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それに気づいたところで愕然としています、これは重大な問題だと思います。

映画小説漫画やゲームなど娯楽作品を楽しむことはできるのですが、無くても困りません。
いつ死んでも構わないと思っています、楽しい=生きたいに結びつかないのです。
自分の幸せがわからなくて本心から「生きたい」と思うことができないのは問題だと思います。

やらなければならないことがあるので生きている、義務によって生かされてるようにしか感じません。
人の人生は義務じゃないはずです、幸福になるという人生目標があり、死ぬのはダメなはずです、普通は誰だって死にたくないはずです。

しかし私は死んでもいいと思ってます、むしろ死ねたら義務がなくなって楽だなと思ってしまいます、もちろん義務があるので自殺は論外です。

私はやりたい事があります、今まで生きてきた中でただひとつだけ、唯一憧れた正義の味方と同じことがしたいという夢があります、なので現実的に考えてそれに近いと思える消防士を目指そうと思っています。
しかし消防士になったところを想像しても自分が幸福になったとは全く思えません、それに消防士になる前に死んでも、殉職しても構わないと思っています。
これはよく考えたら何かおかしいんじゃないかと思います、絶たれても構わない夢などあり得ないと思います、そんなのは夢じゃない、正義の味方には心底憧れても消防士が心底やりたい事ではないのだと思います。

それにに気づいたところで消防士以上に正義の味方に近い仕事なんて考えられません。
警察はダメです、あれは単なる組織の狗、中の人の思惑次第で善良な市民と敵対する悪にもなるのでダメです。

人間には睡眠欲食欲性欲の3大欲求があると言われます、私にとっては睡眠がもっとも幸せだと思います。
今気づきました、現実で夢を叶えられないのなら夢の中で夢を叶えればいいのではないかと思いました。
寝て夢を見続けるために生きるのもちゃんとした幸福を求める人生目標になりうるのではないでしょうか。そう思うと笑えますね、現実逃避のように見えます。くそっこんなのベストアンサーじゃない、すっごくモヤモヤする。

A 回答 (6件)

 自分の意志で人生を決めていると信じている事が、実は映画、アニメ、ドラマのフィクションを鵜呑みにしたものだったという話は数多くあります。

正義の味方を信じているのは、フィクションの話を鵜呑みにしている人に多いですね。

 映画、アニメ、ドラマなどのフィクションのお話では、印象が悪いなどの理由で、職業や設定を変えてある例が数多くあります。

 たとえば、本来ならば、政治家や軍人が登場するシーンなのに、印象が悪くなるので、政治家を科学者にすり替え、軍人を変身ヒーローに摩り替えている例などは珍しくありません。娯楽番組というのは、印象操作しか考えていないお話が多いのです。

 消防士は確かに勇気を必要とする職業ですが、死と隣り合わせの職業でもあります。毎年、消火作業中に何人もの犠牲者が出るのが当然の世界で、格好が良いだけで入ると地獄を見ます。汚れ、臭い、煙、炎熱と戦い、死に物狂いで作業をしなければならない過酷な職業で、ヒーローに憧れて入るなどという甘い考えでは続かないでしょう。まず、自分の適性を考えて見る必要がありますね。

 インターネットで正確な情報を集めてみると良いでしょう。その職業の体験者の話を読むとか、マスメディアでは放送されない実態を知って置く必要があります。情報社会ですから、情報を集めるのが大事ですね。

 テレビではヒーローとして描かれていたものが、実は全く逆の職業だった例などもあります。人気がある変身ヒーローなどは、よく考えてみると、服装を変えて犯罪をおこなうテロリストや犯罪者ではないかと思いますね。精神分析学では露出狂が変身ヒーローの実像に近いようですし、あの手のお話は、あまり信じ込まない方が良いですよ。
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この回答へのお礼

ガキじゃないんだから正義の味方がフィクションなのは知っています、憧れたのは事実なのでそれでいいのです。

適正ね、仕事への興味なんてないのだから適正のある仕事なんてありませんよ。
大変なのは知っていますが、それが何か問題あるのですか?
過酷じゃない楽な仕事をしたいのなら消防士なんて言いませんよ、適正の有無で楽になるわけでもないでしょう。
楽をしたいのならさっさと自殺でもしてます、大変でもやらなければならないことあるから生きているんです、ただ大変なのは努力でどうこうできるから大した問題ではない、問題なのはどうにもならない事によって自分の意思を押し潰されることです。

お礼日時:2013/06/23 08:33

皆、幸せになりたいから感謝をして生きていると思います。


誰もが不幸になんてなりたくはありません。
幸せは自分の努力だけではなく周りの努力も半分は貰っているから幸せになれるのだと思います。
自分だけの世界では、人生はつまらないと思います。
幸せは共用しなくては幸せとは言えません。
所詮、悪人と善人は幸せを共用出来ないのです。住む世界が悪人と善人とでは全く別々ですので、お互いに価値観とか考え方を共感出来ません。悪人は心が闇に、覆われていて薄汚れています。だから悪い事をしても反省もしません。善人は心に偏見を持ちません。だから心も美しいです。
最終的に善人は生き残れます。悪人は滅ぼされてしまうでしょう。
人生は二つに一つです。善か悪かしかありません。
だから幸せになれる方を選べば幸せでいられます。
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この回答へのお礼

