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織田信長は好きですか?

自分は歴史上(日本史)の人物で織田信長が一番好きで、彼に関する著作物をたくさん読みました。
読めば読むほど信長の素晴らしさに感服するのですが、ときおり信長に否定的な著作を見かけるとやや気分を害された気になります。

質問ですが
織田信長は好きですか? 嫌いですか? その理由はなんですか?
です。

宜しくお願いします。

A 回答 (7件)

歴史上の人物としては、世界の有名な人物(アレクサンダー大王とかカエサルなど)にも匹敵する人物だと思っています。

ただ、部下として仕えるのは・・・嫌です・笑。
なぜかというと、信長は超実力主義。しかも根に持つ性格。だから勤続三十年でもなんでも「もう使えない」と烙印を押されると何十年も前のミスを蒸し返されてクビになってしまいます。つまりいくら貢献していても立場が安泰ということがない。安泰どころか、いつクビになるかすら分からない。いくら戦国乱世の世とはいえ、これでは全く気が休まりません。
また日本人というのは本能的に独裁者を嫌う傾向があります。小沢一郎氏の不人気ぶりなんかその象徴ですね。だから、信長は「高転びにあお向けに転ぶ」と予言されましたが、仮に明智光秀が手を下さなくてもいつか誰かが同じことをしたんじゃないかなと思います。

信長は、いつの時代に生まれても、永遠に「早すぎた人」だったのじゃないかと思います。現代に生まれてもその超合理主義はフツーの日本人には理解できないし、何百年も先でも同じことだと思います。
面白いのが、彼が宣教師から「地球は丸い」と話を聞いたときの信長のコメントが「理にかなっている」だったそうです。これ、なかなかうなる回答ですよね。彼は根っからの理系だったのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご指摘の通りですね。

自分が信長を好きな理由の一番大きなポイントは自分にないものをもっているってことです。

今の日本に賛否はあれど必要なリーダーの要素をふんだんに含んだキャラクターじゃないかなとおもいます。

参考に致します。

お礼日時:2010/09/19 08:28

 ANo.5:変換ミス


 すみません。
 
 付き合ったり、使えたりする(⇒仕えたりする)相手としては好みませんね。

 壊すしていくという円環てき(的)循環

 申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/18 09:47

 付き合ったり、使えたりする相手としては好みませんね。


 秀吉みたいに、馬鹿でかいおべっか無自己性な人物なら、ひょいひょいと流れや風に合わせられるでしょうが。
 押さえて使う、あるいや活用して使うあいてとたら、まかせられませんね。
 いつ寝首を掻かれるか分らない。

 帰郷で孤独、独歩の人でしょうね。
 あそこまでが人の上にいられた限界でしょう。

 改革し、それを受継承し、繋いでいき、壊すしていくという円環てき循環の中で区別をすれば、壊して作り、後は去っていく人ですね。
 使命を果たした人です。
 所詮、孤独です。あぁ嫌いかどうか?私も孤独ですからねぇ。
 でも他の孤独の人を好きにはなれません。
 私も後の整理も始末もあまり得意ではありません。受け継ぐことが得意ではありません。
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この回答へのお礼

そうかもしれません。
登りつめていく過程で信長が何を捨て、何を得たのかが今も興味深く知りたいところです。

孤独に関しては、それを敏感に感じるか否か? にもよるのかなっていうのが自分の感覚です。
時々孤独も好いかなって思うけど、やはり辛いことのほうが多いかも・・・

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/18 09:45

信長は好きですよ



この弱小武将がいなきゃ私の一族郎党が本能寺の変でコイツを退治することが出来ませんからw

ちなみに明智光秀様の家臣の末裔ねw
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この回答へのお礼

やっぱり好きだったんですね。(笑)
本能寺の変は一時の気の迷いだったんですね。(笑)

本能寺に関しては信長の油断だと思っています。
何故だか明智はあまり嫌いではないんですよ。(マジで)

