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旧約聖書の創世記はいつ頃に書かれたものですか?

色々と調べてみましたが、確定的な情報は得られませんでした。回答の程、どうかよろしくお願いします。

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A 回答 (5件)



長い動画の中で、謎解きの部分をピックアップしてみました。


イエスの後光、仏像の後光。 その意味がわかったと思います。
古代の太陽信仰ですね。

何故イエスはまた来るという話になったのか。
プラトン年です。

地球はいつも同じ方角を向いているのではなく、首振り運動をしており、地球からみると星座が移動してみえる。
長い年月かかって、黄道(地球から見える太陽の移動する軌跡)上にある星をグループ化して12の星座郡とした。
イエス(太陽)が、12使徒(12星座)と旅をしており、2万5千800年くらいかけて、またもとの位置に戻る。
実際は地球が首を一周振るのに2万5千800年くらいかかる。
だから次イエスの時代の象徴のうお座の方角を地球が向くのは約2万3千年後。

聖書に書いてあるでしょ?
弟子:
イエス:「この世の(この時代の)終わりはどうなるのでしょうか」 「水の瓶を持った男の屋敷に入る」

はい この世 つまりうお座の時代の次はみずがめ座の時代なので、「次はみずがめ座の時代です」って天文学的に地球がどっちの方角を指すか答えただけの話。
この世が終わるわけではなく、時計の針のように次の時代に想像上はいるだけの話。
ゆっくり動くので、引力によって地球の動きが急激におかしくなるってことはない。

それより太陽が盛んに燃えたり、沈静化したりするので、それによる気象の変動の方がきつい。
太陽が沈静化しているときは、それだけ地球に届く熱量が少なくなるので冷夏になるわけで、そうなると作物は取れず、それを食べていきてた動物・人間も食べ物が減るので飢餓が起こる。

古代の人は生命と太陽が密接な関係にあると知ってたので、太陽信仰ができたわけです。

太陽を擬人化して物語を作ったのがホルス。
天文学的な空の現象をホルスの生誕としたわけです。
ギリシャ神話だって、星座を擬人化して物語を作ってますよね。
実在の 人物 ではなく 星座を観察して、物語を書いたわけです、人間が。

記憶喪失になったというより、その知識を持つ図書館を閉鎖し、一般人がその知識を知ることのないようにキリスト教はしたわけです。
情報コントロールして、自分たちに都合のいいことだけ、信者に与えた。
「聖書だけ読めばいい」と。
長い間そういう情報操作がされたので、古代の人の天文観察が新約聖書だとは、ずっと後にならないと気づけなかった。

19世紀に粘土板が出たとき、もう オリジナルだと言い張れなくなった。
まさか 聖書の元ネタが今頃になって出てくるとは 思っていなかったと思う。

キリスト教会の主流となった派閥は、自分たちの都合が悪くなるようなものは燃やさせた。
証拠隠滅。 これで人々は気づくことが永久にできないと たかくくった。

悪いことはできないもので、何千年もたってでてきてしまった。

最初は楔形文字だったので、いったいなにが書かれているのかわからなかった。
突然解読可能になり解読したら、聖書の内容の元ネタだとわかった。

あらま・・・・

というわけで、何故粘土板に書いたのかという話になっており、私が聞いた情報だと、観劇のためにストーリーを粘土板に残して、後世の人が覚えて観劇を引き継げるようにってことだったのではないか だそうです。
いわゆる台本ですね。

農業を発明したことで、移動して食べ物を探さなくてよくなり、人々は食べものを探す時間が減り、観劇などを催して楽しむ余暇が増えたってわけですね。

農業を発明しなければ、いまだに 食べ物を探して人々は移動し続けていたと思います。
定住したことで、文化が花開き、文学ができたってわけです。

農業の発明で定住できて、食料が計画的に手に入るようになると、子供が死亡する確率が減り、女は授乳の間、次の子供を妊娠しないが、農業の発明で離乳が早くなり、次の子供をすぐ妊娠できるようになり、人口が急激に増えて、集団をまとめる共通了解である法律が必要になったってわけですね。

