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樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分

 日本語を勉強中の中国人です。仕事で樋口一葉の「たけくらべ」の冒頭部分を中国語に訳さなければならないことになります。その文章の日本語は難しくて、全然読めません。どなたか現代日本語に書き換えていただけないでしょうか。下記の部分です。よろしくお願いします。

 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉(とり)の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、……」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (8件)

すでに#1さんが適確なご回答をされているので、そのご回答を参考にさせていただきながら、ネックとなりそうな語彙について少々、あくまで補足として投稿いたします。



1.吉原遊郭や遊女の意味についてはウィキに詳しく載っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%8E%9F% …

2.【吉原】の見取り図については下記サイトがわかりやすいでしょう。
http://www.viva-edo.com/yosiwara.html
中に詳しい解説がありますが、
【大門】
吉原という区画の出入り口にある大きな門。
【見返り柳】
吉原から帰る客が名残惜しさにここまで来て見返るところだと言われる。
【お歯黒どぶ】
遊女の逃亡を防ぐための五間(9m)幅の堀。
です。

3.簡単なあらすじとしては
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/AAI99406/から。
「吉原のとなり町【大音寺前】、子どもたちは二つのグループにわかれて対立していた。やがて遊女になるさだめにある少女・美登利と、美登利がほのかに思いをよせる寺の息子・信如。そのふたりもこの対立にまきこまれていく。-あわい恋のめざめ、少女が女になる哀しみ…少年少女たちが信じられないほどピュアだった時代の信じられないほどせつない物語」

一葉は新吉原にも近い下谷龍泉寺町というところに住んでいたらしいので、作品中の大音寺前というのは龍泉寺町が、たぶんモデルなのでしょう。
いずれにせよ、「吉原のすぐ隣の町」ということです。
ここに住んでいる勝気な少女「美登利」が主人公。

4.【胡粉】は「ごふん」で、goo辞書によると「白色の顔料。貝殻を焼き、砕いて粉末にしたもの。成分は炭酸カルシウム。」

5.【酉の日】は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。これは、12日おきに巡ってくる。
とウィキにあります。
この日に立つ市が「酉の市」。
「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並ぶ。
ようです。
詳しくお知りになりたいときはウィキでご確認ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%89%E3%81%AE% …

表現上の不明点がございましたら補足なさってみてください。
読んだことは無いのですが、できる範囲でお答えします。
    

この回答への補足

原文がぜんぜん読めないので、現代語訳を拝見して疑問に感じた箇所についてお尋ねいたします。
________________________________________________
 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。明け暮れなどお構いなしの車の行き来はこの町の果てしない全盛を表しており、大音寺前という仏くさい名前とは裏腹に陽気な町だよ、とは住む人の言である。

 三島神社(さま)の角を曲がればもう目立つ豪邸はない。かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。それも一軒や二軒ではなく、どの家でも毎日欠かさず色つき田楽のような物を朝に干して夕方にしまっている。

 一体それは何を作っているのかと聞けば、「あんた知らないのかい、霜月酉の日に、例の神社で欲深いお方がかつぎなさるやつだよ。つまりこれが熊手の下ごしらえさね」と言われることだろう。
_________________________________________________
1.
>吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。

「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」は日本の同僚に聞いてもよくわからないと言っていました。私は、「吉原というところで廻れば」と「大門の見返り柳から廻れば」とこの二つの表現でいったいどこを廻るのかよくわかりません。「とても長い」は何を指すのかも理解できません。日本の同僚の意見では、「吉原へ行くために大門の見返り柳から廻ればその道(見返り柳から吉原までの道)がとても長い」となっています。

また、「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎ」もよくわかりません。騒ぎは水に映せるものなのでしょうか。

2.
>かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。

「十軒長屋や二十軒長屋」は「十個の狭い部屋や二十個の狭い部屋」という意味でしょうか。

補足日時:2010/06/30 17:01
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この回答へのお礼

 いつもご親切に教えていただきありがとうございます。補足内容はとても参考になりました。疑問に感じたところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。

