プロが教えるわが家の防犯対策術!

相談させて頂きます。

数年前にうつ病で病院に行ったところ、広汎性発達障害であると診断されました(確定されたのはここ最近のことです)。たしかに子供の頃から人とはズレているという認識があったり、空気が読めず排除のターゲットにされたりと自覚できる点がありましたが、調べていくうちに自分はこの世に生きていく資格はないのではないかという恐怖に襲われてしまいました。

というのも、広汎性に限らず発達障害は他人の考えを読めない(苦手とする)のでコミュニケーションをとるのが難しく、今現在自分がそうであるようにリストラされてまともな仕事も就けず、社会の歯車として機能できないので、憲法で定められた「勤労の義務」に真っ向から反して(しまって)いる以上、自分は不良品の歯車であるかのような錯覚(現実?)を覚えてしまっています。

不安になる要因はまだあります。収入がほとんどないので家族もできないのではないかということです。女性が男性に求めるのは経済力のようですが、とうぜんながら自分のような発達障害者には経済力が期待できないのでまず叶えられません。
さらに、遺伝的要因で子供に自分の不良遺伝子を伝えてしまう可能性が高く、結婚もハイリスク行為ではないか、そもそも結婚とは家と家との結びつきでもあり、障害者であるということで拒絶されてしまうのではないかとか、その拒絶にもある程度の正当性があることなどから、一生孤独に過ごすしかないのかな…と悲観的になってしまいます。仮にできたとしても熟年離婚で捨てられそうなので…

…結婚に躍起になってしまっているのは、某番組で孤独死を知ってしまったからだと思います。誰にも看取られず、助けを呼んでも孤独なのでその声も届かない、苦しみながら死んでいくことのに、自分がここにいたということを示す印も残せない。しかし対策をしようにも障害のせいでうまくいかず、そもそも幼年期からの療育をしなければ間に合わないことを知ってしまったため、まともな療育を受けられなかった自分は24歳にしてすでに人生の「詰み」になっているのではないか思っています。

社会の歯車にもなれない、結婚もできないししてもハイリスク、矯正しようにも手遅れ、いったいなんで自分は生きているのでしょう?私の価値とは一体なんなのでしょう?最近、自分は外国の昆虫が生態系を荒らす「外来種」の一種ではないかという思い込み?が強まっています。ブラックバスみたいに在来種を駆逐できるのも問題ですが、今の日本社会の現状では淘汰されてしまうのでは…と生きる資格や価値を見出すことができなくなってしまいました。

一体どうすれば生きる価値や目的を見出すことができるのでしょうか?自分で見つける、とはよく言われることですが、理詰めで考えていくうちにもう見出すことができなくなってしまいました…

A 回答 (28件中1~10件)

最寄の精神科に通院して、何をしたいのか、確認をしたら。



障害手帳が欲しいなら、それが、対応であるか、精神科で聞いて見て下さい。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
今、自分は何をしたいのかはまったくわかりません・・・
障害手帳についても「君の住んでいる市では手帳の発行は難しい。精神障害の方だったらできなくもないけど、一度持てば面接官にはメンタル面に問題ありと見做されるから難しくなるし、その後も色眼鏡がかけられるからおすすめできないかも…」と難色を示されてしまいました。

お礼日時:2011/09/22 00:00

この世に生まれてきた以上使命のない人はいません。


今のあなたの抱える悩みは、あなたと同じような人に手を差し延べるために
敢えて自ら引き受けた宿命ともいえます。
人間として生まれてきた以上、どんなちっぽけなことであれ、人に感謝されるような事をされてください。
これだけの文章を物すことの出来るあなたであれば、いともたやすいことでしょう。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
>人間として生まれてきた以上、どんなちっぽけなことであれ、人に感謝されるような事をされてください。
かつては回答者さまのように仕事に取り組んできましたが、感謝どころか怨みや怒りを買う有様でした。「なぜそれができない!?」とか「もっと出来るはずだったのに」「そのミスを見つけてくれたせいでスケジュールが遅くなった!」「君は飲み会でも話をしないから雰囲気が悪い」「失望した」「口先だけ」「君にはこの職場は向いていない。3ヶ月やるから新しい職場を探せ」などなど批判をうけてしまい、自分には社会で働く能力がまったくないのでは・・・と自身に失望しているわけです。これだけ文を書いて~と言われても、口と行動とではまったく話が違うので、果たして本当に社会の役に立てるのか?と疑念が湧いています。

お礼日時:2011/09/22 00:07

こういう病名なども実際にあるのだから、軽々しい事は言われないんだけど。

。。

広汎性発達障害って、「自閉症」「アスペルガー症候群」「レッド症候群」「小児期崩壊性障害」「その他の自閉症」という5つ障害の総称の事を指すんだよね。

そのほとんどが、小さい事からの行動や態度でおかしいと思って、まだ人格が形成されていない幼い内に検査して、判断、確定される訳なんだけど、No,2の方の回答じゃないけど、これだけの文章を書ける人が果たして、本当にそうなのかな?って思えるんだよね。

最近の医者は、ここ数年にうつ病患者が爆発的に増えたせいで、面倒な患者に対し、規定通りに行わなければいけない検査を適当にやって簡単に病名を付ける医者も多いんだよ。

実際に君をこの目で見た訳じゃないから、何とも言えない部分もあるんだけど、周りを見渡せば、君の症状と同じように、子供の頃から人とズレていたり、空気が読めず排除のターゲットにされたりと言う人は少なからずいた事はいたんだよね。

そういう人ってみんな広汎性発達障害って訳なのかな。。。
軽度、重度の違いはあっても、君の場合は、本当に広汎性発達障害だったとしても、軽度に入るんじゃないかな。

君で生きている価値がないのであれば、もっと重度の障害を持ちながらそれでも必死で生きている人達は、どうなるのかな。。。

そういう事を言われても、やっぱり考える事は出来ないかな?
考えたとしても、「自分の事だけで精一杯で周りの事を考える余裕なんてない」と言うのであれば、きっと君は障害なんてないんじゃないか?と自分には思えるよ。
だって、障害が無くたって、自分が大変であれば、誰でもそう思うもんだから。

自分の働いている会社の近くにも、知的障害者がいて働いているんだけど、周りからどういう目で見られようが、どう思われようが、文句も言わず、必死に働いているよ。
道で会えば、大きな声で「おはようございます!!」と言うよ。

彼はきっと、君のような発想はしないだろうし、君のような文章も書けないだろう。
毎日同じ時間に、同じように会社に向かい、同じように仕事をして、同じように帰って行く。

別に、自分はそれを見て、社会の歯車に噛み合わないとも思わないし、生きている価値がないとも思わない。
逆に、すごく尊い存在に見えるよ。

>自分で見つける、とはよく言われることですが、理詰めで考えていくうちにもう見出すことができなくなってしまいました…

何をどう理詰めで判断しているんだ?
全て、君の目線で、君の基準で決めた理詰めだろう?

