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昔、在来線の特急とき号は多本数運転されていて停車駅パターンが全く不規則的でした。
そのなかでも停まる本数の多い駅と少ない駅がありました。

多い駅:大宮・越後湯沢・東三条・新津(大宮・新津は大都市に近く需要がある駅、湯沢・東三条は他の特急が停車しないため?)

少ない駅:渋川・小千谷・見附・加茂(停車駅間との距離の関係、小規模都市)

適度な停車本数の駅:水上・六日町・小出(水上は運転手交替のため、六日町・小出は中間地点のため停車駅間を長く取れる?)

全列車停車駅:高崎・長岡(政治家の影響か?)

以上私なりに理由を考えて見ましたがいかがでしょうか?

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A 回答 (3件)

>全列車停車駅:高崎・長岡(政治家の影響か?)



大宮を除けばそれぞれの県の中核都市です。止まらないほうがおかしいでしょう。

>多い駅:大宮・越後湯沢・東三条・新津(大宮・新津は大都市に近く需要がある駅、湯沢・東三条は他の特急が停車しないため?)

東三条と新津は乗り換え駅です。それぞれ弥彦線と磐越線に接続します。
大宮は大都市ですので当然停まるとして、湯沢は観光地ですので需要を見込んでの停車ということと、湯沢から先の各駅への乗り換えという点で停まっていたのだと思います。
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当時、特急「とき」以外に走っていた上越線の優等列車として、特急「いなほ」(上野~秋田・青森)・特急「はくたか」(上野~金沢)・急行「佐渡」(上野~新潟)・急行「よねやま」(上野~直江津)・急行「ゆけむり」(上野~水上)・急行「草津」(上野~万座・鹿沢口)・急行「あかぎ」(上野~前橋・桐生)があります。



まず、「いなほ」は首都圏対羽越本線沿線、「はくたか」は首都圏対北陸という長距離の需要に応えるものなので、上野から長岡(あるいは新津)までは停車駅を絞り込みました(せいぜい大宮・高崎・水上または越後湯沢)。

急行である「佐渡」「よねやま」は、首都圏対新潟という輸送目的にして「とき」を補完する列車なので、「とき」が1本でも停車する駅(六日町・小出・小千谷など)には全列車が停車していたと記憶しています。

同じ急行でも、「ゆけむり」「草津」は首都圏と群馬県北部の温泉地を結ぶ観光客の需要が多く、また埼玉県北部や群馬県の主要都市(高崎以外にも深谷・本庄・前橋など)への都市間輸送の側面もあったので、「あかぎ」を含めて停車駅は多くなりました。

「とき」の停車駅を決めるに際しては、これらの列車との兼ね合いも当然ながら見逃せません。
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この手の「停車駅がばらばら」の優等列車は「千鳥(ちどり)停車」と言います。

基本的な発想は参考URLを見て頂くとして、「とき」の場合は

1.「止めてくれ」と言われた町の駅に全部止めると所要時間がかかりすぎる。
2.「止めてくれ」と言われた町の駅を全部通過することは政治的にも営業的にも望ましくない。停車する列車はその駅の乗降客数と有効時間帯(水上などの観光地は観光客の利用時間帯に合わせる)で決める。
3.高崎・長岡の2駅は、乗降客が多いだけでなく運転上も主要駅であり、運転手の交代や接続線区への乗り換えの必要から全列車停車させる必要がある。

という3点から停車駅が決まってきたものと思われます。ちなみに「とき」の運転手は確か「長岡から高崎まで通し」だった筈で、運転手交代の為に途中駅に停車することは無かった筈です。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%9C%E8%BB%8A_(%E9%89%84%E9%81%93)#.E5.8D.83.E9.B3.A5.E5.81.9C.E8.BB.8A
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Q特急あさまの情報(時刻表)募集しています

 長野新幹線が開通前の特急あさまの
 の情報を調べたいので、知っている方は
 教えてください。


 具体的には、特急あさまの停車駅、時刻表、
 どこからどこまで走ってたか。何両編成だったか。 教えてほしいのですが。

Aベストアンサー

97年6月の時刻表(廃止直前ですね)があったので、簡潔に書きます。

定期列車は19往復ですが、他に臨時列車が12往復設定されていたようです。
停車駅はすべての列車が停車するのが上野、大宮、高崎、横川、軽井沢、小諸、上田、長野。
その他は赤羽、熊谷、深谷、本庄、安中、磯部、中軽井沢、御代田、田中、大屋、坂城、戸倉、屋代、篠ノ井、黒姫、妙高高原、新井、高田、直江津。
区間は上野~長野・直江津のほか、臨時で妙高高原発着と、No.1の方が言ったように横浜発着があったようです。
所要時間は長野~上野が2時間50分から3時間程度。
編成は189系が指定席4両・自由席4両・グリーン車1両で9両の場合と、指定席6両・自由席4両グリーン車1両で11両の場合があったようです。

