dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「指揮者によって楽譜の解釈が異なる」というのはどういうことか? の続きです。

いただいた回答を私なりに解釈してみましたが、おおむね下記のような感じでいいでしょうか?

考察1
クラシック音楽が制作された時代は五線譜の書き方も一定していなかった。また作曲者も数世紀先にまで残るなんて思っていなかったので、厳密に書き残したわけでもなかった。
故に現代の音楽家、指揮者がクラシック演奏の指揮をする場合は、まるで遺跡から発掘された古文書や木簡(紙が発明される以前に使われた、木の板に文章を書いたもの)、ヒエログリフ(古代エジプトの壁画文字)の解読の如く、読み取れる五線譜や余白に書かれた記号以外には独自の解釈をすることは自由である。
具体的に例えれば、邪馬台国の所在は近畿説、九州説などいろいろあるが、各々の歴史学者や古代ファンがどのように解釈するも自由である。


考察2
映像芸術(TVドラマ、映画など)に置き換えれば、作曲者=原作者、指揮者=脚本家・監督、演奏者=出演者となる。
よって同じ原作であっても、脚本家、監督の好みや解釈によって異なる作品になるし、映像化の時代によって、原作のエピソードを削ったり、原作にない登場人物を追加したりする場合もある。
具体的に例えれば、山崎豊子原作の「白い巨塔」はTVドラマ、映画で数回の映像化がなされており、その都度、監督、脚本家、出演者も違うし、使用される医療用具や手術方法、裁判の展開、財前五郎教授の出世階段の上がり方や財前の死因、登場人物の細かい人格描写などが異なるが、どれも「山崎豊子原作の白い巨塔」であることには違いない。それぞれの監督としては「ベストと思うものを作り上げたわけだし、観客としては好きな作品を「自分のお気に入りの”白い巨塔”」と思えばいい。


まとめ
結局、五線譜、楽譜というのは、コンピュータプログラムや設計図のように、全世界の技術者が全く同様に解釈し、全く同じ結果や全く同じ完成品を得られるような”技術仕様書”ではない。
それを理解、解釈する指揮者、演奏者によってある程度の”振れ幅”が許容されている物である。
これこそが芸術である。


こんなところでいいでしょうか?

A 回答 (4件)

先ず、ヨーロッパにおけるクラシック音楽の発展の経緯が元々教会の付随音楽から一部の王侯貴族のためのものであったというのは御存じかと思います。



それぞれお抱えの音楽家(作曲家、演奏家)がいて事あるごとに作品を書き献呈、演奏しました。
勿論、それらは当時の一部聴衆・演奏家のためだったのですが、一応は決まった音楽会・演奏会のためでありそれぞれれっきとした作品として後世に残すことは承知していました。

そしてそれらを演奏する(再現する)演奏家も奏法やスタイルといった演奏様式があり各伝統・流派にのってきちんと行うのです。それはモーツァルトやベートーヴェンの時代からありましたし現代までずっと継承され続けています。音楽大学や個人レッスンで著名な先生や演奏家に習うといえばお分かりでしょうか。
例えば、日本の歌舞伎やお茶、お華の家元の伝統を思い浮かべればよいかと。それぞれ厳格な流儀があり代々守りながら継承していくことに深い意味があります。

つまり、クラシック音楽全盛の時代は主に18、19世紀であって、歴史的にみて考古学やはたまた発掘といったような類とは全く違います。
勿論、テキスト(楽譜)には何から何まで手とり足とり書いてあるわけではなく演奏家の音楽的解釈によってはじめて音となります。しかし、全く自由でよいかというとそうではなくて一通りアカデミックな決まり事を踏襲した上での解釈です。けれども、そのちょっとしたことが伝統や様式を重んじる世界に於いては重要なのですね。

作曲家が残した楽譜(作品)は具体的な標題を持たない純音楽であり、表現手段として楽器や声を用いた極めて精神性の高いものです。よって時代を経ても普遍的でありその作品(テキスト)は永遠に後世に残すべき人類の偉大な遺産でもあるわけです。

ここで、ベートーヴェンの第五番のシンフォニーを、
1.カラヤン/ベルリン・フィル
2.ベーム/ウィーン・フィル
で聴き比べると先ずオーケストラの伝統的な響きの違いや、指揮者の解釈でテンポの設定やフレーズの歌わせ方・抑揚のつけ方が顕著に違います。また、オケの各奏者に細かい指示(弦楽器では弓の使い方、管楽器では息継ぎの箇所等)を出したりと曲を仕上げるための細かい作業をおこないます。これらはすべて作曲家がどのように考え感じて曲を作ったか、作品として完成したかを念頭に置き、場合によっては当時の時代背景、国、様々なことを多角的に考証しながら曲を再現していきます。
それが聴く側にとって最大の醍醐味であり、また好みの分かれるところとなります。