周りの目、周りの基準さえ、全て君の悪い方の価値観で決めているだけの話だ。

病気があっての君じゃない。
君があって初めて病気を受け入れる事が出来るんだ。

何でもかんでも、病気のせいにしちゃいけないよ。
きっと、まだまだ君に出来る事はあるはずだ。
頑張って見つけて欲しい。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
>こういう病名なども実際にあるのだから、軽々しい事は言われないんだけど。。。
自分の場合は幼少期に言葉の遅れがあったことが確認できています。5歳まで一言も話さなかったそうです。更にその後もことばの学校に通っていたようですが、「もう言葉が話せるから大丈夫」ということで小学校進学と共に行かなくなりました。その後成人してから再度の検診や診断などで「これはほぼ間違いなく黒だ」とみなされた経緯があります。この辺りは質問に書くべきだったかもしれません。

>君で生きている価値がないのであれば、もっと重度の障害を持ちながらそれでも必死で生きている人達は、どうなるのかな。。。
自分と同じかそれ以上の苦境に立たされている障害者については申し訳ないと思っています。物心付く前から障害者に対する健常者の暴力差別、村八分行為を間近で見続けてきたため、もしも自分も障害者になってしまったら彼ら同様理不尽な暴力や差別などの仕打ちを受けてしまうのではないかという恐怖があるため、障害者のカテゴリーに入ることについては大変恐れています。さらに健常者についても自分たちの社会を守るために障害者を排除することに手段や良心に咎められないことにも一種の恐怖を覚えています。障害者というカテゴリーに入りたがらない、しかし健常者のカテゴリーにも入れない、そんな自分は一体なんなのか・・・?

>何をどう理詰めで判断しているんだ?全て、君の目線で、君の基準で決めた理詰めだろう?
社会人としてのコミュニケーション能力が致命的に欠けているので集団の輪に入れない、入っても和を乱す元凶になるので追い出される、職に就けないので収入がなく結婚ができないし維持できず子供に遺伝する(可能性が高い)…ここまで揃うと「お前何で生きてるの?」と自分の中のもう1人から突っ込まれてしまい返答ができなくなってしまっています。確かに偏っている、しかし自分が社会に出て肌で感じた経験から基づいたものでもあるので「社会の一面」を突きつけられて導きだした、悪い価値観かもしれません。発達障害者を受け入れる、というもう1つの「社会の一面」にまだ出くわしていないだけなのでしょうか?

>何でもかんでも、病気のせいにしちゃいけないよ。きっと、まだまだ君に出来る事はあるはずだ。
ダメすぎて本当に出来る事なんてあるのか、それとも視野狭窄に陥って見失っているのか、未だにわかりません・・・

お礼日時:2011/09/22 00:38

>調べていくうちに自分はこの世に生きていく資格はないのではないかという恐怖に襲われてしまいました。



こう受け取られたのは、何故でしょう?

広汎性発達障害について、あまり良い情報の載ってないサイトをご覧になったのでしょうか?

それとも、悲観的な文面が並ぶサイトをご覧になったのでしょうか?

広汎性発達障害と言われる方にも、立派に研究分野で業績を残されている方もいます。

例えば、テンプル・グランディンはアスペルガーですが、動物学者として活躍されています。

「広汎性発達障害者」=「人生の落後者」のように思われるのは間違いです。

>社会の歯車として機能できないので、憲法で定められた「勤労の義務」に真っ向から反して(しまって)いる以上

字句通りに受け取れば、そう解釈できますが、それはそういう意味ではありません。

日本人にはまず「生存権」が保障されています。

そして、3つの義務は「大人になったら子どもには教育を与えなさい。働きなさい。税金を納めなさい」と言うだけで「月に○○円稼げない人は、日本人ではありません」などと言っているわけではありませんよね。

言わば、努力目標と言うことです。ノルマではありません。

>女性が男性に求めるのは経済力のようですが

多くの女性がそうだからと言って、全員の女性がそうだとは言えません。男性に安らぎだけを求める女性もいます。

>誰にも看取られず、助けを呼んでも孤独なのでその声も届かない、苦しみながら死んでいくことのに、自分がここにいたということを示す印も残せない。

それは「広汎性発達障害」でなくても多くの人が抱える悩みかと思います。

ですので、福祉の充実した社会を目指そうとしたり、高齢者賃貸住宅が出来てきたりしているのでは?

>そもそも幼年期からの療育をしなければ間に合わないことを知ってしまったため、まともな療育を受けられなかった自分は24歳にしてすでに人生の「詰み」になっているのではないか思っています。

そうでしょうか?

他の方たちも書かれているように、これだけの文章を理詰めで記述される学力があれば、あと少し「コミュニケーションでの手助け」を他者に求めれれば、人生の「詰み」ではないと思いますが。

「アスペの会」など広汎性発達障害者のサイトもあります。

一人で悩まれず、助けを求めてみてはいかがでしょう?

多くの同じ悩みを抱えている方に出会えば、何か変わってくるかもしれません。

人生に、遅いことなどないはずですよ。
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この回答へのお礼

回答有難う御座います。
>広汎性発達障害について、あまり良い情報の載ってないサイトをご覧になったのでしょうか?
調べれば調べるほど悪い情報が芋づる式に出てきてしまい、自分はこれからもずっと生き恥晒すだけでもうだめなのか・・・と希望を見いだせなくなってしまっています。ちゃんと教育を受けなければ能力もつかないし加齢と共に要求される能力も上がっていくけど、それに比例して性格も要求されていく。だけどもともとマトモな教育を何一つ受けられなかった上に職に就けないから能力の保障もなければ、発達障害によって性格は悪い方向で保証されている、性格矯正も成人過ぎた後はほぼ不可能…と揃ってしまえば、これから先変わったとしても手遅れじゃないのかな?…と言う悲観的な結論を出してしまっています。

>言わば、努力目標と言うことです。ノルマではありません。
逆にいえば発展がなければ達成されなくてもいいことを暗示しているような気がしてしまいます。周囲の健常者や努力している障害者は達成しているのに君は達成すらしてないね?と突きつけられると・・・

>広汎性発達障害と言われる方にも、立派に研究分野で業績を残されている方もいます。
彼らについては大変立派であるし、当人の努力もあって得た成功だと思う反面、周囲の理解や協力もあって成し得た成功だと思っています。テンプル・グランディンもその半生を見たら自分など足を向けて寝ることができないほどの立派な人でしたが…理解者や協力者がいなければ一体どうなっていたのか、自分みたいに徹底的に打ちのめされてしまっているのではないかなどと天邪鬼じゃありませんが邪推してしまいます。ひがんでいるというわけではありませんし、じゃあお前はテンプル・グランディンの環境が整っていればノーベル賞取れるぐらいの大成功納めてたの?と言われると自信はありませんので…

>他の方たちも書かれているように、これだけの文章を理詰めで記述される学力があれば~
この文章も頭の中を非常にこねくり回して出したものです。実際に言葉に出すことはできませんし、どもって変なヤツだと思われるだけかもしれません…いわゆる頭でっかちです。

>「アスペの会」など広汎性発達障害者のサイトもあります。
地元の自助会にも参加して見ましたが、愚痴や傷の舐め合いで終わってしまっているだけで「じゃあそこから先はどうするの?」についてはまったく言及されませんでした。ガス抜きは必要でしょうがそこで完結してためにぜんぜん自助になっていませんでした。これからこうしてこうしたいけどどうかな?と1度だけ提案したこともありましたが、「発達障害を勉強したのか?そんなのできっこないだろ」と一蹴され、来ないでくれと言われる有様でした。その経験から他はどうなのかな~…と引き目に見てしまっています。

・・・今の自分は障害を盾に逃げているだけなのでしょうか?

お礼日時:2011/09/22 01:46

#4です。



長いお礼、ありがとうございます。

これだけの短時間でこれだけの文章を操れるのですから、やはり「高い教育を受けている」と周りには判断されるのではないでしょうか?

