性格悪い人が優勝

セオリーは、無視した(考えない・気にしない)方が良い結果につながると思うことが
ありましたら、どういうことでそう感じるのか教えてください。

A 回答 (3件)

当該セオリーに欠陥があるといち早く気づいた場合、あるいは状況変化により想定条件に食い違いが発生した場合、セオリー無視は十分とりうる選択肢です。



前者の例では、将棋の戦法があります。ここ二十年ばかりの戦法の変化、流行の推移、新手の発見は瞠目すべき点があります。

後者の例では、日航機123便の御巣鷹山墜落事故後の収容遺体の遺族への引き渡し処理上の事務手続きがあげられます。現場の大変さを理解できなかった警察上層部は杓子定規なルール、手順の順守にこだわり、現場は検屍にあたった医師らとともに現実的かつ遺族の負担を緩和できる線まで譲歩を求めます。近年の例だと、小惑星探査機はやぶさの設計書を無視し、異常時に備えてさらに作り込みを施した現場の技術者がいます。W杯直前にシステムを変更した第二次岡田JAPANがいます。直近だと、夏の甲子園全国野球大会、帝京高校対近江商業戦の近江商業の九回表逆転ホームラン、九回裏の逃げ切り劇があります。

点差と相手投手のできから、九回表、近江商業の監督は投手の打席に代打を送り思い出出場の温情采配モード。セカンド、レフトにも代打を送ります。ところが代打陣が初球から打ちにいった。あれよあれよという間に一点返したあと劇的な本塁打も出た。ところが九回裏の守備が残っています。ピッチャーに代打を出したために地区予選でも登板経験がない投手に託すしかなかった。ふつうの心臓なら緊張でがちがちになるところです。結果は交代したセカンド、レフトに打球は飛びましたが確実にアウトにとり追加点を許さず勝利しました。緊張の場面、萎縮したり力みすぎても仕方ないところを、仲間を信頼してのびのびと精一杯できる限りのことを悔いなくやるという淡々とした頼もしさと清々しさがありました。監督がセオリー無視というか勝負を九回表はじめから捨てて、交代選手にまかせたぶん、のびのびできた感があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
面白いお話を詰め込んでいただいてうれしいです。

お礼日時:2011/09/28 18:14

私が努めている会社はセオリーを嫌います。

少しでも新しいこと、個性を出せと。その結果はやはり出て、会社は急成長しました。
しかし、最初はやりがいを感じていましたが、私は頭が固く、なかなかアイデアが出ません。そうなってくるとセオリーも大事なのかなとも思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
攻める時は、セオリーが枷になり、守る時は支えになるのでしょうか。
背中を押す人と制止をかけてくれる人、両方いてくれるといいですね。

お礼日時:2011/09/28 18:09

>セオリーは無視した方が良いと思うことありますか?



        ↓
勝負事では、しばしばセオリーや常識を無視した直感やウラを掻く事で大きな成果や勝利を得る事がありました。

ex,野球のバントや強攻・麻雀の待ちや回し打ち・株式の売買タイミング・恋の争奪戦etc。


でも、セオリーは先達が貴重な体験を重ねた英知や確率論であったり、与件を高めるアイデア&戦術でもあり、ここぞと言う時や起死回生の大逆転を狙う時以外には、セオリー破りの奇策や意外性を何度も繰り返す事では無く、やはり勝率や結果においてはセオリーは正直な成果・帰趨を招いているように思います。

そういう意味で、セオリーに捉われ縛られ過ぎても良くないが、ウラを掻く事ばかりを考えていると墓穴を掘る事にも繋がります。
セオリーを知り基本を大切にしながら、ここぞ&いざという局面・一戦に於いては、超常識(セオリー破り)も見せる、考えさせる、迷わす事で、より弾力的、臨機応変な判断や作戦が豊富な引き出しから、勇気を持って打ち出せればベターだと思います。

人生は筋書きの無いドラマであり、自助努力と自己責任で綴る日記かもしれません・・・
そこに、セオリーはあっても無くても、先人の知恵や訓えを学び活かし、オンリーワンの幸せ生き方を追求するのが人生かも。
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この回答へのお礼

こんな短いお題にカッコいい文章をお寄せいただきありがとうございました。

お礼日時:2011/09/28 18:07

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