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友人から、(1)ご不幸があった家の人は1年間は出せないだけで、
受け取るのは良いと聞きました

今まで、喪中欠礼ハガキを貰ったお宅には出さないでおいたのですが、
(2)出しても失礼にならないそうです

また(3)浄土真宗・真宗には「忌」という概念がありませんから、
門徒さんであれば喪に服することも忌服することもありませんので、
喪中葉書も出されないそう

うちは(4)浄土真宗ですが、家族に不幸があった場合、
1年以内に年賀状を出すのはダメでしょうか?

それまで何気なく年賀状のやり取りをしてきました
知らないとか、適当では失礼になると思いましたので、
(1)~(4)をご存知の方、正誤をご指摘下さい
よろしくお願いします

A 回答 (3件)

まず、年賀状というものはごく最近に慣習になったもので本来の礼儀ではありません。


作法に従うのであれば、直接訪問して挨拶するのが礼儀、特に目上に対して葉書など失礼以外の何者でもありません。通信に際しては封書を第一として、葉書は略式、或いはメモ程度のものです。つまり年賀葉書は正式なものではありません。着物で言えば紬ですね。どんなに豪華でも正式にはなれない。年賀状といいますけど、この「状」とは封書の事です。
作法とか常識を言うのであれば、このことを念頭に置かねばなりません。

年賀状を出す状況は正月中に会えない事情や距離にある場合になります。
そして年賀欠礼葉書も本来は年賀状同様、元日に出すべきものです。「本来年賀の挨拶をすべきところですが、私はいまだ喪中にあるので年賀のご挨拶を遠慮申し上げます。」これが欠礼葉書です。
考えてください、25日に年賀状を出してそれ以降に身内が死んだらどうするんですか?その場合は仕方がナイで済ませるんですか?ウチの父は元日に亡くなりました。年賀状はたくさん来ました。私の父は仕方ない死なんでしょうか?

ではなぜ暮れに出すのでしょう。それは郵便局の宣伝によるものです。これは昭和初期から中期の生まれの人なら知っているべき常識です。
当時郵便局も公務員ですから正月を休みにすべきだという主張が強まりました。そこで郵便局は暮のうちに分配を終え、元日は配達だけにする。二日目を休みにして集配は三日からにする。それでも当時はすべて人手で行っていたので松の内に配達するのはやっとだった。そこで「25日までに投函して下さい」と呼びかけたのです。
年賀状が定着化すると問題になるのが喪中の挨拶。そこで郵便局が考えたのが欠礼葉書。そして欠礼葉書を先に出す事によって年賀と欠礼が分断する事と欠礼先に葉書を出さなくなれば年賀状の数量を減少する事も出来る一石二鳥というわけです。

次に喪中の期間ですが、はっきり言ってしまえば喪に期間などありません。
忌というのは故人の冥福を祈る期間。これは仏教では浄土系を除いて49日、神道や神道の慣習を得ている宗教で50日、浄土系仏教と仏教系新宗教以外は0です。これは定められた日数です。
喪というのは悲しみの為に日常生活も出来ないほど落ち込んでいる状態。なので悲しみを乗り越えて前に進もうと決めれば喪明けになります。つまり3日で立ち直る人も居れば2年でも立ち直れない人も居る。つまり喪に期間など無いのです。

そして1年の喪だとしている根拠である明治の服忌令には1年という期間はありません。
それにこれは正式に破棄された政令で、現在では忌引き規定で統一されています。
さらに服忌令も忌引き規定も「してはならない」期間だとか書かれていないのです。
神社本庁でも「止むを得ない場合は忌中であっても祓えを受ければよい」としています。
考えてみてください“祓え”はあらゆる罪咎穢れを消し去る強い秘法です。なのになぜ忌や喪が祓えないのか。おかしいと思いますよね。
最近「皇室典範で1年としている」という人が居ますけど、日本ではお上に遠慮するという風習が有り、天皇が1年なら一般人はそれ未満にすべきものです。そして皇室典範でも50日は義務ですがそれ以降は公務に支障が無いようにして合計で1年となるようにするんだそうです。
某寺のサイトを見ると「1年の喪は戦時中に軍事訓練や共同作業をサボる言い訳として広まった」としています。