それ故に、あなたにとっては理不尽な

>感謝どころか怨みや怒りを買う有様でした。「なぜそれができない!?」とか「もっと出来るはずだったのに」「そのミスを見つけてくれたせいでスケジュールが遅くなった!」「君は飲み会でも話をしないから雰囲気が悪い」「失望した」「口先だけ」「君にはこの職場は向いていない。3ヶ月やるから新しい職場を探せ」などなど批判をうけてしまい、

事態になってしまったのではないでしょうか?

この職場は「広汎性発達障害」に理解がある職場では無かったと言えます。

>職に就けないから能力の保障もなければ、発達障害によって性格は悪い方向で保証されている

「職に就けない」=「能力がない」ではありません。確かにそういう一面はありますが、環境が整わない・人間関係がたまたま悪かった・経済状況の影響など、本人の能力と全く関係ない要因で職をなくすこともあります。

>>言わば、努力目標と言うことです。ノルマではありません。
>逆にいえば発展がなければ達成されなくてもいいことを暗示しているような気がしてしまいます。
周囲の健常者や努力している障害者は達成しているのに君は達成すらしてないね?と突きつけられると・・・

逆ではなく「発展できなければ達成されなくてもいい」んです。
健常者が全て「発展しつくした存在」かと言えば「違う」と言えませんか? 周りの方を見て。
また、発展は確かに素晴らしい事ですが、人はいつまでも発展し続けるわけではありません。
「老い」という物はいつかきます。そしたら、老人は落後者ですか? ちがうでしょう。

>テンプル・グランディンもその半生を見たら自分など足を向けて寝ることができないほどの立派な人でしたが…理解者や協力者がいなければ一体どうなっていたのか、自分みたいに徹底的に打ちのめされてしまっているのではないかなどと天邪鬼じゃありませんが邪推してしまいます。

いえ、その通りだと思います。ですから「他者の協力」が必要なのです。
あなたにはまだ「セルフパーソン」と呼べる「何を聞いても、しっかりとあなたが納得するまで話につきあってくれる信頼できる人」がいないだけではないでしょうか? そして「彼女には複数のセルフパーソンがいた」ということでしょう。

>その経験から他はどうなのかな~…と引き目に見てしまっています。

残念でしたね。そこは、あなたと「同じ状況の人」が少なくて、「そこまでがんばれない」という人が多かったんでしょうね。
でも、学校にも色々あるように、人の集団も色々です。あなたと「同じような悩み」と「同じような希望」を持つ人たちは必ずいます。もう少し探してみてはいかがですか?

蛇足ですが、書籍で「発達障害がある子のための「暗黙のルール」マナーと決まりがわかる本」と言う物があります。この本が、あなたの苦手なことへの解決の一助になれば、うれしいです。
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この回答へのお礼

重ね重ね回答有難う御座います。

私がいう「教育」というのは、教養や学問のことではなく人付き合いや暗黙のルール、相手の心情を察し適切な振る舞いを行える方…つまりコミュニケーション力のことを指しています。そういった教育は幼少時の頃から行うことで「ある程度」の社会適応力を身に付けられるといわれますが、社会に出てからコミュニケーション上のトラブルを多発させる→その社会集団(会社とか)から追い出される→うつ病を発症して調査したら発達障害だと発覚する…という私のパターンのように、成人してからでは心身面の成長がまず望めないので、その能力を補おうにしても手遅れじゃないのかな?と思ったわけです。
場数を踏めばいいじゃないかと思われるかもしれません。じっさい自分もそうでしたが、トライアンドエラーが許されるほど社会は甘いものではありませんでしたし(物覚えが悪い!仕事舐めているのか!?定時で帰るなみんなに合わせろ!などの正論を叩きつけられます)、やっと暗黙のルールというものに気付けてきたかな~…という頃には評価はどん底、解雇されて今に至るわけです。それ以来自分は社会に適応する能力が致命的にかけているということを思い知らされ、その経験値をつもうにも機会も得られず、更に上述のように成人後の性格矯正はほぼ不可能・・・と揃ってしまうと「詰み」ではないかなと自身のダメっぷりに失望しているわけです。

>この職場は「広汎性発達障害」に理解がある職場では無かったと言えます。
上述のように、職場でトラブルを連発させる→慣れた頃には手遅れ→解雇されうつを発症→広汎性発達障害だと診断される、という手順を踏んでいるので、当時の私もその職場の人たちは広汎性発達障害だという認識はありませんでした。あらゆる業務を一定水準のレベルでこなせることが最低条件としていたようなので、マルチに能力発揮ができなかった私にはその職場はおろか、他の職場や発達障害に理解ある職場でも果たして受け入れてもらえるのだろうか…と萎縮しています。やはり「逃げ」ているのでしょうか?

さらに気になったのですが、「それだけの文章がかけるなら~」と他の回答者様も書かれているようですが…発達障害者というのは論理的な(へ理屈ともいえる)文章を書けるのはオカシイ?いう不文律や定義があるのでしょうか?自分の場合はじっくり時間をかけて文章を構築して文字にまとめるからこそ物事を表現できるのであって、声に出して発音するとなると理屈的にまとめられず断片的になってしまって………あれこいつ何を言っているんだ?な人です。一応とはいえそれなりに手順と手間と時間をかけた検査を経て診断された身なので、実は気づいていないうちに自分すら騙しているのではないのかな…といまいち自分の立ち位置というものに不安を覚えます。

>そしたら、老人は落後者ですか?
身に染みる一言です。色々と言われている団塊世代ですが日本のために納税や勤労の義務を忠実に遂行してきたので社会保障を受ける権利はある…と思います。しかし勤労はおろか納税もギリギリ厳しく時々アウトしているいまの自分は老いてもいないのに…と意気消沈してしまいます。

>男性に安らぎだけを求める女性もいます。
前回の回答で申し訳ありません。
このサイトの別の質問でもありましたが、発達障害の夫と離婚したいとか悩まされるというものをよく見かけます。内容も「夫に振り回されて…」というものばかりであり同情もできるものばかりでした。ここから見ると遺広汎性発達障害の自分では、女性に安らぎを与えるばかりか、混乱と不幸をまきちらし、さらには遺伝リスクまでもたらしてしまいかねない悪魔か疫病神の類であり、好きになった女性の幸せを求めるのであれば結婚や同棲などせず草葉の陰で見守っていたほうが双方のためじゃないのかな…と卑屈になっています。



・・・精神的にあまり余裕が無いのかもしれません。もう少し整理に時間が必要なのかもしれません。

お礼日時:2011/09/25 00:40

#4です。



お礼、ありがとうございます。

>私がいう「教育」というのは、教養や学問のことではなく人付き合いや暗黙のルール、相手の心情を察し適切な振る舞いを行える方…つまりコミュニケーション力のことを指しています。そういった教育は幼少時の頃から行うことで「ある程度」の社会適応力を身に付けられるといわれますが、

いえ、人との付き合いや暗黙のルールは、教えられるものではありません。

集団の中で、周りを見て、時に逸脱し、その度にたたかれて身につけていくものです。

ですので、広汎性発達障害の子どもにとっては、非常に分かりにくいスキルです。

最近になって、ようやく「どう学ばせれば良いのか」との学習方法論が立ち上げってきた段階です。

決定的に有効な方法は、まだ確立されていません。

ですので、あなたが言う「教育」は、今現在行われつつあるので、残念ながらあなたの幼少期には、日本のほとんどの所で行われてはいませんでした。(一部の熱心な親や教師が、先進的には行っていたと思いますが)

>発達障害者というのは論理的な(へ理屈ともいえる)文章を書けるのはオカシイ?いう不文律や定義があるのでしょうか?