お礼日時:2010/06/30 17:09

#7です。



ご質問の真意を捉え違えたかもしれませんね。

淡雪さんは、
『「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。』とおっしゃっていましたから、柳の枝が糸にたとえられることはご存知だったのでしょう。
だとすれば、#7では、言わずもがなのことを長々と述べてしまい、失礼しました。^^;
改めて回答し直します。
-----------------------------------------------

>「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」
と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが)

「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。

私の表現が不完全でしたね。
「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=とても]の掛詞として【(大門の見返り柳の)糸】を使ってみようか。どちらも長いのだから面白いかもしれない・・・。」
と一葉は考えたのかもしれません。
とすべきでした。
  
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。これで解決いたしました。何度もご親切に回答していただき誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/07/09 13:47

#6です。



>「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」
と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが)

「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。

ごもっともな疑問だと思います。^^

細くてしなやかな柳の枝は、よく糸にたとえられます。
「柳の糸」という春の季語もあります。
「阿部ひろし」に、

・寒すでに柳の糸の青みたり

という句があります。

新古今和歌集には、
凡河内躬恒(おおしこうし の みつね)という人の、

・春雨のふりそめしより青柳の糸のみどりぞ色まさりける

という歌もあるようです。
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます^^。

お礼日時:2010/07/09 13:39

#5です。



>>基本的には、
「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」
という意味になると思います。

しかし、「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」の中の「吉原を」の後ろに「知る」という動詞は省略できるのでしょうか。それは日本語として成立するのでしょうか。なぜその現代語訳に「吉原を」にかかる動詞がないのでしょうか。

端的に言うと、
「このような名作として認知された段階では、許容範囲の(特に問題とはならない)日本語表現である」
という印象を受けます。
しかも、こういった「超省略表現」が文学作品としての味を(たぶん)深めていることも否めないようで、そこが難しいところかもしれません。
専門家ではないので断定的なことは言えませんが、
漱石などもそうですが、必ずしも「文学的表現ー文法的表現」にはならない場合が往々にしてある、ということなのかもしれませんね。

前回も述べましたが、ここは、淡雪さんが奇しくもご指摘された内容により私的に解釈したところの、一葉の遊び心としての「掛詞」の表現ではないか、と思います。
「 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、」
は、本来、
「 (正規のルートを)廻ればいと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く(吉原の様子は窺い知ることができ)、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、」
という文であったかもしれません。

「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」
と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが)

>しつこくて本当に申し訳ありません

とんでもありません。
ネイティブの回答者としてお答えしていますが、日本語表現の本質は、むしろ質問者である淡雪さんに教えられることのほうがずっと多いのです。
それが回答する楽しみでもあるわけなので、どんどん、納得のいくまで補足なさってください。
ネイティブというのは、何気なしに日本語を使っている、という人種にすぎず、なぜこのような表現を自身がしているのだろうか、ということを論理的に全て説明できるとは限りません。
淡雪さんは、その可能性を広げてくださる貴重な質問者です。
日本語に対する真摯な姿勢は淡雪さんのほうがずっと上です。
必ずしも納得できる回答に至らない場合も多々あるかと存じますが、懲りずに、しつこく、今後ともよろしくお願いいたします。
  

この回答への補足

>「そう言えば、正規ルートを廻るには見返り柳の前を必ず通るわけだから、遊び心として、[いと=糸]の掛詞【大門の見返り柳】を挿入してみようか・・・」
と一葉は考えたのかもしれません。(全くの素人見解ですが)

「いと」の掛詞は「糸」ではないでしょうか。なぜ「大門の見返り柳」になるのでしょうか。

補足日時:2010/07/07 14:46
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。掛詞自身はまだよくわかっていないのかもしれません。発音がまったく同じで、漢字が違うものだと考えています。私の心配を払っていただき本当にありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて、今回もしつこく質問させていただきます。よろしくお願いいたします。

お礼日時:2010/07/07 14:59

#4です。



1.
>基本的には、
「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」
という意味になると思います。

