dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

昔、両想いかな?という関係の女性がいた時、愛についての意見を求められ、本当に思ったことを言ってしまいました。

私の両親は離婚していますが、その両親も昔は仲が良かったです。(薄らとした記憶ですが)

それで、私が考える『愛』なんですが、

・まず、人の気持ちが変わらないことは絶対にない。100%信じる事が間違い。
・どんなに、ある一人の女性を好きだとしても、付き合ってもキスしても結婚しても子供が生まれても、ただ単に『一人の女性である』というだけで、守る責任は有っても、私の私有物では無いから、女性の過去に嫉妬するのも価値が無いし、未来を見ながら考えるのも意味がなく、行き当たりばったりで(恋愛感情)、生きればよい。(マイホームなんて絶対に要らない!)

だって、10年後に結婚して子供がいても、他の男を好きになる時には好きになるし、基本的には友達の延長線であるわけで、なので恋愛は、盲目になるような熱い気持ちでしている時点で、意味がない。
(運命というロマンティックなものなんて無くて、たまたまお互いの時間がリンク(縁)しただけ)

なので、正直、彼女が他の男と二人きりで遊んでいても、好きにすれば?と思っています。
(少し、見下しますが、本来人間もオスとメスの動物なので、そんなモンだと思ってます)

なので、結婚という紙切れ一枚に、価値は無いと思っています(法的には、エライ契約ですが)

子供ができても、私の本当の子供かどうか分からないし(もしできたら、遺伝子検査はこっそりでも、絶対にします)、たまたまお互いの人生の時間が交差して、私と彼女のDNAのその子が生まれただけで、元彼とも付き合ってる時にHしてたんだから、たまたまその時に出来なかっただけで、別に私との子供でなくても良かった訳ですし。(そもそも、元彼が一生懸命性欲全開で欲情して、興奮してた彼女の体に、欲情してる自分がバカみたいで、本能で欲情してる時に、理性で笑っている自分が脳の中に存在しています)
(たぶん、子供が生まれても、ある程度若い男と女がすれば妊娠して生まれてくるのは普通の事だと思うので、元彼とではなく、たまたま私との間に産まれて来た我が子を、私は大切にしないかもしれませんね。。)


なぜこのように考えるようになったかというと、自己分析をしてみれば、私が若い頃、盲目になるほどに好きになった女性が何人かいましたが、今となっては名前を思い出す程度で、熱い気持ちが出てこないからです。自分自身の過去を見て、熱い情熱は消えていくということを、体感したからだと思います。
あんなにも熱い気持ちだったのに、消えてしまった自分自身を見て、そしてあんなにも私の事を好きだと言っていた女性も離れて行ったりで、結局のところ、異性に深く関わってはダメだと思ったんです。


今、好きな女性がいますが、『元彼に嫉妬する方?』と聞かれ、『(理由は言わないで)まったく。俺たちが付き合っても、他の男と遊びに行っても君の自由だし、いいんじゃない?そのことに関しては、何も言わないよ。』と言ってしまいました。
少しフリーズしていたので、『あれ?まずかったかな?』と思いまして。。


私のような考えを持っている方は、少なからずとも存在しているのでしょうか??
少数派の意見=間違いという訳ではないと思いますので、せっかくネットでつながった世界、皆様の本心を聞いてみたいです。


最近、3年に2人くらいのペースで告白されてましたが、ここ10年弱、女性と遊んで楽しくても、情熱的にはなっていません。

A 回答 (13件中1~10件)

自分も以前同じ考え方で、今でもこのような考え方は残っていると自覚しています。



自分は両親が仲が良かった記憶がありません。
思い出しても、父が母を殴って鼻血が飛び散るシーンとか、そんな感じです。
両親が憎しみ合っているにも関わらずだらだらと15年以上も過ごし結局離婚。

小学生くらいの時に既に「自分は結婚なんか絶対しない。」と誓っていました。
もう冷めきっていましたね。
人間そのものについて冷めてました。

自分が恋愛する年頃になっても、付き合っても常に一線を引いた冷めた姿勢で「他の人と付き合っても構わないよ。」とあなたと同じ事を相手に言った事もあります。
別れが来た時も非常にあっさりとしていました。

