A 回答 (2件)
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No.1
- 回答日時:
独歩は引っ越し好きで、三十八年の短い生涯のうち、山口や東京、熊本、京都、神奈川と転々としていますが、その間の少なからぬ期間を弟の収二と共に暮らしています。
もちろん佐々城信子と結婚した時期は離れていたのでしょうが、信子に去られ、傷心のまま京都の内村鑑三の下へ赴いたときにも、三ヶ月後に東京に戻って渋谷村(現在のNHK放送センターがあるあたり)に暮らすようになったときも、収二はずっと一緒です。この家は、独歩が花袋とふたりで日光の寺で共同生活をしている間に、収二が引っ越してしまうのですが、独歩が帰って来たあとの麹町でも、ふたたび共同生活をしています(後に独歩の二度目の妻となる治子は、その家の隣に住んでいました)。
その後、独歩は結婚したのちも転々とするのですが、収二の名前が見えるのは麹町の家までで、独歩が結婚した後は、収二がどのような生涯をたどったかはよくわかりません。
ただ『病床録』には収二がある時期に公使館書記として暹羅(いまのタイ)にいたことが書かれています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977773
の117ページです。
さて、弟と独歩は八歳違い、実は独歩の生年は1869年という説もありますので、だとしたら十歳ちがうことになる。独歩が二十一歳で東京専門学校を退校し、郷里の山口に戻ってから波野英学塾を開いたときに、収二も塾生として兄の元で学んだ、とありますから、実際には年の離れた兄弟であると同時に、師弟でもあったといえます。
翌年、独歩は英学塾を閉じて上京するのですが、年譜には弟を「一緒に上京しよう」と説得した、とありますので、それ以降、収二も家族から離れて、兄とふたりの本格的な共同生活に入ったのでしょう。
二十三歳の独歩が自由党の新聞社に入ったり、わずか二ヶ月で解雇されたりしているうちに、父親が免職となり、独歩は自活の必要に迫られます。そこでご質問にあるように、独歩は佐伯に趣き、教師となるのです。もちろん収二も同行しています。
> 仕事もせずにぶらぶらしていたのですか?
とありますが、当時、彼はまだ十五歳でした。他の塾生とともに兄に学び、自然を愛した独歩が山や野を「遠足」するのに同行していた、と解するべきではないでしょうか。
その時期、弟と共に印刷事業を起こそうと企てて、ある程度まで進捗させたことが評伝にはあります(江馬修『人及び芸術家としての国木田独歩』)。この計画も、塔富蘇峰に借金を断られて、実現しませんでしたが、当時、どんなときもふたりは一緒で、「御神酒徳利」と称された、とあります。
その後、佐伯を離れ、彼を慕う塾生四人と弟、総勢六人で再び上京します。この時期、独歩が新聞社に職を得るまで、弟の学資としての仕送りに頼って、六人が共同していたのですが、逆にいうと収二はまだそういう年齢であったといえます。
まもなく佐伯への紹介状も書いてくれた徳富蘇峰の国民新聞の記者となった独歩は、海軍の従軍記者として日清戦争に従軍します。その従軍記は「愛弟通信」というタイトルで、弟への手紙という体裁で新聞に掲載されました。これは海戦ばかりでなく軍艦内の日常生活にいたるまで記されたもので、当時類を見ない新鮮なスタイルに、評判は高かったようです。
日清戦争終結後の独歩は、北海道開拓の計画を立てたり、佐々城信子と恋愛・結婚したり、逃げられて京都へ赴いたりするのですが、わたしが独歩の弟のことを知るようになったのは、その後、独歩と収二が渋谷村で共同生活をしていたことを記した関川夏央の『二葉亭四迷の明治四十一年』(文藝春秋社)を読んでからなのです。その中に、『文學界』同人のあいだで話題になっていた独歩を初めて訪ねた花袋に、収二が「秘蔵のカレー粉でライスカレーを作ってくれた」という記述があります。(p.121)
武蔵野の雑木林が見通せる田舎家で、貧乏な生活をしながらもカレーをふるまう、つまり、「当時の文人モダニズム」を体現するような生活をふたりが送っていたことがわかる、大変印象的な箇所です。
治子と二度目の結婚をしてからも、独歩は腰が落ち着かず、妻子を置いて(あるいは伴って)転々としますが、年譜にはたいてい共に生活していた誰かの名前があります。ただ、そこには先述したように、もはや収二の名前はありません。
おしゃべりで寂しがり屋で「友なくば此の世は暮らすに不堪」と手紙に書くほどの独歩にとって、ある時期までの収二は側にいてほしい(くれる)大切な弟であり、教え子であり、友であったのではないでしょうか。