すみません、「吉原を(直接行くことによって知るために)」の意味はよくわかりません。ほかの言い方に書き換えていただけないでしょうか。

わかりました。
「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」という記述を、「なぜ一葉はしたのだろうか」ということを想像してみると良いでしょう。

この箇所の意図は、実は隠されていて、
「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、【そのようにして、長い道程を経て、直接わざわざ行かなくても、吉原の賑わいを知ることはできるわけで、たとえば、】お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。【だから、吉原に隣接している大音寺町に住んでいるものであれば、大人だろうが、子供だろうか、吉原の賑わいというものを実感することは難しくない。】」
というものです。

「吉原は賑やかな遊郭であった」と表現すれば済むことなのですが、わざわざこのような遠回りな表現にしたのは、「少女美登利の目線に立った表現」を一葉がしたかったからではないか、と思います。
美登利はおそらく一葉の分身(一葉がモデル)なのでしょう。

2.
古文はわかりませんが、いまもう一度原文に目を通しました。「いと」という表現が目に入りました。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」に言う「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。

大変、鋭いご質問と思います。
原文の解釈は私も自信が無いのですが、この「いと」は【実質的には】「とても」という意味でしょう。
ただ、私も言われてみて初めて気づいたのですが、これは、いわゆる「柳の糸が長い」との「掛詞」である可能性も大いにあるように思われます。
一葉は稀代の天才女流作家と言っていいでしょうから、このぐらいは遊び心として、さりげなく発揮したとしてもおかしくはありません。
文学カテなどでご質問なさってみるのも面白いかもしれませんね。
  

この回答への補足

>この箇所の意図は、実は隠されていて、
「 吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、【そのようにして、長い道程を経て、直接わざわざ行かなくても、吉原の賑わいを知ることはできるわけで、たとえば、】お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。【だから、吉原に隣接している大音寺町に住んでいるものであれば、大人だろうが、子供だろうか、吉原の賑わいというものを実感することは難しくない。】」
というものです。

意味は理解できました。

>基本的には、
「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」
という意味になると思います。

しかし、「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」の中の「吉原を」の後ろに「知る」という動詞は省略できるのでしょうか。それは日本語として成立するのでしょうか。なぜその現代語訳に「吉原を」にかかる動詞がないのでしょうか。

補足日時:2010/07/04 19:20
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。分かるようになりました。しつこくて本当に申し訳ありません。「吉原を」という箇所がどうしても気になります。

お礼日時:2010/07/04 19:22

#3です。



「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」
といったニュアンスなのでしょう。

「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」という文はやはり理解できませんでした。「吉原を」はどういう意味でしょうか。
見取り図によると、「大門」と「見返り柳」の間に結構距離があるようです。なら、なぜ「大門の見返り柳」と言うのでしょうか。とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。

a.
基本的には、
「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」
という意味になると思います。
たぶん、ですが。

b.
「(吉原の入り口としての)大門に必ず至ることになる見返り柳から廻れば」といったニュアンスでしょうか。
吉原に行こうとして正規のルートを辿ると、「通常の道路を外れて最初に曲がる角」に見返り柳があります。
この見返り柳は「吉原の入り口としての大門」に(距離はありますが)直結しています。
そのため、この二つは殆んどセットとして認識されていたのでしょう。

「吉原を見返り柳から廻ればとても長い」
と言っても良かったのでしょうが、
「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」
と言うことで、「見返り柳を廻る」ということは「吉原の大門を潜る」と同義なのだ、というニュアンスを出したかったのではないか、と思います。

c.
>とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。
:その道程も含んでいますが、それだけではありません。
吉原の隣町である「大音寺前町」からの距離を言っていると思います。
「お歯黒どぶ」は大音寺前町に接触しているので、「近くで(吉原の一端を)知ることができる」ということになります。
    
a と b に関しては、あまり自信がありません。
新しく質問を立てられても面白いかもしれませんね。

>ちなみに、「見返り松」ではなく、「見返り柳」です^^;。
:柳より松が好きなので(無意識に)勝手に変えてしまいました。
一葉さんに叱られますね。^^;
教えていただきありがとうございます。
  