でも、これって実は冷めているわけではない事に、理由は忘れましたが気づいたんですよ。

私は僅かでも愛情や安らぎが欲しかっただけなのにことごとく裏切られてきて
今まで傷ついてこれ以上傷つく事にとても怯えていて、そして傷つかない為に防御姿勢をとっているだけだったんですね。
そしてその姿勢がさらにまた「やっぱり人間なんてこんなもんだよ」と思うような事態を呼んで悪循環を繰り返していました。

あなたがここで質問しているのも、冷めているという姿勢とは真逆で
多分あなたの人生のテーマといえるくらい、「愛」について知りたいのだと思います。
冷めていたらこんなところで質問なんぞしません。

あなたはこれ以上傷つくのが怖いから100%確実じゃないと飛び込めないんですね。

でもあなたはそれでも人を好きになってるじゃないですか。
本音では「愛」が欲しいんですよ。

恐怖心というのは、私自身まだ克服していないのでどうしたらいいかなど書くこともできないのですが、
それでもまず第一歩として「自分の恐怖心を自覚する」ことは必須だと考えます。

私も悪戦苦闘している状態ですけどね。

”求める事を諦めてしまったら、手に入る事はない”ですからね。
今までは幸せな状態から裏切られる事が怖いから、その前に自分から幸せになりそうな予兆が見えた途端に捨ててきて、それが自己防御策だと信じていたのですが、これじゃだめだな、と考え方が変わりまして。
自分から幸せを捨てたくはないので、私はもうちょっと立ち向かってみようと考えています。

あなたが傷ついてきたのはあなたの親の責任ですが、親の不幸を背負ってあなたが生きる必要はどこにもない。
自分を幸せにできるかどうかは結局自分次第ですよ。
他の幸せな状況で育った人より生まれながらにハンデがあるけど、どうしようもない事も事実なので諦めて前を見なければ。

「毒になる親」て本も、参考に読んでみてください。
    • good
    • 10

あなたのような考え方、わかります。


自分も、そのような道を通ってきました。

しかし、今は、もう少し違うところにたどりついた気がしています。

盲目的に女性を好きになりますよね。
この盲目的とは、よくいったもので、彼女のことなど、ろくすっぽ
わかってもないくせに、そこまで好きになれるってなんなのか??
それは、彼女のことが好きなのではなく、彼女に自己を投影している
だけなのです。きっと、素晴らしい女性で、自分を幸せにしてくれるで
あろう彼女。だからこそ、情熱的に、盲目的になれるのです。

要するに、己の勘違いです。

しばらくすると、その熱い気持ちは、薄れていきます。
当然です。
彼女は、素晴らしい女性でも、自分を幸せにしてくれる女性でもない
ということに気がつくからです。
ただの普通の女性だった・・・・。

自分の勘違いにも関わらず、これは彼女に問題があると考えるんですよね・・。
で、新たな、投影先を、勘違いできる相手を求めるのです。
恋とは、これのくり返しです。

その中で、最高に、勘違いできる相手と結婚するんでしょう。

しかし、所詮勘違いです。熱は冷めていきます。
お互いに、夢破れるのです・・・。

>結局のところ、異性に深く関わってはダメだと思ったんです。

おそらく、あなたは、ここまでの事柄を元にして、上記のような結論を
出しているんだと思います。

ところがです、問題はここからです。

夢破れた・・、あー、この相手もやっぱり違うかった・・・、と思う人は、
離婚し、新たな投影先を探します。

ところが、中には、原因が自己の投影だと気づく人がいるのです。
そうなれば、問題は相手ではないのです。
自分自身なのです。
大切なことは、自分が、他者の他者性を認め、受け入れることが
できるかどうかである、ということ。

