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いくつかの現代語訳を少し読んでみたのですが、和歌が少しずつ異なってるような気がするのです。古い和歌は和歌集などに載る際、選者によって少し編集されてしまうこともあると聞きました。これと同じことでしょうか?与謝野晶子の現代語訳を読みましたが作中の和歌の細かいところが気になるので…。
詳しい方いらっしゃったらお願いします。

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A 回答 (2件)

昔は、書写をすることで本が作られてきました。

当然写し間違いが生じてきます。また様々な女房などにより書写され、加筆や削除は当たり前だったみたいです。
紫式部日記によると原稿段階が流布したそうです。更級日記では、菅原孝標女が伯母の藤原道綱母から貰った写本を読みふけったとあります。

現在伝わっている鎌倉時代の藤原定家が家の女中の少女に書き写させ、校訂したもの「青表紙本の本文を持つ写本」、大監物源光行とその子源親行(いわゆる河内方)が作成したとされる「河内本の本文を持つ写本」、「別本の本文を持つ写本」を基本とし、それらがまた書写され流布していく間に写し間違われ、60以上の写本が存在しているそうです。まるでDNAを比較して先祖の系統が別れた時代を推計するのに似ています。

蛇足ですが、昔1年を掛けて図書館で今泉忠義著講談社学術文庫と柳井滋、室伏信助、大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎校注 岩波書店 新古典文学大系とネットの源氏物語の世界 再編集版の歌を比較して素人ながらテキスト書写し漢字に直せるだけ直した事があります。54帖もあると源氏物語の世界 再編集版でも書写間違いだろうとか、段がずれている個所とかありました。多分私も書写間違いしたでしょう。
参考まで紹介します。

葵 文なくも隔てけるかな夜を重ね流石に慣れし夜の衣を→なかのころもを
薄雲 雪深み深山の道は晴れずともなほ踏み通へ跡絶えずして→雪ふかみ
朝顔 改めて何かは見えむ人の上にかかりと聞きし心変わりを→心ばかりを
少女 古を吹き伝へたる笛竹に囀る鳥の音さへ変はらぬ→いと竹に
初音 古里の春の梢に訪ね来て世の常ならぬ花を見るかな→はるのこぬれに
胡蝶 紫の故に心をしめたれば淵に身投げむ名やは惜しけき→ことやをしけき
藤袴 心持て光に向かふ葵だに朝置く霜を己やは消つ→ひかげにむかふ
真木柱 三瀬川渡らぬ先にいかで猶涙の水脈の泡と消えなむ→涙の泡のをみと消えなむ
竹河 つれなくて過ぐる月日を数へつつもの恨めしき暮の春かな→はるの暮かな
竹河 手に隠る物にしあらば藤の花松より勝る色を見しまや→松よりこゆる
宿木 秋果つる野辺の気色も篠薄仄めく風に付けてこそ知れ→はなすすき

今はそれを1首1首意味などを調べており、異本注の部分も見つけました。
帚木 琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人を引きやとめける→菊もえならぬ

後何年掛かるか分かりませんが。

参考URL:http://www.genji-monogatari.net/
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
おお、何か頼もしい先達に出逢ったような気分です!1年かけてコツコツと比較なさったのは流石に大変だったのでは。でもだからこそ違いが浮き彫りになってくるのでしょうね。やるだけの価値はあると思います。
また、ご紹介下さった和歌も参考になりました。同じ言葉でも、表記が漢字か仮名かの違い。どちらも同じとは言っても、日本人としてはちょっと違うんだという、こだわりというか何というか…。英語には無いんだろうなぁと思ったりします。
仕方のない事でしょうが、間違いのない本来のままの文章はどんなだったのだろうと思ってしまいます。
ちなみに私は学校で習った以外、まだ原文には触れておりません。それはまだ先のことになるだろうとは思いますが、楽しみながら学んでいきたいと思ってます。

お礼日時:2011/08/13 20:56

どなたも回答されないようですから、専門ではありませんがわかる範囲で。


これは、台本の違いではないでしょうか?

与謝野晶子の全訳の台本は湖月抄本とききます。一方、講談社学術文庫の今泉忠義訳の台本は首書(かしらがき)本をもとに校訂したものです(校訂本はおうふう社から出版)
源氏物語に限らず、古い本は皆筆写で伝わって居ます。筆写を繰り返すうちに色々と誤りが発生したり、もとにないものが紛れ込んだりする事があります。
特に、源氏物語についていえば、現代の小説の如く決定稿があり、それが公にされたと云う事ではないようです。作者が一旦書いたものを借り出して読む、その時に筆写する。さらに作者が筆を入れたものを別の人が借り出し筆写すると云ったような状態だったようです。従って、和歌以外にも色々と異本が生じる訳です。ただし、現代語訳にしてしまうとその差異が訳文からは窺い知れなくなる場合もあると思います。それが和歌に関してはその儘掲げられているのでヨリハッキリしたのでしょう。
源氏物語の校異については文字通り汗牛充棟の労作があります。詳しくはそれらにあたられたと思います。

撰者による、編集と云う明確の意志をもってと云うよりも、誤写の結果読み難くなったものを意をとおす、(和歌などでは)平仄などのあわないものを整えると云う作業で異本が出てきたのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます!
源氏物語についても、内容はともかく文章の細部が微妙に違うものがあって、どれが本来のものかは、もはや分からないということなのですね。
実は、与謝野晶子の源氏物語の現代語訳は、和歌がそのまま全て載っていると聞きましたので、和歌だけ書き出してみようかなと思っていたのです。ですからちょっと気になっていたのですが、あんまり気にしなければいいのか…と思いました。開き直りというか。
色々と教えて下さって有り難うございました。

お礼日時:2011/08/09 21:36

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