この回答への補足

1.
>基本的には、
「吉原を(直接行くことによって知るために)、大門の見返り柳から廻ればとても長いが、」
という意味になると思います。

すみません、「吉原を(直接行くことによって知るために)」の意味はよくわかりません。ほかの言い方に書き換えていただけないでしょうか。

2.
古文はわかりませんが、いまもう一度原文に目を通しました。「いと」という表現が目に入りました。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」に言う「長い」のはもしかして「柳の糸」でしょうか。

補足日時:2010/07/03 19:42
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この回答へのお礼

 度々ありがとうございます。すみません、今回は五里霧中の状態です(><)。

お礼日時:2010/07/03 19:52

#2です。



1.
>吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。

「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」は日本の同僚に聞いてもよくわからないと言っていました。私は、「吉原というところで廻れば」と「大門の見返り柳から廻れば」とこの二つの表現でいったいどこを廻るのかよくわかりません。「とても長い」は何を指すのかも理解できません。日本の同僚の意見では、「吉原へ行くために大門の見返り柳から廻ればその道(見返り柳から吉原までの道)がとても長い」となっています。

また、「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎ」もよくわかりません。騒ぎは水に映せるものなのでしょうか。

a.
見取り図をご覧になるとわかりやすいと思いますが、吉原の様子を知ろうと思えば、【正規ルートとしては】、見返り松の前を通って大門をくぐり、その区画の中に入る必要があります。
しかし、このように、【わざわざ(正規の)長いルートを辿って中まで入らなくても、】お歯黒どぶに灯火を映している三階の騒ぎなどを見れば、吉原の賑わいを手に取るように近く感じることができる、
ということでしょう。
これは子供である少女が主人公(おそらく作者の分身)なので、子供は吉原の中には簡単に(たぶん)入れなかったという事情を背景にした表現ではないか、と思います。

「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」
といったニュアンスなのでしょう。

b.
「お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階」「の」「騒ぎ」と区切るとわかりやすいかもしれません。
吉原の3階の部屋の灯火が水に映っていた、ということです。
煌々とした明かりの下で、お客さんが遊女と戯れているわけですが、その明かりが水に映っているわけです。
客の大きな声や遊女の嬌声なども同時に「騒ぎ」として聞こえてきます。

「湖面に影を映している鳥の羽ばたきが微かに聞こえてくるようだった」
などといった表現などと同様ですね。

2.
>かたむいた軒端の十軒長屋や二十軒長屋ばかりで、とてもまともな商売などはできそうにない場所なのだが、そこでも半開きの雨戸の外で、紙を妙な形に切って胡粉をぬりたくり、それに串を貼り付けて色つきの田楽みたいな物を作っている。

「十軒長屋や二十軒長屋」は「十個の狭い部屋や二十個の狭い部屋」という意味でしょうか。

「長屋」の定義は、「複数の住戸が水平方向に連なり、壁を共有する物」とウィキではなっています。
現在のマンションなどとは違って、この頃の長屋は、とても壁が薄くて作りも貧弱なため、隣の人の声や音が手に取るように伝わってきたはずです。
そういった家が十軒つらなっていれば十軒長屋と言います。
二十軒長屋、三軒長屋など色々あります。
狭い部屋ではなく狭い家ですね。
私も現在は独立した一戸建てですが、子供の頃から長い間、二軒長屋に住んでいました。
一応住宅ですが、一軒の中に通常は、一部屋か二部屋ぐらいしか無かった(無い)と思います。
  

この回答への補足

>「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長いが、(わざわざその長い道のりを辿って中まで入らなくても、すぐ目の前にある)お歯ぐろ溝(どぶ)に灯火を映している三階の騒ぎなどは手に取るように近く感じられる。」
といったニュアンスなのでしょう。