言ってみれば、これが、愛 だと思います。
自己を投影している限り、それは愛ではありません。

そういう意味で言うと、あなたの言ってる、愛は永遠ではないでしょう。
しかし、私の言う、愛は、私が他者の他者性を受け入れる限り、永遠なのです。

>結局のところ、異性に深く関わってはダメだと思ったんです。

そういう意味では、異性に、もっと深く関わらなくてはダメ、なのではないでしょうか?
    • good
    • 8

あなたの言いたいことは大変よくわかりますよ。


私がアドバイスできるのは、あなたはまだまだ人生の途中だということ。

今の答えは自分でそれなりに経験して、いきついた答えであろうとは思います。


しかし、それを覆されるような人との出会いというのもまたあるものです。


本能と理性の関係というのは本当に奥が深い。


理性において答えを導き出した方が効率的、能率的なことは頭ではわかっていても、本能に魂に直接入り込んでくるものというものもあります。

もちろん、それを受け入れるか受け入れないかも自分次第ですが。


あなたの言葉に同調するのは、恋人であっても夫婦であっても、また子供であっても自分のものではないということ。


思い通りにできるのは自分自身のことだけです。

恋愛に関わらず大人の付き合いというのは、そのスタンスの上に成り立つものであると思います。
    • good
    • 0

「永遠の愛」なんてもんが本当に存在するなら、世の中には離婚も別れもない訳で。


女は愛だのロマンスだのが本当に好きですからねー、それに比べれば男は総じて冷めてるもんでしょう。
燃え上がるような恋に命を懸けてるラテン系の男なら、当てはまらないでしょうけど(笑)

私も「永遠の愛なんてない」と思ってるので、あなたと似たようなもんですよ。
もっとも、私はあなたのように「盲目になるほど女に惚れた」経験すらありませんが。
    • good
    • 0

ご質問者様おはようございます。



「喜怒哀楽」情念はその人そのものである。情念に囚われ虜になってしまうと、幸福へ向かうことはできませんね。

デカルトは情念をこう分類しました「驚き、愛、憎しみ、喜び、欲望、悲しみ」
スピノザはデカルトを受けて、更に情念をまとめました「欲望、喜び、悲しみ」と。

情念は、自分自身の存在の外側にあって自分の自由にならないもの、自分の知らないものから生まれます。人間にとっては欠かすことのできないものだが、とても厄介な側面を持ちます。それは、情念に自分自身が支配されてしまうことです。自分の自由にならないもの。自分の知らないもの。自分の思い通りにならないもの。例えば、自然の法則や慣習や他人の存在、そして死。

これらのことは人間が打ち克つことのできない必然性のしるしを帯びていますね。それは永遠に経験できないし、永遠に知り得ないものだからです。

一旦沸き起こった情念は、想像の中でどんどん膨らんで行きます。情念が沸き起こってしまったら、もうなす術はありません。なぜなら、対象が目の前には無いから。情念は想像の中で膨らんで行く自分の感情。ともすれば、一旦沸き起こると自分自身ではどうすることもできなくなり、情念に流されてしまう。ご質問者様がご自身の気持ちを守る為に、愛情を否定するように。

情念との付き合い方。

自分を不幸だと思い込んでいる男が居ます。妬みや不安などの膨らんだ情念に支配されて居ます。そうしたことから、好ましい出来事も、友人の助けも遠ざけてしまいます。

この情念に打ち克つ為にはどうすればいいのか。

「私の情念。それは私であるが、私よりも強い」

情念は私そのものであるから逃げることはできない。これに対抗するには「意志の力」が必要なのです。

人間は、情念と言う藪だらけの荒野を自らの手で切り開き、耕さなければならない。強い意志の力によって。そうすれば、人生に豊かな実りを得ることができる。

悲観主義は「感情」で、楽観主義は「意志」である。幸福になりたいと思ったらその為に「努力」しなければならない。喜びは「行動」と共にやってくる。意志し努力し行動することで幸福へ向かうのです。感情は、未来に対して約束や予約をすることはできません。しかし、意志なら約束も予約も果たせるのです。

「人間は行動のない快楽よりも、行動に伴う困難を選ぶ」

人間は行動「する」ことが重要です。頭で考えているだけでは何も起きない。人生とは「すること」なのです。

お芝居を見ていて退屈で寝てしまうこともありますが、自分が舞台の上に立って何かをしなければならなくなった時、退屈している暇などありませんね。幸せになりたい人は観客ではなく、舞台に上がらなくてはならないのです。

真の幸福とは自分で生み出すもの。それは、何かに打ち込んで自分自身で「喜び」を作り出すことのできる生き方です。人生の主役になることで人間は、どんな困難をも幸福になる為の道筋にすることができるのです。

