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1.きんらんどんすの 帯しめながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
2.文金島田に 髪結いながら 花嫁御寮は なぜ泣くのだろ
3.あねさんごっこの 花嫁人形は 赤い鹿の子の 振袖着てる
4.泣けば鹿の子の たもとがきれる 涙で鹿の子の 赤い紅にじむ
5.泣くに泣かれぬ 花嫁人形は 赤い鹿の子の 千代紙衣装

1と2で泣いているのは人間の花嫁でしょうか?「帯しめながら泣く」は人間にしかできませんよね。
4で泣くのは、人形遊び(あねさんごっと)をしている子供でしょうか?
それとも全て主体は「花嫁人形」なのでしょうか?題名がそうですし。それにしては5で「泣くに泣かれぬ花嫁人形」とあるので混乱してしまいます。

よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

 NO1です。

訂正(笑)

1・2が今まさに結婚式を迎えようとしている人間の花嫁ですね。

3・4・5がその花嫁を模した花嫁人形です。

 結婚という最高の幸せのはずなのに、どうして花嫁さんは泣くのだろう。
この結婚式ごっこをしている花嫁人形も本当は泣きたいんだろうなぁ。。。
しかし、衣装が紙で出来てるので、泣けば衣装は汚れるし、破れてしまう。
本当は泣きたいはずなのに(人形だからってことではなく)紙の衣装だから泣くのを我慢してるんだろうなぁ。。。


 ってことではないでしょうか。
 
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私はNo2の方の意見がいいと思います。



1,2行目では言いたいことがはっきりしているのに対し、
3は人形の衣装の描写だけであり、
話が4へ続くだろうと考えるのが自然です。
そして4を見ると、「もし人形が泣いたらどうなるか」という仮想があり、
やはり次に続いてもらいたい内容です。
5の「泣くに泣かれぬ」は3,4が理由になっているととれば納まりがいいでしょう。

「人形だから泣かない」というだけの「泣かれぬ」ならば、
4と3がちゅうぶらりんになってしまう気がします。

人間の花嫁は泣くのだから人形も泣きそうにはなっているのだろうけど、
衣装が千代紙なので泣かないのだろう、とは実に面白い情趣だと思いました。
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女性が最も耀かしいのは、「ハレ(晴れ)」の日を迎え嫁ぐ、その絢爛たる花嫁姿において、なのでしょう。


女性が最も純粋無垢でありえたのは、「ケ(褻)」の日での、姉様人形での飯事(ママゴト)で将来を夢見た幼子において、でしょう。
そして、女性が最も美しいのは、「ハレ(晴れ)とケ(褻)の混乱、すなわちまれに出現するところの昂奮」(柳田國男)であろう「涙」、それを忍びこらえる淑やかさ、凛と漂う悲しびの姿において、なのではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC% …

15歳で駆け落ちしたエツには翌年に生した男の子を養うことは叶わず、数年は新発田の実家に里子に出した形で、汽車に揺られ時折逢うだけだった。その後引き取ってからも倹しい生活の日々で、そんな少年の原点は母エツの使い残したママゴトおもちゃだけだったのかもしれません。その思い出の千代紙人形を手に取っている自分、一度も晴れの日を迎えることなく自分の年にはもう亡くなってしまった母の面影、その心の内は如何ばかりであったのか。ハレにあって泣く姿を密かに想像に凝らしながら、「泣くに泣けない」この命のない千代紙人形をじっと見つめていると「鹿の子の赤い紅にじむ」ばかり、悲しい叙情が募るばかり。
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「花嫁御寮」も自分の意思を棄てた


人形なのでは、なないでしょうか。
二重にも三重にも意味が込められていますから
わかりませんが・・・

この回答への補足

ありがとうございます。
泣く、に注目すると、
1.2は泣いている、
3.4.5は泣いていない、かつ人形。
人形は泣けない。

と考えれば、1.2は人間の花嫁という事になりそうです。
幼女が花嫁をみて、「何故泣くのだろう」と思い、
花嫁人形をみて、「何故泣かないのだろう」と思っていると解釈可能です。

補足日時:2012/07/14 20:14
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全て主体は「花嫁人形」、でいいと思いますよ。


