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本題に入る前に二つ断っておきたい事があります。

一つ目が、質問にやや性的な内容が含まれる事です。
しかし「性の悩み」の方ではなくてこちらで聞いた方が、ピンポイントにゲイの方のご意見が聞けると思いましたので、こちらにさせて頂きました。ノンケの方にドンピシャと答えられる話題ではないと思われましたので、ここにしました。カテ違いでしたら済みません。

二つ目が、質問の内容に「ゲイの方を批判する」ような内容が含まれる可能性があります。
あくまで全てのゲイの方がそうだとは思っておりませんし、ゲイであること自体を差別する意図はありませんし、ゲイの方そのものをその場所や僕の回りから排除したいという意味ではありません。
ただ、「ゲイと思わしきそういう傾向の方が目に付く」という意味合いで言いたい事なので、どうかご了承下さい。
それが大丈夫な方だけご回答下さい。

では本題に入ります。
僕は男性用競泳水着、もとい競泳パンツ・競パン、他に男性用スクール水着などにフェチを感じています。
元々僕が唯一やっていた、人並み以上にできたスポーツが水泳であり、尚且つ小学生の頃から高校生の頃ぐらいまでスイミングスクールに通っていました。
その為か、次第に水着に性的に興奮をするようになり、穿いて自慰行為をしたり、何気なく服の下に着用したり、(特にお気に入りのデザインのものを)コレクションをしたりといったことをするようになり今に至りました。

その為、ネット上のあちこちにある「競パンフェチ」「男子スクール水着フェチ」といった類いのコミュニティ、掲示板などに顔を出して話しをしたり、自分の水着の写真を貼ったり、他の方の写真を鑑賞したりしています。

ところが、一部のゲイと思わしき方が、ちょっと気がかりな事をするので気になっています。
一部の写真に対して、競パンへの思いや意見ではなくて、「そのデカマラをしゃぶりたい」と書く人などがいます。
他にも、「現役男子中学生が居たら、出会いたい」などをいう書き込みをする人もいます。

これって、競パンに直接関係がある訳ではなく、競パンに対するフェチの話題とは異なっていると思います。
後者は単なる出会い目当ての書き込みなのでいわずもがなですが、前者の方も競パンというよりは、おちんちんに興味があるだけの書き込みに見えます。
どういう訳かこの手の場所に、こういう競パンに直接的な関係のない、ゲイじみた書き込みがちらほらと目につきます。

これは一体なぜでしょうか?
どういう訳かゲイじみた書き込みに限って、こういう競パンに関係ない書き込みが見受けられますが、この理由はなぜでしょうか?

ちなみにゲイの方が出入りするのが気に入らない訳ではありませんし、競パンが好きなゲイの方がたくさんいらっしゃる事も分かります。
また、競パンは男性の身体がセクシーに見えるコスチュームである事もわかります。
しかし、なぜ競パンフェチに直接的に関係ない話題になってしまうのでしょうか?

「こういう競パン持ってるよ」とか「ここのブランドの競パンはエロかっこいい」とか「こんな競パン穿いちゃうとムラムラしちゃう」とか「僕も同じのを持ってます」とか、他に着用画像を(但し肖像権や著作権、猥褻物陳列罪になる様な物は注意!)貼ったりするのは全く問題ありませんし、むしろそういうのがどんどん増えると良いと思っていますし、そもそもそういう事にたいしていちいち性的指向について問う気もありませんし興味もありません。
こういう範囲では、ゲイもノンケも平等だと思ってます。

問題は、競パンと直接関係のない、例えば性器の話題とか、出会い行為の話題とか、そういう話です。
なぜかゲイじみた書き込みにこういうのが多いんです。
一体なぜなんでしょうか?

競パン好きのゲイの皆様、競パンが好きになった切っ掛けなども踏まえ、どうしてこういうのが目に付くと思われるのか、答えて頂けると幸いです。

A 回答 (3件)

こんにちは。



このカテゴリーに投稿されていましたので、
私はゲイではありませんが、
他の事柄から理由を推測できますので回答させていただきます。

まず、欲しいレスだけ貰いたいというのが間違いです。
私のこの回答にしてもそうだと思いますが、
必ずしも、あなたのご希望に沿ったものとは限りません。
ですから、あなたの嫌悪為さる「不純物」や「雑音」も入ってきます。

