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よく言われていることで、清く正しく生きていれば必ず幸せになれるし、悪いことをすれば自分に帰ってくる。とか、自分の心が明るくきれいであれば明るい人が寄ってくるけど、心が荒んでたり悪意があるとその報いを受ける・・みたいなのってありますよね。

なので自分の心をきれいにするために傲慢な心を捨てて謙虚に人と接してみたのですが、なんか緊張というか相手や場の空気に気を遣いすぎて、仕事も恋もうまくいきませんでした。
飲み会でもなんか相手を尊重しすぎるあまり、うまく話せなくて輪に入れなかったりしました。

で、なんだか人間嫌いになり、周囲の人間すべてが下らないと内心思いながら人と接したり飲み会に行ったときは逆にうまくみんなと話せたり、ぎこちなさのようなものが減って話も弾んだりしました。ただしそのときの気持ちのスタンスは相手を取るに足らない存在と見ていた状態でした。
これだとそのうち罰が当たって良からぬことが自分の身に降りかかるのかなと怖くなります。

それともうまくいかなかったときは真面目に考えすぎてたのでしょうか?

周囲を見渡してみると、彼女ができた後も条件のいい相手が現れたらすぐに乗り換えているような友達が結婚して幸せになってるし、真面目で純粋な人が飽きられて振られたというのもありました(男女ともに)。
仕事でも誰に対しても誠意ある振る舞いをする優しい人が仕事であまり評価されてなくて、いつも自分の我を通したり、親切な人を利用して手柄ばかり取る輩が高いランクの評価をもらったというのも過去にいくつもありました。

ということは因果応報というのは実は間違いで、個々人の心の持ちようで幸・不幸が決まるのでしょうか?
もしそうなら私はちょっと真面目すぎる所があるので、少し他人を見下すくらいの不真面目な自分になって人と接しようかなと思います。心のスタンスとして・・。

皆さんの周りでも、清く正しい人が損をして、不真面目だったり自己中心的な人間ほど成功しているかんじですか?

A 回答 (10件)

俺さ、その「正直者が馬鹿をみる」って違うと思うのよ。



理由はこう。


多分ね、実際の正直者が馬鹿をみたわけじゃないんだと思うんだよね。
きっとそれって言い訳なのよ。

「正直にやっても馬鹿をみるんだから、じゃあ正直者やめよ~ぜ~」みたいな感じの。
そういう人はもともと正直者なんかじゃなかった、とそうも思えるわけ。


正直者だから馬鹿をみるわけじゃないんだよね。
あくまでその人が馬鹿だったから、その通り馬鹿をみただけの話でさ。
その人が正直者かどうかなんて実は関係ないはずなのよ。

考えてみ?
賢い正直者は決して馬鹿をみたりなんかしないと思わないか?馬鹿だから馬鹿になった、ただそれだけの事でしょ?



スポーツの世界が分かりやすいかもね。
あの世界は賢い正直者こそが成功してる世界なわけじゃん?それも面白いぐらいに。

脱落していくのってさ、結局「真面目にやったって成功なんかしね~よ」なんて言ってる人達でしょう?
そういう人はドーピングとかに手を出したり、はたまたじゃあ真面目にやってみようかと思ってもやり方が間違ってたり。

要は馬鹿なんだよね。馬鹿だから成功しなかった。能力がなかったから、単純に勝てなかった、それだけなんだよね。

賢くて、ついでに正直な人達ほど、スポーツの世界では成功してる。(スポーツに対しての話ね。実生活で正直者かどうかはこの際関係ないとして。)



俗世界で考えれば、確かに性根の優しい良い人が利用されるだけ利用されて、その裏で他人を蹴落として高評価をもらう人がいる。確かにそう見えるかもしれない。
でもそれってさ、結局五十歩百歩って言うかさ。低いレベルでのお話なんだよね。俗世間でのお話。

トップの世界を見ると、決してそうではないじゃん?やっぱそれだけの実力を持った人が、それなりに正しい評価を得ているわけでしょう?
で、そういう人達って正直者じゃん、はっきり言って。別に他人を騙してきたわけでもなさそうじゃん?
その世界では決して「正直者が馬鹿をみる」ではないんだよね、もう別の次元の話なんだよね。




自分が賢くないから。自分に能力がないから。トップに登る事が出来ないから。食い物にされる人生だから。
だから正直者はやめちゃおう。楽チンに暮らそう。それは筋が通ってる。そういう選択もありだと思うよ?
でもさ、世界が全部そうだなんてことは決してないわけで。



正直者だから馬鹿をみたんじゃないんだよ。

単純に馬鹿だった、能力がなかった、ただそれだけの事だったんだよ。
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この回答へのお礼

てことは、スポーツにせよ何にせよトップクラス以外はほとんどの人が凡人。つまり貴方の言い方だと能力がない馬鹿なわけですよね。
そういう人が幸せになるためには正しい方向性を探しながら努力するしかないということですか?