いいえ。違います。

あなたが「もともとマトモな教育を何一つ受けられなかった」と書いた文章で「教育」と言う言葉を使ったので「論理的な文章が書ける以上、高い教育(従来の学力を養う教育)を受けていないはずはない」と言う意味で、書いています。

発達障害にはさまざまな障害が含まれます。

言語性の障害がまったくないアスペルガーや、言語性の障害があるカナータイプ、ある一部の分野の落ち込みが見られる学習障害など。

ですので「発達障害者は論理的な文章をかけない」というのは、間違いです。

また、あなたが「こんな文章が書けるのだから、発達障害ではない」とは私には言えません。

あなたを診断した医師が、診断基準を元に「広汎性発達障害」と診断されているのですから、それを単に文章を読んだだけの人間が「ちがう」とは言えません。

逆に、あなたの文章に対する解釈を読む限り、私の生徒(私は支援学校教員です)に非常に近しいものを感じています。

>成人してからでは心身面の成長がまず望めないので、その能力を補おうにしても手遅れじゃないのかな?と思ったわけです。場数を踏めばいいじゃないかと思われるかもしれません。

場数を踏むだけで、なんとかなるならば「広汎性発達障害」と診断されないでしょうね。

そして、成人後にも心の成長は望めます。ただ「成長期ほどの飛躍的な発達はないだろう。もっと時間が必要になる」というだけです。

>勤労はおろか納税もギリギリ厳しく時々アウトしているいまの自分は老いてもいないのに…

あなたは「大変、謙虚な方なんだな」と思います。

世界的にみて大変豊かな国に生まれたのがラッキーだったんだと、思っても良いとは思うのですが。^^;

>発達障害の夫と離婚したいとか悩まされるというものをよく見かけます。

確かに多いですね。しかし、それは本当に発達障害と診断された方だったのでしょうか?

人は単に「それっぽい」と言うだけで、簡単に断定して、自分の不満を「相手のせいだ」とにぶつけたりしますよ。(全員がそうとは言いませんが)

また、反対に「広汎性発達障害」を理解した上で、お付き合いをし、結婚したのならば、「広汎性発達障害」を理由に離婚には到らないのでは? もし、離婚するならば、別の理由でしょう。

>さらには遺伝リスクまでもたらしてしまいかねない

一応、現段階の医学では「広汎性発達障害」は遺伝性の障害ではないと言われています。

確かに家族性は認められますが、「発達の上での脳の気質要因」が原因と考えられています。

>精神的にあまり余裕が無いのかもしれません。もう少し整理に時間が必要なのかもしれません。

そうかもしれませんね。

時間をかけて、ゆっくりと整理してみてください。そして、あんたのセーフパーソンを見つけてください。
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この回答へのお礼

重ね重ね回答ありがとうございます。
学習については思い当たる面が多々あります。自分の場合は中学時代にいじめられて不登校寸前まで追い詰められたことがありますし、教師もろくに対応してもらえず、知的障害者クラスの子供が集団で追い掛け回されたりする光景を間近で見ていたこともあり、人間不信に陥ったことがありました。最近ではその記憶が夢や白昼夢で出てくるので調子がよくありませんが、振り返ると「いじめ」というのは集団社会にどうしても馴染めない(適応できない)人を排除するために行われる社会の防衛行動か何かじゃないかと思うようになりました。弱いものいじめでストレス解消だとかもあるのでそうだとは断言できるわけじゃありませんが・・・一度そういういじめを受けるとどうしても相手を信じきれなかったり怒らせたり不快にさせないようにするようになってしまっているので、それが今の自分のマイナス思考の根源になっているようです。

>そして、成人後にも心の成長は望めます。ただ・・・
それを含めるとやはり「手遅れ」じゃないのかな・・・と考えてしまいます。同年代の人たちは心身面では自分より発達していたり、そうでなくとも機能面(仕事が出来る力、社会に追従できる力)があるので「君はなぜダメなのかね?」と相手から追求されて答えられない。成長することで解決を図ろうにも時間がかかるとなれば、比較対象となる同年代の人たちは更に発展している(水準が上がっている)ので、差が縮まるどころか開く一方ではないか・・・と悪い方悪い方に考えてしまいます。もし自分が面接官だとすればどんな人を選ぶか?と聞かれたら能力が高い人か、これから飛躍的に成長が望める人、でなくても「和」でまとめられる人・・・などを選ぶと思います。理屈っぽく口下手、コミュニケーション能力が致命的に欠けている、発達障害というお墨付きは果たしてそういった人達と方を並べられるのだろうか・・・即応性や短期間で成果を求める現代の風潮を考えると難しい話ですorz

>あなたは「大変、謙虚な方なんだな」と思います。
自分の中では権利は義務を果たすことで得られるものだと考えていますが、それ以上に「堕落」しかねないからだという考えもあります。最近でいえば生活保護がパチンコ代に~・・・という社会問題がありますが、義務を果たさず権利を主張するのはそれに類するものを感じてしまうからです。「障害」が免罪符になってしまい、何の生産に寄与できず足を引っ張ってしまって生きる価値を見いだせないわけです。

>しかし、それは本当に発達障害と診断された方だったのでしょうか?
実際に調べたわけでもないのにそれっぽいからという理由だけで「過去の偉人は発達障害者であった」と決め付ける行為と殆ど同じようなものを感じました。そういう意味においてまだ生きづらい社会なのかもしれません。

>もし、離婚するならば、別の理由でしょう。
・・・障害を理解してくれたとしても「心変わり」や「限界」などで捨てられるのではないかと考えてしまいます。ひどい事を承知で書いてしまいますが、一生涯借金と付きあわなければならないわけで、相手の心身に多大な負荷をかけてしまうのではないのだろうか・・・と考えてしまうわけです。現在でも心の病を理由に離婚する事例があるようですが(民法770条など)、そのリスクを背負ってでも結婚してくれる女性は聖女か女神か天使か・・・宝くじで100万円以上を当てるほうが簡単なのかな?というぐらい低い確率だと邪推してしまいました。今の自分が人間不振(むしろ自分不信)なのかもしれませんが・・・orz

セーフパーソンについては・・・どうもなかなか見つかりません。「普段は無口なのにずけずけモノを言う」「その割に不器用で実績が伴ってない」など周囲からボロボロに指摘されて悪循環に陥っているようです。セーフパーソンという人は存在するのかはわかりませんが、自己改革が必要なのかもしれません。しかし時間がかかって・・・と思考の堂々巡りをしてしまってますorz

・・・まだまだ整理が必要なのかもしれません。

お礼日時:2011/10/08 01:54

>成人の発達障害者は手遅れなのですか?



分野によって難しいと思いますが、学習能力が全く無いのとは違うのだから、歩みが人より遅く身に付くことに並々ならぬ苦労はしても、何もかもが手遅れということは決してありません。


>一体どうすれば生きる価値や目的を見出すことができるのでしょうか?

