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シンドラーのリストについて失礼します。

シンドラーのリストという映画は実話をもとにしてらっしゃいますよね?

映画なので、すべてが忠実にというわけではないと思われますが、
かなりリアルに描かれていると思います。
監督がユダヤ人なので
思い入れも強く
再現度にもかなりこだわっていました。

そこで質問なんですが

ゲートが蝶番職人を銃殺しようとして
弾が出ないシーンがありますよね?
あのシーンはものすごく衝撃的でした。麻薬のように
どうしても殺したいという一線を越えた人間の感情をかなりあらわにした、最も印象に残ったシーンです。
シンドラーのリスト自体もう何回もみて
何回見ても衝撃的でした。
まだまだここには書けない
描かれていない悲惨さもありますよね。


そこで疑問に思ったシーンが一つだけありました。

ゲートが蝶番職人を銃殺しようとして

弾が出ないシーン。

明らかに玉詰まりではないことがうかがえましたよね。
そして、のちのシーンにつながる
後ろで鶏を盗んだと思われる集団が通りました。

あの弾が出ないのは、
すでにシンドラーが機械に細工をしていて、弾薬を使い物にならなくしていたということでしょうか、?
最後のシーンに「あなたが機械に細工をしているという噂が、、」というセリフもありますし、
もうあの時から、考えていたんでしょうか。
それとも、ユダヤ人の方達が抵抗として
していたことでしょうか?


私の解釈では
・金に目がないシンドラーは金が稼ぎたくてどうしようもなく人種などどうでもよかった。
・優しい性格でもないし情深くもない
・しかし、どんなに強欲な人間でも、そこには優しさがあることを、ゲットー解体のシーン、死体焼却のシーンで表している。
一方、ゲートは強欲ではなく帝国主義のナチスに洗脳された残忍な人間。許すというシーンで残忍な人間は心の底から残忍。優しさなど枯れている。という複雑な善悪を描いている。
・シンドラーは自分の金のために、ユダヤ人から、人生を奪うつもりはないから、
最初から戦争を終わらせる手助けをしていた。その証拠に従業員の名前を覚えていました。


という見解です。
映画にどれが正しいとかチャチャをつける気はありませんし、
伝えたいことが人それぞれの解釈で伝わってれば、
監督は満足だとおもいます。

ですがなぜ弾が出なかったのか気になります。
名監督は意味のない演出を残しません。

みなさんの解釈お待ちしてます。

A 回答 (3件)

全体的に観る人の解釈にゆだねられているシーンが多い映画ですが、あのシーンはその典型だと思います。

で、私は、あのシーンにものっすごく感動しました。その理由を述べます。

************以下、ネタバレ*************

あの無口な職人については、詳しいことが描かれないまま、しばらく物語が進みます。なんだか知らないけど、機械をいじらせてみたら巧かったんで採用された。しかし、腕のいい真面目な人のようですし、それでいて独特の抜け目なさがあるので、私は彼にかなり感情移入していました。そこへきて、あの淡々とした恐ろしいシーンがあったわけです。銃を彼に向けると弾が出ない。しかし地面に向けると出る。でも、また彼に向けると、やっぱり出ない。

で、それはそれで終わりましたよね。あそこでゲートが子供のように諦めて立ち去り、職人があっさりともとの生活に戻っていく腑抜けた感じがまたいいです。

そして、このシーンについて忘れかけていた頃、ある晩、突然、シンドラーが現れて、彼を「ラビ(ユダヤ教の司祭)」と呼びます。私の記憶では、あの職人が「ラビ」と呼ばれたのは、この映画でこれが初めてです。そこで私はハッとしたのです。銃の一件はそういうことだったのか!と。

でも、彼は単なる善人ではなく、働き者で、技術に長け、偽善に頼らず賢く生きるすべも知っていて、それでいて他者を静かに守る人です。つまり神の存在に助けられながらも、ちゃんと社会に貢献してる大人です。わかりやすくいえば、白い巨塔でふんぞりかえってる大先生に対する、腰に手ぬぐい下げた町医者です。なので、単なる「聖職者だから神に守られたのね」では済まない奥深い感動を呼ぶのです。

*************ネタバレ、以上*************
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私見ですが、弾が出なかったのは偶然だと思いますが、演出上の意図はあると思います。



このシーンは、作業をさぼったというたったそれだけの理由で人を殺そうとするという事や、弾が出なかったら銃を変えてでも、それでも出なかったら出るまでひたすら撃ち続け、作業をさぼっていなかったと分かっても(殺す理由はもうないのに)銃を撃とうとし続け、最後は畜生と言って悔しがるほどの人を殺す事への強い執着を画く事で、アーモン・ゲートの心理の異常さを際立たせていると思います。

それと、後ろを走り去る集団(この集団は服もきれいで若者だけなので、鶏を盗んだ集団とは違って見えます)は、自分にとばっちりが来ないように見て見ぬふりし、その場を逃げたいという人間の弱さを画いていると思います。
これに類似するシーンとして、雪掻きのシーンで片腕のユダヤ人が役立たずという事で殺された時、見てはいけないと言って他の人たちが見て見ぬふりをしていました。


この映画は実話に基づいているので、そこから何を感じるかは人それぞれな所があると思います。
ただ全てが事実であるわけではないので監督の指向性はあるでしょうね。

私が感じるのは、人は戦争という極限状態に追い込まれると簡単に狂気に走るという事、普段どんなに高尚な倫理観を唱えていようとも自分が生き延びる為なら他人などどうなっても構わないというのが人間の本質だという事ですね。
でもそれだけではない、そういう中でもシンドラーのように他人の命を救う為に身の危険を顧みない人(頭の良い少年も)が出てくる、人間にはそういう可能性もあるという希望も感じました。
でもそれは戦争があったからで、戦争がなければ収容所長のアーモン・ゲートはただの下士官で、シンドラーはただの女好きの山師に終わったかもしれませんが。

他にも正しい事を主張するのは大変な勇気がいるという事も感じました。
実際、強者の側に立つ人間の中で、罪もない人間を殺す事は許されないと平時なら当たり前の非難をする者は、シンドラーを含め一人もいなかったので。
結局人間は弱い生き物で、簡単に暴力に屈するという事ですかね。
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空砲の玉が本当に出なかったのでは?。

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