124は「泣いているように見える」から「泣く」のでであって(直喩法)
5は人形だから泣けないので「泣くに泣かれぬ」とあるだけです。

ちなみに花嫁人形自体は戦争で死んだ若い特攻隊員たちの為に遺族が贈った人形のことです。
靖国神社の遊就館に飾られているものが有名ですね。

この回答への補足

ありがとうございます。
>全て主体は「花嫁人形」、でいいと思いますよ。

そんな気がしてきました。
「ながら」は同時進行や並列を表すのではなく、「逆説」ですね。
「にもかかわらず」という意味でしょう。

大正13年の作詞なので戦争は無関係と思います。
花嫁姿の人形と思います。
ネットで、若くして亡くなった母親の面影を、舞妓の姿にかさねて
作詞したとありました。

補足日時:2012/07/14 03:06
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戦争で添い遂げられなかった・・・悲話なのだそうです。



このお話の花嫁人形は実際に存在していた、近江八幡市のあるお屋敷に最近(?)まであったということですよ。

悲話の内容は、聞いたのですが、大半は不確実なので(それが流布すると大変なので)書きません。
近江八幡市の歴史・資料に詳しい方ならご存じだと思います。
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1・2・4は今まさに結婚式を控えてる花嫁さんでしょうね。



3・5は、その花嫁に模した花嫁人形のことを歌っています。
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Q「早春賦」の歌詞について

 日本語を勉強中の中国人です。「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

 歌詞の参考ページです。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sousyunfu.htm

1.「歌は思えど」
2.「さては時ぞと 思うあやにく」
3.「春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もきのうも 雪の空  
今日もきのうも 雪の空
 
川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。
さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。

3.春と聞かねば 知らでありしを  
聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を  いかにせよとの この頃か 
いかにせよとの この頃か

暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。

1)歌は思えど
⇒歌おうと思ったけれど。

2)さては時ぞと 思うあやにく
⇒さては時(春が来た)と思うが、その気持ちを打ち消すかのように、(まだまだ雪が降っている。)
⇒いよいよ春が来たと思ったのだが、折悪しくまた今日も雪が舞って来てしまった。(春はまだなのか~)

★あや‐にく【▽生憎】
《感動詞「あや」+形容詞「にくし」の語幹から》

1.[副]意に反して不都合なことが起こるさま。
あいにく。
折悪しく。

2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。

意地が悪い。
不都合だ。間(ま)が悪い。
予想以上に厳しい。過酷だ。

この歌は難しい歌ですよ。
全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。自信ありません。

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もき...続きを読む

Q「さくら さくら」の歌詞の意味は?

さくら さくら
弥生の空は 見わたすかぎり
霞か雲か 匂ひぞ出づる
いざや いざや 見に行かん

「霞か雲か」というのは桜を指しているのでしょうか?(比喩)
それとも「弥生の空は」とありますので、雲のことを指しているのでしょうか?

比喩だとすると桜が空に輝いているということでしょうか?
空に輝いているのであれば、どこにいても見えますので、「見に行かん」がおかしくなります。
わざわざ「見渡すかぎり」といっています。

それとも地には桜が、空には雲が美しく輝いていると解釈してよいのでしょうか?
「匂ひぞ出づる」の「匂ひ」は、生き生きとした美しさなどが溢れることですが、雲や霞に「匂ふ」などと表現はしないと思うのですが。
すると「桜が匂ふ」という解釈になります。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ここで使われている「空」は、「目の前に広がる空間」という意味で、「景色・風景」と同義です。したがって「霞か雲か」は、遠くに眺める桜の花を意味します。

この歌には、もう一つ歌詞があるのはご存知ですね。

さくら さくら 
野山も里も 見渡す限り
霞か雲か 朝日に匂ふ
さくら さくら 花盛り

こちらの歌詞では、「霞か雲か」が桜花を指しているのは明らかです。

「さくささくら」の歌詞には、面白い歴史があります。よろしければ、こちらのサイトをご覧ください。

http://www.k-press.net/music/indexmusic0404.html

Q通りゃんせの歌・・・帰りの何が怖い?

通りゃんせの歌で
「行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」
と歌いますよね。

私はむかしこの歌について「7歳のお祝いに札を収めて成長をお祝いする」ために天神様へのお参りをするということで聞いたことがあるんですが、めでたい席の帰りでなぜ帰りが怖いんでしょうか?お払いとか受けた後のはずなのに。
むしろ細道の行きの方が感覚的に怖く感じます。子供の成長についても7歳までのほうが7歳からよりも危ないような気がしますし。

なにか魔物の伝承でもあるんでしょうか?

