絶望というものを感じるのも理解できます。

しかし,その間は何かないのか? と私は考えるようになりました。
目的がなければ生きてはいけないという決まりはないし,××がなければ生きていけないというものもない。ならば,死ぬまで好き放題させてもらおうという開き直りです。
子どもを持たない限り,自分の責任で人生は完結できます。
好きなことだけやって,せいぜい生きられれば,後のことなど知ったことではない,と思ってみると,意外と楽になります。

オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」より。

天女のいるコーサル河のほとりには、
蜜、香乳、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから。

お酒を禁じるイスラムにもこういう傑物はいました。
「人間はこうでなければならない」と規定したがる現在の日本人は,「よろずの約」ばかり見せるように思えてなりません。
現物をとって,いまを楽しく生きればいいと思います。
楽しさを感じるものがないなら探しましょう。探しているうちに終わってもいいじゃないですか。
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『生きる意味が無い』との結論に生き方などありません。


欲を満たす事を強く望む内は結論は出ないと思います。
「どう生きていけばいいのか」が知りたいならば、貴男の命在る事に意味を持たせましょう、自らの意志と言動で。
時間は掛かるけれども、いずれ混乱と葛藤は貴男自身が解決出来る筈です。
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生きる意味なんてのを考えてしまうのが人間の損な部分ですよね。

得な事もありますが。

例えば・・・
「はあ?じゃあ死ねば?今すぐここで。さあどうぞ~」

…とか言われたら何となくイラっとしませんか?死なねえし!みたいな気になりませんか?

生きることの意味。まだまだ未知な部分も多く未熟な人間の脳で考えたところでその答えに行きつく事はとりあえず不可能だと思います。死後の世界の事だってわかっていないのですから。
ただ、「死ね!」って言われてなんかイラっとする…というのは、どっちかっていうと生きたいと思っている証拠だと思います。
私は何となくそれで解決した気になってます。
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 なぜ生きる?は、なぜ産まれた?に等しく、なぜこの仕事を選んだ?に移行する気がします。

そう思うのは人生後半ですから、まだまだ浅いんじゃないですか?かくいう私も「そうじゃないか」とわかり掛けた気がしているだけで、死ぬ間際にわかるのかなという気がします。わかって生きてるヒトなんて、逆にいるのでしょうか。
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あくまで思考実験ですが、大きな病院の前で自殺して、遺書で臓器移植を希望すると言うのはいかがでしょうか?



質問者さんは生きれるのに生きる希望をお持ちでない、一方、生きる希望があるのに願いが叶わない人が居る。

健康な心臓や肝臓などの臓器を生きたい人に提供することでWin-winになりませんかね。
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