聖書の中に結構ハンムラビ法典からパクった というか 重なる部分ありますよ。

あっちこっちの文化をつぎはぎしたものが聖書。
だから、そのあっちこっちの文化がいつその物語を作ったのか ってことになるわけです。
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この回答へのお礼

まさかキリスト教の裏にこれほどの事柄があるとは全く知りませんでした。イエスに似た人物が歴史上に非常に多い上に、聖書自体がつぎはぎ。恐ろしい事実です。あまり立派なことをかけなくて申し訳ありませんが、とにかく勉強になりました。本当に有難うございました。

お礼日時:2011/04/05 12:30

あら  まあ 不思議好きだからと 多読だから 雑学として知っている程度なんですけど。

。。笑

例えば

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4270005734/re …

<本書は、「ユダヤ人」「ユダヤ民族」にまつわる「真実」とされている事柄について、根本的な疑問を提起した本です。

曰く、ダビデ王やソロモン王に関する聖書の記述は、真実なのでしょうか。彼らは、「実在」したのでしょうか。 >

強烈な一撃ですね。

何故 市民から熱狂的に歓迎されエルサレムに入場したはずのイエスのことを、ユダヤの歴史の隅々まで書いていた寄席フスは一言も書いていないのか。

どんだけってくらい ヘロデ王のやった悪事を書いたヨセフスがイエスの生誕にまつわることになる幼児殺しのことを書いていないのか。

どうしてあれほど有名だったはずのイエスがローマの歴史書に残っていないのか。
ピラトもヘロデも書いてあるのに。
ちなみにピラトは、疑いがあるというだけの理由で、ユダヤ人を処刑していた人物。
聖書に描かれている人物像とは真逆。
ユダヤ人を挑発して怒らせて楽しんでいた人物。
ユダヤ人の謀反を恐れるどころか、煽って反逆させようとしていた人物。

歴代の提督たちは、ローマ皇帝から寵愛を受けて、独自の宗教をやることを認めてもらっていた特別扱いされるユダヤ人をねたんでいた。
だから、彼らがローマ帝国に反逆させようとして挑発しまくっていた。
皇帝に「あなたが大事にしているユダヤ人は、あなたに反抗してますよ かわいがるって特別扱いするべきじゃあない」ってしたくて、何度もユダヤ人を挑発していた。

その中にイエスは出てこない。
実際の歴史所にはイエスは出てこない。 聖書という物語にのみ登場する。
しかも、内容はエジプトの神話と400年以上前に実在したと思われるプラトンの書いた小説の内容がイエスの人生物語になっている。

エジプトの神話は人間が創作した御伽噺だし、プラトンの義人の証明は、師匠のソクラテスのことだと思う。
イエスじゃあない。


ユダヤ人は、有名な名前を使って物語を書き、思想を語っていた。 これは慣用だった。
実際やったことじゃなくても思想として、ダビデ物語、ソロモン物語を創作して作っていた。

聖典とするにあたり、それが実際に起こったことなのか、創作物語であって実際起こっていないのか わからなかった。
倫理を語る上で必要な物語であれば、史実かどうか確証が無くても、聖典に入れたってことですね。


http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/ol …

エヌマ・エリシェはハティ(聖書だとホリ人)らが残した物語。
それを後にそこに住むことになったバビロニア人が継承した。
アブラハムもバビロンの近くの出身なので、先住民(前の文化)が持っていた物語を知っていてもおかしくないわけです。

いったん民族が分裂しても、バビロニア捕囚で南ユデア王国の上層階級3000人ほどは、その才能を買われてヘッドハンティングされ、バビロニアの上層階級に職についてバビロニアを治世していたので、当然 再びバビロニア地方に継承されていた、創世記の物語を知ることとなるわけです。