お礼日時:2014/07/22 22:18

正直者というか 純粋な人は この汚れた国では 生きていくことは難しいかもしれません


それでも 心を汚してしまってはダメですよ
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この回答へのお礼

純粋=経験値の低さ
でもありますね。

お礼日時:2014/07/30 23:57

>仕事も恋もうまくいきませんでした。



その欲を捨てるという事です。
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この回答へのお礼

スティーブン・セガールみたいですね。

お礼日時:2014/07/23 18:30

 少し誤解をなさっているように思います。


「正直」で「真面目」に「良い人間」を演じていれば処世術で人間関係がうまくいく
とはだれも言っていません。処世術のハウツー本などではいかに自分を上手に売り込み
人脈を広げるか、いかに自分が有能で面白い人間である事を見せるかをうたっています。

 現実に正直で策を弄さない人は損な役回りをするのが世の常ではありませんか?
明るく要領よく立ち回る、好かれるように努力をする。そんな人が上司になり出世、綺麗な
女性と「幸せな」結婚をする。あなたが望む良い生活をおくるにはそちらのコースをどうぞ。

 でも世の中には少数でも不器用でも損をしても「純朴」で「真面目」一筋の人がいます。
彼等はその性格・生き方であなたのいう得をしようとは思っていません。ましてや演じている
わけでもありません(少しは演じる部分もあるけれど)。ただこの生き方を貫くことで、
ひとかどの立派な人に思われ、類は友を呼ぶごとく良い人たちとの交友に恵まれます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに高校時代、真面目だけど損な役回りの人がいました。
それとは別のコースでいきます。

お礼日時:2014/07/23 18:43

私は結局のところ、善人が幸せになり、悪人は不幸になることが多いと思いますが、人やその場の空気を気にして生きてる人が善人だとは思いません。



その場に、不真面目で悪い奴がいて、みんなで悪事を働こうって空気の時に、そこにいる人に気を使い、空気を乱さないように行動すれば、一緒に悪事を働くということで、そんなのは全然善人じゃありません。ただの卑怯な奴ですよね。

そうじゃなくて、どこにいようと、誰といようと、どんな空気であろうと、常に自分が正しいと思うことを貫ける人が善人なんじゃないですか。

で、世の中の大多数の人は、みんなと一緒になら、不真面目にもなるし、正しくないこともしますから、常に真面目に正しいことを貫く善人は、非常識だの、自己中心的だの、変人だのと叩かれることになるんですが、そういう、自分たちと違うことをする人間を集団で攻撃するようなくだらない連中のことは、ある意味見下すぐらいの強い気持ちがないと、善人にはなれないし、成功もできないのかもしれません。

この回答への補足

なかなか深い回答ですね。

補足日時:2014/07/30 23:58
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この回答へのお礼

なるほど、自分の軸をもつということですね。

お礼日時:2014/07/23 19:34

というかね、これはもう当たり前のことだ。

世の中、大別して二種類の人間しかいない。

君みたいに、心の持ち方に悩む者達と、最初からそんな理性欠落している者達。

当然だけど、後者は最初から自分の利得のみに人生を費やすわけだ。そもそも他者に対する健全な感受性なんてものが生まれつき存在しない。

で厄介なことにね、後者は本能的にすぐ察知して行動するわけだな、自分と同類の者と連なっていく、同時に前者を「自分と同じじゃない」とはねつけて攻撃する。

更に厄介なことに、後者は絶対数が多いわけだ。となれば、世の中が、欠陥人間ほど得をするのも必然なものとなる。加えて、理性ある者のように悩んだり立ち止まったり、自分を責めたりなんてことは絶対しないからね。己の成功のみに最短距離で向かうからさ。

今後の君は、自分と同じ側の者と、そうじゃない者とを内心分離すべきだね。自分と違う者と真面目に接して神経をすり減らすのはバカバカしいと合理的に感得しなきゃならない。

