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人間が死んだあとの世界ってやっぱり無なんですか?
生まれる前と同じですか?死んだらどこに行くんですか?生きてる人は誰もわからない質問かもしれませんが、すごく気になってしまいます。

うちのおばあちゃんは、死ぬ直前に、「きれいやわあ・・すごくきれいやわあ・・」と言ってそのまま死んでいったと言っていました。きっとおばあちゃんはお花畑が見えたんだね。とみんなで言ってたけど、そういうのってやっぱりあるのかあとも思います。

だれか教えてください!

A 回答 (21件中1~10件)

肉体と魂という分け方をするひとがいますね。


肉体は灰になる。
魂は・・・

魂は何でしょう?
生き物すべてにあるものなのか?植物や土や石にもあるものなのか?
脳がある動物だけにあるものか?感情がある動物だけにあるのか?

おそらく、感情のエキスのようなものだと思います。
子育てをする鳥や動物は、声や動作だけでなく、感情を直接伝えあう能力を持っているそうですね。
目に見えない感情のネットワークでつながれているわけです。
そこで、死によってネットワークの一員がとぎれてしまうので、残った人たちの喪失感が非常に大きくなります。
そこで供養をするということになります。

それは、死んだ魂を供養するのではなく、残された人たちの感情のネットワークを再構築する営みだと思います。

つまり、死ぬことは、タダの死であって、魂が極楽に行くと言うことは無いと思います。しかし、残された人たちは、そう思うことで救われるので、そのような発想が世界中にあるということです。
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佐藤愛子さんの『私の遺言』(新潮社・2002)はちょっと参考になるかも。



一読をお薦めします。
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おもしろい質問だなと思ったので僕なりの考えをお話させていただきます。



結論からいっちゃうと、僕は死んだあとの世界はない、というか死んだらそこで終わり。とは思っていません。
どーゆーことかというと、死んだ後の世界があるんだーみたいな死んだ後のことなどぶっちゃけた話誰にもわからないと思います。
だけど、死んだらそこで何もかも終わりだっていう考えは嫌です。おもしろくもなんともないし、むしろ悲しいです。
死んだ後の世界があるかはわかりません。
ひょっとしたら生まれ変わるのかもしれません。
ひょっとしたら死んだらおわりかもしれません。
けど、それは確認することなどできないことです。
よく、死んだ後の世界などは、死んだ人より残された人のためのものだ、などききますが、僕もそれは納得できる考えだと思いますが、どうせ確認できないことなんですから、自分に都合のいいほうに解釈したらいいんじゃないですか?
だから、この質問には、答えなんてないんですよね、きっと。
もし、仮に死んだ後の世界を垣間見たことがあるとかいってる人がいたとしても、僕は信じません。
あってほしいとは思いますが、一部の人があるといったからといってあると確定させる気にはなりません。
だから僕からしたら、この質問には答えなどないと思います。
だからayakoさんが自分で納得しきれなくても、共感できる考えなどをみつけたり、きいたりして、それでも答えとはいいきれなくて疑問をもったまま今を生きていくしかないんじゃないですかねぇ?
なんだかよくわかんない分になっちゃいましたが、こんな考え方の人もいるんだと参考になれば幸いです^^
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そのおばあちゃんはお花畑のある天国に行ったのでしょう。


死後の世界は紛れもなくあります。
死後の世界があるというより、魂は、生前の世界〈霊界〉、→この世〈現世、肉体に宿っている状態)、→死後の世界〈霊界〉というサイクルを繰り返しています。
この世で生きていたときにした行い(心の在り方、心で思ったことも含む)、を全て、総合して判断して、死後の世界の行方(ゆくえ)が決まります。
その、行方が、俗にいわれる「天国」と「地獄です。
今世(こんぜ)の生き方が、世の中の役に立つような正しい生き方(道徳に反せず愛と正義に生きる)をしたと、総合的に神様が判断したら天国!、
今世(こんぜ)の生き方が、世の中や、自然環境に対して悪影響を及ぼしたり、社会正義にそむくようなことをしたり、エゴイズムに生きたり、必要以上のむさぼりをしたり、不必要な殺生をしたり、人間として向上することを怠り堕落したりし
た者は、地獄に落ちます。

天国は心(魂)の楽園。この世で行った、善行の種類、数によって、天国のステージもまちまちです。より大きな善(愛と正義)を行った人のほうが、より高い天国に上がれます。

地獄は、心(魂)の苦痛の世界。この世で行った悪行の種類、数によって、地獄の深さ、苦しみの強さもまちまちです。

そして、現世の生き方、心のあり方は、来世再びこの世に生まれてくるときの、宿る肉体にも密接不可分な影響を及ぼします。
今世で正しく生きた人は、来世もこの世で幸福に暮らせる運命に生まれますし、今世で悪しき生き方をした人は、来世は、不幸な運命を背負わされます。
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あくまで想像の世界でしかない死後の話をあれこれ詮索するよりは、限りある今を精一杯生きて欲しいと思います。

