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私は海外生活が長く震災当時も日本にいなかったので聞きたいことがあり質問させていただきます。
辛い記憶を掘り起こすようで申しわけありませんが、回答お願いいたします。

私が生活している国に日本人は多く、語学留学のために短期滞在する方もいます。
私が偶然出会ったのは日本で看護師をしていた女性でした。彼女の渡航目的は語学留学とのことでしたが、ちょくちょく旅行に行っていましたし、帰国までにニューヨークやラスベガス、また南米の方にまで足を運ばれていました。金銭的に余裕があったと思うのですが、彼女の言葉で印象的だったのが、
「震災で自分がいつ死ぬか分からないと時間の有限性を実感させられた。だから欲しいものも、やりたいことも、思い立ったときにやる。私の周りもそうですよ」
という言葉です。

今年の春に久しぶりに帰国して、母のお金の使い方も少し変わったように感じました。自分の娘たちに手がかからなくなったからかもしれませんが、母も看護師の女性と同じような考えも持っているのかもしれないです。

私が知りたいのは、震災後に欲に対する考え方が変わったり実際に上で述べた看護師の女性と似たような考え方に変わった人がいるのかです。
当時私が日本にいたら、おそらく同じような考え方をしたと思います。不安定な将来に見切りをつけて今を楽しみたいと思うかもしれません。でもそう考えたとききっと壁にもぶつかるだろうと思いました。
たとえば震災後の諸問題は今すぐに解決できるようなことではないし、今やりたいことも色々な制約があって不安定な将来に持ち越さなければいけないかもしれません。
そういったジレンマに陥るひとはいるのでしょうか。

A 回答 (5件)

震源地から遠く離れたこの群馬県でも、あの日の揺れはハンパ無かったです。


生きた心地がしなかったですよ。

それから暫くして、茨城方面に出かけましたが、高速道路が歪んでました。
下道を行けば、ブルーシートを屋根にかぶせた家が幾つもあって、やはり震源から遠いというのにこの破壊力か?と驚かされました。

そして2年後になり、大津波に襲われた被災地を訪ねましたが、破壊された建造物などは撤去が進んでいましたが、過去に一度訪れたことがあったその場所は、昔の面影など「皆無」でした。

今でも大勢の人が仮住宅だし、放射能の影響で他の場所で暮らされている方もいらっしゃいます。
正しく「生死を分けたものはなんだろうか?」と考えずにはいられません。
震災前より「時間の有限性について」は、考えないことがなかった私ではありますが、今回の震災で目の前に「叩きつけられた」感じはします。

私の場合は「時間の有限」は、当初「私自身だけ」でしか無かった。
しかし、震災後は「それは他の人や、物事、事物さえも同じだ」と思いました。
友人や恋人や家族…好きな場所、好きな空間、好きな時間…無くならないもの、消えないものなど「何もない」ということを理解しました。

「鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ」

万葉集の第16巻第3852番、さだまさしさんの「防人の詩」の骨子となった歌です。
正しく「自然」というものとコンタクトした瞬間でした。

みな、逝くのです。
だからこそ、生きねばならない。

ジブリの今夏の最新作「風立ちぬ」のキャッチのように「生きねば」と背中を押されたのです。
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この回答へのお礼

私も群馬県出身です。回答、どうもありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2013/07/26 15:15

ANo.2です。



> 影の部分、ぜひお聞きしたかったです。でもありがとうございました。

一番重大な面だけ上げます。
それは『自殺者の増加』と言う事です。
それ以上は触れないでおきますので、御容赦を。
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震災を機にいろいろ変わった人はいますよ。



今まで無意識に大前提としていた安心安全が足元から崩されたことによって、ポジティヴになったひともいますし逆に虚無的になってしまった人もいます。
そういった態度の変化の裏にある心の動きについて分析しようとするならひとりひとり、個々にあたらないと理解はできないでしょうね。


個人的体験としては、社会に関わることに非常に積極的になった友人がいます。
内向的で自分の内面を語ることにほとんどの興味を向けていた男ですが、震災ボランティアだけに関わらず社会的な運動について発言し参加し意見を表明するようになりました。
彼の中には様々なジレンマがあるようですが、元々がジレンマを抱えて苦しんでいるような男なのでその部分については変化があったのかなかったのか、それはわかりません。

ただのスポーツバカのミーハーだと思っていた別の友人がボランティア活動を熱心に行い、座学でもさまざまな分野について勉強しだしたのにも驚きました。
彼の場合、自分が味わった地震の恐怖、というより主に東北の惨状を見たことが学習と行動の動機となったように見えます。
もともとあった素養に火が付いたのか、本質的な変化があったのかは私にはわかりません。