Aベストアンサー

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じような地平の話というか、心の状態なのだと思います。「神隠し」とは何かというと、子供が行方不明になるのですが、これも散文的に理由を考えると、例えば、人さらいにさらわれたとか、山人とでもいうか、サンカとか、山男とか山姥などと呼ばれている人々が連れ去ったとも言え(サンカと山人や山姥との関係は必ずしも明確でありませんが)、または、迷子になって死ぬ子供とか、または、食人の野生人が山にいたのかも知れません。
 
  散文的な話ですが、子供が遊びにでかけると、行く時は、遊びに行くので楽しいが、帰れるかどうか分からない……「神隠し」に会う可能性があるぞ、という歌なのではないかと思います。「帰りは怖い」は、行って帰って来て、帰りが恐ろしいのではなく、帰ろうとすると恐ろしいものがたちふさがるということを警告している、あるいは、遊んでいる子供達は、直観的に理解していたのかも知れません。
 
  「七つのお祝いに、天神様の細道」ですが、天神は怨霊を神として祭ったものです。非常に古い日本の伝統的な宗教観が、怨霊は神として祭らねばならないということを教えるのです。そして「七」というのは、吉兆数ですが、神秘数でもあり、諸星風に言うと、「異界」への数とも言えます。
 
  諸星の話からの連想だと、「神隠し」の背後には、子供を神の生け贄にして殺すという儀礼が背景にあった可能性も想定し得るのです。七歳の祝いの日に、子供に晴れ着を着せて、神界への細道を進ませ、そして子供は消えて、帰って来なくなるのです。
 
  行きは、「神界」へと晴れて行くのですが、帰りは、「異界=黄泉の国」へと帰って行くのです。それでもよいなら、「通りゃんせ」という歌なのでしょう。
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/s683.htm

 
  こういう話というか、民謡に含まれる古い「恐ろしい真実」の意味については、『孔子暗黒伝』などの作者の諸星大二郎が書いていたはずだと考えていますと、検索した以下のURLのページで、やはり、諸星氏の作品に触れています。
 
  この何故「帰りは怖い」のか、というのは、多分、答えはないのだと思います。昔はあって、失われたという可能性と、もう一つ、言語化できない直観の真理認識のようなものがあったのかも知れません。
 
  もう少し散文的に言うと、これは、「神隠し」などと同じ...続きを読む

Q歌「知床旅情」歌詞、ピリカの意味?

歌「知床旅情」の歌詞、ピリカの意味についてお尋ねします。
カラオケで外国人に<ピリカが笑う>のピリカって何?と質問を受け、「アイヌ語で海鳥のことと思う」と答えると、近くの知人が「違うと、美しいということだよ」と訂正しました。
でも<美しいが笑う>という意味は変だと思いませんか。歌詞の正確な意味をご存知の方教えてください。

Aベストアンサー

非常にいい加減な私の記憶によると
昔々、森繁久弥さんが何かの番組で詩の解説をされていて、
その時は、「美しい娘」だと仰っていました。
幼い時にアイヌのコロポックルに興味を持った私は、
「美しい娘」は「ピリカメノコ」という事くらいは知っていましたが、
なにせ日本の歌詞って、結構違う読ませ方してますから、そういう類かと思っていました。

<参考・アイヌ語>
ピリカ=美しい・良い
ピリカオッカイ=美男子
ピリカクル=善人
ピリカメノコ=美少女
ピリカルアンペ=きれいな者

<参考・歌詞などの違う読ませ方>
生命=いのち、女=ひと、男=あなた・・・・結構ありますよね。

Q童謡「花嫁人形」を歌ってよいでしょうか?

