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歴史ものに分類される漫画「センゴク一統記」の中で疑問があります。
飽くまで歴史事実を検証すると言うことではなく、創作物におけるその背後に描かれた意図を読み取りたいものです。

織田信長を討った明智光秀は京の淀城に在陣、それを討つべく中国地方から大返しをして、急ぎ京に戻った秀吉は大山崎に在陣しました。
その時、秀吉と合流した信長の三男である信孝は、陣幕を「揚羽蝶紋」から「木瓜紋」にせよと部下に命じ、変えさせています(6巻119ページ)。
しかし一方、対明智戦で劣勢になった時(6巻183ページ)、信孝は、陣幕を「木瓜紋」から「神戸の紋」に変更せよと命じています。
神戸の紋=揚羽蝶紋なので、一旦変更した後に元に戻せ、と言う展開です。
これはどういう意図があってやったものなのでしょうか。
同作における説明がなく、悶々としています。

陣幕の紋は「自分はこういう人間だ」「こういう陣営だ」と言うことの他、「自分はこういう経緯でいる由緒正しい家柄だぜ」と言う意味合いも含まれているのかな、と勝手に思っています。

とした時、上記の陣幕の変更は「信孝本人がやっている」→「こっちが正当なる織田の継承者だ(織田のバックアップを主張している)」→「やっぱりこの戦をやっているのは信孝本人俺そのものだ(だから織田そのものと言うことではなくて俺がやった功績なんだぜ)」になったのかなあと漠然と思っているのですが、皆さんのご意見はどうでしょうか。

A 回答 (2件)

#1さんの回答に一票です。


揚羽蝶紋は平氏の紋で、桓武平氏資盛流と称していた織田信長が陣羽織
などに使用していました。
信長と嫡子信忠が本能寺の変で亡くなっているので、織田家の跡継ぎ
は俺だ!と言う事で平家の紋から織田家の紋に変更したのでしょう。
再び揚羽蝶紋に変えたとしたら、信長の子息は他にもいますから、
秀吉、辺りから注意されたのかも知れません。

陣幕、旗印は戦場で目立つ為の物ですから、ころころ変えては、士気に
関わりますから、事実とすると信孝は凡将ですね。

織田家は尾張守護 斯波氏の家臣だった頃は藤原北家利仁流と称して
ましたが、信長の代で桓武平氏資盛流だとして揚羽蝶紋を使用しま
したが旗印とした記録は無かったと思います。

当時を知る人はいないのだから、文書力の有る人は、印税稼ぎし放題
なので羨ましい限りです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど。参考になりました。

お礼日時:2023/11/03 00:21

信孝って、一度他家に養子に出てますね


神戸信孝という名前になっています

それが揚羽蝶紋ということなんでしょう

で織田信長の代表的な紋は織田木瓜です
紋を木瓜紋に替えたというkとは、神戸の人間としてではなく織田本家としての立場を明らかにしたんでしょう


それを再び揚羽蝶紋に戻したのは、その漫画に関して一切知らないので良く分かりませんが
家紋てそういう感じに使いますよね

『この紋所が目に入らぬかぁ~』
『ははぁ~』
なんてのもありましたし
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど。参考になりました。

お礼日時:2023/11/03 00:21

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