とても詳しい御回答に感謝感激です。独歩と収二は非常に仲の良い兄弟だったのですね。けんかなどしたのだろうかと思うくらいです。佐伯滞在期間では鶴谷学館の教頭で、上京の際に連れて行ったという四人の「塾生」とはその学館の生徒のことでしょうか。また、教会でも活動しており教会の信者でもあった人がいますね。富永という人でしょうか、このあたり『欺かざるの記』を読んでもよくわからないのです。それと、弟の収二は15歳だったということですが、学業はどうだったのでしょうか?鶴谷学館の生徒になったわけでもなし、当時の学制についてはよく知りませんが、後に早稲田の前身の学校に入るわけだから、佐伯滞在期間も中学あたりに行ってないとおかしいですよね。
No.2
- 回答日時:
お礼欄拝見しました。
わたしもそれほど詳しいわけではなく、何冊かの評伝と年譜で書いているだけなので、わかるところだけ。
まず
> 上京の際に連れて行ったという四人の「塾生」とはその学館の生徒のことでしょうか。
そうです。塾生の中で独歩と行動を共にすることを希望した四人と共に上京しました。前に、このときの生活費は弟の学資だけだった、と書きましたが、実際に収二がこのとき学校へ行く予定があったのかどうかはわかりません。
この四人は途中、どういう事情からかはわかりませんが、何人かが去り、残った者は独歩が従軍したのちもしばらく弟と共同生活を送っていたようですが、まもなく独歩の両親が上京したため、解散することになったようです。そののちどうなったかはわかりません。
>富永という人
というのは「富岡先生」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/4514_ …)のモデルになった富永有隣のことかと思います。
富永有隣は明治維新の志士で、山口の奇人として、地元ではちょっとした有名人だったようです(「富岡先生」を読むと、もちろんフィクションの要素もあるのでしょうが、大きな歴史の変革期に立ち会いながら、いつの間にかその流れに取り残された人の面影が伺えて、この時代には、司馬遼太郎の登場人物ばかりではない、確かにこんな人もいたのだろうな、と思います)。
富永有隣とつきあいをもったのは東京専門学校を退校して一時故郷の山口の麻郷村に身を寄せていた時期です。独歩はキリスト教に近づく前から、地元の英雄である吉田松陰に対する崇拝の気持ちを強くもっていました。ですので、山口に戻ってから、市内にあった教会に通う一方で、地元に残っていた幕末の志士たちとも交流を深めていたのです。富永はそんな一人です。
やがて独歩は松蔭に倣って塾を開きます。隣村の小学校を借りて、放課後、三十名ばかりの生徒を集め、英語と数学を教え始めるのです。収二もまたその塾生のひとりでした。ただ、ひとところに落ち着けない独歩の性格から、一年あまりでこの塾も閉じて、弟をともなって二度目の上京をすることになるのですが。
> 弟の収二は15歳だったということですが、学業はどうだったのでしょうか?
収二の学業に関してはわたしが読んだ限りでは言及したものはありませんでした。東京専門学校に通ったかどうかもわたしは知りません。
ありがとうございました。富永というのは有隣ではなく徳磨の方でした。それと弟の収二ですが、鶴谷学館の生徒にはなっていませんが、そこの漢学の教師の中島氏が開いていた塾で数カ月、学んでいるところをみると、普通学校に通ってはいなかったようですね。当時の学制はよくわかりません。鶴谷学館の生徒にも有職者(それも小学校教員とか)がいたようだし、教師にはもちろん他の本業(?)を持つ者がいたし、そもそも独歩は専門学校を中退しているのに鶴谷学館(当時の佐伯市では唯一の中等教育機関だったといいますが・・・)の教頭として招かれ、英語と数学を教えているわけで、現在では考えられませんよね。まだ教職課程だの教員試験なんてなかった時代だからでしょうか?その大分県では現代になって、試験の合格ラインに達していないのに「口効き」で教員になった連中の事件が発生しています。そういう不正で教師になった者がアホな親たちの「すでに子どもに慕われているから」といった身勝手な理屈などによって助けられ自己正当化して、平然と授業など続けているかと思うと制度より実質だと思います。そういう連中のために教師になれなかった人々に対してもカネで処理するというやり方もどうかと思いますね。いじめの問題もさることながら教育界、教育委員会の存在意義など、根本的に改革の必要がありますが、まあ、口だけで抜本的改革なんてやれる人間はいないでしょう。その点では独歩の時代の方が、あるいはよかった面もあったかも知れません。
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