知人の披露宴で童謡の「花嫁人形」を歌って欲しいと依頼されました。
親族にお年寄りが多いので、1つぐらいこういった余興を入れたいのだそうです。

「金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」と歌詞が始まります。
ネットで調べると、披露宴で歌う際には「たもとが切れる」を「たもとが濡れる」と置き換えて歌う、とありました。

メロディは大変美しく、感動を誘う演出になりそうだとは思います。
が、歌詞の解釈がとても気になります。
花嫁が泣くのは、
1)明日から、厳しい嫁の勤めを果たさなければならないこと
2)叶わなかった初恋を思い出している
など、この結婚に対して前向きではない理由で泣いているようです。
あくまで、ネットでの検索結果ですが…。

ほかに何か、花嫁についてのいい童謡はないかと思ったのですが、見つかりませんでした。
「赤とんぼ」=15でねえやは嫁に行き、お里の便りも絶え果てた
「ひなまつり」=季節が違い過ぎ(披露宴は11月です)

何か、よい童謡をご存知の方、教えて下さい。

または、「花嫁人形」の歌詞のよい解釈があれば、教えて下さい。

※黒柳徹子さんのお母様(声楽家)は、戦時中の食糧難の時期に、あちこちの結婚式でこの歌を歌い、お礼を頂いて子供達を養った、とのことです。

知人の披露宴で童謡の「花嫁人形」を歌って欲しいと依頼されました。
親族にお年寄りが多いので、1つぐらいこういった余興を入れたいのだそうです。

「金襴緞子の帯しめながら、花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」と歌詞が始まります。
ネットで調べると、披露宴で歌う際には「たもとが切れる」を「たもとが濡れる」と置き換えて歌う、とありました。

メロディは大変美しく、感動を誘う演出になりそうだとは思います。
が、歌詞の解釈がとても気になります。
花嫁が泣くのは、
1)明日から、厳しい嫁の勤...続きを読む

Aベストアンサー

#1です。思い出しました。

「花かげ」という童謡。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/post_0c8a.html

こちらもやはりマイナーの曲ですが、詞は美しいと思います。最後にやっぱり泣いちゃうのですがこれは妹がお姉さんを慕って泣くというものなので許容範囲かと。

いっそのこと「黒田節」でもいいかもね。最近歌う人少ないでしょう。あ、でも質問者様が女性だったら似合わないかもですね。ごめんなさい。

Q70歳代から80歳代 知っている歌

グループホームで働いていますが、歌が好きな方が何人かいらっしゃいます。

70歳以上の方は、どんな曲をご存知ですか?また、介護職をされている方は、レクの時間でどんな曲を歌いますか?童謡、歌謡曲なんでもいいので教えてください。また、無料、安価でCDや歌詞が載っている本など教えていただければありがたいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://takurou.co-site.jp/ikoi/

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/warabe.html#top

上記のサイトを参考にしてみてください。

Q「夏の思い出」の歌詞について

 日本語を勉強中の中国人です。「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。

 歌詞の全文はこちらでご覧ください。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsunoomoide.html

1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。

2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。

3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。野の小径ですか。それとも水のほとりなのでしょうか。分からなくなりました。

4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。句読点がないので、混乱しています。誰が夢を見たのでしょうか。作詞者自身ですか。第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。句読点を入れていただければ助かります。

5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。なんか省略が多すぎるような気がします。風情を壊してしまって申し訳ありません。具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

 日本語を勉強中の中国人です。「夏の思い出」という唱歌の歌詞を読みましたが、理解できないところがあるので、質問をさせてください。

 歌詞の全文はこちらでご覧ください。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/natsunoomoide.html

1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。

2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。

3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いている...続きを読む

Aベストアンサー

1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。
⇒正解です。
⇒夏が来るたびに思い出すのは、遠い空の下にある尾瀬沼のこと。
その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。そう、水芭蕉の花が咲いているのです。まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。


2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。
⇒正解です。
⇒上記の説明でお分かりのように、見えてくるのは「水芭蕉のやさしい影」です。


3.この歌詞の中の「水芭蕉」はいったいどこに咲いているのでしょうか。野の小径ですか。それとも水のほとりなのでしょうか。分からなくなりました。
⇒歌詞の中にある「尾瀬」という沼の「水のほとり」です。
尾瀬沼のすばらしい景色をご堪能ください。

http://www.towabank.co.jp/oze/oze97/oze97.html

4.「夢見て咲いている水のほとり」とはどのような意味でしょうか。句読点がないので、混乱しています。誰が夢を見たのでしょうか。作詞者自身ですか。第二段落の中の「夢みて匂っている水のほとり」もこれと同じような理由で、よく理解できません。句読点を入れていただければ助かります。

