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(1)Zガンダムの度が過ぎる暴力描写は理解に苦しみました。富野監督の意図を教えて下さい。

特にカミーユが偉そうに「そんな大人修正してやる」とクワトロ大尉を殴るシーンは疑問でした。
事情も深く知らないで上司(しかもシャア)を殴るとはやり過ぎだと思うのですが。
(カミーユがクワトロ大尉はシャアだと初めて知ったのはこの時ですか?)


(2)シャアがクワトロとして名乗り生きている理由と
リーダーの度量があるのにリーダーになろうとしなかった理由がモヤモヤなので教えて下さい。


(3)Zガンダムでハヤト・コバヤシが偉そうになっていて少しイラッとした方いますか?(笑)


(4)富野監督が自分のアニメ作品を通して出した最終的な結論を教えて下さい。
(伝えたかったことや戦争に対してなど色々・・・)

A 回答 (8件)

私の見解としては



(1)カミーユがエキセントリックなのは、キレる若者をいち早く映像に取り入れたのが富野監督だったという事。
また、その時点でカミーユもウォンさんに修正された事があり、いつかやり返してやろうと考えていたのではないかという憶測。


(2)これはエゥーゴという連邦組織にジオンの人間が身を隠して潜入する為に使った偽名。
・・・にしては、目立つ格好や行動をしていて意味をなしてませんがw

>>リーダーの度量があるのにリーダーになろうとしなかった理由
逆襲のシャアが答えですが、キャスバルの名を再び名乗るだけのケジメがつかなかったのでしょう。


(3)フラウをアムロから寝取った傲慢が鼻につきますからねw
カツにしろカルシウムが足りてないイライラした連中が多いのがΖガンダムという作品全体に言える事です。


(4)監督は戦争アニメを描きたくてガンダムをやっていた訳ではなく、ロボットアニメしかやらしてくれないから仕方なくロボットアニメで自分がやりたい事のちょっとでも傷跡を残してやろうという作品性だと思ってます。
Ζガンダムなんかは、ガンダムなんてもうやりたくないのにガンダムでなければアニメを作らせてもらえない鬱憤がフィルム全体を覆っていて酷く鬱屈した雰囲気になってますし、どちらかと言えば戦争というより社会の縮図に対してのカウンターテーゼのような趣の方が強い。
例えばクワトロ時代のシャアが中間管理職の板ばさみで全く冴えない大人に映ってしまっているように。
ガンダムと戦争(反戦)を結び付けようとしたのはSEED以降の作品に強くみられる傾向であって、富野ガンダムないし富野作品において戦争云々を説くような所は無いです。
どちらかと言えばイデオンに見られる人間のエゴや人の物語に関して強く関心を持っている人だと思います。
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この回答へのお礼

>キレる若者をいち早く映像に取り入れたのが富野監督だったという事。
それは知りませんでした。

>フラウをアムロから寝取った傲慢が鼻につきますからねw
確かにwww

富野さんは仕方なくロボットアニメで自分の伝えたいことを
遺したということですね。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/09 20:45

