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ハイデッガーの『存在と時間』について勉強中ですが、なかなか落とし込めません。

(1)現存在(人間)とは、互いの関わり(気遣い)の中で存在する、「世界内存在」である
(2)現存在は死を覚悟し、対峙することによって、はじめて本来的な存在になりえる

というところまではなんとなく理解できたような気がするのですが、よくわからないのは「時間性」についてです。

なぜ「存在」とは「時間性」だ、という論理になるのですか?
過去、現在、未来が一体だから?・・とかいろいろと本には書いてあるのですが意味するところがよくわかりません。

ざっくりとでも構わないので、お分かりになる方、教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 現存在(人間)は普段、誰でもない誰か(世人/ひと)として何の疑問もなく生活(頽落)しているけれども、いったん自らの死への不安にかられ、その死を自らのことであると先駆けて決意することによって自己は本当の自己(実存)になる。


 ところで、自らの死とはすなわち自らの未来の出来事であり、未来とはすなわち時間的なものである。ゆえに時間的なもの(時間性)こそが人間を人間たらしめている本質である。
 これがハイデッガーの言う「現存在の存在の意味(本質)は時間性である。」ということだと思います。
 しかし、ここで言われる「時間性」とは人間的な意味における「時間性」であり、「時間」というものそれ自体を指す訳ではないようです。
 「存在と時間」は、ではその「時間(テンポラリテート/有時性とも)」とは何か、と問うところで中断し、その続きはついに書かれずに終わりましたが、「現象学の根本問題」(講義)においてそれらの問題を再構成しようと試みられもしました。
 「存在への問いを仕上げる」というハイデッガーの主題は「時間性」から「言語」へと展開してゆくことになります。
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時間が止まるのが、アセンションです。

時間が、速くなっていると感じる人が、多くなってます。止まる前触れだと言われています。時間が止まり、この仮の世界が終わるのが、アセンションです。この世界は、仮の世界なので、シュミレーションです。この世界の外に本当の世界が、あります。この世界は仮の世界です。だから始めと終わりがあります。始めから終わりまでが時間です。本当の世界は永遠なので時間はありません。これはアインシュタインの相対性理論や仏教哲学で証明されています。マヤ暦では2012年だと言われています。宇宙の太極は、完全調和の世界です。調和の世界が、成長拡大するためには、まわりの周辺部の、不完全、不調和を、調和に変換する必要があります。そこで変換する場所として、仮の世界の地球が創られました。ここで不調和世界の脳と、調和世界の自然の心である神が、出会う事になりました。そこへ調和の世界から、宗教で言う神の子の無我が来て、不調和世界の脳の自我と、合体して、人が誕生しました。だから人の心は、自我と無我が合体して出来ています。最初の頃は、無我が強く自我が小さいので、神の超能力がありました。だから神と人の合いの子である、神人と呼ばれていました。アトランチス古代文明頃までいました。神人がピラミッドを創りました。現代は、人は、自我が強く無我が小さいので、神の超能力はありません。そして人は、脳が自我が自分だと勘違いをしています。人は本当は、無我の神の子です。しかしいよいよ仮の世界が、終わる時が来ました。終わると、仕切り直しになるので、人の心は、脳の自我と、神の無我が、解体されて、それぞれ元の世界へ帰ります。脳の自我は、不調和世界の脳の世界へ、神の無我は、完全調和世界の神の世界へ帰ります。人は、神の子だから神の世界へ帰ります。
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あくまで素人の考えですけど、


「存在」を可能にしているのが「時間性」だ、と言えるんじゃないですか。
「気遣い」としての人間の「存在」は、時間そのものの現れ方(翻訳では確か時間性の「時熟」というタームで述べられてたと思いますが)によって変化する。
非本来的存在は非本来的時間性に由来し、本来的存在は本来的時間に基づく、という具合に。
だから、現存在の「存在」は、時間に従って構造化されてますよね。
「存在」を時間を手引きとして考える(とどこかで読んだ気がします)、これが『存在と時間』の基本的発想ではないでしょうか。
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原点(エネルギーのゆらぎを伴う安定)から時間を伴って


有と無が発生しています。

給料をもらった。・・・物が無。貨幣が有。
お米を買った。・・・・貨幣が無。お米が有。
お米を食べた。・・・・お米が無。体力が有。
元気に働いた。・・・・体力が無。給料が有。

このように 現象は相対的に働いています。有を失えば無
となり その変化にはエネルギーの保存が伴います。
そしてエネルギーは他の系(お米 ⇒ 体力)へと伝達され
系に於ける無から他の系に於ける有が発生します。
(系は 慣性的な範囲やカテゴリーを意味します)

原点(空間)は無と有が入り混じった状態ですから不安定な
エネルギーを隠しています。それが有に片寄を見せた時に
有が発生し また時間に於いて無が約束されています。

これらの変化に伴うエネルギーは 他の系に(保存)
伝達され 新たな有へと変化するのですが 一連の変化が
「時空間に於けるエネルギー = 存在 」となります。


ハイデガーは 行動がなんらかの形で時間に影響を及ぼし
その行動が空間にエネルギーを保存するパラダイムを想定し
ていたのではないでしょうか。

アインシュタインは 時間が空間へと変化し 空間に於ける
エネルギーが物質へと変化し 物質による空間の歪みが重力
を生み その重力が時間へと変化するパラダイムを用いてい
ます。しかもそれは カーナビ等のGPSに生かされて実用化
されています。

ハイデガーの場合は 惜しいところまで辿り着いていたんじゃ
ないでしょうか。それにしてもドイツ的発想はスゴイですねえ。

以上がボクの意見ですが もし本の内容と違いがあれば除外し
てください。 (´ω`;) ボクは宇宙人研究が専門ですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
ちょっとまだ、理解が追いついていないですが、
じっくりと読ませていただきます^^ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/28 16:13

タンポポ写真の1.2です。


参考までに、
未来なり将来なりに死後を想定することは哲学でなく変な宗教だ。
それは卑怯なイカサマだ。
死の超克とは目前の死を突き抜けてその先に生を見る事だ。
変な宗教では不死と言って拝んだやつだ。
このような超克を成すことは哲学のみならず人間的知性の果実である。
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この回答へのお礼

天国などの死後の世界を創造することによって死の不安から逃れることと、
ハイデッガーのいう「先駆的決意性」は異なる、ということでしょうか。

再度の回答ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/28 16:22

NO1です。


理解が進んだのなら光栄です。
死の覚悟が出来ないで時間的な経過に常に死がのしかかるならば、それは生きている事の自覚の無い生きる屍状態だ。
知性が時間的振幅に耐えるには、古来から死の超克がテーマにされてきた。
現代でも狂気に挑むより他が無いテーマである。
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死を恐怖すると、いつ訪れるかも知れない死が常に将来を阻み刹那的になる。


死を覚悟できると時間の経過に冷静になり時間的振幅が理解可能になる。
古来の宗教的教本で、死を超越して不死を得た超人として語り継がれるのは、なんてことはなく時間性を理解した知性の事だ。
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この回答へのお礼

さっそくの回答、ありがとうございます!
死を覚悟して生きることによって、時間性を理解することでき
本来的な人間のあり方(実存?)をするためには、時間性の理解が必要不可欠、ということでしょうか。

「時間性」のイメージが少しわかったような気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/27 21:31

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