⇒「夢見て咲いている、水のほとり」
⇒読んで字の如し「水芭蕉の花が夢を見ているかのように静かに美しく水のほとりに咲いている」
⇒「水のほとりに、夢見て咲いている」が倒置されてます。
⇒「水芭蕉」を擬人化して「夢を見ているかのように咲いている」と表現しています。

第二段落も同じです。
「水のほとりで、夢を見ているかのように匂っている」
⇒「夢を見ているかのように」という表現は、「水芭蕉の純白の可憐な花が、そっとやさしく咲いている様」を【純真で汚れの無い小さな子供が、スヤスヤとやさしく、そして幸せそうに眠っている様】に喩えているのです。


5.「花のなかに そよそよと ゆれゆれる 浮き島よ」とはどのようなことを指すのでしょうか。なんか省略が多すぎるような気がします。風情を壊してしまって申し訳ありません。具体的な情景をつかみたいので、説明していただけないでしょうか。
⇒省略はありません。
⇒下記のURLをご覧下さい。
⇒「水芭蕉」は沼地にあるところでは点々と、あるところでは何本かが寄り添って、またあるところでは道のように連なって、さらにあるところでは花たちが集まって島のような塊となって咲いているのです。水の中に咲いている様子が「浮き島」のように見える水芭蕉もあるのです。

【浮き島】のイメージが下記の写真で解るといいのですが・・・。
http://www.page.sannet.ne.jp/moris/oze.htm

質問文の1.
【辞書で調べましたが、見つけませんでした。】
⇒【見つけることが出来ませんでした】
⇒【見つかりませんでした】
⇒【探せませんでした】
⇒【探すことが出来ませんでした】
⇒【見当たりませんでした】
⇒【辞書で調べましたが載っていませんでした】
★「見つけませんでした」は、ご自分の意志で見つけなかったという意味になり、「探しても見つからなかった」という意味とは違ってしまいます。

質問文5.
【なんか省略が多すぎるような気がします。】
⇒「なんか」ではなく、もし使うのであれば「かなり」とかになります。しかし、ここではそのような言葉を使うのではなく、「この文章は省略されたものが多すぎるような気がしています」などの方が、質問文としては良いでしょう。

歌詞はメロディーに当てはめ、音符に乗せることなどが優先され、倒置法が用いられていたり、省略されたり、妙な造語が出てきたり、擬態語が使われたりします。さらには、歌詞独特の擬人法が駆使されていたりして、詩自体の文意が解りにくくなっていることが多いですね。

頑張ってください。

1.「うかびくる」は古い表示でしょうか。辞書で調べましたが、見つけませんでした。「浮かんでくる」という意味でしょうか。
⇒正解です。
⇒夏が来るたびに思い出すのは、遠い空の下にある尾瀬沼のこと。
その尾瀬沼は霧が深く、野の小径を歩いていくと、その霧の中に何かぼんやりとやさしい影が浮かんでくるのです。そう、水芭蕉の花が咲いているのです。まるで水のほとりで夢でも見ているかのように咲いているのです。


2.「やさしい影」は何の物の影でしょうか。水芭蕉のですか。
⇒正解です。
⇒上...続きを読む

Q五木の子守唄の歌詞の意味

おどみゃ盆ぎり盆ぎり
盆からさきゃおらんと
盆が早よ来りゃ早よもどる
という歌詞はどういう意味ですか?教えて下さい。
二番の「おどみゃかんじんかんじん・・・」についてもよろしくお願いします。

Aベストアンサー

下記ページのほうが直訳に近いので各単語の意味が分かると思います。

私(の子守奉公)はお盆まで、お盆まで
お盆が過ぎたら居ませんよ(実家に帰るんですよ)
お盆が早く来れば、早く(家に)帰れる
私は物乞い(貧乏、自分を卑下した言葉)物乞い
あの人たちは良い人たち(お金持ち)
良い人(お金持ち)たちは美しい帯や着物を持っている
(お盆に家に帰ったとき、自分も着れたらいいけど・・・)

参考URL:http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/hougen/higoben.html

Q童謡「ななつの子」の歌詞の意味

童謡「ななつの子」で、「ななつ」ということばの意味ですが、1.カラスの7羽の子、2.カラスの子で、年齢で言えば7歳にあたる子、のどちらなのでしょうか?意味を深く考えたこともなかったので、私は1だとずっと思っていたのですが、友達で、2だと言ってゆずらない人がいるので・・・。
その友達が2と主張する根拠は、1なら、「ななつ」ではなくて、「ななわ(七羽)」が正しいからだそうです。そのへんは童謡なので、ななつでも七羽でもいいのではと私個人は思うのですが。正しくはどちらなのでしょうか。

