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同じ人の同じ言動について、バカにする人と、しない人が居ます。
バカにする人は、なぜバカにするのか?
バカにしない人は、なぜバカにしないのか?

他にも、ずるいと腹を立てる人と、そうでない人の違いも…。
最近になって、根っこの部分では同じだと、思うようになりました。
好きなことして、日々を楽しんでいたら、さほど気にならないのですよ。
以前の自分と、最近の自分を比べて、そう思うようになりました。

皆さんは、どう思われますか?

A 回答 (9件)

私もおおむね、質問者様と


同じ考えです。

自分自身に自信がなかったり、
満たされない思いがあると人の欠点や
些細なミスも許せなくなるのだと思います。

逆に満たされていれば、他者に対しても寛容で優しさを与えられると思います。

そのことから、周りの人や大きく言えば人類全体の為にも、
まずは自分自身が幸せになれるよう努力すべきだと私は思ってます。
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この回答へのお礼

pipi24nさん、ありがとうございます。

>周りの人や大きく言えば人類全体の為にも、
>まずは自分自身が幸せになれるよう努力すべきだと私は思ってます。

素晴らしい、ステキな発想です!
まず自分から、本当そうですね。

お礼日時:2012/03/22 18:55

>バカにする人は、なぜバカにするのか?


普段からどうしようもない人なら仕方ない部分もありますが、そうでなければ自分にコンプレックスを強く感じている人の方がそのような傾向になりやすいと思います。

>ずるいと腹を立てる人
些細な事でも言うのだとしたら・・
常に自分が優位でいたい人、おおらかさのない人は他人とよく比較していますね。
いつも不平不満を言っている人が多そうです。
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この回答へのお礼

sakura-333さん、ありがとうございます。

コンプレックスも「バカにする」に関係するんですね(驚き)
何か、バシッと来た感じです。
感謝です!

お礼日時:2012/03/22 19:25

バカにしない人は多分他人を傷づけることが嫌いかもしれません。

でもバカにする人は人を傷づけるのは好きだとは言えなく、ただ他人の気持ちには気づかないと思います。
やっぱり、人はそれぞれだ!!
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この回答へのお礼

arudosalogさん、ありがとうございます。

知らないゆえに、傷つけることは私も有ります。
反省して次に生かすか、気づかず同じこと繰り返すか。。。
考え方も生き方も、人それぞれですものね。

お礼日時:2012/03/22 18:57

知性の差じゃないかなと思います。



聖人君子なんて世の中にそう滅多にいるわけじゃあありません。バカにしない人だって、目の前であまりにバカなことをされれば「こいつ、バカか!」と内心腹を立てると思います。
あとは、それを口や態度に出すか出さないかで、それが知性なんじゃないかと思います。知性のある人は、知性で上手にそれを隠すのだと思います。いわゆる「思慮深い」という人なのではないでしょうかね。
学歴や勉強ではないから、一流といわれる大学生やその教授であってもそういうことを表に出す人はいるでしょうし、学歴がなくても表に出さない人もいるでしょう。
あるいは、「器の差」ってやつかもしれないですね。
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この回答へのお礼

eroero1919さん、ありがとうございます。

知性、それは有ると思いました。
思うこと有っても、そのまま出すのも危険ですよね。
思慮深い、そんな人になりたいですよー

お礼日時:2012/03/22 18:53

これは、「感情」や「感性」というものです。

俗には心ともいいますし、昔であれば精神や道にも通ずるものがあるでしょう。

考え方として、本当に頭が良い人でもそうでなくとも、人を馬鹿にすることはできます。蔑むことも、腹を立てることもできるでしょう。子供に対して大人げない行動をとる人も世の中にはいます。

それらは、単純にこれがこうだからという理論や理屈で決まるものではなく、もっと不確定な要素、感情によって左右されます。たとえば、質問者様とある人がチームを組んで、一つのプロジェクトをするとしましょう。このプロジェクトは質問者様の今後の成功を左右します。人生がかかっているといっても過言ではない状況です。

しかし、一緒に組んだAさんは、とにかく質問者様の気持ちを逆なでするほど、動きが鈍く、行動ががさつで、だれでもできるだろうということで、失敗を繰り返します。しかも、反省しない。

もしその状況で、質問者様はいつまで耐えられるでしょうか?相手にいらだちを覚えるようになるまでの時間は、どれぐらいでしょうか?

