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敬意を持ち始めたのは、実は明治以降からなのでは?

フランスのフォンテーヌブロー宮殿で、幕末の日本から皇帝ナポレオン3世に贈られた贈答品が大量に発見されたことで、その美術の紹介がNHKの番組、「日曜美術館」でありました。

幕末遣欧使節がフランス王に贈った掛け軸のなかに、中国の美術品を模した鳩の絵がありました。元の中国の絵の鳩は中国の皇帝を暗示しているものだそうです。
それを模した意味は、当然に日本の皇帝が、当時、東洋の大国とみなされていた中国の皇帝と同等であることを意味するものかというと、研究者の見解は違っていて、徳川将軍を中国皇帝になぞらえたものだということでした。
つまり、幕府はフランス王に対して、日本の王は徳川だと示したのです。

A 回答 (7件)

>敬意を持ち始めたのは、実は明治以降からなのでは?



いいえ、日本人はずっと天皇に敬意をもっていました。ただし、日本人全員ではなく「政治をつかさどる人々」だけでしたが、それで十分だったし、だから天皇が古代から今までつづいているのです。

たとえば戦国時代の終わりは「天下統一」だったわけですが、天下統一の具体的なゴールは「天皇に勅許をもらって幕府などを開いて日本の統治者になる」ということであったわけです。

織田信長はもっとも近い地位いて、天皇ともやり取りをしていた記録がありますが、なんらかの形で天下統一を果たす前に本能寺で弑されました。

後を継いだ豊臣秀吉は、征夷大将軍による幕府ではなく関白になりましたが、面白いのは徳川家康を始め日本のすべての大名が「秀吉が天皇から関白を拝命した以上、秀吉に逆らうのは国賊」という認識をもっていたことです。

つまり「天皇が決めたことは絶対」であったわけで、天皇に権威があり、敬意をもたれていた、ということになります。

ただ、徳川家康はこれを問題視しました。ようするに「天下統一を成し遂げても、天皇がそれを気に入らなければ、南北朝のようなことも応仁の乱のようなことも起きる」と思ったわけです。

なので、関ケ原の戦いで勝ち天皇から征夷大将軍の勅許をもらった家康は「征夷大将軍は武家の棟梁である、棟梁である将軍を通さずに天皇から官位を授かったり、褒美を賜ったりすることは許さない」としたのです。

同時に徳川家康は禁中並公家諸法度を作り公家に押し付けて、公家が天皇をそそのかしてクーデターを起こすことを防止しました。鎌倉幕府の六波羅探題と同じです。

その結果、日本の事情を知らない西洋人は当初徳川将軍を「日本の皇帝」だと思ってしまったわけです。

だから幕末の初期に送られたものだと「徳川将軍=日本皇帝」だと勘違いしたものがけっこうあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

具体例は勉強になりました。

お礼日時:2021/10/31 16:06

やれやれ。


質問者は論外だが、これに気が付けないようでは・・・


評価:事実の歪曲による幼稚な印象操作。


A:>その美術の紹介がNHKの番組、「日曜美術館」でありました。
B:>幕末遣欧使節がフランス王に贈った掛け軸
C:>徳川将軍を中国皇帝になぞらえたものだということでした。


AのNHKの「日曜美術館」でもBやCのように語っていたのでしょうか。

当時のフランスの統治者は「皇帝」のナポレオン3世です。(在位1815~1872年)
   ↓
C→鳩は日本の将軍ではなくフランス皇帝への礼儀や敬意。
「日本人は本当に天皇に敬意を持ち続けていた」の回答画像7
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

この番組を観ていませんね?
NHKオンデマンドでも見れると思いますので見ることをお勧めします。
たまにはアニメ以外の番組も見ると良いものですよ。

お礼日時:2021/10/31 16:00

鳩の意味とやらは知りませんが。



ごくごく素直に考えて、天皇の権威はどの大名よりも将軍よりも上だという了解が幕末の社会になければ、尊皇攘夷思想も公武合体運動もあり得ません。

天皇が皆の従う権威でないなら「討幕の密勅」なんて不要でした。実力で敵を倒せばいいだけ。しかし実際には、当時の薩長が他藩を従わせるには天皇を担ぐ必要があった。逆に幕府側は鳥羽・伏見の戦いにおいて兵力では薩長に勝っていたのに、錦の御旗にうろたえて敗走してしまいます。

「日本に天皇は要らない」みたいな主張してる人の歴史に対する理解度が覗い知れて興味深いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私がこの質問を歴史カテや芸術カテでなくて、あえて政治社会カテに投稿した意図はおわかりになりますか?

お礼日時:2021/10/31 16:02

敬意を持ってないなら、随分昔に殺されてるはず。

天皇制など今は昔の話なはず
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

武士と殺し合った時代もありました。私は近世の時代は利用価値が互いにあったのだと思います。

お礼日時:2021/10/31 16:03

ずっと昔から敬意を持ち続けています。


それ故に、為政者は、平安時代以前も、鎌倉時代も、織田信長も徳川幕府も、天皇家を自分たちの権威づけに利用しようとしました。
明治新政府は、諸外国から侵略される危険と幕末以来の騒然とした社会を落ち着かせるために、天皇の御稜威にすがるしかありませんでした。

なぜそうなったかは、天皇と国民(民草)との関係が、支配者と被支配者でなかった事にあると考えます。
天皇は、2000年以上、国民(民草)を国の宝として、国と国民の安寧を祈る存在であり続けたからでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

国民の安寧を願うはずだった存在が、戦争をその名の元で引き起こすことになった歴史は消えません。

お礼日時:2021/10/31 16:05

あの時代は幕府の権力も地に落ちていて日本は薩摩と幕府の二つの国があると思われていた、というより西洋にとって日本などどうでもよかったのです。



ですのでフランスの万博には日本(幕府)という国と薩摩という国の2カ国が展示される事になったというエピソードもあります

>敬意を持ち始めたのは、実は明治以降からなのでは?

これは間違いですね
でなければ錦の旗を盾に戦争などしませんし将軍などという地位を手に入れることなどしなかったはずです
そもそも徳川家や源氏や平氏が皇帝を名乗ればよかっただけです

藤原氏にしても天皇家を乗っ取ることだって簡単にできたはずなのにそれをしなかったのもその一つです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私は今の天皇家と日本会議などの右翼団体の関係みたいなものではないかと思います。
自分たちに都合が悪いことは、たとえば天皇の生前退位には露骨に陛下を批判したり、安保関連法の改変のときは、陛下の発言を封じることに全力をあげたりです。
見せかけの敬意、利用するための敬意の振りです。

お礼日時:2021/10/31 16:11

そんなことはあたりまえすぎるほどにあたりまえのことだ。


江戸時代には、テレビやラジオはもちろん、新聞も週刊誌もマスコミと言えるようなものは何も無かったのだ。
そんな状況で、誰がどうやって天皇のことを知るというのか。
明治になって、明治政府の思惑に則って天皇を愚かな民衆に伝え、無知で何も頭に無い民衆は天皇についてのプロパガンダを鵜呑みにしたのだ。
今も圧倒的多数の馬鹿が、天皇とは何かすらもわからないまま崇めているということなのだ。
http://wild-usa-9199.pinoko.jp/newpage31.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も質問者さまと同意です。

お礼日時:2021/10/31 16:11

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