皆さん仰っていますが、質問者さんは、これだけまとまった無駄のない分析力のある文章を書けるのだから、これこそが貴方の強みだと思うのですが如何でしょうか。


横レスになって申し訳ないのですが、
>この文章も頭の中を非常にこねくり回して出したものです。実際に言葉に出すことはできませんし、どもって変なヤツだと思われるだけかもしれません…

文章に書き起こして、益々グダグダになって行くことを経験している私からすれば、質問者さんは自分のことを卑下し過ぎに思えます。
即断即決のスピーディーな対応が求められる職場においては、貴方は不向きであったかもしれませんが、校正や編集を主とした職業なら充分力を発揮できるのではないでしょうか。
テーマが明確で難解な言葉や重複もない、読みやすく頭に入りやすい文章を書けるのは貴方の長所なのだから自信を持って良いと思うし、その能力を生かさないともったいないと思います。


>「そのミスを見つけてくれたせいでスケジュールが遅くなった!」

これって、言われた側にしてみれば辛いことですが、結局は見過ごしたままだと後々まずい事態になったので、上司?も渋々対応したと言うことですよね。
質問者さんは、今まで職場の関係者にさんざん否定されたり迷惑を掛けてしまった自覚がおありなのでショックなのでしょうけれど、足を引っ張ったのとは違いますよね。
反省は大切だけれど、真実と評価をごっちゃにしてはいけません。

この件は、今までのマイナス評価が作用して八つ当たりされてしまったという、不本意で悲しい出来事だったと思いますが、このことだけを単独で判断すれば、責めることでも責められることでもないはず。
嫌味は刺さりますが、ミスに気が付かなかった後々の損失を考えれば、寧ろ自分を評価して良いのではないですか。


いっそのこと、何も気が付かない真に鈍感な人間であれば、何も傷つくことはないのだろうけれど、真の進歩もまた得られないわけで…。
気が付くことが出来ても時差が生じてしまう人間は、居場所を見つけることに苦労するし、他人から理解を得ようと思うと心をすり減らしてしまうものでしょうけれど、自分という人間の特性を貴方自身が理解して、自分にあった遣り方を模索して行く、自分で自分を見捨てないこと、それが生きるということだし希望に繋がることだと思います。

気がつくことは傷つくことでもあるけれど、気が付けるということは立派な能力だし、何かを達成するために必要な能力です。
例え周りと時間差があったとしても、その能力が貴方に備わっていたことは喜ぶべきことじゃないですか。
貴方には充分謙虚さが備わっていると思いますから、これからは自分を卑下することよりも、自分で出来ること評価できることを見つけて、自分自身を認めて行く、このことをいつも忘れないでいれば、必ず道は開けると思います。

兎にはなれなくても亀になれればそれで良い。
世の中には、そんな職場も人も、まだまだいると思います。
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この回答へのお礼

遅くなってすいません。回答ありがとうございます。

>学習能力が全く無いのとは違うのだから、歩みが人より遅く身に付くことに並々ならぬ苦労はしても、何もかもが手遅れということは決してありません。
自分の中では「この人より遅く」という点が最大のネックであると思っています。今現在の日本では加齢と共に要求される能力の水準が上がるわけで、さらにマルチタスク、リーダーシップ性やマネジメント力、コミュニケーション能力などなども求められるわけで・・・必然的にそれらのいずれかでもスキルとして保有している同年代の人たちが選ばれるわけですが、能力向上の機会がなく、解雇というかたちで失格の烙印を押されてしまった私みたいな発達障害者ではこれから能力を上げてももうだめなんじゃないのかな?・・・と落ち込んでいます。

>嫌味は刺さりますが、ミスに気が付かなかった後々の損失を考えれば、寧ろ自分を評価して良いのではないですか。
相手の立場になって考えると、いわゆる自分は「スネ夫」や「井戸端会議の口うるさいオバチャン」的な奴じゃないかと考えるようになって来ました。ちくちくと細かいミスを報告していけばだれだってイライラするわけで、かといって放置すればすればで「なんで報告しなかった!」と言われるのが関の山なので自分は前者の行動をとっていたわけです。ただそれが周囲の反感を買っていたという結果を招いていたとすると、評価していいのかわからなくなってしまいます。更にそのミスは知っていたけど後回しにされたり、みんな知ってたけどさも第一発見者のように騒ぎ立てるので非常に鬱陶しいやつ、という評価がされていたのかもしれません。

>気がつくことは傷つくことでもあるけれど、気が付けるということは立派な能力だし、何かを達成するために必要な能力です。
上記のように今の自分の没落は宗教のようにタブーに触れてしまったがゆえに起こってしまったものだと自己分析しています。で、世の中を見るとそういった「触れてはいけないもの」がウヨウヨしているわけで、健常者の人たちはその見分けをきっちりつけて触れないように、穏便に済ますように動いています…が、自分にはその見わける力がなく、それも虎の尾を踏みつけるレベルでやらかしてしまう。
自分が「ブラックバス」と自称したのはここから由来しています。在来種を食い荒らして生態系を乱しまくりその自然の秩序を破壊する、こんな「危険種」など追い出されてしかるべきですが問題なのはその先の段階、「では追い出されたその後は一体どうするべきか」となるわけです。ブラックバスは人間が持ち込んだものですが、発達障害者は一定確率で生まれてくるのでその責を向ける先はないし対処法もない(まさか犬猫みたいに保健所にひとまとめに集めて駆除するわけにはいきませんし)・・・ここまでマイナス要因が揃うと「あれ、もうダメじゃないのかな」という悲観的な結論を導きだしてしまったわけです。

>兎にはなれなくても亀になれればそれで良い。世の中には、そんな職場も人も、まだまだいると思います。
最近の景気悪化もそうですが、今現在の日本では短期的な成果をあげることに執着しています。それに必要なのはスピードとそれに追従できる信頼性であり、その両方を有していない自分の出る幕はどこにもないんじゃないかな…と悲観的になっています。考えることはできても結論を出したりするのがとにかく遅い!他はパッパッパと行動していたり、風向きや潮が変われば帆船のように帆を変えてジグザグに目的地に進んでいる人たちを見るといかに自分はカメか手こぎボートか…と思ってしまいます。


ですが、校正や編集などの分野はまったく目につけていませんでした。もともと理系で進んでいたのが原因だったのかもしれませんが、そちらにアプローチして探してみたいと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2011/10/20 00:45

#4です。



ひつこくてすみません。^^;

>一度そういういじめを受けるとどうしても相手を信じきれなかったり怒らせたり不快にさせないようにするようになってしまっているので、それが今の自分のマイナス思考の根源になっているようです。

人は相手を信用する為には、相手が自分に対して好意を持っていると感じる必要がありますよね。

「発達障がい」の場合、この相手の好意を受け取るのがとても苦手です。

また、1度あったマイナスな出来事を何度も映像として思い出してしまい(所謂フラッシュバックと言うものです)マイナスな出来事の強化が自然と出来上がってしまいます。

ですので、他の人たち以上に「いじめ」がトラウマとなり、マイナス思考になりがちです。

では、どうすれば良いのか。

一つには、自分の自信を持てる分野を知る。それを認めてもらう。出来れば褒めてもらう。

そうすることで、自分に対する自信がつき、マイナスの出来事が思い出されても、打ち消す出来事を思い出せるように、練習していく方法があります。

これは一人でも出来ないことはないですが、他者(セーフパーソン)がいれば、更に成功しやすくなります。

>比較対象となる同年代の人たちは更に発展している(水準が上がっている)ので、差が縮まるどころか開く一方ではないか・・・

開いていく人もいますが、追いつける人もいます。

同年代の人全員が、絶えず切磋琢磨し自分を向上させることに真剣なわけではありません。

#7の方が書いているように、「亀はウサギを追い抜けることもある」と考えます。

>理屈っぽく口下手、コミュニケーション能力が致命的に欠けている、発達障害というお墨付きは果たしてそういった人達と方を並べられるのだろうか・・・即応性や短期間で成果を求める現代の風潮を考えると難しい話です

「発達障がい」を標榜していない方は、世の中に大勢います。

実際、私の職場(支援学校)でも同僚に「それらしい人」はいますし、逆に「自分が発達障がいだと分かった」と公言している人もいます。特に研究職には多いですよ。

こう言う私もかなり「自閉傾向」があります。^^;

>「障害」が免罪符になってしまい、何の生産に寄与できず足を引っ張ってしまって生きる価値を見いだせないわけです。

今はまだ休息期間なのではないでしょうか?