「自分の人生に対して能動的に生きろ」
「自分の人生を作り出せ」

「どんな職業も自分が導く限りでは愉快だが、服従する限りでは不愉快である」

能動的であるか受容的であるかは態度の違いではありますが、それこそ人間にとって、もっと言えば人生にとって、大きな態度の違いになるものです。

「山頂まで登山電車できた人は登山家と同じ太陽を見ることはできない」

楽をして得る幸福と努力をして得る幸福とは違うものです。人間は簡単に、ただ幸福になることを実は求めてはいないのです。

「ほしいものはすべてそこにある山のようなものだ。私たちを待っており、逃げて行きはしない。だがそれゆえ、よじ登らなければならない」

じっと考えていて想像力の虜になってしまっては何も始まりません。そこにあるのなら取りに行かなければならないのです。幸福は人から与えられるものではないのですから(^-^)

ご参考になれたら幸いです。
    • good
    • 1

お気持ちよ~くわかります!


私も永遠の愛なんて無いと思ってました!
でも実は違うんです。

愛って植物と同じで育てないと枯れてしまいます。
もちろん一人では育てられません。
そして育てるのに必要なことが3つあります。
同じ価値観、信頼、コミュニケーションです。
3つそろわなければ絶対育ちません。

もちろんあなたのご両親は
最初それらを持って愛を育てようと
なさっていたと思います。
でも育てられなかった・・・。

たぶんそれは夫婦で違う植物を育ててたことに
気がつかれたのかもしれません。
結婚して愛の芽が出たのですが
もしかしたらお父様はきゅうりのを
お母様はトマトを育てようとなさっていたので
お父様は水をいっぱいあげて
お母様は水を少なめにしたのかもしれません。
そうすると愛は育たなくなり枯れてしまいます。
夫婦は同じ植物を育てないなら離婚になります。

永遠の愛とは育てないと存在しません。
だから愛を育てられない人は「永遠の愛なんて存在しない。」
と言うわけです。
    • good
    • 1

永遠の愛があるかどうか、私自身まだ人生を終えてみないと結論が言えないので、ちょっと分かりませんが。



私はNO5さんとまったく同じことを感じました。
あー、この人、実は傷つくことを人一倍怖がっている人だな…って。
いざ傷ついた時にダメージが少なくて済むように、最初から「どうせ永遠の愛なんてないんだ」と思おうとしてるっていうか。裏切られても、理性で割り切れるように、最初から諦めてるというか。
傷つかないための予防線をがっちり張ってる感じ。

あ、別にそれが悪いわけじゃないですよ。
ただ、純粋に、感想としてそう思いました。

>私が若い頃、盲目になるほどに好きになった女性が何人かいましたが、今となっては名前を思い出す程度で、熱い気持ちが出てこないからです。

そりゃそうですよー。終わった事ですもん。人間ってそういう風にできてますよ。第一、盲目的って、正常な状態じゃないですしね。一時的ならいいけど、それこそ永遠なんて無理な話でしょ。風邪みたいなもんです。元気になったら、事実としては覚えてるけど、感覚としては忘れますよ。

それに、いつまでもその時の感情を、全部リアルに思い出せたら、それって良い事ばかりじゃないんですよ。例えば肉親を失った時の辛さとかはなかなか癒えないけど、それでも少ーしずつ薄れていくんです。そうじゃないと人は生きていけないから。心が壊れてしまうから。都合よくできてるんですよ。

ま、だから何っていう話じゃなくてすみません。
単純に感想を書いてしまいました。
    • good
    • 1

既婚者子持ちです。



「永遠の愛」は、所詮、架空のロマンスだとは思いますよ。
恋愛感情は、異性獲得と遺伝子複製のために、脳みそが見せる幻影ですから、3年程度で終わります。

ただね、「永遠の愛なんて存在しない」と心で思うことと、それを口に出して公言することは別物です。
永遠の愛を疑問視することは、ごく普通だと思います。誰だって、信じたくても、100パーセント盲目的に信じている奴なんていない。
ただ、「永遠の愛なんて存在しない」とか、それに類似するような言葉を、意中の女性に向けて発している点で「ププっ、馬鹿(笑」て感じです。
恋ってのは「この人は運命の人かも」と期待する気持ちから始まるものですからね、「どんな男性と付き合おうが自由」っと言っては「この人は私に特別な感情を持っていない」もしくは「『束縛する気も無いから、もし自分が他の女と遊んでも文句言うな』って浮気の防衛線を張っているのかも」と思われても仕方ないでしょうね。