また、同じオケでも、
3.クリュイタンス/ベルリン・フィル
4.フルトヴェングラー/ベルリン・フィル
は指揮者が前者がフランス楽壇を代表するエレガントで本番の即興性を重視するスタイルに対し、後者はドイツ音楽正統派ともいえる音楽のつくり方で同じオケなのに驚くほど音色が違ってきます。
勿論、同じ曲ですからその違いというのはどこまで作品の本質・真髄に近づけるかや音楽として聴衆を満足させるかというところでしょうか。

このようにクラシック音楽ファンは一般的に自分の求める作曲家作品を最良の演奏で聴きたいがためにあえて様々な演奏家(指揮者、独奏者、オーケストラ等々)のCDや生演奏を聴き比べては日夜奔走?するのではないでしょうか。しかしながら「音楽」です。要は音を楽しめればいいわけですから・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ご紹介の曲、機会があったら鑑賞してみたいと思います。

お礼日時:2012/01/14 20:42

このたびたまたま拝見したのですが、なんかものすごく難しく考えているので、ちょっと驚きました。



楽譜は、残して伝える文字や記号のようなものですから、解釈にそれほどの違いはありません(もちろん、五線譜以前の楽譜なら、話はちょっと違いますが)。
でもそれを、表現する人は、一人ひとり、全く違います。
さらに、同じ指揮者でも、オーケストラによって違ってきます。
カラヤンだって、ベルリンフィルとN響では、ぜんぜん違うはずです(聞き比べたことはありませんが)。


以下のように考えて見れば、わかりやすいのでは?

楽譜は、文字。
演奏は、朗読。
演奏家は、読み手。

朗読は、読み手によって、みんな違いますよね?
まず、声やテンポやアクセント。
そして、力の入れ加減や和らげ方、間の空け方etc。
さらに、読み手の個性、こだわり、本や作者への思いetc。
同じ人だって、毎回違います。
生きた人間のすることですから。
でも、みんな違うことを、不思議には思わないでしょう?

楽譜と聞き手の間に、演奏家がいます。
違うのは楽譜の解釈ではなくて、演奏家の違い、人間の違いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

詩の朗読も、読み手によって印象が変わることは多々ありますね。
私は難しく考えすぎていたんですね。

お礼日時:2012/01/14 08:28

私の耳はあまり上等ではないので、全てを自分で実感しているわけではありませんが、いくつか具体例を書いてみます。



例1.ヴァイオリンの音は弓を上行させた時と、下行させた時は異なります。オーケストラでは、ヴァイオリン奏者は弓の動きを楽譜に記入します。(指示はコンサートマスターの役とは聞いていますが。)これは、楽譜に全ては書かれてはいないという具体例です。

例2.速度について、どこまで正確、厳密に作曲者の意思が書かれていますか。速度指示はあります。しかし、小節によっては微妙に速度を変えたい時があります。あるいは速度を落とせと書かれた時どの程度に落とすのかは厳密に書けません。

例3.指揮者の役割という本が新潮社から出ています。オランダの管弦楽団で、コントラバス奏者全員に弓の持ち方を変えるよう指示しましたそうです。(端面から西洋鋸のように持つ方法から、上からヴァイオリン奏者のように持つ方法)すると他の弦楽器との調和が変わってきて、音楽が変わりました。

例4.音楽を記録する方法は紙に書くだけではありません。LPレコード、CD,DVDなどに記録するのは近代的な記録方法です。年々進歩しています。それでも作曲者の意図を全て記録出来るとは限りません。

例5.耳のよい人が聞くと、ピアノで単に音階を弾いただけで、誰が弾いたか分かるようです。ああこれは安川さん、これは内田さん、これは辻井さんと1人1人異なるのです。私には聞き分けられないので、羨ましく思っています。(歌声なら聞き分けられますが。)

例6.最近はテレビでオーケストラの練習風景が放映されます。指揮者が、個別に要求を出しているのがよく分かります。とても勉強になります。通常は覗くことが出来ませんが、音楽大学の指揮科の授業ではどんなことが教えられているのでしょうね。



理屈をいくら言っても切りがありません。同じ曲の録音を小澤征爾指揮と佐渡裕指揮で聞いてみましょう。どこか違いますか。違いが分からない聴き手にとっては指揮者の解釈は不要とも云えます。私の場合は残念ながら......
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
弓の持ち方によって音が変わるとは知りませんでした。

>理屈をいくら言っても切りがありません。同じ曲の録音を小澤征爾指揮と佐渡裕指揮で聞いてみましょう。どこか違いますか。違いが分からない聴き手にとっては指揮者の解釈は不要とも云えます。私の場合は残念ながら......

機会があったら聴いてみたいと思います。
違いの分かる男になりたいです。

お礼日時:2012/01/14 08:27

カラヤンはアレンジ(指揮者の解釈)をせず譜面通りに


演奏させていました。
以前NHKで放送したのですが、
重苦しいイメージがあるベートーベンの『運命』も
カラヤンが指揮すると、物凄く軽いです。
1度お聴き下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ジャジャジャジャーン ではなくて
ちゃらららーん という感じなのでしょうか?

一度聴いてみます。

お礼日時:2012/01/12 14:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!