富野監督と、聴いて(笑い)。


人に、何でも、かんでも、聴くと、言うのは、あまり、感心しませんが(笑い)。
基本的に、ある程度、人生経験を、踏まなければ、答えを、
見つけるには、難しい、内容だと、言う、事は、確かですから。
(1)一つ>若者は、むっ鉄砲で、がむしゃらであれ!。
と、言う、監督の、願い。(アムロが、大人し過ぎましたから(笑い)。)
迷わず、当たって、砕けろ精神。実行すれば、どうなるか、
自分では、怖くて、とても、出来ません(笑い)。
二つ>シャアの存在は、薄々、感づいていた。(それが、ニュータイプ)
(2)スペースコロニーへの、支援物資(特に、ジオン系のコロニーの)が、
滞りがちになり、それを、危惧した、シャアが、いち早く、その異常を
察して、自ら、行動を、起こした。シャアが、戦後の、ジオン系の、
スペースノイドを、ある程度、先導していたのは(本人は、表立ってして
いたつもりは、なっかたが)事実上、皆の、周知の所。
それゆえに、私的な、行動にあたっては、存在を、隠さなければ、
騒動の元に、なりかねません。(それ以上に、自分自身が、注目されるのを、
嫌ったと、言う事もあります。)
そして、表舞台に、立つには、まだ、その時では、無いと、判断している、
だけに過ぎません。いずれは、自分にも、順番が、回ってくるのは、覚悟
していたと思います。ただ、なるべく、遅いほうが、いい位は、思っていたかも
しれませんが(笑い)。
(周りは、それ以上に、期待して、いたのですが)
この時の、シャアの、行動が、ハマーンの、悲劇を、生んでしまいます。
案外、質問者さんの、言う、モヤモヤに、近い感情を、ハマーンが、
持ったのかも知れません(笑い)。
アクシズの、仲間からの、期待と、プレッシャー、
そういう、事も、含めて、アクシズとも、少し、距離を、置きたくなった
のでしょう。
ただ、戦後処理の、多忙さ、雑多な作業に、追われて、シャアの、
危機意識が多少、希薄になっていたとも、否定出来ません。
(忘れていた、訳ではありませんが。)
そのせいで、ティターンズの、対応に、遅れた事も、事実です。
リーダーとして、立ち上がるにしても、鋭い、感覚を、取り戻すためにも、
地球を、取り巻く、現状を、自ら、確認しなければと、思ったからに、他、
ありません。
(3)ハヤト、の、良い所は、誰もやらないなら、俺が、やる(他の、
回答者さんも、指摘していますが)という、前向きな、精神です。
確かに、気が小さい人や、消極的な、人から見れば、うっとうしく
感じられるかも、知れません(笑い)。それを、本人が、
理解していての、(皆にどう思われてもか、まわない)言動です。
監督は、ある意味、一般的な、理想の大人を、描きたかった
のでしょう。行動力と、責任感の、強い大人。
アムロと、シャアは、さぞ、うっとうしいでしょう(笑い)。
劇中では、カミーユと、唯一、馬が合った、大人に、見えましたが。
(なんだかんだ言って、カミーユの、行動を、認めていましたから)
唯一つ、忘れていけないのは、元、ホワイトベースの、クルー達は、
アムロの、絶望的な、悲しみを、ある程度、認識を、共有して、居ると、
言う点です。それでも、アムロは、自分自身の、為ではなく、クルーの
期待感に答えて、最後まで、一緒に、戦ってくれた、それを、考えると
皆、自ら、立ち直るまで、そっとして置きたいと、思っているのです。
アムロの、絶望を、目にした、フラウは、救って挙げられない、
自分の無力さに、途方にくれてしまいました。ハヤトは、フラウの、
尋常でない状態から、アムロの、悲しみが、想像も、つかない
位、大変な事に、フラウを、通して、間接的に、知ることが、出来たのです。
そして、二人が、結ばれた事も、自然の、成り行き、だったのです。
そして、再び、時が、動き出しました。意志の、ある者は、それぞれの、
立場でそれに、立ち向かわなければ、ならなくなりました。ハヤトも、
アムロは、その一人として、立ち上がるべきだと、思ったのです。直接は
アムロの、深い悲しみを、理解できなくても、そういう、事は、
言っていられないんだと、アムロに、はっぱを、掛けたのです。アムロ
と、再開した、フラウの、深い思いやりには、涙を、止められませんでした。
(本当は、立ち直って欲しいと、心から、言いたかったのに)
アムロを、立ち直させる、フラウを、受け入れた、責任の、一つでも、
あります。
(4)何から、説明して、何を、説明すれば、いいのか。
監督が、何をいいたいかは、視聴者それぞれが、判断することで、
具体的に、説明すれば、私の、個人的な、意見にしか、なりませんから。
その、考えを、押し付けたいとも、思いませんし、それに、
長くなりそうなので(笑い)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2010/12/11 14:09

たしかに私もDVDで初めて見たときは第1話で柔道(?)の先輩にいきなり殴られるシーンは「エッ?」って思ったのを覚えています。


でも、当時は80年代で、現在よりも鉄拳制裁や体育会的な思想がまだ根強かったんじゃないですかね・・
もちろん、富野監督の思想もあるでしょうが・・・
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この回答へのお礼

そうですあのシーンはいきなり意味不明で違和感がありましたね(笑)
ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/09 17:46