あのう、「永遠の愛」や「運命の人」を「ある日偶然出会って、熱く燃えあがるような恋をして、2人は末永く幸せに暮らしましたとさチャンチャン☆ってなおとぎ話は存在するわけがねぇ。所詮は、恋なんて、本能と性欲によるものだ」とか思ってませんか?
もちろん、そんなおとぎ話は現実ではありえませんが、もし、「永遠の愛」が偶然に出会うような事象である考えているなら、それは間違いです。
「永遠の愛」というのは、双方の手で作っていくものです。
だから、最初から「永遠の愛」になるかどうかなんて、誰も分からないのです。
例えば、日本の有名な寺社仏閣でも想像して下さい。
あれらの建物は、木造建築であるにも関わらず、なぜ何百年もの間、その姿を保ち続けていられるのでしょう?
それは、毎日の掃除や手入れ、定期的なメンテナンスを行なっているからです。
また、「少しでも長く、この美しい状態を保ちたい。美しい姿を楽しみたい」という信者、管理者の心情も大事でしょう。
小さな汚れやほころびは、事務的な作業、事務的な感情だけでは見つけにくいですからね。
そういう、日々の努力が積み重なった結果、何百年も維持されているだけです。
最初から何百年も手入れなしで壊れない建造物なんてありません。

愛や夫婦関係も同じようなものだと思います。
「少しでも、この2人の関係を保ちたい」と日々努力するから、愛情が保たれるのです。
で、結果として、死ぬまで続くような愛になったりするわけです(なかなか難しいですがね)。
最初から、永遠に続く愛なんてありません。
永遠の愛は、結果論なのです。
「永遠の愛」が難しいからこそ、人はそれに憧れ、自分もそう在りたいと願うのでしょう、
希少価値だからこそ、欲しがるのですよ。簡単に手に入るものなら、誰もそんなに欲しがらないし、価値を感じません。

質問者さんは、お付き合いする女性に不自由していないのですね。
別に努力しなくても、相手から寄って来る状態。
まあ、こんな状態でしたら、愛だの運命だのを真剣に考える方が難しいでしょうね。
あなたの現状は、取りあえず建物を建てて、ちょっと古くなったり汚れたりしたら、取り壊して新しい建物を建て直しているだけね。
まあ、古いものを無理に残すより、新しいものを建てた方が早いし。
>あんなにも熱い気持ちだったのに、消えてしまった自分自身を見て、そしてあんなにも私の事を好きだと言っていた女性も離れて行ったりで、結局のところ、異性に深く関わってはダメだと思ったんです。
→要は、古いものを手間隙かけて存続させていく作業が嫌いなんですよ。もしくは、相手に壊されるのが怖いとか(恋愛と建物の違いは、恋愛の場合、双方の合意によってのみ存続できますからね)。
それはそれで良いんじゃないですか?
少なくとも、質問者さんの場合は、お相手がじゃんじゃん居るわけですし。
古いものに執着しなくても、新しいのをとっかえひっかえ、それもまた良しです。

ただ、個人的には、やはり、「子ども」には運命を感じてしまいますね。
もし、旦那と結婚せずに、別の男性と結婚していたら・・・と考える事はありますが(勿論、旦那のことは愛してますし、唯一の「永遠の愛」候補です)、この子達と出会わない人生は・・・と考えると、考えられないですね。
で、自動的に、「この子達と出会うには、旦那の存在があったからこそ。だから、旦那は運命の人なんだ」と思います。
子どもは、私にとって、人生の喜びであり、愛そのものであり、自分の生きる意味ですね。
旦那も、超クールなタイプなんですが、この前、子供の顔を見て「初めて『人を愛する』ってことが分かった気がする」と泣いておりました(妻はどうなんじゃい!と突っ込みましたが)。

