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たまに聞く言葉ですが、本当ですか?
もし何かの研究結果などで根拠があるようなら、
大学のレポートで使おうと思っています。

ざっと調べた限り、「一般的に~と言われています。」
みたいな感じで紹介されているものが多く、
はっきりした根拠はないように思えました。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

昔読んだ本の記憶に、確かに書いてありましたが、その本の名前を覚えていませんので、書く事が出来ませんが、意識と無意識の関係性を確かなものにする良い研究成果がありますので、その研究成果をコピーして張って置きます。



『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

更にこの記事を補強するために、或る脳科学者が『自分自身の内面から』脳の機能分化の体験を脳卒中の為に『体験せざるを得なくなった』貴重な体験談を語っている動画を載せてみます。


もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。

URL:

今の二つの事から思い付く事を書いてみます。

左脳に存在する人格は『自我意識』=顕在意識と呼ばれていると思います。そうして右脳に存在する意識は『無意識の意識』と呼んでも良いものと思います。

右脳に存在する意識は『言葉を持っていない事』が特徴ですが、動画に在るとおり、他の人達と繋がっている意識です、自分では気付かないとしても、確かに他人や、大自然や目の前の現実と繋がっている存在と言えます。

人間が意識が無くなって『無意識の自分が身体と心を支配している現象』を幾つか書いてみます。そうして『意識』と『無意識』の交替制を書いてみます。

一番分りやすいものは、睡眠です。誰も、精神医学者でも精神分析家であっても誰も知らないでいるようですが、睡眠時には『自我意識は無くなっています。』この意味は『無意識の自分が交替して、身体も心も支配しています。』

寝入りばなを思い出して下さい、意識は確かに無くなってゆきます、完全に無くなった時とは『無意識の自分が、自我意識と交替をして』身体も心も支配している事を意味します。

或いは没我と言う場合や、無我と言う場合の心を思い浮かべて下さい、『はっと我に帰る時』と言う場合も同じです。

人間の心は、或いは人間の精神活動は、或いは人間の全人格的な行動では、『自我意識』と『無意識の自分』は交替制が順調に行っている事を意味します。

この交替制が崩れたり、その調和が乱れた時、人間は障害と感じたり、違和感を抱いたり、漠然とした不安を感じたり、恐怖症になってしまったり、パニック障害になったりしていますので、その理由を書いてみます。

心が弱いとか、メンタル面が弱いとかと言う場合には『自我意識が単独で自分の身体と心を支配しようとしている事を意味しています。』睡眠が出来なくなる、不眠症がありますが、是などはその良い例です。『無意識の自分と交替出来なくなる場合の事です。』自我意識単独で眠ろうとする事を意味しますが、自我意識は単独では眠りに入る事が出来ません、何故なら自我意識には『眠る機能が無いからです。』無意識の自分に切り替わらない限り眠る事は出来ません。是は脳の機能の関係です。

自我意識単独で『自分の心を支配しようとする場合を心を病む』と呼んでいます。ですが心も交替制をキープする事で正常が保たれています。人間の行動でも衝動でも『右脳からの情報を基にして』全てが始まっています。

という事で右脳の機能をもう少し詳しく書いてみます。動画に在るように、『右脳の意識は今現在の全ての情報を、脳梁を介して、左脳に在る自我意識に伝えています。』その目的は『生命維持の為です。』

右脳の機能とは『生命維持機能』がその役割の全てだからです。言葉を変えて表現するなら『命そのものの働き』がその機能だからです。この機能をお釈迦は『仏性』聖書では『神』と名前を付けています。

そうしてその機能は『生まれた訳ではなくて、滅する事も無い存在』と言う言い方も可能です、その理由は、赤ん坊を見れば分るとおり『学ぶ事無く全てが整っている事』から推察出来ますが、心臓も肺もホルモンの調節でも、神経系統でも全て環境に適する事が出来る機能を持って生まれ付いています。

不安も安心も恐怖する事さえ知り尽くして生まれ付いています。

手や足でも自在に動かす事が出来る機能を持って生まれています。

こう言った生まれつき持っている事柄に『疑いを差し挟まない場合を健常者』と呼んでいます。ところが思春期頃から脳の機能分化の完成を待って、心が二つの機能に分かれてしまって、争いが始まる場合があります。この意味は『自分の生まれつき持っていた機能に疑いを持つ』と言う意味になります。