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/18 09:37

信長のはなしをひとつ 



将軍義昭を奉じて 上洛し 諸事万端の段取りを済まして 岐阜に帰還 
ところが それを見越して またそぞろ 三好の一党が京周辺で動き始め 
不穏な情勢に 義昭は不安になって 岐阜の信長に来援を要請しました 
雪の積もる季節でしたがものともせず 
急ぎ急行の指令を城下にだしました

そのときの顛末が信長公記にあります

荷の運搬に対して 信長は信玄や謙信のような 
伝馬制度は採らず 馬借でした 
城下で営業を許可しておりまして 通常は一般の請負ですが
いざというときは 独占貸切になり 
どこの誰が何をどれぐらいのものを積むか 
すでに決めてありまして ほら貝とともに 
短時間で出発できるようになっていました が 
そのときは 少々混乱しまして(既定の人数にたりなかったようです)
いつもよりたくさん積もうと(積めば積むほど金になる)
荷持の取り合いがどうもあったみたていで 混乱したようです

信長は じきじきに 出て行って こういったそうです

京へは 急いでいかなければならないので けんかするな

濃がいちいち見て採決してやるから さわぐな と

いちいち点検して これでよし  いくぞといって 出発したそうです

今で言うところの貸切の引越し便か宅配便みたいです
信長は もちろん京に間に合い 蹴散らしたそうです

馬借の人夫らと雪のちらつく中 
馬の背に荷持を担ぎ上げたりしていたわけです

この距離感が信長なんでしょうね

支配するものと支配されるものの間の中間を排除しょうとした

行動の一端がかいまみれる思いです.

特に、国内統一戦の頃の村木砦攻めの上総介信長がいい。
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この回答へのお礼

信長の貴重な逸話を教えていただきありがとうございます。

彼の人間味が出ている良い話ですね。
その距離感、スピード感が信長をあそこまでにしたんでしょうね。

教えて頂いたような彼に関する逸話を見つけると嬉しくなります。
ご回答感謝致します。

お礼日時:2010/09/18 09:27

私はあまり歴史上の人物に「好き」という感情を持てません。

好きになれない人なら何人かいますが。
というのも、歴史上の人物は言うまでもなく過去の人で、既に死んでいます。つまり人生の結果が出ているわけですよね?そういう人に、しかも会ったこともないのに好きという感情はわかないんですよね。

それと彼らも人間である以上、長所と短所があって当たり前です。現代の人間から見て、それぞれの性格に対する好みというのが別れるのも仕方のないことだと思います。

そういうことを総合すると、どんな人物に対しても否定的な著作があるのは当然で、気分を害する気持ちはわかりますが仕方のないことではないでしょうか?

とは言え、信長は比較的興味のある人物です。嫌いではないです。比べれば、秀吉や家康の方が嫌いです。信長が本能寺で死ななければ…、という妄想は楽しいですよね。
興味の理由は、いろんな意味で「奇抜」だからでしょうか。
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この回答へのお礼

好き=会いたい=会えない
みたいな感じでしょうか。

そうですね・・・いろんな見方があって然りですね。
自分も「奇抜」なところもいいと思うし、またわりに常識的な面もあって・・・

ご回答戴きありがとうございました。

お礼日時:2010/09/18 09:19

>織田信長は好きですか?





      ↓
史実に則って考察すれば、偉大な改革者・パイオニアであり、歴史上、大きな歯車を回した英傑だと思い評価しますが・・・

好き嫌いで言えば、権力掌握・統制上・家督や領土の奪取・天下布武の実現には止む得ない面もあるのでしょうが、弟・叔父等の肉親への非常さ、家臣の過酷な制裁(荒木・明智)、政略結婚や切捨て(お市・信康)、残虐な粛清(比叡山焼き討ち・長島一向一揆への措置)から、上司には持ちたくないし、個人的にも友人知人には成りたくないので好ましい印象を持ちません。
(嫌いと言うのとはニュアンスが違うが、苦手・煙たい人物の感じです)
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この回答へのお礼

確かに苛烈な面があり、首を傾げたくなるかもしれません。

でも自分はあの時代に生きていたら、信長に仕えてみたいと思うのです。
賛否はあれど、彼の人間的なエピソードを知るとやはりいいんですよ。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/18 09:12

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