「吉原を大門の見返り柳から廻ればとても長い」という文はやはり理解できませんでした。「吉原を」はどういう意味でしょうか。見取り図によると、「大門」と「見返り柳」の間に結構距離があるようです。なら、なぜ「大門の見返り柳」と言うのでしょうか。とても長いのは「大門」から「見返り柳」までの道のりでしょうか。

補足日時:2010/07/01 14:47
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この回答へのお礼

 再びありがとうございます。だいぶわかるようになりました。まだよくわからないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。ちなみに、「見返り松」ではなく、「見返り柳」です^^;。

お礼日時:2010/07/01 15:01
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございます。こんな便利なサイトがあるんですね。大変助かりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/06/26 18:09

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Q舞姫について

高校の頃、教科書で学び、最近改めて読み直しましたが、大学になった今でも私が成長してないのか(^^;読後の感想は変わりませんでした。
文体が美しかったり、文学的要素はあるのだと思います。が、確か自分をモデルにした小説だったと思いますが、内容がどうも私には、筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです。そもそも、女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだと私は思ってしまいます。
しかし、教科書にも載る程の文学ということは、何か内容的にもすばらしいところがある気がします。
そこで、私とは違い、この小説の内容はこんないいところがあると理解できる方、是非どんなところか教えて下さい。
この作品に対して違った見方をしてみたいです。

Aベストアンサー

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関係にあったことはいくつもの資料が指摘するところです。

けれども、鴎外が帰国した二ヶ月後の明治二十一年九月十二日、彼女は鴎外のあとを追って来日、築地の精養軒ホテルに一ヶ月滞在した後、帰国します(鴎外は、二十二年後、48歳という年齢になって、その経験をもとに『普請中』という短編を書いています)。

このElise Wiegertがどういった人物なのかはよくわかっていないのですが、とにかく鴎外を追って単身日本に来れるような彼女が、少なくとも作品中の「エリス」とはずいぶん境遇がちがったことは間違いない(当然狂気にも陥っていないし、妊娠の事実も疑わしい)。
むしろ、ごく普通の恋愛だった、と見るべきではないかと思います。

>筆者が「自分はエリートな男な上に、女にももてるんだ」と自慢しているようにしか感じられないのです

自慢がしたいなら、「エリス」を令嬢として描き、そんな極悪非道な仕打ちを書くかわりに、どれだけ彼女が別れをつらがったか、さらに「彼女ったらオレを追っかけて、日本にまできたんだゼ~、どうだ、オレってすごいだろー」と書けば、(文学として成立するかどうかはともかく)作者の自尊心は、はるかに充たされるはずです。

豊太郎はエリスに対してひどい仕打ちをする。
おそらく『舞姫』を読む人のだれもが、太田豊太郎を嫌いになるはずです。
豊太郎の行動を、批判するはずです。
憐憫を持つことはできても、好きにはなれない(たとえば「坊っちゃん」をキライになるのがむずかしいと同じくらい、豊太郎は好きになるのがむずかしい人物です)。

どうして鴎外は、あえて主人公をそのような人物として造型していったか。
また同時に、そんなひどい人間を描いた小説が「明治時代の青春を象徴する小説」(中村光夫『日本の近代小説』岩波新書)として、今日まで読み継がれてきたのか。
そこを読み解いていかなければならないと思います。

この場で読解をやっていく時間もスペースもありませんので、比較的手に入れやすい参考文献をひとつあげておきます。
山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』筑摩新書、とくに第四章「作家誕生 ――『舞姫』を読む」では、読解と作品が誕生した経緯が描かれています。

「鴎外が『舞姫』を発表した時、不特定多数の読者を対象にしてはいない。豊太郎の文脈に添えば、手記の読者として想定可能なものは、「心ある人」であり、豊太郎とエリスとの行実を「あやしみ、又た誹る人」であろう。これを鴎外の文脈で語るならば、エリス(エリーゼ)に代表される西欧の自由と美に象徴される市民精神を自らの手で扼殺した己れの生のあり様を「心ある人」に告白することであり、「この行ありしをあやしみ、又た誹る人」として陸軍軍医部の上官、特に石黒忠悳へ向けられた痛烈な刃であった。おそらく『舞姫』発表は対自家用(鴎外の母や妻登志子)を超えた標的に向けて放たれた小説であり、鴎外としても自己の進退を賭けた表現であったと言える」(引用同)