聖書の言葉を借りるなら(内在する識られざる神)自分自身の生まれつき持っていた機能を疑う事を意味します。

身体の生命維持機能を疑う場合では自律神経失調症や過敏性腸症候群や、難治性の心身症と言う障害を持つと言う意味になります。

精神面での機能に疑いを持つ場合では『沸き上がる考え』を疑う場合では、沸き上がる考えや、その考えの所有者さえ定かではなくなる場合も在ります。『沸き上がる感情』を疑う場合では『沸き上がる感情』の良し悪しを付け過ぎるために、その感情に否定的になってしまって、その感情の虜になってしまう場合があります、感情障害という事です。

行動面を疑う場合では、自身の行動の自在性がなくなってしまう事や、自身の行動性を信じられなくなる場合も在ります。『神経症の諸症状』が出てしまう障害と呼んでいます。

メンタル面が強いと言う場合では『自我意識が出ないように出来た場合』を指しています。無意識の自分に身体も心も巻かせきりに出来る場合』と言う意味です。

脳梁の中での情報交換(意識の根底での二つの意識の情報交換)がスムーズにいっている場合では、交替する時の軋みが無い場合を指しますが、この交替制がギクシャクする場合を『神経質な性格や不安になり易い性格』と表現します。

この意味は、機能的な問題が分らない為に、出番争いが生じている事を意味します。

意識する事と意識しない事、つまり『意識性の問題』を悩んでいる事を意味します。つまり自分の心の矛盾に苦しんでいると言う意味ですが、意識が無くなっている状態『無意識の自分』が交替要請をしている時『漠然とした不安』になっています。

動画に在るように『意識の根底で二つの意識が出会う時』もう二度と出番争いをしなくなる事を。テイラー女史は語っています。

出番争いをしなくなると言う意味は、聖書の言葉を借りるなら『神と和解をして、神の前ででしゃばる事が無くなって、神の後に付いてゆく』=『神の僕となる』と言う意味です。

不眠症なら『すっと無意識の自分と交替するようになる』と言う意味ですので、朝になった時、心地良い目覚めが出来るようになる事を意味します。

上がり症ならば、上がる事を気にしなくなって、話す内容を良く吟味出来たり、今必要な事を理解出来たりして、行動がちぐはぐにならなくなります。

心を病むという場合では『正常な心など何処にも無かった事を知って、正常な心を探す事を止めたために、正常かどうかなどには意識が向かなくなって、毎日を忙しく過ごすようになります。医者のところに行く暇が無くなっています。』

意識性の問題をクリアー出来たために『身体の調子等』を気にする暇が無くなって、身体の調子などを忘れ果てたために、身体は返って正常になっています。

意識性の問題をクリアーすると言う意味は、『自分を忘れる』と言う意味になりますので、意識する時間が無くなってゆく事を意味します。

自意識過剰の時『無意識の自分が覆い隠されてしまって』障害と感じてしまう場合があります。それは、現実と頭の中の世界が混同されてしまう事によっています。

目の前の世界と頭の中の世界が一致する時解消する問題です。

自我意識は思い込みや、欲や得で、或いは計らいの心で、目の前の現実を捻じ曲げてしまう事が在ります。その時『自分の本心は』現実の真実の情報を送って『正そうとします』

嫌な事を嫌って過剰を反応する心と、良い事を望んで良い事に過剰反応する考え方や感じ方が、全ての症状の原因を作っています。良い事も悪い事も全てが人生そのものと『達観出来た時』障害からは遠ざかっています。
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 無意識に従って行動している要因もありますが、9割が無意識だったら、意識して行動している例はほとんどないという事になって、マインドコントロールされていたら生きていけないでしょうね。



 ほとんどの行動は本能・経験・知識で決まっていて、意識していない行動が多いのは事実でしょうが、無意識で全てが決まっているというのは違うように思います。赤ちゃんの行動を見ても、ほとんどは本能ですし、本能は無意識ではありませんからね。

 しかし、人間は無意識に支配されている部分が多くて、無意識に命令を植え付けて置くマインドコントロールが可能だというのは事実だと思います。詳しくは以下のリンクを参照してください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F% …
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