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自転車乗りレジャーは人の趣味なのでどのように楽しもうが差別して優劣付け難いと思うのですが
差別は出来ると言う者がいます。
その者が言うには
ネットでつまらない書き込みをしているだけの人生よりは、
ロードバイクで汗をかいている人の方が100万倍いいね
と、言うのだそうですが
それって分野も何もかも違うのに自転車レジャーと比較の対象になると思いますか。
ネットの書き込みも本人にしてみれば有意義なことかもしれないし。

そもそもネットの書き込みとロードバイクでの走りを比較すること自体が
無意味で馬鹿な者の認識なのではないでしょうか。
勝手につまらないと判断してしまうのもおかしいと思います。


それから、ロードバイクの趣味で自分の好みで
頑張って走っている人をわざわざ賞賛してやる必要って有るのでしょうか。

競技でもなく好き好んで趣味で勝手に走っているのに、それを賞賛出来ないと軽蔑に値することと言えますか。

そんなのほっといて自由にさせておけばいいと思うのですが。
賞賛とか応援とかしないと軽蔑っておかしいのではないでしょうか。

それを言うなら
自転車乗りレジャーで適当にゆっくりチンタラと街中を遊び乗りしている人に対して軽蔑しないと軽蔑すると言ってるのと同じだと思うのですが、
そんなことで自転車乗りレジャーを差別出来るでしょうか。

A 回答 (3件)

№1で回答したものですがお礼を受けて再回答します。



>趣味なのでどのように楽しもうが区別して優劣付け難い

それは、その文章の部分だけで見る限りは正しいです。


>他人の趣味を賞賛しないと軽蔑に値する

賞賛する必要は全くありません。
しかし、他人の趣味を尊重しない人は軽蔑に値すると思います。

趣味というものはその人の人間性の根幹にかかわるものです。
その人の趣味の否定は、その人の人間性を否定しているようなものです。
人が尊重されたいと思うのならば、他人を尊重しなければならないように、他人の趣味は徒に批判したり否定したりしてよいものではありません。
しかし、では絶対に否定してはならないのか?というとそういうわけでもありません。
他者の人間性そのものが許せないということも十分にある話であり、それもまたその人自身の人間性のなせる業です。


質問の例にあるようなネットへの書き込みと自転車の比較で、自転車のほうが優れているかのように言われるのは、今の日本の社会では仕方のない部分もあります。
人間の肉体は日常的に運動をすることによって健康を維持するようにできているのは否定のしようのない事実です。
今の一般的な日本人は日常生活における運動量は、健康を維持するために必要な量に達しておらず、何らかの趣味等によって補うことが求められています。

健康管理は社会人にとっての基本。

であるならば、趣味によって運動量を確保し、健康の維持増進に努めるのは推奨されてしかるべき行為です。

対して、ネットへの書き込みはまず運動にも健康にもつながりません。
ネットへの書き込みの大部分を占める、非建設的な書き込みなんかは他者の精神的健康を阻害することすらあります。
そして、それだけで余暇を過ごすことによって自らの運動不足を放置し、身体的精神的健康を害するようなことにつながるのであれば、それは否定されても仕方のないことでしょう。

こういう背景を踏まえて考える限り、自転車とネットへの書き込みを比較して「自転車のほうが優れている」とする意見は論理的合理性が十分に認められます。

しかし、背景が変わればそうした意見も論理的合理性を失います。

たとえば、その人が過酷な肉体労働に就いているのであれば、休息に充てるべき余暇を運動に費やし、運動のし過ぎによる過労や疲労骨折等の傷病といった実害をこうむるようであれば、これは否定されてしかるべき趣味とされるでしょう。
そして、そんなことをするぐらいならネットでも巡回して身体を休めながら楽しむべきと、運動よりもネットへの書き込みのほうが推奨されるようになるでしょう。

どちらかが常に絶対的に優れているということはありません。
しかし、異なる二つを比べれば、何らかの条件下においては必ず優劣がつくのです。
その背景となる条件を無視して比較することに意味はありませんし、同時に条件を全く付けずに比較して「優劣はない」とすることにも全く意味はありません。
何かを比較する際には、背景となる条件も同時に吟味しなければ意味はないのです。

先述したように趣味とはその人の人間性そのものにかかわるものですから、趣味を否定されれば反射的に反発してしまうのは仕方ありません。
しかし、その自らの反発に流されて、どういう条件で比較しているのか?を考えることが出来なくなってしまっているとしたら、それは「差別」と全く同じ思考構造です。というか、「考え」と呼べるようなものではありません。ただの「現象」です。
人に何か言われたなら、まず自分の中で生じた反発を抑え、冷静になって相手が言わんとしていることの背景と合理性を考えてみるべきです。
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この回答へのお礼

わかりました。
ありがとうございます。

他人の趣味を尊重しない人は軽蔑に値すると思うのですね。
それならここを利用するなど、ネットに書き込む趣味や
クロスバイクにドロップハンドルを付けて乗る趣味も
尊重されるに値して尊重しない人は軽蔑に値されるのですね。

それがわかればそれで結構なのですよ。

お礼日時:2016/02/21 15:10

誰も回答してくれないから、わざわざIDを買えて再質問。


どんだけかまってちゃんなの?寂しいですね。


比較のしようのない??
世の中たいていの物事は比較できますよ。

「猫とフランス料理、どちらが好きですか?」

全く関係のないものでも、聞かれれば答えることは可能です。
そして、「猫よりフランス料理の方が100万倍いいね」と答えると、なにか問題でもあるのでしょうか?

そもそもここはQ&Aサイトです。当然あなたの意に沿わない回答もあります。
そんなことでいちいち腹を立ててイラつくなら、質問しなければいいのですよ。
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勘違いしておられるようですが、「差別」というものは合理的でも客観的でもない思い込みによって行われるものなので、「差別できる/できない」の根拠に論理的合理性なんか求めるだけ無駄です。


論理的合理性がないからこそ「差別」なんです。
客観的かつ論理的合理性があるならば、それは「差別」ではなく「区別」です。
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この回答へのお礼

そうですか。
それでは
自転車乗りレジャーは人の趣味なのでどのように楽しもうが区別して優劣付け難いと思うのですが
と質問すれば良かったと言いたいのですね。

それから
他人の趣味を賞賛しないと軽蔑に値するかという
質問に対してはどう思いますか。

お礼日時:2016/02/21 10:26

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