分裂する前から知っていたかもしれないが、、、、、
モーセの十戒は、古代エジプトの死者の書の簡略版であって、ユダヤ人のオリジナルではない。
洪水物語も、オリジナルじゃあない。

日本だって古事記の天地創造の場面は、聖書の天地創造の場面とまったく同じ。
つまり、ひとつの物語が、人の移動とともに一緒にくっついていったので、各地の同じ内容の神話が残ることになったってことですね。


ある人は、日本の古事記がヘブライ人に伝わったから、日本の古事記のオリジナルだと言う人がいる。
笑  ずーっと前に栄えて滅びた文化が残した物語を、各地の人が自分たちの民族のオリジナルだと思って保持しているにすぎない。
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この回答へのお礼

ひたすら驚きの真実ばかりが明かされていて唖然呆然とした次第です。Amazonのリンク先も読みました。イエスが存在しない、という事実に震えています。(これは私の信仰が覆された、という意味ではなくて、これ程斬新な思想が存在したのか、という驚きです。)値段は張りますが、出来ればその本を買いたいと思います。古事記でも聖書の創世記と似た記述があることにも驚きです。
本当に有難うございました。未だに私は驚きで震えが止まりません。

お礼日時:2011/04/04 20:11

大概のことはkigurumiさんの独壇場でしょうから(^^;


以下、補足というか蛇足です。

創世記の成立時期については未だ結論を見ていません。
19世紀以降、文献を扱う種類の学問は、
創世記を幾つかの資料層に区分する仮説を立てました。
つまり、創世記がもともと一つの物語ではなく、
異なった時代に、異なった場所で、異なった人達が
編纂したものを集約した綜合文書であるという仮説を立てたのです。
(例えればパッチワークキルトみたいなもんです――いいのかねtaco?)
さらにそれら個々の資料にさえ加筆と削除を繰り返した運動の所産が、
今日の創世記であるという見方を提示しました。

こうした見方は、使われる語彙や、記事の矛盾、不整合性に加え、
時代状況や、編纂者自身の思想も吟味した作業の結果なのですが、
ともあれ創世記というひとつの文書を、編纂時期と編纂者に依って
別個の資料として幾つかに区分付けしたのです。
これらの資料の成立年代が古くは、ダビデやソロモンといった
伝説上の王様の生きていた、ユダヤ人が一番輝いていたとされる時代から、
新しくは、歴史の教科書にも出てくる、バビロン捕囚前後、
ユダヤ人が一番悲惨な時代と、5、600年間あるいはそれ以上という
非常に長い長い時間をかけて段階的に出来上がったと見成されてきました。
さらにそれらのモチーフのソースがさらに古い時代に遡れることはことは
既にkigurumiさんの回答に詳しいですね。

じゃあ比較的新しい資料の編者はいつ頃の誰なのかと云いますと、
他の資料への加筆や削除部分も含めてどうもそれなりの宗教集団、
しかもかなりのエリート層が手がけた資料が最も新しいようです。
最終的な成立年代はkigurumiさんも言うバビロン捕囚前後と云いますから、
年表と照らし合わせると、最初の捕囚が前597年頃、
以後、前586年頃に第1神殿崩壊、つまりユダヤ人の王国滅亡を挟んで
段階的に捕囚があり、その後、神殿を再建したのが前539年頃
(ちなみにこれらの年代はいずれも諸説あり)これ以降となると、
前400年代で日本では弥生時代になるのでしょうか。

――ところが、
20世紀中頃からこうした資料仮説の手法に対する疑義も挟まれます。
実は資料区分の根拠が言うほど確実なものではなく、
その区分自体が曖昧な上に、さらに同一資料の中でさえも
語彙の使い分けや不整合性が少なかず見出されるという疑問です。
結果そうした時間軸に沿った資料群が存在するのでは無く、
それぞれの記事が、それぞれ別個に、
伝承として共時的に存在していたのではという見方です。
最終的な編纂事業に携わったのは矢張り祭司集団だとしても、
彼らが担ったのは言ってみれば、
創世記の増補、改定作業であったと主張します。

