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当方は1980年代初頭に生まれながら、
たったの一度も旧日本国有鉄道を利用することなく、
1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてしまいました。

現在、JRグループ各社の駅は、
とりわけ私鉄や公営鉄道に同一の駅名がある場合、
「JR○○駅」などと、鉄道会社名を前置きした上で、
案内板やニュースで呼称されることが多いようです。

では、国鉄時代はどうだったのでしょうか?
同じく「国鉄○○駅」と呼ばれていたのでしょうか?
それとも、国鉄と地方鉄道の間には、
主副のような関係が慣習的に存在し、
国鉄駅の場合には何もつけずに、
単に「○○駅」と呼ばれる場合が多かったのでしょうか?

逆の視点から質問します。
国鉄時代は、何も断りなく単に「渋谷駅」と言えば、
京王や東急の渋谷駅ではなく、
「国鉄渋谷駅」を指すことが、
日常的に暗黙の了解だったのでしょうか?

A 回答 (5件)

元鉄道屋です。



お説の通り国鉄時代はただ単に「○○駅」と呼んでいました。
今「JR○○駅」と言いますが、民営化の始めころJRの名称を浸透させるのが目的で「JR○○駅」と言い出しました。
今も使っているのはその頃の名残りなのかも知れません。

渋谷駅にしてもただの「渋谷駅」は国鉄の駅で、私鉄の場合に限り「東急渋谷駅」と呼称していました。
「新宿駅」も「上野駅」も国鉄の事でした。
私鉄のみ「小田急新宿駅」とか「京王新宿駅」と呼んでいました。
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>同じく「国鉄○○駅」と呼ばれていたのでしょうか?



そういう表記もありました。

例えば、私鉄駅が近くにあって、よく似た駅名だと、「国鉄 ○○駅」と表記されていましたよ。

国鉄の駅しか無い場合は、単純に「○○駅」でしたね。

民営化されてから全部に「JR」って、付けましたね。(電車や駅の看板にも)
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伊予鉄道の「松山市駅」のように国鉄の駅が出来る前は「松山駅」を名乗っていたのに、当時の鉄道省によって無理やり変更させられた場合もあります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%B1% …
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単に、○○駅だったと思います。


国鉄の頃は、全国どの路線も国鉄でしたから分けて呼称する必要はなかったのでしょう。
今は仰るように、「JR」が冠につきますね。
面白い例で、国府津駅はJR東海の御殿場線が分岐している関係で、JR東日本とJR東海の境界駅ですが、構内の管轄は東日本です。
で、御殿場線の各駅は神奈川県内を走っていても、JR東海の駅となっています。

さらに面白いのは東京駅で、ここは東日本以外にJR東海の新幹線が乗り入れていて、駅長は東日本と東海の2人です。
で、国鉄時代から東京駅を9時に発車する特急には駅長が見送る慣行がありました。
それはJRになっても引き継がれていて、JR東日本の駅長は在来線の「踊り子号」、JR東海の社長は新幹線の「のぞみ」を見送っています。
車格的には全くの格下の踊り子号を、JR東日本の駅長が見送るのは何とも皮肉なことです。

>国鉄時代は、何も断りなく単に「渋谷駅」と言えば
そうでしょうね。
当時は天下の国鉄でしたから、民鉄など足元にも及ばなかったと思います。
呼称の意味もそうだと思います。
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No.1さんの補足ですが、国鉄時代に京成線に「国鉄千葉駅前」と言う駅が有りました。


今は「京成千葉」となってますが。
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