それが、即ち感情に左右される証拠となります。
いくら認めてあげたい。努力をしていると思っても、それが自分にとって不利につながり、相手に引き摺られていると感じることが、一時でもあれば、最低でもその一時は相手を非難するようになります。特に、自分が熱心ならよりその人の行動に対して怒り、自分の力のなさに苦しむはずです。

これは、それに拘りがあり、熱心であり、よりその物事に対して努力し、それが報われないか、報われていても自分がしていることの価値を、周りが認めてくれないと思う時に、強く感じるようになります。いわゆる劣等感の一つです。
そして、それが人に向かうか、自分に向かうかのバランスで、人は精神を保つのです。

自分に向かいすぎれば、精神疾患になります。また、近年は人に向けすぎて病気と診断されるケースもあります。場合によっては、迷惑なクレーマーや毒舌家になるかもしれません。どこにも向けずに、ためても、やはり最後はストレスを感じることでしょう。

それらが、全くなく穏やかに過ごせるとすれば、それは社会においてかなり恵まれた状況にあるか、最近は熱心に物事に集中し、競争する機会が減っている(いわゆるマンネリで諦めがある)などの場合もあるかもしれません。


自然に人の社会で育てば、人は若いほど人を意識する傾向が強いです。年齢が上がれば己の限界や、人との距離感を保つための経験が増えていきますから、妥協という名の限界認定がされてしまい。徐々に単に馬鹿にすることもなくなっていきますし、ずるいということも減るものです。
それでも、年齢を重ねてそういうことが自由にできて、なおかつ多くの友人を持ち、公私において多くの成功を手にしている人は、表で馬鹿にしているように見えて、多くの相手との協調や努力をしている可能性が高いのです。すなわち、一時の感情と、その後のフォローがあるかどうかが大事なのです。それができる人が、成功者なのでしょう。

私の個人的な意見では、こうなります。
どちらか一方に極端であれば、良いとは言い難いというのが私の考え方です。
人はある程度、蔑むことも蔑まれることもあります。あとはそれをそのままにするか、それを糧にするかでしょう。
自分が誰かを蔑む場合は、同じ行動を自分がすると自分が同じように蔑まれることになります。すなわち、そこに明確な基準があり、問題を監視しあえる体制があるのです。それを知っていることが何より大切であり、それが自身を成長させ、相手を評価(良くも悪くも)する基準にもなります。

これは、人にやさしくするとか、道徳教育上の問題点といったものではありません。人が、どのように人と接触し、その人からどのように学ぶのかを決める要素でしかありません。そして、人を蔑む瞬間は、たいていの場合、自分に同じ言葉が返ってくるいわゆる戒めにつながるのです。

それを理解しているか否かで、単純な道徳の問題でこれは単にいけない発言であるとみる短絡的な発想と、そうではなく自分または社会の底上げを図れるかもしれない要素とに二分されます。

尚、たいていの場合、質問のような馬鹿にする行動や、ずるいと発言する行動の多くは、その瞬間の行動に対する感情論にすぎません。毎日毎時言っているなど、明らかな問題があれば別ですが、その人自身を否定する要素ではなければ、その人がそういう裏には、それなりの拘りや負けたくない、勝ちたいといった強い望みがあったと言えます。
それを、冷めた人が馬鹿らしいとでもいえば、その方が相手を傷つけるケースもあるかもしれません。

いかがでしょうか?
これは、馬鹿にする理由の一つになります。感情に左右され、成長過程にも左右されるため、これはすべてに当てはまる答えにはならないと思いますが、気にならないことが良いことか、そうでないことかというのも、これを考える上では重要だと思います。
結局のところ、この違いを決めるのは、人それぞれがその状況で相手をどのように見ているか、自分にどれだけ余裕があるか、自分にどういう戒めを科しているかによります。これを考えている人は、たぶん毒舌や悪ぶって見えても、人が近づく傾向があると経験上では感じます。
それもなく、単に口でいう人もいますが、そういう人は一般に好かれないはずです。また、単に一つ一つのお互いの感情を分析せず、それをいけないというだけの人も、私の場合は、良い方向には見ないですね。