>子供が生まれても、ある程度若い男と女がすれば妊娠して生まれてくるのは普通の事だと思うので、
→こう思っちゃうのね。うーん、可愛そうな人生・・・。
でも、人生も考え方も人それぞれですからね。

ただ、世の中、「永遠の愛」「運命の人」「子どもは絶対的に可愛い」至上主義の価値観で動いているところも大きいですからね、頭でどう考えるかは自由ですが、あなたの考えは、わざわざ口に出さない方が、人間関係円滑に進むでしょう。
    • good
    • 0

私も「永遠の愛」はないと思ってます。



だって同じ人しか愛せなかったら、
好きな人が結婚しちゃったらどうするの!?
ずっとその人しか愛せないわけでしょ?
伴侶が死んじゃったらどうするの?
だってその人意外愛せないわけでしょ?
色々矛盾が生じると思うからです。

人間って、よい意味でバカで忘れっぽいと思うんですよ。
だから小さい頃から好きな人がいても、
どんどん忘れてくんです。

恋愛が長続きしない理由も同じですよね。
最初は新鮮だったものがどんどん色あせて、
新しい出会いにまた刺激を求める・・・。

質問を読んで感じたのは、
永遠に誰かを愛することに憧れているからこそ、
毎回違ったことにガックリしたくないからこそ、
人を避けてるのかなぁ?といった感じです。

予防線を張ってるというか・・・。

人に本当に興味がない人って、
こういうところで質問はしないと思うし、
彼女にだって、もっと適当に答えると思います。
そんな相手を試すような言い方なんてしない。

「うん、嫉妬するよ、君が好きだからね」
みたく、ニッコリ笑って嘘くさくても流せると思います。
相手なんてどうでもいいだろうから。
疑問に思ってるからこそ、新しい答えが欲しくて、
彼女にあえて気持ちをぶつけたんだと思います。
それを相手が受け止めるかどうかは、別問題です。

実際の話、私は20年伴侶と一緒にいて、
「永遠の愛」なんてものが存在するとは思いませんね。
気持ちなんて冷めるし(笑)

ただ、ひとつ思うのは、20年、同じ気持ちで好きでないです。
簡単に言葉にするなら、
「嫌なとこ100個知ってるけど、いいとこなら101個知ってるよ」
そんな感じです。

「今日は嫌なとこ95個、でも好きなとこは130個だな」とか、
毎日感情って違うんですよ。変な例え方ですが(笑)

20年一緒にいて、気持ちって冷めるのかと思ったら(思ってたら)
全然そんなことなくて。
「え、何だその反則技!意外と好みじゃん、知らなかった」
みたいなとこが、いくつでも出て来るんですよね・・・。

同じ気持ちじゃない、嫌いより、
新しい「好き」と「楽しい」が見つかるから、
一緒にいるんだと思います。

別にいいじゃないですか。今のままで。
妥協せずに沢山の人と出会って、
そのうちに、「何だろう・・・こいつ、手放したくない!?」って時が、
来ますって。多分。

出会えなかったら、今世では縁がなかったな、来世に期待。
で、いいじゃないですか。

それに、永遠の愛があったら、
生まれ変わる前と同じ人しか愛せないかもしれないですよ。
それも何だか変です(笑)

あまり堅苦しくならず、
つきあってみて冷めたら「さようなら」でいいと思います。
結婚も絶対しなくてはならないものではありません。
一緒にいて、楽しいかどうかで判断すればいいと思います。
それが悪いと思うなら、先に相手に話しておけばいいです。
「俺、冷めやすいから、君とも長くつきあえないかも」と。
それに同意するかは相手次第です。

私に私の生き方があるように、
貴方には貴方の生き方がある、ただそれだけです。
    • good
    • 3

愛情というものは、相手によって引き出されるものではなくて、その人の能力として内在するものなのです。

絵が上手いとか、足が速いとかと一緒です。
あなたはその能力が未開発なので、女性を我欲の対象として見ています。我欲は満足か不満足かの問題でしかないので合理的になります。相手女性側もあなたの我欲が分かりやすいので、分かりやすい我欲をあなたに向けることになります。その結果が不毛だからと言って、愛たるものに、愚痴を向けるのはどうかと思います。
全く、関わりのない話しでしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!