インタネットの発言で震災以降目立つようになったのは
自分が想定した物語通りの不幸を他者が背負っていないと不満に感じる人々の声です。

具体的には、福島の原発事故の影響が甚大なものであることを予想していたので、そうではないという情報をデマ・捏造と断じるような人々がいます。
事故直後には「すぐに放射能の影響でバタバタ人が倒れる」と言い、半年後には「影響が出るのは一年後」と言い、一年後には「来年には様々な被害が顕在化する」と言い、しまいには「放射能は遺伝子に影響を及ぼすからこれから先福島では(ひとによっては東日本では)代々奇形児の出生率が上がる」と言い、そういった情報が見つからないと「政府が隠蔽している」「住民は何も知らされていない」「自分たちだけが正しい情報を知っている」と言い出すような輩です。

彼らがもともとひとの不幸を願うようなひとなのかどうかはわかりません。
彼らの多くは善意や正義感から上に書いたようなような発言をしているような気もします。
(まあ出処が善意でも間違いは間違いで害悪でしかないんですが、それはそれとして)

あの震災や原発事故がなければそういったデマを他人に押し付けるような態度をとることのなかったひとも多いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

具体的な例を出していただき、ありがとうございます。

お礼日時:2013/07/26 15:10

被災地の人達は前向きです。


不安も抱えては居ますが、前進しないと何も出来ないと頑張って居ます。
それでも失った物が大きく限界は直ぐに来ますが、多くのボランティアの人達の支えも力となっています。
今回のこの災害によって、人の為に役に立つ事をしたいと言う被災者も少なくありません。
今でも自衛隊の人達の活躍や奉仕は目に焼き付いていますし、被災者に勇気と感動そして希望と憧れを被災地に残しましたので、その道へ進もうとする人達も増えたでしょうね。
将来については自ら切り開いて行こうと言う人達も多いです。
ジレンマなどに邪魔されてなる物かと言うバイタリティもありますし。
しかし影の部分は当然有る事だけは事実で、全てが前向きと言う訳でもありません。
その影の部分はここではあえて触れない事にします。
また、三陸ブランドの魚介類を提供していた岩手・宮城の人達も、以前の様な安定した供給が出来る様に頑張っても居ます。
ただ、残念な事は福島の人達ですが、原子力発電所事故によって地元へも戻る事が出来ずに再生したくても出来ないと言うのが未だに震災が進行中と言う状態です。
復興については地元自治体では限界に達していて難しいところですし、国も「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」的な所は否めませんので、復興から平常へ戻るまでには10年20年、或いは50年ぐらいは掛かるでしょうね。
被災地の目で見える現状は、雑草が生い茂っているだけの空虚な状態です。
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この回答へのお礼

影の部分、ぜひお聞きしたかったです。でもありがとうございました。

お礼日時:2013/07/26 15:11

私は3回ほど東北復興のお手伝いに参加しています。


宮城の瓦礫処理に始まり、
福島の除染などです。
勿論東北人ではありません。

<震災後に欲に対する考え方が変わったり実際に上で述べた看護師の女性と似たような考え方に変わった人がいるのか>

私のまわりで、そんな人はいませんね。

みんな未だに真剣に日本の将来を憂いて頑張っていますよ。
福島県民などは放射能の状態はまったく知らされていないで、
皆さん一生懸命日常を送られています。
近い将来に起こるだろう放射能障害も考えさせられずに・・・・。

私は福島で放射能モニタリングを担当していました。
ホットスポットでは、計測機器が振り切れます。
子供たちが登下校する道のすぐ傍らなどでです。

県の除染担当者は、震災当時の数値はものすごかったと言ってます。
福島全部が全滅するものと当時は思っていたそうです。
それの公表も止められ、なすすべもなかったそうです。

正しい情報を流していたら、その看護師の女性と同じ人たちが増えていたかもしれません。
増えていなかったかもしれません。
その辺は私はわかりませんが、過去の真の日本人はそんな考えは持たず、
ただ黙々と日本の田畑を耕し続けていたのです。
自分が耕した耕作地で武士の戦があり、踏み荒らされても諦めずにまた耕す。
空襲で家が壊されても、そこに廃材でバラックを建てて生活を営む。
日本人は踏まれても踏まれても、頭を擡げます!

福島の10年後は、奇形児出生率・甲状腺がん発生率1割増と学者の間で言われています。
現在の動植物の奇形率が異常に高いからです。
福島の住民はそれを知らずに黙々と生活を続けています。
それが土着の意味でしょう。

そして私も来月から責任者として再び福島へ立ち入ります。
愛国者として。
(私も震災当時は海外で生活していました。
私の周りの外国人たちが、私に帰国して祖国を支援するべきだと助言くださいました。
当然の助言です。そして私が帰国して頑張ると言うと、皆喜んで握手や抱擁攻めを
してくれました。あと5年ほど頑張って、それから凱旋します。皆に会うために。)
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この回答へのお礼

日本時間のずいぶん朝早くに回答してくださり、ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2013/07/26 15:13

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