以下、簡単にわたしの解釈を書きます。
やはりこの小説を読むとき、何よりも忘れてはならないのは、明治という時代の特殊性です。

こんにちのわたしたちは、「日本」というものをそれほど意識せずに生活していますが、江戸末期に生まれた文学者、たとえば坪内逍遙も、二葉亭四迷も、そして鴎外も漱石も、「日本」をどうしていくか、が、自分の人生をどう生きていくか、と表裏の問題としてあった(エリートというのは、そのような社会的重責を課せられた存在でもあったのです)。

とくに鴎外は、ほかの文学者たちが、ともかくも文学を専業(二葉亭の場合はなかなかそういうのもむずかしい側面はありますが)としていたのに対して、陸軍の軍医として、作家とは別の顔を持っていた。

おそらくは鴎外の内面は、公的な生活の充実にもかかわらず、ひどく空虚な部分があったのではないか。
その空虚さとは、当時の日本の「外発的開化」の現状とも結びついていた。
鴎外の創作活動は、その精神的空白を見据え、なんとか埋めようとしたものではなかったか。
その空白は、早くも『舞姫』のなかに胚胎していたと思うのです。

冒頭、豊太郎は自己を恨みます。自分のしたこと、自分の卑しさを、だれよりもよく知っている。
おそらく豊太郎は、どれほど世間的に成功しても、みずからに対する尊敬の念を取り戻すことはできないでしょう。
だれよりも、鴎外がそれを許さないものとして『舞姫』を創作した、と考えることができると思います。

『舞姫』はこの文章で終わります。
「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり」

相沢謙吉とは誰か。
豊太郎を日本に連れ戻した友人は、同時にまた母であり、日本でもあったのではなかったか、と思います。

明治文学の一愛好者として回答させていただきます。

まず、ほかの回答のなかにも誤解していらっしゃる方がいるようですが、『舞姫』に出てくる太田豊太郎は森鴎外の創作人物です。
にもかかわらず、『坊ちゃん』の主人公と夏目漱石をだれも同一視することはないのに、鴎外と豊太郎を平気で同一視して解釈しようとする人が多いことが不思議です。
まず、鴎外=豊太郎とする見方を捨ててください。

>女をあんな目に合わせて、それを小説化するとはどういうことだ

鴎外がElise Wiegertという女性と恋愛関...続きを読む

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q「夏草や兵達が夢のあと・・」の意味を教えてください。

中学校とかで習ったのですが、うる覚えになってしまい、ちゃんとした意味を忘れてしまいました。知っている方お願いします。

Aベストアンサー

 これは松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中、平泉(今の岩手県平泉町)で詠んだ句です。

 この地で長く栄えた奥州藤原氏も滅んでしまった、英雄源義経もここまで追われてついに討ち果ててしまった……という感傷の句です。

ちなみに
兵達   → 兵ども
うる覚え → うろ覚え
です。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~bk8s-sndu/hiraizumi.html

Q森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よ

森鴎外の「舞姫」の感想を600字程度で書いていただけないでしょうか?よろしくお願いします。

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この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供が宿っている。豊太郎としては傍にいたかったであろう事は想像に難くありません。まさに『究極の選択』を描いた問題作とも言えるでしょう。また、作家でもあり医者でもあった鴎外だからこそ、このエリスの救い様の無い悲劇を表現できたとも思えます。この作品は、豊太郎は、結果、愛するエリスよりも仕事をとり、相沢は二人の仲を引き裂き、エリスには悲劇しか残らなかった、という三人の環境を取り巻く要素を心理的に複雑に絡め、豊太郎の「この世に相沢よりも友人と呼べる人間はいない。しかし、彼に対し憎悪の感情がある事もまた事実だ」という人間が誰でも持ち得ている「煩悶」を見事に導き出す鴎外の複雑な思いを描いたものと言えるでしょう。時代背景を考えても、敢えて国際恋愛の難しさを描写した鴎外。エリスは、その現実に対し何を感じたのでしょうか。

(594文字、句読点を含む)

下手な文章ですが、こんな感じで如何です?