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輪廻転生という考えがあります。


死ぬと最初に三途の川を渡ります。なんでも3つの川があるらしいです。生前の行い?によってどの川を渡るのかが決まるようです。渡れないと迷ってしまいます。そのあと門に行きます。ここで天国に行くか、地獄に行くのかを裁かれます。しかし、人間は多くの過ちを犯します(悪行)が、同時に多くの良いこと(善行)もしているそうです。裁判官?は1週間かけて質問し吟味します。しかし決められません。あまりにも多くの悪行と善行があるからです。それで、2つ目の門に送られます。ここでも7日間かけて吟味されます。しかしやはり決められず次の門に送られます。こうやって5番目の門に来ます。ここには閻魔大王がいます。人間は生まれた時に二人の神様を持つと言われます。善行の記録者(女の神様)と悪行の記録者(男の神様)です。この二人は閻魔大王に報告します。生前に行った悪行、善行をこと細かく報告します。閻魔様にはうそをつけないというのはここから来ているようです。厳しい吟味が続きます。しかしやはり決められず、とうとう7つ目の門に送られます。これが最後の門です。ちょうど死んでから49日目になります。前の門と同じく厳しい吟味が行われます。とうとう裁判官?は言います。たくさんの悪行をはたらいたな!しかし同時にたくさんの善行もある。ふ~む。決められん。では、こうしよう。もう一度人間界に戻ってやり直してみよ。善行ばかりをしてくれば天国へ送ってやろう。
こうして、この魂は違う人格または、生き物になってよみがえります。
7日ごとに集まってお経を唱えたり、49日に法要をするのは、この門での裁きに声援を送るためだそうです。生きているものがその死者に対して祈ることが善行に通じると言われています。つまりパワーを送って天国へと導くというように考えれば分かりやすいですね。
あの世というのはとにかく美しいところだそうです。地獄はだめですよ。鬼が住んでいていじめられます。ものすごい責め苦を与えられます。未来永劫です。
こういうことを信じるかどうかは別にして、死後の世界を思い描くことで安心し同時に納得しようという気持ちがあるんだと思います。
人づてに聞いたことなので間違いがあるかも知れませんが、大体このような話でした。
参考になったでしょうか?
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飯田史彦さんの「生きがいの創造」という本によると、欧米での研究などで、一部の科学者などの間ではすでに「生まれ変わり」つまり輪廻は科学的なものだ、とされているようです。


事実、この本は哲学的にも科学的にも信用に足る良書だと思います。
ご一読されることをオススメします。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569573 …
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死んだことがないので解りません。


ここへ来る人も全員生きているので
誰も解らないと思います。
死んで生き返った人がいるならともかく…。

結局、そういう死に対する漠然とした畏怖感が
宗教へと繋がっているのではないでしょうか?
ということは、宗教関連の書物を読むしか
方法はないのではないでしょうか?
ただ、それも真実かどうかはわかりません。
だって、生きている人が書いているのですから。
死んだ人が死後に書いた本があったら
それを読めば解りますがそんなものは存在しません。

死んだらどうなるかが具体的に解っていれば
死んだ後も何らかの形で自分が存在し続けるのであれば
死ぬのも怖くないんですけどね。
自分が死んだ途端に自分諸共見ていた世界が消えてしまうと
考えるからこそ、死が恐ろしいものに感じられます。

全然答えになっていなくてすみません。
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定期的に出る質問ですね。


夏になって、「怖い話」が流行るせいでしょうか。

死ねば無。死後の世界などなし。
これがワタシの考えです。

死んでしまえば、今までのすべてがチャラ。
そんなの嫌だ!死んでもまだ先はある。それは生きていたときの反映。
と、生み出されたのが死後の世界「天国地獄」でしょう。

よくある臨死体験でのお花畑は、信仰している宗教や文化などで違うという調査報告があるそうです。
つまり、知識や想像を元に、脳が最後に見せる幻想ですね。

死後の世界は無くても、自分が死んだ後の現世はあります。
ここには自分のいた証がのこります。
学者なら業績、武道家なら弟子、芸術家なら作品。
あるいは金や会社などの組織、歴史そのものかもしれません。

歴史書に載り、研究対象になるようなことは無理ですが、
ワタシという人がいたという証を何か残しておきたいと思います。
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星になるらしいです。



というのはもちろん事実ではないですが、「人は死んだら星になるんだ」という認識が死なれた側にあります(ある場合があります)「死んだ人は遠くから残った人たちを見守っている」、という考え方でしょうか?実際死んだ人達が星になったり遠くから見守ってくれるかどうかはわかりません。ただそう思うことで死ぬということに意味がつけられるのではないかと思います。
人が本当に「死ぬ」時は、あらゆる人から完璧に「忘れられた」時だという説があり、そうなったら人が死んだら文字通り何も無くなってしまうのかもしれません。
乱文ですみません。とりあえず私は人は死んだら星になると思います。
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