私は男で、女性が好きですから、
女性が率先して水着姿を公開していたならば、「イイネ!」くらいは付けますよ。
でも、それ以上のことはしません。



ゲイの方々は、ある意味、既に社会的な一線を越えているわけです。
世の中は多数決で成り立っていますので、
少数派であるゲイの方々は、「多数派」という壁を乗り越えています。
人の理性とは意外に脆いもので、
「越えてしまった」や「突き抜けてしまった」と感じると、
突き進めるところまで突き進んでしまうことが多々あります。

その良い例が、スポーツ選手ですよね。
有名なスポーツ選手が、上がり症だったり、シャイな例は数知れずあります。
ですが、「上り詰めたい」という強い願望が、
世界中に放送される試合に、堂々と出場する”突き抜けた”行動を可能にしています。

昼と夜、陰と陽、どのように表現するかは人の自由ですが、
欲望に後押しされ”一線を越えてしまった”ことについて、両者は共通しています。



ゲイであるということは、男性に性的欲求を持っているということですので、
それに加え、上記したように”既に一線を越えている”のだからと、
社会的、理性的に判断して『NG』な行動に、簡単に走ってしまうのでしょう。

鉄道マニアも同じですよ、
柵を乗り越えて線路内で撮影したり、撮影場所を巡って喧嘩したり。
昔鉄道が好きだった私からしても、もう嫌悪の対象でしかありません。



長々と書いてしまいましたが、
結論は単純で、「理性を失うと人間以下に成り下がる」ということです。

ではでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんか、一線を越えてしまったって訳なんでしょうか。

お礼日時:2014/04/25 15:08

ご質問の内容とはややそれたものかもしれませんが、No.1さんのご回答に同意しかねる部分があり、このまま質問が閉じられてしまったら誤解が生じてしまうと思ったので、「ゲイとして」お答えさせていただきます。




>ゲイであるということは、男性に性的欲求を持っているということですので、
それに加え、上記したように”既に一線を越えている”のだからと、
社会的、理性的に判断して『NG』な行動に、簡単に走ってしまうのでしょう。

これを単純に言い換えると、ゲイは社会的にマイノリティだから社会的・理性的に判断してNGな行動をとる…つまりゲイは社会的かつ理性的にNGだ、という誤解が生まれかねない発言だと思います。
もちろん、そう思われても仕方がない事例は多々あります。質問者さんが挙げられている、性的志向を問わず特定の服装などへのフェティッシュな感覚を持った人の集まりの中で、特にゲイの方でそのフェティシズムとはそれた発言を行う人がいる、というのもそのひとつでしょう。
社会的かつ理性的な判断は、環境・地域性・時代観による流動的かつ相対的なものであり、過去も未来でも固定されるとは限らない、絶対性のないものです。実際に明治時代以前は、ゲイ行為は社会的禁忌ではなく、男色として文化や武士道にすら影響を与えるほど一般的なものでした。
回答者No.1さんの周囲の環境・地域における流動的な社会の中では、ゲイは数の上で少数派なのかもしれません。
が、多数決の原則は、あくまでも統計上での大小に過ぎず、多数派であることだけが「社会的かつ理性的な判断」ではありません。これは「統計的かつ数学的な判断」として多数派/少数派を区分けしたものでしかなく、実際の「社会的かつ理性的な判断」は、多数派の中の意識の差異を見定めることや、少数派の意識と通じる点を見い出すことにあると思います。
ビジネスのマーケティングにおいて、多数派だけを相手にしているのでしたら、新規の顧客や市場の拡大は望めません。多数派だけで社会が成立しているのだとしたら、こんなにも複雑な世の中にはなっていないでしょう。多数決で物事が決まるのなんて、学校の学級委員会や生徒会、また、政治家の選挙くらいなもので、しかし政治でさえも、必ずしも多数派の意見だけが優先されるものではありません。

まあ、余談が過ぎましたが。


しかし、質問者さんへの回答として、No.1さんの見解を用いれば、競パンや下着などへのフェティッシュな感覚を持った人の中では、ゲイが圧倒的多数派を占めているでしょう。むしろその中で、ノンケの競パン好き、というのはかなりのマイノリティです。
ですがこれでは回答になりませんね。