この『舞い姫』を読んで自分なりに感じた事は、人間の持つ「二面性」が悲劇的且つ強烈に描写されている、という事です。太田豊太郎の相沢謙吉に対する心中の言葉にそれが見受けられます。。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり。」相沢謙吉という二度と得がたい程の友を持ちながら、その友にエリスとの関係を引き裂かれた形になった豊太郎。ただ引き裂かれたのならまだ救いはありますが、エリスの心理的病が進行し、しかもお腹の中には彼の子供...続きを読む

Q東大の理1と理2の違いは?

僕は次から高1になるのですが、大学は東大の理系を考えています。
理3が医学部だということは分かっている(し、行く気はない)のですが、
理1と理2の違いがあまりはっきりしません。
学部進学の際、どのように振り分けられるのですか?
できれば具体的な人数なんかのデータがあればいいのですが・・・。

Aベストアンサー

>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・医学部・工学部
↑は、それなりに人数比率も反映した順番になっていて、理1なら工・理が大部分を占めるし、理2なら農・理・薬が大部分を占めます。

ここまでいろいろ書きましたが、どちらかというと、momomoredさんには#2の集計表とにらめっこしてほしくありません。
むしろ、大学側からの「進学のためのガイダンス」(http://www.u-tokyo.ac.jp/stu03/guidance/H16_html/index.html)や、#2の進学振り分けの資料の中の各学部の紹介とか、あるいは、各学部のホームページ(学部ごとにホームページをもっています)を見て、できれば研究室のホームページまでチェックして、具体的に何がやりたいか、そしてそれをやるためには東京大学のあの研究室で学びたいんだ、ということをしっかりと意識することのほうが大切だと思います(それがなかなかできないわけですが…ハイ)。

あくまで#2の集計表とかは参考までにね。#2で書いたように、入ってから行きたくても行けない学部・学科なんてものはほとんどないですから(文転もありですよ)。
目標高く勉強のほうがんばってください。

>工学が1、農学が2、理学部ではそんな変わんないって感じでしょうか。

理学部はひとくくりにできませんよ。
物理学科、数学科などは理1優勢ですし、化学科だと同じくらい、生物学科なら少し理2優勢といった感じです。
#2で示した集計表のとおりです。
細かいこと言い出すと、工学、農学も学科によって色合いがかなり異なりますよ。

大まかなことを言えば、#2の文中に示した進学振り分けについての資料にありますが、
理科一類 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 農学部・理学部・薬学部・...続きを読む

Q中国は社会主義。経済は資本主義?

中国は社会主義国のはずです。しかし昨今の中国経済の成長の話題から、経済は資本主義化していますか?

社会主義国にとは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?

Aベストアンサー

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い訳)で資本主義化を行っていると考えられます。

・現在の資本主義化は理想の共産主義を実現するための過程である。
・資本主義を導入しているのは国民の生活を脅かさない余剰産業の分野である。
・基幹産業は国家が共産主義思想に基づいて行っているため問題ない。

 つまり、共産主義を実現するために国家の経済を豊かにしようというのが資本主義導入の理由であり、国民の生活を支える基幹産業は国家が管理しているので問題はない。そもそも社会主義・共産主義は資本主義の発展系なので、現在の資本主義はあくまでも過渡期である、というのが中国共産党の考え方のようです。

 「時代遅れなのですか?」というご質問ですが、現在の中国は本来の「資本主義→社会主義→共産主義」ではなく、文化大革命によっていきなり社会主義となった(多くの社会主義国家が同様ですが)ため、思想的にはあり得ない「社会主義状態での資本主義導入」という現象が起こっただけです。したがって「時代遅れ」とは別の次元で判断した方がよいでしょう。