あなたの勤労への意欲は素晴らしいと思いますし、このまま何も生産しない立場でいるとも思えません。

ただ、今は時期ではないと言うことでは?

>そのリスクを背負ってでも結婚してくれる女性は聖女か女神か天使か・・・

容貌を選ばなければ、聖女や女神や天使は世の中には必ずいます。

>>そして、あんたのセーフパーソンを見つけてください。

ごめんなさい。前回の回答の最後は、完璧に誤植です。「あなたのセーフパーソン」のつもりで、入力ミスでした。m(。。)m
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この回答へのお礼

遅くなってすいません。回答ありがとうございます。

>自分の自信を持てる分野を知る。それを認めてもらう。出来れば褒めてもらう。
アドバイスありがとうございます。
・・・ただどうも自分には自信の持てる分野というものが見つかりません。周囲の人たちも「失業しているのは自身の無能から由来しているものだ。同世代の●●さんは係長になっているし、××さんは結婚もして育児と仕事を両立させて頑張っている。▲▲さんは営業で成績出しているし、■■さんはまだベンチ入りだけどサッカー選手になっているんだよ!それに比べればお前は理屈っぽくて逃げに徹している。仮に他人の10倍努力したところでも取り柄がないからムリだろう、なにせデキソコナイだからな」・・・と周囲の「できる人達」の正論にかなりやられています。成果なり数字なり結果なりを出している人たちだからこそ言える言葉でありそれを覆すこともできないわけで・・・。

>開いていく人もいますが、追いつける人もいます。
上記のように自分の周りにはちょっとすごい人たちばかりです。追いつける人は自分と似たような状況に陥っている人たちしかおらず、そっちもそっちで自分のことに手一杯なので適切なアドバイスなるものは期待できそうにありませんでした。

>「発達障がい」を標榜していない方は、世の中に大勢います。
自分も気付かないままのほうがよかったのかもしれません。仮に仕事がうまくいってトントンで出世なり結婚なりできたとしても・・・でもどこかで必ず壁に当たると思うので変わらないのかもしれません。
さらに、発達障害であり受け入れられている人は大なり小なり社会の歯車として機能することができている人であって、自分みたいに職に就けず取り柄を見いだせていない人は一体・・・と自責の念に囚われています。

>容貌を選ばなければ、聖女や女神や天使は世の中には必ずいます。
あまり良い話ではありませんが、この世には「売れ残り」という言葉があります。容姿風貌に限らず結婚出来ないのには必ず訳があるわけで、わがまま、男性優位主義(女性優位主義)、DV、すごく料理が下手、借金、その他手に負えない何かを持っているetc・・・自分も発達障害という「手に負えない何か」を持っておりしかもそれに気づいてしまったため、こちらの「売れ残り」のカテゴリーに入ってしまっているようです。

・・・どうも「成人になって気付いた時点で手遅れ」ではなく「発達障害としてこの世に生を受けてきた時点で手遅れ」であると考えてしまいます。回答者さまのおっしゃるセーフパーソンはおろか受け入れてくれる人物は本当にいるのかどうか疑わしくなってしまいました。実際いるのかもしれませんが、自分の目には変なフィルターがかかっているせいで見逃しているからなのでしょうか?

>今はまだ休息期間なのではないでしょうか?
そうかもしれませんが、それを肯定すると30歳40歳になってもずっと同じ状況が続いているような気がしてなりません。さらにいいますと勤労意欲というより働かない=悪であるという観念が自分の中にあるので不安を覚えているわけです。

・・・どうもあまり調子がよくないようです。

お礼日時:2011/10/26 22:59

#7です。

お礼をありがとうございます。
今回は自分のことばかりで長文になってしまいましたが、何か参考になればなと思います。
前回も果たしてこれで回答と言えるのか?と言うような、これといった名案もなく月並みなことしか書けませんでしたが、質問者さんのご質問を読んでいると、どうしても人ごととは思えず…

と言うのも、#7では触れませんでしたが、高校受験を控えた中学生の息子が多動症で学習障害(一時期息子は読字障害と診断されておりましたが、その後の詳しい検査で撤回され、現時点では他動が要因の学習障害と診断されています)なものですから、息子がこれから社会に出たら間違いなく経験するであろう葛藤を見るようであったし、私自身は検査を受けたことがありませんが、亡くなった父や父方の叔父達を見ていても発達障害の気がある様に思え、息子には済まない気持ちは常に何処かで感じていて、少なくとも私が貴方のように独身男性なら、ほぼ同じ悩みを持ったであろうことは想像に難くなく…

ご返信を拝読し、自身を含む周囲を振り返ってふと思ったことですが、発達障害を持つ人は本当に空気を読むのが徹底的に苦手な人もいれば、悪い方に流れる予感(有り難迷惑と受け取られる可能性)があっても、「終わりよければ全て良し」と、つい自分にも人にも期待し過ぎてしまうところがあって、よせばいいのに、馬鹿正直にも自分を偽り切れずに地雷を踏んでしまうところがあるのかな…と。良く言えばお人好しなんですが、悪く言えば余計なお世話をしてしまうという。
その様な予感があったればこそ、失敗に終わると落ち込みも激しくなってしまうのだろうなと…


私はここでの発言で、地雷を踏んでしまったことが何度かあります。
嫌がらせと思われてしまったこともあります。
直に会って話せる訳ではないから、機会を逃すとそれきり言えないだろうという気持ちが手伝って、突っ込んだ発言になってしまったときに、その様になりがちです。
多少なりとも悪い予感がするときは、よくよく考えて言葉も選びながら、結果が凶と出ても後悔だけはしまいと決断に至る訳ですが、結局は何も後悔しないで終わったことはなく…
「それを選択しないことによって、問題が先送りになるよりは」と、「言っても言わなくても後悔するなら言ってしまえ!」みたいな、勢い任せな自分を本当に馬鹿だなと思うし、謎でもあり、自分で自分が手に余ります。

リスクを感じることは敢えてするまでのこともないのに、してしまうというのは、良く言えば理想家で、悪く言えば独り善がりで、賭博師みたいな人間だなと自分のことを思います。
でも、そうしてしまうのは、停滞や閉塞感にいつも重圧感を感じて生きてきたから、突破口を求めてしまう故なのだろうとも思っています。
自分で自分を見限るのも、人を見限るのも同じことと考えてしまうから、自分の能力を超えたことにまで手を出してしまい、上手く行かなかったときは凹むのだけれど、それが必ずしも凶と出るわけでもなかったので希望を持ってしまうのが私で、これは一生変わらないのだろうとも思っています。