おそらく、競パンなどのフェティシズムの中には、ゲイ/ノンケというくくりとは違う、2つの感覚があるかと思います。
ひとつは、自らが競パンなどを着用することでフェティッシュな気分になる、というもの。またその気分を他者と共有した、という感覚。
もうひとつは、視覚的に競パンを鑑賞することでエロスを感じる、というもの。
前者は質問者さんに近い感覚で、その行き先は、自らが着用することや、着用する自身の身体をより力強く男らしいものへとしていく、という方向性を持っています。しかし、後者は、競パンを着用した男性を間近で見たい、そして直接的な性行為へと向かうことを求めます。
これら2つの感覚どちらかといより、相互のバランスで、競パンフェチが成り立っているのではないか、と思います。
ですから、鑑賞の対象として競パン姿の男性を選ぶ感覚の方が強い場合、性器や性行為(出会い)への願望へと発展してしまうのでしょう。
競パンフェチのゲイには、後者の感覚が強い人が少なくないでしょう。
しかし、すべての競パンフェチのゲイがそうだとは言い切れず、質問者さんと同じく、自ら着用することでフェティシズムを満たそうとするゲイもまた多いです。
つまり、どちらが多数派か、とは言えませんし、同じ競パンフェチの中にもさまざまな目的意識の違いがあり、それらが一致しないこともある、というわけです。逆に、フェティッシュになればなるほど、その目的意識や感覚が他者とは共有できないものになっていくとも考えられます。

こうした目的意識や感覚の差異は、競パンが好きになったきっかけの違いもあるかもしれません。
質問者さんは、自ら着用することからフェティシズムに目覚めていったように思いますが、僕もある意味で同様の状態で、競パンに対してのフェティッシュな感覚を持っています。水泳もやっていましたし、高校生くらいまではまだ競パン全盛期、いかに生地面積が小さいものを選ぶか、のような感じが水泳をやっている人の中で「ごく普通(≒多数派)」だったので。
しかし、フェティッシュな感覚を持ったのは、自分も競パンをはいていたものの、中学時代の体育教師やスイミングスクールのコーチ、公営プールの監視員やライフセーバーなどが見せる、大人の男性の競パン姿を目の当たりにした時が始まりでした。
端から見れば、自分も同じような形の水着を着ているのか、と思ったとき、ものすごくフェティッシュな気分になりましたね。

…と、そんなところで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
う~ん、同じ海パン、競パンが好きな人でも、着用派と鑑賞派が居て、結構差異が大きいものなんですね。
僕自身は、着用派ですね、穿くことがベストオブベストで、他の人の画像を見る場合も、「ああ、それ穿いてみたい」ということを前提にして画像の選択をすることが殆どです。

後余談ですが、僕の場合だと「いかに小さいもの」を選ぶという考えはあんまりなかったですし、むしろあえて逆の方向も考えてました。
なんだかんだでスイミングスクールって、オコサマの集まりで、自分もオコサマでスタートだった訳なので、あまりにも極小の水泳パンツは流行ってませんでした。
その頃ってどんどん成長するので、あまり小さめを選んじゃうと割と直ぐに本当に穿けなくなりますからね。
だからどっちかというと「小さめではない」が「ブーメランタイプ」ではある競パン、というのが当時の一般的な状況に近く、一番好きだったりします。

ノンケ向けの所謂女性のスク水のイラストとか画像とかでだと、あえて小さめじゃなくて濡れてピッタリなった感じを強調した様な物ってあるんですけどね。
競パンではあんまり聞いたことがないのですが、僕は割とそれは有りですね。

基本、やっぱりフェチに入った切っ掛けや方向性は重要なのかも知れませんね。

お礼日時:2014/05/02 11:05

No.2です。



お礼などありがとうございます。
雑談のようになってしまいますが、競パンフェチになるきっかけについて、個人的な話を補足します。


僕は4歳くらいから小学校の4年生くらいまでスイミングスクールに通っていたのですが、スイミングスクールで支給(販売)されている水着が、やや市販の物より生地が薄く伸びやすかった気がします。
たぶん、子供の成長が早いことを考慮して、少し小さくなってもまだはけるように、ということなのか、単純に安物だったのか…わかりませんが。なので、通算して6年くらいのうち、3枚くらいしか買い替えてなかったような記憶があります。

で、小学校4年生くらいの夏に、すでにスイミングスクールは辞めていたのですが、市の水泳大会などに小学校から出場することになりました。すでにやめたスイミングスクールのネーム入りの水着は何だか恥ずかしかった(当時、わりと近場に他に2~3カ所くらい水泳教室などがあり、僕が通っていたところはランク的にそれほどではなく、選手育成に力を入れているような他のスクールの子たちは、そのスクールネームの入った水着を着ていることがある意味でステイタスだった、という劣等感もあったかも)ので、初めて、スイミングスクール以外の水着を買いに行きました。
そのとき、ジュニアの140か150くらいの水着(スピードの競パン)を買ったのですが、実はそれを、高校卒業くらいまでその後も使い続けていました。