 社会主義という思想は格差の是正を目的としているため、「資本家と労働者」という階級闘争に結びつきやすく、国家や官僚による国民の支配を強めてしまう側面があります。中国が抱えるさまざまな問題は、資本主義の導入が原因というよりも、社会主義が持っている問題が抑えきれずに露呈したといえますね。

 ちなみに、日本を含む資本主義社会の多くは、市場経済でありながら平等な生活を求める「混合経済体制」に移行しつつあります。すでにEUなどではゆるやかな社会主義が導入され、資本主義といかに組み合わせるかが課題となっています。そういう意味で、これからの社会は資本主義と社会主義が融合した形がスタンダードになるかもしれません。

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q「文化進化論」と「文化伝播論」について

「文化進化論」と「文化伝播論」について説明できる方いらっしゃるでしょうか?
インターネットでもヒットが少なく、いまいち理解できず困っています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

文化人類学の理論という観点から、お答えいたします。

大きな流れ:
19世紀、人間を神の創造物であるとする世界観に対し、(2)生物学の観点から挑戦した「進化論」が登場し、(3)「社会進化論」、つまり「単純から複雑へ」という単線的な「進化」という概念を社会にあてはめるという発想が流行する。(4)「社会進化論」の科学的証明の欠如に反対した、4つの流れ:「極端な伝播論」、オーストリア・ドイツの「歴史・伝播学派」、「アメリカの歴史学派」(ボアズ)、「イギリスの構造・機能主義」(マリノフスキー、ラドクリフ=ブラウン)。

文化進化論:evolutionism.社会進化論(および社会ダーウィニズム)とも。
この立場の人物として、英国のタイラー(人間の信仰はアニミズム→多神教→一神教へと進化するとした)と、米国のモルガン(野蛮→未開→文明という発達段階を主張)などがよく取り上げられます。
 のちに出てくる「新進化論」と対比される、「古典進化論」「単系進化論」について、一言で要約すると、「民族や社会はすべて、単一の発達過程のラインを、段階を踏みながら進行する。社会ごとに発達の速度は異なる。」と説明できます。
ツボは、当時の西洋の学者が、理解してもいない「異民族」を「野蛮」だと決めつけ、自らを「文明」という立場にすえて考えていたところです。

文化伝播論:diffusionism.
 イギリスを代表とする「極端な伝播論」は、世界の文化はエジプト文明を起源として作られたとしています。実証性がなく、専門家の間では全く顧みられなくなりました。
 「文化圏学派」として知られるオーストリア・ドイツの歴史・伝播学派は、世界各地に文化圏を想定し、その内部の要素を細かく分析、一つ一つの文化圏はどの文化要素がどのように伝播して出来上がっているのか、を論じました。

より詳しく調べる際の手助けになればと思い回答いたしました。テストの類の答案としては、上記の説明だけではまだ不十分かと思いますので、ご自身でさらに調べてみることをお勧めします。
参照
祖父江孝男『文化人類学入門 増補改訂版』中公新書、1990年。
M.S.ガーバリーノ,木山英明・大平裕司訳『文化人類学の歴史 社会思想から文化の科学へ』新泉社、1987年。
綾部恒雄・桑山敬己編『よくわかる文化人類学』ミネルヴァ書房、2006年。

文化人類学の理論という観点から、お答えいたします。

大きな流れ:
19世紀、人間を神の創造物であるとする世界観に対し、(2)生物学の観点から挑戦した「進化論」が登場し、(3)「社会進化論」、つまり「単純から複雑へ」という単線的な「進化」という概念を社会にあてはめるという発想が流行する。(4)「社会進化論」の科学的証明の欠如に反対した、4つの流れ:「極端な伝播論」、オーストリア・ドイツの「歴史・伝播学派」、「アメリカの歴史学派」(ボアズ)、「イギリスの構造・機能主義」(マリノフスキ...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.


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