だから、結婚もしたし子どもも生めたわけですが、自分のことで手一杯な人間が親であることは子どもにとっては不幸なのではないかとか、そう思うことは唯の逃げや甘えで、罪悪感を持てば何もかもが赦されると思う様では、唯の狡い人間なのではないかとか…
結果として鬱病を疑うような、生きていることも眠ることも罪悪に思えた(人並みに休むような権利のない人間に思えた)最悪な時期が過去にはありました ―― 十数年前、二児の母になったばかりの頃の話です。そのずっと後に、これに懲りた私は二度専門医を訪れることをしました。
結局、自分で自分を追い詰めることは誰のためにもならず、家族をも苦しめるだけで害にしかならないのだということがよく解り、今は負の感情を溜め込まないように、浮かびそうになったらストップするよう意識しています。


>女性が男性に求めるのは経済力のようですが

確かにお金はないよりはあった方が良いです。
でも、私が精神的にも肉体的にも一番辛かったとき、本当に欲しかったものは、「理解であり共感」でした。
励ましよりも、「寄り添って貰えること」、話をただそのままに、その様に感じてその様に悩む人間がいるという話を聞いてもらえること、その「事実を知って貰うこと」を何よりも望んでいました。「一番辛いのは否定されること」でしたね。
昔の私がどうだったとか、これからの私はどうあるべきとか、そんなことよりも、「今の私を知って貰うことを伴侶には一番に望んでいました」。
あと、精神的にも肉体的にも限界になる前は、「よく頑張っているね」と言って貰えることが何よりも嬉しかったし、力が湧きました。


>いわゆる自分は「スネ夫」や「井戸端会議の口うるさいオバチャン」的な奴じゃないか
>最近、自分は外国の昆虫が生態系を荒らす「外来種」の一種ではないかという思い込み?が強まっています。ブラックバスみたいに在来種を駆逐できるのも問題ですが、今の日本社会の現状では淘汰されてしまうのでは…
>他はパッパッパと行動していたり、風向きや潮が変われば帆船のように帆を変えてジグザグに目的地に進んでいる人たちを見るといかに自分はカメか手こぎボートか…と思ってしまいます。

何だか自分のことを言われているみたいで、悲しくもあり共感してしまう反面、その表現力、発想とひらめきに、とても真似できない非凡な才能を感じてしまいます。かなり悲観的なことを仰っているので、こんな言い方は失礼かも知れませんが、ユーモアがあり、何処からこんな言葉が湧き出てくるのだろうと驚嘆してしまいます。
私が言っても唯の気休めにしか思えないかも知れないけれど、貴方には独創的な感性があるので、それこそ「職人気質が問われるようなじっくりと取り組める仕事が向いている」のではないかと思います。少なくとも、そう思わせる力強さや機智が貴方の文章にはあります。

*****

私は自分が親であることで子どもが不幸なのでは?と思い、
「生まれてきて幸せ?」と二人の我が子に聞いたことがあります。そして、
「幸せだよ。だからまだまだ死にたくないの」と即座に返答が返ってきました。
自分が絶不調のときは罪悪感が増すので親であることが辛かったけれど、やはり子どもは可愛いし、家族は有り難いものです。

貴方は真面目だし自分のことがよく分かっているから、とても悩んでいるけれど、貴方は個性的だから伴侶となる人が現れたとき、その人には貴方と合う合わないが感覚的に解ると思います。
だから結婚後に、「こんな人だとは思わなかった、騙された」などと言われるとは考えない方が良いです。
女性は男性が思うよりは直感力があるので、「この人だ」と思えば付いて行くし、「違う」と思えばその信念を曲げないものだと思います。
ですから、今から後々のことを深く考えて、罪悪感を募らすことはないと思いますよ。

貴方に出会いが何時やって来るかは解りませんが、心が穏やかになったとき私にはやって来ました。
意気込むでも落ち込むでもなく、「なるようになる…」と思えるようになったときが、そのときでしたね。運気は、そう思えたときにやってくるものだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仮に自分が家庭を持てたとしても、産んだ子供に負の遺伝子を継がせてしまったらどう落とし前をつけるべきか?今になっても答えが出ないままです。弱肉強食の世界であれば自然の掟に従って自然淘汰されるか、環境の変化(砂漠化→水や食料を求めて首や手足を進化させるなど)に適応して生き残るかのいずれかですが、知性や文化を持った人間であれば後者のルートはまず望むのは難しいわけで(大戦争が起こってターミネーターのような世界にでもならない限りは)…そしてその問題にいつか必ずぶつかってしまっているのが今の自分だと思っています。
恐らく中学生の息子さんも自分と似たような状況に陥るかもしれません。なぜ自分は他人と違って生まれてしまったのか?産めや増やせやの時代は終わっていますが、一定の労働力を得るためとして教育を受ける体制は今も続いているわけですので、必ずどこかで「歪み」が生じているせいで歯車として機能できないのか。これが量産品であれば不良品として処分されるのがオチであり、人間社会であれば「無能」の烙印を押されて解雇というかたちで処分する・・・手厳しい時代に生まれてしまったのかもしれません。せめて「こいつだけは日本で一番とは言わないけど全国大会にでられるレベルだぜ」的なものを身に付けれればまた少し状況が違っていたかもしれません。

>私はここでの発言で、地雷を踏んでしまったことが何度かあります。
自分の場合は日が浅いというのもありますが、答えを書くときは頭をクールダウンさせて冷静になって、何度も読み返して、この人はこういう答えを期待しているのではと推論し、更にそこに自分の意見を混ぜあわせて書いて、文章を読みなおして更に精錬させて・・・とやっています。
当然ですがこれだと時間がかかりすぎるので、日常生活の10秒足らずのごく短時間の間で会話のキャッチボールを行うことはどうしてもできず…どもってしまうので全然ダメダメなのが自分です。例えるならWindows95とWindows7ぐらいの処理能力差があるというべきなのでしょうか?これを自覚しているからこそ発言には慎重を重ねているつもりですが・・・感情を取っ払って考えることはどうしてもできないのでこれまでの回答のお礼のようにネガティブなっています。
最近では余計な火種を起こさないように非常に無口になっています。そうすればトラブルは避けられるのですが・・・それも何か違うし解決になっていないので「ではどうすれば相手と素早い会話のキャッチボールをできるようになるのか?」と解決方法を見いだせないので現状維持(超無口)を保っています。

>貴方は真面目だし自分のことがよく分かっているから、とても悩んでいるけれど~
>だから結婚後に、「こんな人だとは思わなかった、騙された」などと~
最近分かったのですが、発達障害者なのになぜ結婚できてしまうのかということを少し理解できました。相手の頭がハッピー状態なので冷静な判断ができなくなってしまっているからだそうです。だからどう見ても自分や相手を不幸にさせてしまいそうな相手を好きになったり、反対を押し切って結婚してしまったり、お腹痛めて産んだ子供にとんちんかんな名前をつけてしまうのも、恋愛や結婚や出産などの人生一大イベントに遭遇して自分を見失ってしまっているからである・・・と教えられました。いわゆる「恋は盲目」というやつです。
自分の場合はその前段階で深刻なレベルであると気付いたから「結婚して子供生むのは実はまずいんじゃないか?」と不安(及び腰)になっていますが、仮に気付かなかったら上述のようにハッピー状態のまま結婚して不幸一直線のまま突っ走ってしまうのでは・・・と邪推しています。無論これは健常者にもいえる話であり、もし相手がこちらの事情に理解できなかったらどうするか、真実を話したらこれまでのように口汚く罵られて追い払われるのかと考えてしまいます。そこは「相手が理解してくれて幸せになるだろ!」と思いたいところですが・・・これまで積んできた人生経験からしてそのルートはいささか難しそうです。