(1)ゼータは現実認知の物語です。

アニメばっかり見ているとカミーユみたいな子供が増えるんじゃないかと危惧した富野氏が、早くアニメを見るのを卒業しなさいとエキセントリックなキャラにしました。結局、ハマーンもカミーユも逆効果で、卒業するどころか、子供が共感してしまったんですが(苦笑)。
新訳では、それではカミーユの性格形成の見方を変えたらどうなるか(アニメを突き放すのではなく、受け入れたらどうなるか)と変えてみたら、あまりに実際のアニメファンとかぶり、総スカンをくった(同族嫌悪)のが最近の話。
(2)そりゃ、シャアそのままの名前で連邦軍に潜入できません。キャスバルだったら、同姓同名で通ったかもしれないけれど、アポリーとロベルト(共に連邦潜入時の偽名のはずだけど、某コミックではその前からその名前を使っているふしもある)らとの付き合いがてら連邦のデータを盗んだかもしれません。
連邦に潜入したのは、シャアが前線が好きだから。指揮官としてふんぞり返って部下にアレコレやらせるのは、部下を信用してないからできない。自分の未来は自分の行動で切り開く人です。
(3)表向きの仕事は館長だし、実際カラバの指揮官をやる以上、威厳というものは必要です。結婚したらなおさら。そこらへん、富野氏の演出は古風ですから。
(4)結論もなにも、彼は徹頭徹尾エンターテインメント作品を志してます。娯楽作品という建前で、作劇家として伝えたいことがあったとしても、結果的に質問者様に伝わっていないというのなら、彼の力不足だし、だからといってそういうことを他人に聞くようなことでもなかろう、と彼は考えると思います。
結構、彼の作品って理詰めで作り始めて、途中からスポンサーや視聴者の意見に流されるから、前半と後半で話が違うのよねえ。
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この回答へのお礼

なるほど。参考になりました。

お礼日時:2010/12/09 17:42

(1)カミーユの行動については、シャアも言っているように「若さ」の表象でしょう。


 それと、「修正」とあるように軍隊における暴力は指導と同義だから、日常茶飯事
 とも言えます。
 (もちろん、その見方からすれば、部下が上官にたてつくなど許されない訳ですが、
 そこを逆転させているからこそインパクトもあるというものです)

(2)身分を隠し、味方も敵をも欺く生き方が染み付いてしまったんでしょうね。
 マスクを外し、サングラスを外すという段階を踏んでやっと丸裸になることが
 できたとか。

(3)アムロがその筆頭でしたが、ハヤトらWBクルーは戦後、危険分子と見なされて、
 閑職に追いやられるとともに軍の監視下に置かれることとなったわけです。
 その中で、志を高く持ち続けた自負が彼を強くしたのでしょう。
 フラウの愛を得たことで、やっとアムロに勝てたという意識も大きかったと思います。

(4)人と人とのつながりでしょう。その中で少年は大人の男になっていくわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2010/12/08 21:25

オタキングEXというサイトに岡田斗司夫氏が語る『ガンダムについて語ってみよう』という音声がありますが、1時間20分くらいからが参考になると思います。



富野監督のテーマは、少年から青年に変わる話をつくること。

Zガンダムはガンダムを否定する話。

ガンダムで語ることはなくなった。

Zガンダムは、富野監督のテーマではない青年期や大人を無理矢理えがこうとした作品。

以上のようなひとつの見方を語っています。


カミーユでは青年期の悩みや反抗をえがこうとして、シャアやアムロでは理想の大人になる悩みをえがいていると思います。


富野監督のテーマは少年から青年に変わる話をつくること。
Zガンダムからは、理想の大人になるための作品をつくっている。

以上のような見方ができると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2010/12/08 10:33

(1) カミーユがキレやすいキャラだからでしょう。

その意味ではティターンズと同じなんですね。ジェリドと対立したなりゆきでエゥーゴに身を寄せたけど、カミーユの本質は粗暴で自意識過剰。一年戦争にも詳しくブライトの寄港を知ってサインをもらいに行くぐらいマニアックで、つまり彼は、当時のガンダムファンの象徴みたいなキャラだということです。

(2) 戦争がキライだからじゃないですか? シャアの目的は人類をニュータイプに導くことになってますので、その上で避けられない戦いには進んで身を投じるけど、リーダーとなって部下に「敵の親玉を殺してこい」と命令するのではなく自分が「殺しに行く」道を選んだのかと。

(3) まあ確かに急に老けたというか、背が伸び過ぎというか、イメージは変わりましたね。でも、カツたち3人を引きとって苦労してきただろうことは分かるので、そんなには気にならなかったかな。