根本的に言うなら、自然の法則だよ。

大体、人間100人も生まれれば、皆良質であるわけがないんだから。
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この回答へのお礼

わかりました、内心見極めます。

お礼日時:2014/07/23 19:29

これ、意味が違うと思う。



正直者は~は、純朴で、馬鹿が付きそうなくらい正直な人は、騙されやすいから馬鹿をみるって言葉だと思う。

でも、馬鹿正直すぎて、周りに迷惑をかけたり、被害にあったとしても 擁護する人々がいる。
それはその人が 人が良く 嘘が無く 愛されてる人だから。

重要なのはその言動によって 周りの人々に愛される事だとだと思う。
しょうがないな~、とか言いながらつい助けたくなるような「魅力」があるってこと。
心に響くのは、その人に作為が無いから。

もちろん、被害よりも心に響く事の方がはるかに多いって事が前提だけど。


あなたのやったことは嘘やん。
相手と心を通わそうとしないで、表面を取り繕っただけ。

下らない人だとおもえば、相手が何言ようが、どう思われようが どーでもいいから楽だよね。
でもそん時あなたも下らん人になってるよ。

タイミングや駆け引きも重要。相手に迷惑をかけない為にも。
馬鹿正直であろうとも、対等な立場同士で話してるって理解してれば、その人は本当に対等に話すよ。
押すべきだと思えば押すし、引くべきだと思えば引く。
自分に嘘が無いから 堂々としてるし躊躇わない。
間違えればちゃんと謝るし、助けてもらえば感謝し、他の人が自分より優れれば尊敬し、他の人が何か出来れば喜ぶことが 素直に自分の心から出てきてるんで、その事に迷いがない。
迷いがないから 深く首を垂れるし、熱心。
もはや人格者だね。

ちゃんとした人は信頼を得てるから、成功してると言えば成功してると思う。
何かあれば助けたいと思ってる人が周りに多く居ればねぇ
でもこんな人少ないよ。


それ以上に 利己的で短期間の自分の得を得られる人が多くて目立つね。
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この回答へのお礼

>相手と心を通わそうとしないで、表面を取り繕っただけ。
下らない人だとおもえば、相手が何言ようが、どう思われようがどーでもいいから楽だよね。

そのくらいが真面目すぎる自分にはいいかなと思います。
相手によっては内心人間だと思っていません。口をきく道具だと思ってます。
プレゼンでも緊張しないためには、聴衆をカボチャだと思えというのと同じです。

お礼日時:2014/07/23 19:19

今の世の中は、結果が全てです。


結果で評価が決まります。

バカ正直にやって、びっくりするような結果が出るはずありません。
まあ、もちろん物事には例外ってありますから、すべてとは
言いませんが、そういう傾向が強いと言えるでしょう。

そういう社会構造において、清く正しくで成功するのは非常に
難しいでしょうね。
そこの部分に対する評価がありませんからね。
誰も、そこを見ていないということです。
清く正しくても、ずるがしこくても、どちらでもいいわけです。
結果さえ出せば。
となると、当然、ずるがしこく立ちまわった方が、
良い結果が出るはずです。
中身の良し悪しは別にして。

>皆さんの周りでも、清く正しい人が損をして、不真面目だったり自己中心的な人間ほど成功しているかんじですか?

清く正しい人が損をしてるっていうのはあるでしょうね。

でも、何が損で、何が得なのか?って話もあると思うんです。
お金さえ稼げば成功。資本主義に照らし合わせて考えれば、
そういうことなんだと思いますが。

人としてそれでいいのか?というと、それはまた別問題なわけで・・・。

何を基準に考えるかで、変わってくると思います。
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清く正しい人の周りには、自己中心的な人がよってくると思います。

利用しようとして。
そして、清く正しい人は利用されて、結果、自己中心的な人が頑張ったことになって、清く正しい人はただこき使われてでもその清い人がしたことがなかったことにされてしまう。
私はそう思います。
清く正しい生き方をしようって理想でしかありません。現実は損ばかり大損ばかりです。でも損してもその生き方をやめられないのでバカを見るんですね。
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この回答へのお礼