>でも、私が精神的にも肉体的にも一番辛かったとき、本当に欲しかったものは、「理解であり共感」でした。
「人」という漢字は棒と棒が支えあって構成されているというのは有名な話ですが、どんなに頑張っても人は一人で生きていくことができないことも意味しているような気がします。誰かの自伝であったのですが(失念しました…orz)、「山篭りで辛かったのは特訓でもなく話し相手がいなかったこと」とありまして、孤独というのは肉体的にではなく精神的にくるものなので、どんなに体を鍛えてもこれだけは耐えられない類のものなのかもしれません。それを考えるとセーフパーソンの存在はどうしても見つけなければなりませんが・・・今の自分の偏見フィルターで見出すのは少し難しそうです。

>貴方には独創的な感性があるので~
幼少期の頃から自分はどこか他人とは違う(天才とかといったいい意味である)と自覚していたので、そっちを伸ばすように成長してきました。ところが成人してから自分はどこか他人とは違う(ただし悪い意味である)ことを理解してしまったため、これまで積み重ねてきた学習経験を活かせずもがいている状態です。他人の目を引いたり面白いと思わせたりする方向に注力してきたので、その時の癖が根強く残っているのかもしれません。かといって小説家やソッチ方面で活かすのは他の列強作家と張り合うのも難しいわけで・・・かなり自尊心がすり減っているみたいです。

>運気は、そう思えたときにやってくるものだと思います。
笑う門には福来るとありますが、運というのは引き寄せるものだということを小さい頃に教わったことがあります。本当にピンチになったら他人から運を引き寄せて(≒助けてくれる)凌げたり、大きな物事をやり遂げることができる運を得ることができる(≒協力者を得られる)ので、どんどん運を引き寄せろということですが、今の精神状態では未だ回答者様のような境地には至っていないようです。
開き直れればいいのですが・・・ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/26 23:53

何度もすみません、#9です。


専門性の薄い、体験談ばかりの纏まりのない文章で申し訳ありませんが、宜しくお付き合い下さい。


>仮に自分が家庭を持てたとしても、産んだ子供に負の遺伝子を継がせてしまったらどう落とし前をつけるべきか?今になっても答えが出ないままです。

結婚することが必ずしも人生最大の幸せであり目標だとは言えないし、子どもだって心の底では愛せないのなら、親になる資格はないですよね。
草木に水や肥料が必要なように、何も手を掛けず心砕かずに子どもが真っ当に育つわけもなく、人生において一番難しいことは、本当の意味で親になること(子どもの生活環境を整えるだけではなく精神面で支えになること、人生や人格形成の土台となる責任を背負うこと)ではないか、そう思えるぐらい親になるということは難しいことです。
恋愛よりもずっと難しいし、一個人としてはもちろんのこと、未来を背負う命を預かっているのですから社会的な責任もまた大きいです。

結婚も恋愛も縁ですし、一方的に庇護して貰うために伴侶を求める行為の結果ではないですよね。それ以外にも、自分でもまだ知らなかった感情に気付かせて貰える、未知数の能力を引き出せるパワーを相手から受け取ることが出来るということ、自分自身も相手にとって同様な存在と成り得るのか、そこが鍵だと思います。その先は、お互いが相手をどれだけ必要としているのか、育ってきた環境とその家族をどのように受け入れることが出来るのか、結局は、そういった話になると思います。

先の先まで考えると遺伝子レベルのことまで考えなければいけなくなりますが、それを言えば、癌の家系であるとか、色盲の家系であるとか、先天性の心臓病の家系であるだなどと切りがなく…そこまで突き詰めると、何だか、子供を産むことは品種改良を目指すのが目的みたいで悲しくなります。
それに、世の中には恋愛感情は持てても子どもは欲しくないという女性もいますし、結婚を考えるとき最も重要なのは、お互いが目指している世界観・価値観がどれだけ共有できるのかが問題になると思います。

また、「自分には人に愛される資格があるのか?」のその前に、「自分は心から人を愛することが出来るのか?」ということが問題になります。
前回、頂いたお礼に「恋は盲目」のお話がありましたが、恋愛には人の潜在能力を引き出す力があります。だから、盲目にもなるし無理も利くのでしょう。
恋愛だけではなくて、師弟愛・友愛にも同じように潜在能力を引き出す力がありますよね。

配偶者とまでは行かなくても、ヘレン・ケラーさんにアニー・サリバン先生がいたように、恩師と呼べる様な心の拠り所となる人は誰もが欲することであり、不可欠な存在だといます。(立派な両親や伯父や叔母、曾祖父に恵まれた人なら、必要を感じないのかもしれませんが…)
そのぐらい人間は孤独には弱いし、逆に支えがあるだけで、ぐんぐん能力を引き上げることが出来る生き物なんだと思います。それは幾つになっても同じ事だと思います。―― これが、#8さんが仰るセーフパーソン(この言葉については知りませんので想像ですが)に当るのかなと思います。
子ども時代、姉妹で一人だけ出来が悪く、母親から幾度となくきつく叱られた私にとっては、小学生時代の担任が今でも心の支えになっています。
その恩師に出会う前と後では、学力の伸びも人生観もまるで違いました。
何しろ恩師に出会う迄、私は世界で一番馬鹿で無能だと絶望し切っていましたから。


私に限って言えば、自分の遺伝子を否定することは、これまでの人生だけではなく両親や祖先をも否定することになるので考えたくないことの一つです―― 今は息子がいるから尚更です。
母が父方の叔父を毛嫌いしていて(叔父は知能は正常でしたが、コミュニケーション能力や社会常識面で問題があったので、母は知的障害者だと思い込んでいました)、結婚後に叔父の存在を知り「遺伝するかもしれないから、この結婚は失敗だったと後悔した」と、繰り返し父や私を否定する話を聞かされたので、とても嫌でした。
(母にとっては、自分が被害者だと言いたかったのでしょうし、私がまだ幼くて何も解らないと思っての愚痴だったのでしょうが、父と叔父が可哀想だったし、このことは父に対する裏切りだと思え、自分のことだけ悪く言われるよりもずっと悲しく身を切られるように辛い出来事でしたし、このことは父には一度も話したことはありませんし、姉にもずっと言えずにいました。)
それもあって、夫からプロポーズされたときは叔父の話は真っ先にしました。
それでも私が良いと夫は言ってくれましたし、姉も取り越し苦労だと言ってくれましたけれど…

息子の場合は、言葉を話したり運動面で遅れがありましたが、こちらの話は通じるし、アニメや映画のストーリーも追えるし、空気も読めていたので特に問題ないと思っていたのですが、幼少期に大病を患った結果、後遺症で てんかんの脳波が認められ、その流れで多動症(てんかんが要因となることがある)の兆候に早く気が付けたり、学習障害についても早期のうちから視野に入れた指導を受けることが出来ました。私自身が自分の家系がそういった部類に属しているのではないかと考え、医師に相談したということもありますが。
――私については、学習障害はないけれど、多動症の傾向があるのでは?と思っています。同時処理や計画通り事を運ぶのが極度に苦手で、管理能力が問われる主婦というのが実は一番自分には不向きな仕事なんじゃないかとも思っています。ともかく技能面では劣るので、家族に対しては愛情を失わないこと、少しでも心理面で支えになれたらと…それだけです。
(長くなりましたので投稿を2回に分けます。)
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。No10の方にまとめて書かせてもらいました。

お礼日時:2011/11/11 00:55

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