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第20回ミュンヘンオリンピックでの事件(黒い九月事件)についてお聞きしたいことがあります。 オリンピック史を勉強している中でミュンヘンオリンピック事件のことを知りました。
Wikipediaでこの事件のことを調べてみても、おおまかな概要くらいしか載っておらず、肝心の襲撃理由などがいまいち分かりませんでした。
そこで、オリンピック史上最悪の悲劇と言われるミュンヘンオリンピックは、なぜ過激派の襲撃の対象になってしまったのかを、その時の国際社会の状況も加えながら説明して頂けると嬉しいです。

A 回答 (2件)

1970年のヨルダン内線(イスラエルのせいで起きたヨルダンとパレスチナの内戦)と、1970年9月6日に起きた、それに伴うハイジャック事件の後、旧西ドイツが実行犯を釈放しなかったことが背景にあると考えられます。



ヨルダンはイスラエルから来るパレスチナ難民に悩まされていました。
首都アンマンのPLO指導者は、ヨルダンを転覆させパレスチナ国家を樹立しようと計画しました。
1970年、9月6日にPLOの過激派PFLPによる連続ハイジャック事件が発生したことにより、
ヨルダン国王フセイン1世が激怒し、PLO排除を決意しました。
9月6日、PFLPとPLOに賛同するアラブゲリラが5機の旅客機を2日に渡り同時にハイジャックしました。
PFLPはイギリス、西ドイツ、スイス、イスラエルに対して、投獄されたメンバーの釈放を要求した。9月12日に、西ドイツを除く3国は要求に応じて釈放したので、PFLPも人質を解放しました。

パレスチナ武装組織「黒い九月」は、もともと、旧西ドイツとイスラエルを敵視していました。
イスラエルに収監されているパレスチナ人234名の釈放を国際社会に訴えるために、故意にミュンヘンオリンピックを利用して、イスラエル選手宿舎を襲撃して、イスラエルのアスリート11名を殺したのだと推測されます。
イスラエルが旧西ドイツに打診したパレスチナ人解放を、イスラエルが完全拒否したことに対し、旧西ドイツが激怒しました。公式オリンピックを台無しにされたこともあり、旧西ドイツがイスラエル人を救出することに消極的になってしまったことが、事件を最悪の結果に導いた理由なのでしょう。
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この回答へのお礼

事件までの流れと、その当時の詳しい状況などとても分かりやすくて助かりました!
ありがとうございました。

お礼日時:2014/01/14 22:01

日本から、中東の状況を 第3者的な視点で見るのはほとんど不可能に近いかも。



下記のDVDが ニュートラルな物と(スピルバーグだから・・・・としか、それも否定するなら、研究者になるより)思いますが。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83 …

状況的には、あのころは、2点の対立状況下と思いますが、イスラエルは別として、今はイスラム側が複雑になりすぎて、さらにまとまりのない世界に突入したような気がしますが
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この回答へのお礼

確かに、どちらかの国が悪いとかそういう問題じゃないですもんね(^^;;
DVDもぜひ見て見るようにして見ます!
ありがとうございました

お礼日時:2014/01/13 21:11

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