加藤諦三みたいですね。

お礼日時:2014/07/23 19:38

そりゃね、ちょっと質問者さんも違っているところがありますよ。



>自分の心が明るくきれいであれば明るい人が寄ってくるけど、心が荒んでたり悪意があるとその報いを受ける・・みたいなのってありますよね

これはいえてると思います。明るい人ってのは文字通りに明りみたいなものですから、明るいところに人は集まるものです。また、人の悪口ばかりを口にする人と仲良くしようという人は、同じように世間に対して強い不満を持っている人です。「敵の敵は味方」というわけです。俺にとって世間は敵、そしてこいつにとっても世間は敵だから俺たちは仲間だというわけです。でもさ、自分にとって世間が敵なら、そいつも世間の一味じゃないのかって私は思うのですけれどもね。

そして質問者さんは綺麗な心で人と接すれば幸せになれると期待してそうしてみたら上手くいかなかったわけですよね。
ちょっと待ってください。そもそも「綺麗な心で人と接すれば自分も幸せになれるという期待があるからそうする」というのは、決して心が綺麗な行為とはいえませんよね。むしろ「幸せになりたいという下心があって綺麗に振る舞っているにすぎない」ともいえませんか。それなら元々が下心があるんだから、上手くいかないのも当然かもしれません。
そして他人を見下せば表面上は上手くいったというのも、人は自分が見下されているということについては割と敏感なので、質問者さんが「こいつは見下すようなやつだが、表面上だけ上手くやろう」と思っていたらそれも相手は気づいて「こいつは俺を見下しているが、表面上は愛想がいいから、俺も表面上だけは愛想よくしてやるか」と思うでしょうから、その場合はお互いに表面上は良好な関係に見えますよね。それぞれの本心は別にしてね。

>彼女ができた後も条件のいい相手が現れたらすぐに乗り換えているような友達が結婚して幸せになってるし

これを「恋人」と考えるとひどい人のように思いますが、もし「仕事」に置き換えたらどうですか。どこかの会社に就職しても、もっと条件のいい会社が見つかってそこに転職して幸せになったら、それは悪いことでしょうか。
また恋人だったとしても、怒ると暴力を振るうような人と付き合ってて、ちゃんと働いて怒っても暴力を振るわない人と出会ったから暴力を振るう恋人と別れて、もっとマシな人と付き合った人に対しても「条件がいい相手が見つかったから乗り換えるのか」と非難するのでしょうか。

>真面目で純粋な人が飽きられて振られたというのもありました(男女ともに)

真面目で純粋なら、それは純文学みたいなもので、一緒にいてて楽しい相手なのかどうかというのは話は別です。「真面目で純粋な人は報われなければならない」という根拠はなんなのでしょうか。臆病で、ありとあらゆるリスクや責任から逃げ回る人たちも「真面目で純粋」であるといえませんかね。すべての責任に対して真面目だから、責任を負う立場には絶対にならない。すべてのリスクを負おうとしないから、経験をしないので純粋。そういえませんかね。

>仕事でも誰に対しても誠意ある振る舞いをする優しい人が仕事であまり評価されてなくて、いつも自分の我を通したり、親切な人を利用して手柄ばかり取る輩が高いランクの評価をもらったというのも過去にいくつもありました

仕事は慈善行為ではありません。評価されるのは、結果を出して会社に儲けをもたらした人です。質問者さんがどこかのプロスポーツチームを応援するとして、練習はいつも一生懸命だけど試合で結果が出せない人と、そこまで練習熱心じゃないけどちゃんと試合で結果を出す人、どっちが試合に出場すべきだと思いますか。真面目で誠実で人がいいけどてんで試合で使い物にならない人が出る試合を、一生懸命働いて稼いだお金を入場料として払って見たいと思いますか。

>少し他人を見下すくらいの不真面目

不真面目を少々勘違いしておられます。不真面目な人は別に他人を見下しているとは限りません。真面目に他人を見下す人は、東大や高級官僚辺りには大勢います。
まあなんだ、「水清ければ魚棲まず」って言葉がありますよ。清く正しい人ってのは尊敬に値しますが、一緒にいて遊びたいと思う相手ではありません。
マンガの原作者の人がいってましたが、マンガの主人公というのは欠点を必ずひとつ作っておくそうです。完全無欠なヒーローというのは読者に愛されないんですね。なにか欠点を持つことで読者はその主人公に親しみを覚えるのです。
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この回答へのお礼

>むしろ「幸せになりたいという下心があって綺麗に振る舞っているにすぎない」ともいえませんか。それなら元々が下心があるんだから、上手くいかないのも当然かもしれません。

それを下心というなら、下心がない人というのは存在するんですか?

>なにか欠点を持つことで読者はその主人公に親しみを覚えるのです。

なかなか興味深い話です。

お礼日時:2014/07/24 20:26

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