また中間的な見方もできます。先の資料区分は概ね認めながらも、
その編纂の期間をコンパクトに繰り上げようという試みです。
実は創世記には固執するある一つのテーマがあります。
失楽園に始まって、ノアの箱舟、バベルの塔、ソドムの滅亡、
放浪するアブラハムに与えられた約束の地、子孫繁栄の約束。
これらの物語に既に亡国の民となったユダヤ人の切望を
重ね合わせて読み解こうとします(物語内部からの分析に近いですね)。
この場合、創世記の編纂が始まった時期を、
ダビデ・ソロモン期からずっと後の捕囚期以降に見ています。

一例を挙げれば、バベルの塔のモデルはメソポタミアの
ジグラトと呼ばれる高塔だと考えられていますが、
バビロンにジグラトが聳えていたのは前8世紀以降、
前7世紀始めにはアッシリアのセンナケリブによって破壊され、
その後カルデアのネブカドネザル2世が再建したと
古(いにしえ)の文字は伝えています。
(これらの人物はいずれも聖書にバッチリ登場しますので探してみて)

そして21世紀、こうしてつらつら回答しているこの瞬間も、
世界のどこかでは新しい創世記論を執筆している人がいます。
結局、なんだか分かったような分からんような回答で
ほんま申し訳ないなあと思うのですが、
一つだけ確実に言えることがあって、創世記にせよほかの文書にせよ、
どっかの狂信者がしでかしたような、コーランを無残に焼き捨てるに足る
神聖な永遠不変の聖典と結論付けるには、
まだまだ時間をかけた吟味が必要な書物であることは間違無さそうです。
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この回答へのお礼

ものすごい、予想を遥かに超えた回答が続いて驚いています。聖書の創世記にそれ程のドラマがあるとは予想だにしていませんでした。聖書の創世記が何度も改訂された。その可能性させ全く知りませんでした。皆様の素晴らしい回答に感動しています。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/04 18:24

http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/ol …

<最も重要な書と言われるモーセ五書は、バビロン補囚からの帰還後かなり遅い時期に書かれ、しかも創世記1章「天地創造」は、モーセ五書編集の一番最後に書かれたとも言われています。>

この見方が有力みたいです。
文字や単語からそう判断されたのだと思います。
自体や単語は時代によって変化していったので、その書かれている文字がいつの時代の形かとか、言い回しかとかで、書かれた年代が特定できる。


ちなみに 創世記の元ネタのエヌマ・エリシェ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8C% …

『都市神マルドゥクの地位が向上した、紀元前18世紀に成立したと考えられている。紀元前14世紀から12世紀に成立したという説もある。』

成立ですから、作られたのはもっと前。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB% …

『主人公のギルガメシュは、紀元前2600年ごろ、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王であるが、後に伝説化して物語の主人公にされたと考えられる。

『聖書』と対比される大洪水の部分を見つけ有名になった。』


エヌマ・エリシェの中に書かれている。

19世紀にその書かれた粘土板が発掘されている。
粘土板の年代測定をしたのかは知らないです。
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この回答へのお礼

確かに、時代によって言語は変化するので、文体から時代を割り出すことは出来ますね。言われてみるとその通りですが、初めて知りました。また、創世記自体に元ネタがあるのは全く知りませんでした。驚きました。それぞれ該当項目のリンクまで貼ってくださって嬉しいです。丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2011/04/03 18:00

創世記を含む「モーセ五書」はイスラム教の聖なる書として、紀元前400年ごろまでには成立されたとするのが通説です。

何年何月何日に書かれた、という性質のものではありませんし、現在の形になるまでの成立史に関しては様々な研究がなされております。どの時点を持って「成立」とするかは、旧約聖書の創世記のどの内容・形態のものを指すかによって変化すると思います。

