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ある悩みがあり噂を聞いて、神様の声が聞けるという方に相談に行きました。
霊視していただいた結果は当たっていることもあれば、少し曖昧で分からない部分もありましたが、嫌な感じは受けませんでした。

帰り際に開運方法として、祝詞を提案されました。
やり方は氏名と住所を教えてもらえればそれを神様に伝え、あなたを見守ってもらえるように私の方から毎日祝詞をあげてあげるというものでした。
もちろん、無償で強制ではなく、希望があればと言われました。

私自身も神社神職や住職以外の素人が安易にお経や祝詞を唱えるのは霊などが寄ってくるので危険だと知っています。
その上で、そのプロではありませんが、元々信仰深い家庭環境に育ち、習慣のようにお経や祝詞を神聖な気持ちで唱え、神様との繋がりを持たれているこの方であれば霊界や自分に向けて祝詞をあげてもらっても問題ないでしょうか?

こういったことに詳しい方がいらっしゃいましたら、是非教えていただきたいです。

A 回答 (6件)

神や霊でない問題でダメです。



安易に個人情報を渡すと、それが漏れて、貴方に何かを言って金銭を取ろうとする人間が寄ってくる危険があります。


ここに質問をしたことも忘れた頃に、まったく別のきっかけで

「あら? 貴方、○○に問題があるわね。」
(↑見抜かれたように思えるけれど、悩みの内容が一緒に漏れているだけ)

「貴方に悪いモノ(霊とか)がついている。
祓わないと、貴方(または貴方の大切な人)が危ない!」
(↑見えない力を信じるタイプであることが漏れている)

などと言う人が現れる危険があります。


住所、氏名、貴方の悩み事が何なのか、
見えない力を信じるタイプであること、
「私が祝詞をあげてあげる」のように
確認しようがない言葉すら信じてしまうことが
セットでまったく別の人に漏れたら…?

いちど漏れた情報は、取り返すことができません。
いくらお金があっても無理です。
その危険に自分から近づくのは止めるべきです。


一般論で考えましたが、
死んだ人の霊や何らかの神様よりも
生きている人間たちの行動はもっと怖い、ということで。
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神社神職や住職以外の素人が安易にお経や祝詞を唱えるのは霊などが寄ってくるので危険・・


これは全く違います。家に神棚がある人であれば普通に神棚拝詞を明けていますよ。凝った人であれば大祓い祝詞だってあげます。仏教徒だってお経やお題目、お念仏を上げるでしょ。
私は東日本大震災のとき、関西の神社の神主さんの提案により祝詞を100日奏上しました。

古来村々の神社は明治になるまでは村で管理しており、神職役は長や役員が行なっていました。神職というものの中で家元制のようなものはありましたが、今のようにまるで占有特権のようになったのは神社本庁が出来てからです。それでも今なお多くの神道団体が存在していますので、資格などというものは関係ありません。

他人の幸福を願い祝詞をあげるのは自由ですから、有料でも無料でも自由です。
でも、無料がイイことというわけでもないのです。
神職というのはあくまでも中継ぎです。時代劇で天皇や殿様に発言する時に聞こえる距離でもいちいち中継ぎが言葉を取り持って伝えるという場面を見るでしょう。あれと同じなんです。お願い事をするためには自分で奉納品などを捧げる、神道などでは供物を捧げるのが作法でした。それを神主などにしたくしてもらうために金銭に買えたのが賽銭や初穂料の起源です。つまり無料でイイというのは一見良さそうに見えますが、人に只でいうことを聞けと言っているようなものなのです。そんな関係はこの世に存在しません。奴隷ですら食事は与えているんですから。

それと「神と繋がっている」という事にどこまで素直に信じてよいものかということもあります。
私の両親は以前素晴らしい霊能者と懇意にしていました。この霊能者はやはり神に通じていると言っており、確かに凄い霊力を発揮していたのです。ところが彼はとても悲惨な死に方をしました。実は彼が神と信じていたのは所謂低級霊の類だったんです。彼は神棚に神像や仏像、霊力があるといわれる石や樹木など祀っていました。それは神霊などではなかったのです。そのものどもが彼をこの世に引きとめておきたくて悲惨な最後になってしまった。それを全て処理したのは一般人である父です。

普通に他人の幸福を願って祝詞をあげる。これは自由ですし何の支障も無いでしょう。
でも本来ならそれは自分自身でなすべきことです。自分で神棚を祀って家内安全を願うなら判ります。
それだって塩米を捧げるんですよ。ただじゃないです。
一般寺社でも祈願は例大祭などの時だけ、それ以外は神への奉仕に費やします。
毎日祈願するというのは、私はちょっと違う気がしますね。
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こんばんは霊などを信じてるものです(╹◡╹)



あまり詳しくないのに答えてすみません
特に神道系は全然知らないのですが、仏教系ですが以前般若心経を1ヶ月唱えるのと、その後に観音経を1ヶ月唱えてみました

運が良くなるとか病気が治ると書いてあった本が何冊かあったので試してみまた

特に運が良くなることもなく、喉が腫れて風邪を引きました

またある新興宗教の人と話していて、勉強会みたいのに出ていたのですが、私があんまり信じられないみたいな感じで言うと、それまで優しい感じの50代くらいの信者の男の態度がガラリと変わって、入信を強引に進めてきました

質問者さんの相談した人がそういう人とは違うかもしれませんが、人間は数年くらい付き合ってみないと中々分かりませんし


ある人が神様にお願いすると神様は聞き届けるけど、質問者さんが神様にお願いすると聞かないということもない気がしますので、住所や氏名は教えないほうが良いかと思うのですがいかがでしょうか
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神様なんていません。


神様の声が聞こえると言う人は、嘘を言っているのです。
証拠が無いでしょう、
騙されてはいけません。
霊視なんて嘘っぱちです。
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特別な功徳を期待しなければいいでしょう。


何も害はないでしょう。
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「鰯の頭も信心から」と良く言います。

 「噂を聞いて神様の声が聞けるという方に相談に行きました。」、「開運方法?」こんな事を今時の人が真っ向から信じているなんて、私には理解出来ません。「神の声が聞こえる?」こんな人は営利目的で何の根拠も無いまやかしです。私も精神科病院の事務を長年し、その医師の話によると、こう言う類の人達の過半数は精神障害者である。との事です。開運にしろ運命は自分の力で切り開いて行くもので、何で他人に頼って自らの力で開こうとはしないのですか?
あくまでもあらゆる神々は、正しい仏様の臣下の立場にあり、その仏様を信じる衆生を護り助ける事が神々の役目であります。主である仏法を蔑ろにして、家臣である神々を崇める事は謀反であり、従としての神のみを信仰する事は本末転倒であり、何の利益にもつながりません。従って「祝詞をあげてっもらって大丈夫でしょうか?」は、全く意味が無い無益な事なのです。
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