Q横軽線現役時代のローカル列車

こんにちは。
今は廃止になってしまった横川~軽井沢を含む信越線南部区間ですが、
普通列車の運行形態はどのようなものだったのでしょうか?

まだ廃線から10年と経たない同区間ですが、ネットで調べてみても
碓氷峠自体の記事や特急・急行列車についてはよく見かけるものの
普通列車に関する記事はあまり無いようです。
(あるいは調べ方が足りないだけなのか?)

車両:
115系?急行形?客車?まさか107系?
所属は高崎側か長野側か?
EF63重連+2~3両?もっと長い編成?

ダイヤ:
高崎~長野などの長距離列車が走っていたのか?
現在の上越国境を越える普通列車と同じく、1日に5往復程度?


一部でもかまいませんので、ご存知の方おられましたらご教示おねがいします。

Aベストアンサー

私は学生時代、昭和54年から57年まで、上野-高崎-横川-軽井沢-長野と乗っていました。

この区間は、昭和38年頃まではレール間に設置された歯車のような歯と、車輪に設置された歯車をかみ合わせて走る、アプト式という区間でした。

しかし、集電方式が第三軌条であり、速度も低速であったため、増発やスピードアップができませんでした。この区間の運転を、他の路線と同じにするため、集電方式を架空線式に変更、専用の電気機機関車による粘着運転に変更しました。

本務機、全区間を通しで運転する機関車がEF62型で、1台車に動輪3機付きの特殊台車を2台はいたF級電気機関車、横軽区間のみ下りでの後押し運転専用のEF63型となりました。

EF62は軸重16トンの一般的なものですが、同区間で下りで客車を挟んだ状態で補機のEF63と重連総括運転ができる特殊機関車でした。EF63は同区間線用で、軸重19トン、普通のボギー台車3台のF級ですが、各台車には電磁石を設け、強力なブレーキ力を得るときはこの電磁石をレールにくっつける、電磁吸着ブレーキがついていました。運転台は上り方のみ。下り方運転台はEF63同士の連結時などのための、簡易運転台です。

営業運転開始後、電車については8両編成までに限定し、同区間については空気バネの空気を抜いて余計な振動をなくす「横軽対策」をした専用の車両、対策済みの115系(各停用)と165系(急行用)などが当てられましたが、これでは編成が短いため、EF63と強調運転可能な車両として169系、189系、489系が製造されました。これらと連結するため、EF63の下り方は、自動式と密着式の双頭連結器、制御線用のジャンパ連結器をたくさん備えるという特殊車両です。

急行列車以上は強調運転機能付きに置き換えられて、最長12両運転が可能となりましたが、普通列車は115系対策車なので、8両に限定されて運転されていました。晩年は、専用の塗装(現在のしなの鉄道の普通列車の空色塗装だったと思います)でした。

なお、50年代まで、上野朝6:50発高崎行き客車各停がありました。この列車は、8時台に高崎に着きますが、1時間停車して9時台後半に長野行きとなって運転を再開します。長野到着は12:56頃でした。私はこの列車が好きで、よく乗りました。折り返しは15時台で、夕方高崎着、夜8時台に上野に戻ってきました。牽引はEF62単機。横軽区間は上野方にEF63重連を連結。客車は閑散期7両、繁忙期9両でした。

スピードアップのネックになっていて、昭和60年代に入る頃、廃止されました。使用客車はブルー塗装されていたと記憶していますが、旧型客車でした。

私は学生時代、昭和54年から57年まで、上野-高崎-横川-軽井沢-長野と乗っていました。

この区間は、昭和38年頃まではレール間に設置された歯車のような歯と、車輪に設置された歯車をかみ合わせて走る、アプト式という区間でした。

しかし、集電方式が第三軌条であり、速度も低速であったため、増発やスピードアップができませんでした。この区間の運転を、他の路線と同じにするため、集電方式を架空線式に変更、専用の電気機機関車による粘着運転に変更しました。

本務機、全区間を通しで運転...続きを読む


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