以下の概説書、研究書を参考にしてください。

・S. ヘルマン、W. クライバー、『聖書ガイドブック――聖書全巻の成立と内容』1996=2000、泉治典、山本尚子訳、教文館。
・池田裕、大島力、樋口進、山我哲雄監『新版 総説 旧約聖書』2007、日本基督教団出版局
・関根正雄、著作集第4巻『旧約聖書序説』1985、新地書房
・関根正雄、『旧約聖書文学史』1978、1980、岩波書店。

あまり詳しく述べられていませんが以下のものはネット上で無料で読めます。

宮川俊行「聖書正典成立史の諸問題」『純心人文研究』2004(10):101-46
http://goo.gl/y5Utq
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この回答へのお礼

恐ろしく丁寧に回答してくださって恐縮です。ネットで調べても分からなかったので、回答が大変かとは思いましたが、想像以上に素晴らしい回答にただただ驚いています。本当に貴重な時間を割いてくださってありがとうございました。

お礼日時:2011/04/03 17:56

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Q聖書はいつできたのでしょうか?

聖書が書かれた時期について教えてください。

質問1:旧約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?

質問2:新約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?

Aベストアンサー

旧約についてはよく知りませんので、
質問2について。
原本は1~2世紀だといわれています。いろんな説があるのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。40年代末~70年までの間なのですが(下限は確実)それ以上確実な証拠は特になく(心情的にはともかく、確定できないので)このあたり、としか言えないようです。
パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。どちらが先でもおかしくないです。(少々別の流れだったような形跡があるので)
他の福音書がマルコより後なのは確かで、大体70~90年あたりか?
その他の文書もいろいろな時期ですが遅くとも2世紀のうちには書かれていたようです。
ただし注意するとこの時期、新約聖書なる文書は存在しません。
別々の人によって書かれた内容的にもばらばらの文書があり、また教会・地域によってはこれらの文書のうちいくつかは認めない、逆にこれら以外の文書を認める、といった状態が続き徐々に整理され、結局27の文書をひとつのものとして、正典ということにしたのは4世紀ごろ、アタナシウスあたりから、ということになります。(文書で確認できる限り)
その後写本の段階でも修正されたりして、印刷の時代まで書かれ続ける、ともいえるのですがとりあえず元の文書は1~2世紀ということです。

旧約についてはよく知りませんので、
質問2について。
原本は1~2世紀だといわれています。いろんな説があるのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。40年代末~70年までの間なのですが(下限は確実)それ以上確実な証拠は特になく(心情的にはともかく、確定できないので)このあたり、としか言えないようです。
パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。どちらが先でもおかしくないです。(少々別の流れだったような形...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q聖書の「言は神であった」の意味は?

聖書「ヨハネによる福音書」1-1にある、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」の「言(ことば)」の意味は、キリスト教ではどのように解釈されているのでしょうか?

神は「抽象概念」だという意味ですか、それとも、この世界は「言語」でできているという意味ですか、あるいは、全く違う解釈があるのでしょうか?

Aベストアンサー

ギリシャ語の Logos を「言(ことば)」と訳しているんでわかりにくいんでしょう。

ロゴスというのは「行いをともなう言葉」であり、「理性」であり、「宇宙の理法」のことでもあります。つまり「はじめにロゴスがあった」というのは、それまでの「カオス」の中から秩序が生じたことを意味し、「ロゴスは神とともにあった」とは、神の「言葉=行い」によって秩序が生じたことを示し、「ロゴスは神だった」とは、神が宇宙の原理であることを示している、と考えられます。

翻訳というものの限界を如実に示した例だと思いますね。

Qキリスト教の「父と子と精霊」とは何でしょうか?