Aベストアンサー

これは、かなり以前から論議されているものです。自分なりにいろいろ資料を収集してあります。私は「物書き」のひとりです。

「ななつ」「ななわ」の問題は、どちらでも問題ありません。鳥ですから「ななわ(7羽)」が正しいことは、言うまでもありませんが、童謡、唱歌、童話などには、このような例はたくさん、たくさんあります。全く別ですが、「夕焼け小焼け」の「小焼け」って何でしょうか? 童謡類のみにおける特殊表現です。小焼けなんていう日本語は本来は存在しません。

脱線しました。お尋ねの「7羽」説。カラスが7歳になっていれば、「子」ではない。だから7羽だという科学的根拠で、これが主張されています。しかし、一度に7羽も子を産むこともない、という、これも科学的根拠による、否定主張もあります。

「7歳」説。上記の7羽否定根拠による説がひとつ。加えて野口雨情(作詞者)記念館の館長をしておられる雨情の孫娘の主張です。この歌のモデルは、何と、雨情の息子(館長の父親)であって、その息子が7歳のころに作られた歌なので、7歳である、とのことです。身内の主張であって、説得力があります。

しかし、この童謡が作られた1920年(発表は1921年)当時は、たしかに年齢的に合致します。が、さらに調べると、この歌の元歌である「山烏」という詩が、「可愛(かわい)七つの、子があれば・・・」として、1907年(子供の生まれる以前)に発表されていて、完全に矛盾します。矛盾しても、「だから7羽だ」ということではないのでしょうが、子供の年齢とは結び付かない、ということです。

結論としては、7歳でも7羽でも、「正しい」とは言えない、となりましょうか。語呂の良い「ななつ」にしたのかもしれません。別の歌で「じゅうさん ななつ」という歌詞もあり、これにも共通するかもしれません。

嫌われもののカラスを「かわいい」ととらえた、雨情のやさしさを評価したいと思います。

これは、かなり以前から論議されているものです。自分なりにいろいろ資料を収集してあります。私は「物書き」のひとりです。

「ななつ」「ななわ」の問題は、どちらでも問題ありません。鳥ですから「ななわ(7羽)」が正しいことは、言うまでもありませんが、童謡、唱歌、童話などには、このような例はたくさん、たくさんあります。全く別ですが、「夕焼け小焼け」の「小焼け」って何でしょうか? 童謡類のみにおける特殊表現です。小焼けなんていう日本語は本来は存在しません。

脱線しました。お尋ねの「7羽...続きを読む

Q白秋の「砂山」の「ぐみわら」とは?

三連に出てくる「ぐみわら」とは、あの果物の「グミ」のことなのでしょうか。違うとすれば、どういうものなのか、お分かりの方、教えてください。
また、もしあれが私の思っているグミなら、ぐみの木は低木とはいえ、人の背丈以上はある、と思うのですが、「砂山」に読まれているグミはもっと小さいのでしょうか。
それと、グミの季節は六月頃だと思うのですが、それだとあの歌は、やはり夏の歌、なのでしょうか。
以上、よろしくお願いします。どんなところですずめや子供たちが遊んでいるのか、想像してみたいんです。

Aベストアンサー

グミのことだと思います。
私も歌を歌うときに以前ちょっと調べてみたのですが
砂防のために海岸に林のように植えられていたのだろうということです。
そこが子ども達の格好の遊び場になっていたらしいです。

あの歌は子どもの歌のなかでは「秋」の歌になっていました。
北原白秋は大正11年9月に新潟へ行きその時に郷土について教える童謡を作るように頼まれます。
そして帰りに浜の方へいくと見渡す限りの砂山はグミの原っぱでそこにすずめがたくさん啼いたり飛んだりしていました。
海の方を見ると海は荒れていて向こうを見渡すと佐渡が見える。
灰色の雲が低く垂れて日が暮れてきて、そんな中で子ども達は砂を掘ったり鬼ごっこをして遊んでいたそうです。

それにしても同じ詩でありながら中山晋平と山田耕作の二人の曲は曲想が全然ちがって面白いですね。


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