スイミングスクールはある意味で弱小だったのですが、水泳自体は学校内でもそれなりに自信がありましたし、特に中学くらいになると、泳げるヤツは「カッコいい競パン」というイメージが僕の周囲の友達などにもあったのと、先の回答の中での体育教師のような、大人の男性が小さい競パンを(若干半ケツ気味に)はいている、というのもあり、少々小さくてキツくなったけど、まだはけるし、むしろ小さい方がカッコいい、くらいな感じで、小学校の頃の水着を中学~高校の学校の水泳の授業で使っていました。
(さすがに高校になると、毛もはみ出るし、塩素で生地も薄くなって色あせて、という感じでもしかしたらみっともない感じだったのかもしれません)

たぶん質問者さんは、水球用の水着などが好きなタイプだと思いますね。
競泳用と比べて、水球用の方が生地の強度が高い分、あまり伸び縮みしないので、同じサイズでもやや大きめに余裕を持って作られています。
競泳に比べたら、フレキシブルな身体の動きをするため、水球用は生地にシワが寄るくらいの大きめの方が良かったりもしますし。


鑑賞目的と着用目的では、同じ競パンフェチでも違いますが、競泳用のピッチリフィットし食い込む感じを着用・鑑賞して楽しむ人もいれば、水球用のようなゆったりめを好む人もいます。
ちなみに競泳用はピッタリしているので股間の形状が分かりやすく、しかし水球用はゆったりしているので股間の形状は分かりにくいですが、生地に余裕があるだけ、ダラン、とぶら下がった感じになるので、股間の「重々しさ」みたいなのが競泳用より分かりやすかったりしますね。
オーストラリアのカジュアルな水着ブランドのaussiebum(http://www.aussiebum.com/swimwear/2190/lennox#.U …)などは、ルーズフィットな競パンを出していたりしますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんかそれこそ雑談のようで申し訳ありませんが、aussiebumは既に二枚持っています。
僕が欲しい競パンだな、と見ていきなり思いました。

あと水球用といえば、日本ではなくてアメリカのスピードが出していた、ナイロン100%のSOLIDタイプの物、向こうにいた時に数枚買った覚えがあります。
速さだけを求める「競泳」には向かないかも知れませんが、むしろ「練習」や「フィットネス」には向いた水着に見え、ありかなと思いました。
前者がスポーツカーとすれば、後者がちょっとしたホットハッチ、5ナンバークラスのコンパクトスポーツセダン的な意味としてありだなと思った訳です。

なお現在そのモデルは生産終了となり、ポリエステル100%の同じくあんまり伸びないタイプが置換えとなりましたが、あっちは現物を見た限り肌触りが少し劣る事から今ひとつ好みになりませんでした。

更に言うと僕の場合に限るのですが、通ってたスイミングスクールの競パン、前と後ろの一部は普通のライクラ生地だったのですが、横と後ろの部分がそれこそ水球用の水着の様に、また先述のaussiebumの水着の様に、薄手のナイロン生地であまり伸びないものになっており、あまりキツいハイレグではなく、サイズ的にも同サイズのガチの競泳タイプよりはゆったりした物で、むしろ落ち着いたローレッグドな競パンでした。
(超大手スクールなので分かる人にはきっとどこの水着か分かると思います)
ガチのレーシング水着というよりは、練習とコストパフォーマンスを重視したものと思えました。
とはいえ、今はもう生産終了となっている代物で、市販も元々されていない物だった故に、万一オークションなどで放出されると現在は破格の値段になってしまいますけどね。

話しが結構逸れてしまいましたが、要するにそこで競パンの思い入れを作ったのが今に影響しているかなと思いました。

ある意味、鑑賞派になる人も、着用派で小さめに行く人も、あなたがおっしゃってる通り、「大人、つまりはコーチなど」や「ガチの競泳系の人」への憧れや性的感情が強く、本人自身や本人と同じ立場の人、には向かない感じなんかも知れませんね。
僕としてはあくまで、自分自身が親しんだ水着に愛着と性的興奮を持つという流れが強かったので、小さめでもないし、人への直接的な性行為を求める方向にもならず、また人一倍そういうのが好きではなかったのかなと自己分析した訳ですけど、どうなんでしょうね。

とまあこんな話ばかりで済みません。
結局の所この疑問は、鑑賞派と着用派の違い、また好きな水着の出所が、他の人つまりは大人の人が穿いてる水着なのか、自分たち子供が穿いてる水着なのかの違い、ってところなんでしょうか。

お礼日時:2014/05/03 03:26

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