キリスト教のお祈りで、「父と子と精霊の御名において」という文言があります。
これの意味を教えてください。
父=神、子=イエスでしょうか?
それなら「神とイエス」といえばいいですよね。
これはキリスト教以前のユダヤ教に根ざしているのでしょうか。
また精霊はマリアと交わったので、イエスの父でしょうか?
三位一体などともいわれますが、その意味もよくわかりません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もともと原始キリスト教では三位一体はありませんでした。
後世にカトリックの司祭たちがその概念を生み出したものです。

その元となるものが、処女ー聖母ー破壊者の概念を持つ女神です。
神は三相だと古代は思われていました。
女性原理の時代から男性原理の時代に変化して、紀元前300年頃は、男性原理にあの地域一体となり、神は女から男に代わり、キリスト教は女性を憎んでいますので、教父たちは神は男だとして、三位一体 父ー息子ー聖霊 という概念を作り上げていきました。

イエスの考えではなく、後世の人の考えが現在の三位一体になっただけです。

何故聖霊になったかというとキリスト教は「男が罪を犯したのは女のせいだ」と決定したからでした。
それで両親と子供という聖家族の中から女性を排除して、聖霊をとってつけたわけです。
父親と息子と聖霊が神の豊穣をもららすと考えたのでしょうか。

今の科学でしても、父親と息子が交わっても子孫はできませんが、キリスト教は精神世界でそれは可能であると考えたようです。
永遠の命を与えられる人は子孫はいらない という考えだったのかもしれません。
それで、男性オンリーの修道会など作り、男性だけで暮らしたようです。

もし、イエスが実在の人物だったとしても、イエスは天から突然降って沸いたものではなく、ちゃんと人間の父親がいたようです。
司祭で<神の父>と呼ばれる人物の一人がイエスの本当の父親だったようです。

それで神殿で「父の家」とイエスが言ったわけです。
司祭ですから神殿が住居でもおかしくないですね。

もともと原始キリスト教では三位一体はありませんでした。
後世にカトリックの司祭たちがその概念を生み出したものです。

その元となるものが、処女ー聖母ー破壊者の概念を持つ女神です。
神は三相だと古代は思われていました。
女性原理の時代から男性原理の時代に変化して、紀元前300年頃は、男性原理にあの地域一体となり、神は女から男に代わり、キリスト教は女性を憎んでいますので、教父たちは神は男だとして、三位一体 父ー息子ー聖霊 という概念を作り上げていきました。

イエスの考えではなく...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Q現存する中で一番古い原書は?

日本史で習ったのですが、古事記や日本書紀、あるいは源氏物語とか徒然草、それとか 「○○日記」 とか有名な書物が歴史上たくさんありますよね。

これらって、印刷技術なんて存在しない時代のものですが、当時何冊くらい発行 (?) されたのでしょうか?

作者が自分で筆で書いたからたった1冊だけ?  あるいは自筆のものを参考にして何人かで手分けして書いたから数十冊、あるいは数百冊?

それと今では古事記とか日本書紀なんて原書は存在しなくて、誰か (古事記の場合、本居宣長?) が後になってコピーしたものが現存するだけ、と聞いたような覚えがあるのですが、それでは原書そのものが現存する書物で一番古いものはどれなんでしょうか?

また一般公開されているんでしょうか?

それと、もし本居宣長が古事記をコピーしたものが今残っているとすれば、少なくとも彼は古事記の原書を目にしていた事になりますよね?

では、当時その原書は誰が保管していたと考えられますか?