長々と参考にはならないかもしれませんが、こういう考え方もできますよ。
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この回答へのお礼

partsさま、ありがとうございます。

関心の向かう先が、自分or相手かによって大きく変わること。
どちらにしても極端は良くないこと。
確かにそうですね。読んでいて納得しました。

いろんな要素が組み合わさって、相手を判断したり、
どこを意識するのか、大きく変わるんですね。
タイミング悪いと、お互いに良くない、怖いと思いました。

でも怖がってばかりも居られない、状況を読んで
お互いにプラスになるよう、日々心がけます。
勉強になりました。

お礼日時:2012/03/20 21:43

 成長なさったんですね。


 行動様式は、その人の成功体験で助長されるとともに、前提となる世界観を強化します。「バカにする」ではなく、「論評している」だけ、と括ることもできます。自分の意見を述べる「自己開示」の一種とも言えます。質問者様が「馬鹿にする」として括っている行動に別のレッテルを貼れば、また違って見えますよ。
 人間のもっとも強い欲求は「自己重要感に対する欲求」です。承認欲求とも言います。誰かをバカにすれば、自分が偉くなったように感じます。でも、それはカッコ悪いと思うようになれば、そうしなくなります。
 誰かと仲良くなるには自己開示が必要で、他人に対する悪感情であれ、思ったことを言わないことは悪いことであるという家庭であれば、他人の陰口も正しい行動になります。
 山口母子殺人事件での処罰感情に見えるように、悪い奴を処罰してもらいたいという感情は、人間の心理としてある程度容認されています。ずるい事をする奴は、悪口を言われて処罰されるべきだ、という世界観もあります。
 「怒り」は怒っている本人にとても嫌な感情です。その怒りの原因が他人にあると認識されれば、怒りの原因となった人間をさらに怒り、憎むようになります。怒り自体にエスカレートする仕組みがあるのです。しかし、「怒りは自分が生み出している感情である」という認識があれば、自分でどうにかすることもできます。「他人のせいで自分は怒っているんだ」と思っている人は、他人が変わらなければ自分の怒りは収められない、と思い込んでいるのです。
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この回答へのお礼

gassene-ta-さま、ありがとうございます。

自己開示と怒りの感情について、優しくもためになる内容で、
読んでいて、なんか熱くなりました。

今ここを何とかしたいと思ってるんです。
もっと成長できるよう努力します。

お礼日時:2012/03/20 21:36

障害のある人や親の居ない人を馬鹿にしている人が居ました。


そういう人は道徳的な欠如があり、まともに育てられていないと思います。
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この回答へのお礼

CANDYWWLさま、ありがとうございます。

自分が優位だと示したかった、そうなる事情が有ったんですね。
幸せで心穏やかだと、絶対そうならないですよね。

お礼日時:2012/03/20 21:33

バカにする人は、自分に自信がない人です。


自分に自信がないので、他人を下に見ること
により、自分の優位を確認したいので
そういう言動に出るのです。

本当に自信がある人は、人をバカにした
態度などとりませんよ。

ずるい、と怒る人と怒らない人の関係も
類似性があると思います。

心の大きな人、余裕のあるひとは、
温厚です。
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この回答へのお礼

hekiyuさま、ありがとうございます。

私、心の大きな人、余裕のある人になりたいと思いました。
まだまだ足りません。心の中は温厚でない時が多いです。

お礼日時:2012/03/20 21:31

たとえば、幼稚園児と相撲をするとします。


相手が負け続けてもバカにはしないでしょう。
自分の方が圧倒的に強いと分かっているからです。

でも、相手が同級生ならバカにすることもあります。
それは、バカにすることによって自分のほうが優れて
いると自分に思い込ませようとしているんです。

つまり、自分に自信がないという証拠です。
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この回答へのお礼

bagus3さま、ありがとうございます。

自信って、特別できるからとかじゃ無かったんですね。
ここ数年で、改めて気づくことが有りました。
的確なコメントに感謝します。

お礼日時:2012/03/20 21:30

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