基本的に元日が忌引き期間内でなければ年賀状は出してよい事になります。
元々が年賀状も欠礼葉書も元日に投函すべきものですし、喪は人によって期間が異なるのですから喪中の人に送っても励ましにこそなれ失礼にはあたりません。それに対しては欠礼葉書で返せばいいんです。

もちろん浄土真宗であれば、人は死ねば皆往生しますので忌という概念がありません。今では葬儀の際の塩を出さないところも増えています。浄土系でもあるのは別れの寂しさだけですそれが「喪」です。しかし喪は個人個人ですから出す出さないも自由ですし、喪中であるかどうかは出す側には判らないのですから出しても失礼じゃありません。

ちなみに喪というのは「心にポッカリと穴が開いた状態で喪中はその穴を埋める期間」と皇學館で習ったと知り合いの神職の方がおっしゃっていました。
心にポッカリ穴が開いている状態では旅行だとか宴会だとか祝い事だとかできるでしょうか?さんざん楽しんでおいて喪中だから年賀出すなっておかしいですよね。でも遊興や祝い事を喪だからと断わっていれば自然と年賀も遠慮するんじゃないでしょうか。その程度と思っていいでしょう。もちろん遠方の方なら出されても失礼だなんて思ってはいけません。
1年喪はあくまも因習(根拠を持たない習慣)です。理屈の通じない相手に理屈を並べても無駄ですから、つまらぬ摩擦を起こさなければいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

年始のご挨拶から年賀状の経緯、宗教としてのこと、そして最後の結びと
大変細かく丁寧なご説明で本当によくわかりました
本来の年始の意味を随分忘れてしまっていたことに気付きました
そうですね、昔はご挨拶に直接伺ったものです

いつの間にか年賀状でのご挨拶が基本となっていることに気付きます
封書が正式というのも知っていてやっていたはずなのに、忘れてしまっていました
時代の流れとともに簡略化され、本来の礼節を忘れ、知らない世代も出てきたことでしょう
大人の自分達がしっかりと理解し、次の世代に伝えていきたいと思いました

今回の質問を通じて、色々学ばせて頂き、有難うございました

お礼日時:2013/07/20 21:51

「欠礼状」と言う物を書くか否かにもよりますが。



マナーとしては喪中があった身内への年賀状、身内からの年賀状は出しませんね。

参考までに

http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/sample3.htm
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この回答へのお礼

回答と資料をありがとうございました

ご案内頂いたサイトを見て来ましたが、大変解り易く説明されてあり、
浄土真宗の家としての対応がとてもよくわかりました
具体的なハガキの書き方もあって、参考になりました

それまで葬儀の時にお経を読む程度で、教えの本質を全くわかっていなかったことも
こちらのサイトを読むとわかり、改めてしっかりと学んでおきたいと思いました

浄土真宗としては出しても問題が無いようですが、やはりマナーとして考えると、
控えるのが良いですね
宗派としての考えを理解した上で、選択できてとてもスッキリしました

お礼日時:2013/07/18 23:32

> 1年間は出せないだけで、受け取るのは良いと聞きました


「出せない」というか、肉親が亡くなって「おめでとう」はないでしょう。
喪中という考えもありますが、この気持ちの問題ではないのでしょうか?
従って、受け取るのはいいといっても、ご不幸があったお宅に「おめでとう」という年賀状を出すことを何とも思いませんか?
   
マナーとはそういうものです。
決まっているからではなく、相手も気持ちを思いやって対応する、これがマナーの基本なのです。
   
私はそう思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

毎年子供達の写真年賀を送っているのですが、友人から欠礼ハガキを頂き、
そのハガキに成長した様子のわかる写真を楽しみにしているので、自分は喪中で出せないけど、
貰うのは宗教的にも問題無いので出してくれないかと書かれてあって、そうなのだと知りました

浄土真宗については特にそういう意味での忌中というものが無いというのも知り、
宗教としての決まりを知りたいということで質問させて頂きました

マナーとしてはおっしゃる通りで、相手のお立場やお気持ちを察して、
その様にして参りました
問題が無くても慣例がありますので、注意していこうと思います

お礼日時:2013/07/18 23:26

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