ごめん言ってることが難しくてわからない、善か悪しかないとは思えません、人は皆少なからず両方を持っていると思います、善の塊なのはアンパンマンぐらいかと思います

お礼日時:2013/06/23 08:04

意外と、痛くなければ別に死んでもいいと思う人は


そう珍しくはない気がします(独身者、恋人無なら)
死にたい、とは違ってね
私もそんな感じだったし、夫もそうだったみたいです。
今は、子供置いて逝くのは絶対嫌です

消防士さん、素敵じゃないですか
絶対モテまっせ。
幸せを感じるのは、なるだけじゃ駄目でしょ
誰かを助けて、涙ながらに感謝でもされてみてようやく
幸福感や、仕事への充実感が湧いてくるんじゃないでしょうか

あと人を助ける仕事で思いついたのは、自衛隊、医者。

ま、恋人作ればいいかと思います・・・
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この回答へのお礼

実際にやってみて初めて幸福感を感じられるというは私もその通りだと思います
しかしそれでいいのでしょうか?人を助けることでしか幸せを感じられないのは人としてどうかと思います。

自衛隊は訓練ばかりしていて出動するのは滅多に起きない大災害が起きたことだけで、医者はなりたいとも憧れたこともありません。

結婚も恋人も字面だけなら素敵だとは思いますが、現実はもし相手が嫌いになってしまったら後悔するので結婚は怖いですね

お礼日時:2013/06/23 08:01

まずね、質問者さまにとって、一番かっこいいと思える職業って


何ですか?

くだらないことだと思いますが、私は中学生と小学生の母親ですけど
子どもにとっても、大人にとっても、何がかっこいいと思うかって
大事だと思います。

息子は頭が良くて、論理的にものが言える人がカッコいいと思うから
そういう人がいっぱいいる大学に入るつもりだそうです。

娘は運動選手が一番かっこよく見えるから、特に体操の選手が素敵
だから、体操がやってみたいそうです。

私はいい加減おばさんで、バレエダンサーの熊川哲也さんのファンです。
熊川さんは、もちろん運動神経がいいから、いろんなスポーツを
やってみたけど、一番かっこよく見えたのが、バレエダンサーだった
そうです。あんなに高く飛べるなんてすごいと思ったそうです。

心にぐっと食い込む「かっこよさ」、それはその人の人生の一つの
キーワードだと思います。

だから、本当に消防士がカッコいいのか?
それとも実は他の人をカッコいいと思ってたけど、正義と関係ないし
単純すぎるから言えなかったなら、自分に正直になりましょう。

それとね、私は生きることは一つの義務だと思ってます。
そして、幸福になることは人生の目標ではなく、人生の節目節目の
通過点の一つに過ぎないと思います。
だって、幸福はつづきませんから。
じゃあ、何が目標なのか?
私は自分の、自分だけの人生を、自分だけの物語を生き切ること、
自分を極めることかなと思います。

わけわかんないこと言う「おばさん」だなで結構です。
ちょっと頑張るとね、我慢するとね、自由が生まれます。
そこからが人生の面白さです。
びっくりするような、心臓が止まるかと思うくらい面白いこと、
素敵なことが、これからたくさんあるのに、死んじゃうのは
もったいないですよ。
世の中捨てたもんじゃないです。
素敵な人がたくさんたくさん生きてます。
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この回答へのお礼

強いことはカッコイイと思います、しかし格闘家になりたいとは思いません。
やりたい職業なんてありません、何年も前はヘリのパイロットに興味あったけど、先天性の色盲だからなれません。正義の味方に憧れてるのは素直な本心です、でなかったらこんな恥ずかしい事は言いません、匿名のネットだからこそ恥ずかしいことも言えます、現実では誰にも言えません。

そう言っても人は目標が無ければ生きられないのです、だからただ生きることが目標ではただただ辛いだけです。
自分の通過点を振り返って、アレは楽しかったなとは思っても幸福だとは思いません、もうやれなくても構いません、他に私のやりたいことはあります、目の前で助けを求めてる人間を助けたいです、消防士ならそれができると思います、しかし、それが実現できても自分の幸福に繋がるとは思えません。幸せなのが本当に想像できません。
しかし幸せを求める必要がないということであれば、やっぱり生きることに執着する必要はないですね、

面白いこと素敵なことはたくさん見ました、物語を見るとそれを見つけられます、その中でも正義の味方は何よりもかっこよくて奇麗に見えます、だから世の中に絶望してるわけではありません、自分の幸せを見つけられない自分に愕然としています。

お礼日時:2013/06/23 07:49

なんとなくわかる気がします。


私も同じような気持になったことがあるので。

でも、おっしゃるように、生きることは私たち人間に与えられた義務です。
同じ生きるなら、どう生きたいですか?
毎日笑って、誰かのために生きたいですか?

毎日ぼーっとして、何のために。。。と考えていきたいですか?

罪を犯して、罪の意識に悩まされながら生きたいですか?

どれを選ぶかは自分次第。
それが生きるということだと思います。
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この回答へのお礼

私も生きることは命を与えられた物全てに課せられる義務だと思います。
人の場合はそれだけじゃなく、世話になった人達に恩返しする義務があると思います

お礼日時:2013/06/23 07:13

中二病というやつでしょうか、


現実を受けとめることが恐くてできない、
頭の中は妄想と知識でいっぱい、
こんなんじゃだめだと思いつつ妄想は止まらない。

気にしないで毎日へらへら生きて行けばどこかで転機が来ます、
それを待つことです。
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