(4) 「仲良くする方法」かな。戦争という究極の仲悪い状態の中にも、親子がいたり、恋人同士がいたり、あるいは旧知の仲なのに敵対してしまったり。相手を失った者は泣き崩れて、どうすれば良かったのかと後悔して、その姿に感情移入できたなら「仲良くできるよね?」と、そんな感じかな。なかなか実現は難しいことだろうけど。
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この回答へのお礼

なるほど。参考になりました。

お礼日時:2010/12/08 10:27

そんな風に感じる人もいるんだね・・・ってことで


1:修正してやる の件ですな

この時の少し前に知る機会があったと記憶してます
シャトルに乗る前あたりですね
当時のカミーユはエキセントリックな精神という設定でしたし ジェリドに女みたいな名前と言われて
カッとなり殴りかかる
さらに連邦の士官に取り調べされた後 ガンダムに乗りこんだときに最初にしたのが
兵士に対して 「無抵抗で一方的にやられるモノの気持ちを・・」と言ってますね

元から何か武道をやっていた設定もあったと記憶しています

なんせ「キレやすい」性格って描写になってますしね 矛盾してないと思います
キレたら相手が何者でも食ってかかる・・・って感じですかね


2:クワトロ
正直 ここでシャアが本当にリーダーになったらZガンダムの話が続かない(笑)
ヘタレだからこそカミーユに殴られ ハマーンには恨まれ アクシズでミネバと会ったときに
ジオンの後継者と認める態度取ってますしね

ジオン関係者は全員抹殺する目的が初代ガンダムの時でしたが 時代が変わった
キャスバル本人も大人になった ということでしょうか

でもまだこのときの描写ではアムロと再会したときに ララァの話を自ら出しています
逆襲の時みたいに敵ではなくエウーゴの味方として
しかもアムロに対して説教とまではいかないまでも 今のアムロの状態を諭していますね

本当のリーダーになった話は逆襲のシャアで描かれています
ただこの時は「ララァ恋し アムロ憎し」になっちゃってますけど(笑)


3:ハヤト
えーと7年経ってますし ハヤトはガルダの艦長でもあるし カラバの代表でもある立場です
偉そう・・・・というか じゃあどういう態度でよかったのでしょうか(笑)

じゃぁ連邦の士官だったブライト艦長があっさりエウーゴに鞍替えしたのは 本来なら軍人であれば
軍法会議問題じゃないでしょうか
アーガマの艦長でもある立場で クワトロにも命令してますが

でもエマさんと同じ連邦の士官ですよ 見かたによっては連邦の裏切り者です(笑)

Zガンダムの解釈について あれこれと論議がありますけども Zの面白いところはこの「立場の違い」でモノがまったく違って解釈できる点です
これがすばらしいのですよ


4:御大
ご本人のインタビューで 必ず出てくるのがスポンサー批判です
「起動戦士」なるガキ好みのロゴを 強引に「つけさせられた」件とか
アムロなんて名前がスポンサーのお気に召さないので それなら全キャラ適当につけちゃうぞ というのはまんざら嘘ではないと思いますよ

シャーと来るからシャア だとか本人言ってますし
ラカン・ダカラン とか
ミノフスキー粒子も「トミノ スキー」 富野好き から取ったってことですし
マジでネーミングのセンスは抜群ですね

Vガンダムの時が最高の批判時でしょう スポンサー変わって イキナリわけのわからん新人スタッフとともに
造る気があるならどうぞ やらないならこっちで勝手にやります アンタ抜きで

と 新スポンサーに言われて なんとか「修正」しながらやったもの
最近ではようやくお認めになりましたけども Vは失敗作だといまだに尾を引いてますしね


だいたいニュータイプって設定は 煮詰まりまくってなんとか考え出した苦肉の策であり
以降の作品に引っ張るつもりは毛頭なかったと

でも ああなってしまいましたしね なかった というわけにもいかず

この回答への補足

ご回答どうもありがとうございました。

補足日時:2010/12/07 23:29
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この回答へのお礼

確かにキレやすいといえばキレやすいですけど・・・(笑)
他のキャラもすぐ殴っている記憶があるような・・・

シャアは大きな責任を負いたくないヘタレだからリーダーから逃げていたということですか?理由を詳しく知りたいです。
話の内容を大まかにしか覚えていないので、他の回答者様どなたかもう少し深く分かりやすいように説明して頂けると助かります。

ハヤトはあの喋り方が生理的に駄目なのかもしれません(笑)

スポンサーについての話はよく聞きますね。

お礼日時:2010/12/07 23:29

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