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国鉄時代の電車に詳しい方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

昔の国鉄時代の映像を観る機会があったのですがその際に貫通扉を開放しながら走行しているシーンがありました。

たしかどこか地方の普通列車だったと思います。

そこでご質問ですが、
(1):このような光景が見られたのはいつ頃まででしょうか。まだこのような仕様の電車は現存しているのでしょうか。

(2):開放していた理由はやはり暑さ対策なのでしょうか。

(3):現在、私が知る限りではこのような仕様の電車は見ることありませんが開放型が減少、もしくは廃止した理由をご存じでしたらお教え下さい。

何卒、よろしくお願いします。

A 回答 (12件中11~12件)

(1)旧型客車をSLやED10などディーゼル機関車が牽引する光景は、ローカル線を中心に昭和45(1970)年ぐらいまでは、極普通に見られた風景です。



(2)西部劇などのシーンでお分かりかと思いますが、開放デッキの考え方ですね。
まだ、屋根と扉が有って周囲が鉄柵でないだけマシだと思います。

(3)電化・ディーゼル化など輸送の近代化により、大井川鐵道のように保存鉄道の色合いの濃いところを除き、旧型客車は淘汰されました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。昭和45年ですか。今よりも風情があった気がしますね。

お礼日時:2012/01/23 20:31

ご覧になったのはどこの区間でしょうか。

さすがに前面貫通扉を開けて走ったというのは軽便でも無いと思います。国鉄の場合、旧型電車は別として半室運転台がないですから、運転士が風に晒されるようなんてんは市内と思いますが。電車登場当時(甲武鉄道買収線等)であれば、路面電車の延長で解放運転台でした。

なお、新性能車で前頭部に貫通路が出るのは151/153や111/113とこれらの交直形ですが、この時代で貫通路を開けて走ったというのは呼称以外ではあり得ないと思います。ただし、気動車の場合、液体式は特急以外は貫通路ありですから、こういう事例も会ったかも知れません。又、旧型客車はそもそも貫通扉医というのが無いことも多いので客車列車では鎖だけというのは珍しくありませんでした。

で、以下は車輌間の貫通扉に関して

(1) 一時期広幅貫通路が流行した時期があります。典型的なのは営団6000形で、5両ずつ貫通扉のない広幅貫通路でしたが、不評で後期形では二両単位になっています。

(2) 厚さ対策と言うより、見通し向上による開放的視界の確保です。

(3) 特に冬期の加速時、減速時に貫通路を寒風が吹き抜けることによる不評が大きな理由です。他に、編成替え時の不便さなどもあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。この動画を見ていて疑問に思いまして。http://www.youtube.com/watch?v=2QlJDqR8lWM
動画が5つくらいに分かれておりまして、パート5くらいで撮影者の方が走行中に機関車との連結部分を撮影しているシーンがありました。また終始、外に乗り出して撮影しているようで。これも気になりました。youtubeのコメントにもありますが、最近の電車はこのような撮影方法は不可能だと思いましたので。説明不足で申し訳ございません。

お礼日時:2012/01/22 06:39

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