単二電池

通勤や通学など日常の足として利用していた鉄道車両が老朽化その他もろもろの理由で引退したときの思い出がありましたらお聞きしたいです。

どんな感じで利用していたか?
引退の理由は?
その時どんな思いだったか?

引退した車両のその後もご存知でしたら是非とも聞いてみたいです。

A 回答 (1件)

私は学生の頃から京浜東北線を利用していますが、さすがに昭和40年代以前の半鋼製車両のことはよく覚えていないですが、その後の103系、209系0番台そして現在のE233系1000番台まで長年利用しています。



103系は並行して走る京浜急行の電車に比べ高速での伸びがいまいちという感じがしました。103系が登場した頃、品川-大井町間の運転でよく感じました。京急は全電動車なのでその差が出るのでしょう。103系の車両の特長は側面の窓が上下に全開できたことで、窓が全開状態だとちょっと危ないですが、冷房化される前には夏はよく開けられて走ってました。また、床下の空気圧縮機の運転音がけたたましく響いたのを覚えています。

その後、中央線が201系、山手線が205系の新車が先に導入されましたが、いつまでたっても京浜東北線は103系のままで、自分としては新車の導入を心待ちにしておりました。

平成7年頃になり209系0番台という新しい形式の電車が導入されることになりました。そのキャッチフレーズが「重量半分、寿命半分、消費電力半分」というもので、この209系が重くて電気を食う103系に変わっていきました。当時103系に混ざって205系も一部入っていましたが、そのうちすべて209系に取って替わりました。

103系にない209系の特徴は、上記以外に6扉車が途中で編成に付け加えられたことです。編成の真ん中あたりで一番込み合う付近を1両だけ4扉から6扉車にしたのです。通勤の帰りにこの車両に乗ることが多かったです。朝は座席が跳ね上げられていて利用できないので乗りませんでした。
209系には0番台以外に500番台が数編成ありました。この500番台の編成は6扉車が連結されてないのですが、新しい209系という感じで車体側面が広くなり、その独自のスタイルは好きでした。

平成20年頃になりまだ209系が導入されて十数年しか経っていないのにE233系が導入されるということになりました。103系は30年近く使われていましたが、まだその半分も経っていない209系の交替を知ったときかなり驚きましたが、209系登場のときのキャッチフレーズを思い出し時代の流れを感じました。

寿命半分といっても209系の当初の廃車の予定が、途中でもったいないということで変更になったようです。そこで一部を短編成化して改造された209系が千葉の房総地方で209系2000番台、2100番台として使われています。その代わり房総地方で使われていた古い113系などが廃車となった模様です。

そして現在の京浜東北線の車両たちはE233系1000番台83編成分で構成されていますが、すべて同一系統の車両で、昔のようにバラエティに富んだ編成でないので全く面白みがありません。103系の頃は古い車両はいやだと思っていましたが、すべて新しい車両になって快適のはずですが、一鉄道ファンとしては209系の頃が面白かったです。
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この回答へのお礼

不便なところはありますが、アナログ的なところが多いほうが面白いというのもありますね。
他にも色々と詳しい話をありがとうございました。
当時の光景が目に浮かぶようです。

お礼日時:2015/02/07 07:21

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