Aベストアンサー

古事記、日本書紀など、当時の権力者がまとめた歴史書は、書き記したものと考えればよろしいとおもいます。書物・・・かいたものしるしたもの

当時は印刷技術なんて日本にはないですし、この歴史書は当時の権力者が大切に保管していたのです。

日本書紀にあるように、蘇我氏の甘樫丘が、焼き討ちされたとき、蘇我氏が保管していた、日本書紀より古い「天皇記」「国記」も焼けてしまったほどです。
運良く、研究者などに、書き写された場合、つまり
国宝真福寺本古事記などのように、いろんな写本が
あります。現在に伝わる古事記の写本は32本。
真福寺本古事記がもっとも古い。
http://www.neonet.to/kojiki/hajimeni/
写本は和とじの装丁なんですが、もとの古事記の形はどのようになっていたのかは、今ではわかりません。
日本書紀自体は、当初は日本書記なんていわれていなかったといいます
書名ははじめ『日本紀』といった。『日本書』で下に“紀”を細書し,のちこれが合して『日本書紀』という書名になったとの説も。
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O034C200.HTM
『続日本紀』以下五つの勅撰国史をあわせて,六国史と呼ぶ正史の筆頭とされる。
この日本書記などは、多くの学者により研究され
多くの写本が現存しています。
つまり、原本は大切にしまわれ、研究者により写本され現在に至っているのです。
もちろん、写本の写本がほとんどかもしれません。
紫式部にしても、源氏物語の作者といっても、女流作家を気取っていたわけでなく、それで、プロとして食べられたわけでもなく。
平安時代に書かれた書物の作者自筆本が残っていることは極めて稀である。『源氏物語』についても、紫式部自筆本はおろか、平安時代に書写された『源氏物語』の伝本や古筆切の断簡一葉ですら、現在までのところ発見されていない。
http://www.nijl.ac.jp/events/exhibits/genji/
書写によって流布していく書物は、転写の過程において、書写者の恣意的な改竄や不注意による誤写・脱字などが生じてしまうことは往々にしてある。とあります。
興味がある人が、元の書物を書き写し、自宅で熟読した、それらが広まって言ったという程度のもの
、『古今集』『伊勢物語』『更級日記』など平安朝文学の主な作品は、多く定家書写の系統が流布本になっている。と、あります。
多くは、読み手や研究者により書き写されて広まっていくわけです。
現在では、それらのいくつかの写本や注釈本を読み比べ、自分なりにその本筋はなにかを探求するのも
古典を読む楽しみのひとつかもしれません

古事記、日本書紀など、当時の権力者がまとめた歴史書は、書き記したものと考えればよろしいとおもいます。書物・・・かいたものしるしたもの

当時は印刷技術なんて日本にはないですし、この歴史書は当時の権力者が大切に保管していたのです。

日本書紀にあるように、蘇我氏の甘樫丘が、焼き討ちされたとき、蘇我氏が保管していた、日本書紀より古い「天皇記」「国記」も焼けてしまったほどです。
運良く、研究者などに、書き写された場合、つまり
国宝真福寺本古事記などのように、いろんな写本が
あり...続きを読む

Q旧約聖書は全部で何章ですか

このように定義されているのかわかりませんけど、
公式に何章や何巻等あるのでしょうか。

ここに比較として出すこと自体おかしいかもしれませんけど、
普通の書籍の場合タイトルがあり、項目がいくつかありますよね。
その項目(前書きやあとがきはともかくとして)すべてでその本の
内容が構成されている。ましてや旧約聖書だと、大まかには同じでも
出版社によって違ったりもするなどということがないように、
正式に決まっていたりするのでしょうか。
教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・聖書は、いくつの書物で構成されているのですか?



旧約聖書39巻、新約聖書27巻です。旧約、新約を合わせて66巻です。


・聖書には、どれだけの章がありますか?


旧約聖書929章、新約聖書260章です。

・ 聖書には、どれだけの節がありますか?


旧約聖書23214節、新約聖書7959節です。



旧約聖書の39巻[と新約聖書27巻が、「正典」として教会により受け入れられているのは、これら66巻が聖霊による霊感によって記述されたかどうかの基準で測られ、その基準に合うと認められたからに他ならない。また、そのような基準に合格した書として、聖書の66巻は、教会において「信仰と実践の唯一の規範」とされている。


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