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60年前に別の新生児と取り違えられ、生活保護の貧困生活。中学卒業後は町工場で働きながら定時制高校に通った。自分が本当に行くハズだった家庭は、裕福で家庭教師が付いて大学を出られる環境。取り違えられた人物は不動産会社経営者になっていた。

もし、あなたがこの事件の被害者だったら、病院を訴えますか?

A 回答 (16件中1~10件)

http://www.houritsuka.net/case/dna.php

最初にニュースを聞いた時と、これを読んだ後ではかなり印象が変わりました。
この方が矢面に立っていますが、実情は違うのかもしれません。

私は訴えます。自分の努力だけではどうにもならない事はあります。
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この回答へのお礼

有難うございます。
私も実情は、裕福な家の不動産会社を相続した取り違えられた人と残りの兄弟の不仲から発展した問題だと思いました。血の繋がりとは、場合によっては非常に重要なことのようですね。こんなことが起きては困りますし、そのために病院に徹底してもらうためにも良い判決だったのではないかと思います。

他の回答をいただいた方々も有難うございました。

お礼日時:2013/12/02 07:46

No.5 「訴えます!」です。

誤解されるといけないので補足します。

自分のアイデンティティを取り戻す(あるいは、確立する)ためには「訴える」という手続きが必要だったのではないでしょうか

----と書きましたが、「手続き」というのは法律上の意味はありません。

その人の混乱した心(多分そうだったと思います)が、事実を受け入れていくために取らざるを得なかったアクションという意味です。
 
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私なら訴えません。



私自身、出生時に、産院で度重なる医療事故に見舞われ、身体に様々な後遺症を患っています。
取り違え事件とは種類が異なるものの、病院側の不備を要因に、後生に影響を及ぼされた面では、似たような境遇かも知れず、本件を他人事とは思えない心境です。

しかしながら、取り返しのつかないトラブルに苛まれる苦悩を、身をもって味わい尽くした立場としては、訴訟に踏み切る気にはなれません。
なぜなら、それは、相手を自分と同じ、取り返しのつかないトラブルに苛まれる苦悩へと追いやる行為に他ならないからです。

「倍返し」などという物騒な言葉が流行る昨今ですが、自分が理不尽な犠牲を経験したからといって、他人に犠牲を求めることで、自身の心に折り合いをつけるような、ショボい感性を持ちあわせたくはありません。

また、裕福な家庭環境や健全な心身に恵まれようと、人生を大成させられるか否かは、当人の努力次第という側面も少なからずあるのではと思います。
ご質問にある、両者の両極端な人生経験の比較だって、あくまで晩年の結果論に過ぎません。
そうした現実問題に目を瞑って、「あのトラブルさえなければ、私だって、あの人のような人生を謳歌できたはず」と、隣の芝生の青さを羨み、自身を貶めてみたところで、何の解決にもならないはずです。

「若い内に買ってでもしろ」と言われる苦労ですが、本件に限らず、重大な事件・事故・災害の犠牲となり、少々のカネには代えられない苦労を体験した人々には、だからこそ、その苦労の代償を勝訴(=カネ)に求めるような、逆境や挫折を克服するための数々の努力を自ら安売りするような真似など、してしてほしくないと願ってしまいます。
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訴えて当然と思っていたけど、改めて「貴方だったらどうした?」と聞かれて、ちょっと考えましたね。



間違いは間違いとして、AB異なった環境で生きなければならない男子が居たことは確かだったんだし、その環境自体が人間に影響を与えたことはまちがいないにせよ、それでも幸せに人生を生きる可能性が皆無だったわけではありません。一方は会社社長、一方はシングルのままでトラック運転手という構図そのものはそれぞれの努力の結果だとする考え方もあるとおもわれます。
単なる仮定ですが、自身がよほど困窮して義理の父親の介護の問題もなかったら、多分私だったら訴訟へまでは行っていなかったと思います。
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ひとまず訴えます



どうにもならんけど...
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訴える事にも色々と意味があるのでしょうけど・・


あまりの貧富の差には驚きましたね。
それにしても裕福な家庭で育った人の方。
いつからなのか兄弟が疑問を持ち始めたわけですよね。
違う家で生きていくための土台は作れたのかもしれないけど、どちらも辛いなぁ。
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訴えずに済むような人生であってほしいです。




貧富の差は、人生の良し悪しを決める要因ではないと思います。


私も、実両親・兄みんなB型で、私だけAB型で…

10歳で、他の家の養子となりましたが…


真実などどうでもいいくらい、養父母の愛に包まれて、幸せでした。


時を経て、真実を知った時に「訴えたい」気持ちになる人生は、むなしいです。

私は、そういう気持ちにならないようにしてくれた親たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。
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訴えても仕方がないので諦めます。

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こんにちは。


非常に難しい判断となりますが。
まず訴えると思います。
この問題でもしどちらの親も健在であればどうだったか。
現実としてお亡くなりになっていますよね。
60年といえば人生の大半の期間になります。
それを病院のある意味過失によりこの方の人生が狂ってしまったことです。
真実を知りたい、その結果病院側が取り違えた事を知った今、当然の権利とも言えます。
もし本当に両家の親が健在ならばどうしたでしょうか。
きっとそういう事は起きるはずがないのに起きてしまった。
ですが、真実を知ったことで今後への警鐘として当然だと私は思います。
なのにその病院が謝罪しないという事は理不尽な感じします。
取り違えられたお二人が一番苦しい思いをし生きてこられています。
時間は巻き戻す事は出来ませんが、この方の主張は間違っていません。
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訴えるかもしれない?



そんなことが分かったら、頭真っ白になって、自分では、どうすればいいのか分からなくなると思うけど。

60年の人生を返せ!って言っても、誰も返せる人はいない。

誰に、何を訴えたらいいのか?

人間って、産まれた環境の違いだけで、こんだけ人生が狂うっていうのは、衝撃的でした。

取り違えが無かったとしても、産まれて来た家庭の違いで、子供が育つ環境には、これだけの差があるのが、日本の現実なんですかね。
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